以下に、ビンスワンガーの思想に基づく**「実存分析的ケースフォーミュレーション(Existential-Phenomenological Case Formulation)」テンプレート**を提示します。
これは、患者を「病的構造」としてではなく、「ある世界のなかに生きている存在」として捉える実存分析(Daseinsanalyse)の枠組みに基づいています。
🧭 実存分析的ケースフォーミュレーション・テンプレート
(Existential-Phenomenological Case Formulation Template)
🟦【1】存在の開かれ方の把握(Wie-Welt / 開示様式)
- この人は、どのように世界を「感じ」「構成し」「生きている」か?
- どのような**存在様式(Modus des Daseins)**をとっているか?
❑ 世界は広がりある場所か、閉ざされた檻か?
❑ 他者は脅威か、無関心か、それとも可能性か?
❑ 未来は開かれているか、封じられているか?
記述例:
この患者は、他者の視線に強く脅かされるような世界に生きている。他者は支えではなく、恒常的な「評価者」として感じられる。彼女にとって世界は、自由に振る舞うことが困難な“監視空間”である。
🟦【2】実存的主題(Existenzthemen)の抽出
以下のような根本的主題が、どのように現れているかを検討する:
実存主題 | 質問例 | 記述のヒント |
---|---|---|
自由 | この人は自由をどう扱っているか?自由を恐れているか? | 拒食=選べない自由、薬拒否=自己決定の確保など |
孤独 | この人にとって「他者」とは何か?他者の不在はどう作用しているか? | 孤立か、融合願望か、他者の消失恐怖か |
有限性(死) | この人は死をどう意識しているか?それは行動や思考にどう影響しているか? | 自殺願望は絶望か、それとも唯一の主体性の表現か |
意味 | 人生や自己に意味を見いだしているか?空虚感はどこにあるか? | 症状の裏に意味への渇望があるかどうか |
記述例:
彼女は、絶えず「自分は美しくなければならない」という幻想の中に生きている。死は恐怖ではなく、解放であり、同時に「完成された姿としての死」が理想とされている。自由の使用には極端な二極化(強迫的選択と無力感)が見られる。
🟦【3】空間・時間・他者との関係構造の分析
(Existential a priori の歪み)
ビンスワンガーは、フッサール=ハイデガー的な存在論を応用し、人間の基本的な“世界の構造”の歪みを捉えようとしました。
領域 | 視点 | 観察ポイント |
---|---|---|
空間性 | 世界は近くて触れるものか、遠くて抽象的か? | 閉じた部屋、無限の空間、狭小化など |
時間性 | 時間は流れているか、停止しているか?未来はあるか? | 無時間化、過去への囚われ、同一性の喪失 |
対他的関係 | 他者はどう認識されているか?関係はどのように立ち上がっているか? | 他者不信、自己同一化、過度の同調、敵意など |
記述例:
時間は「今」に釘付けされ、未来の可能性は視野にない。空間もまた「この部屋」「この身体」に限定されている。他者は評価する者、裏切る者として想定され、関係は構築されず、監視と恐れに満ちている。
🟦【4】実存的歪みの形式的診断(様式分類)
ビンスワンガーは精神病的世界を「病的実存様式(pathic mode of existence)」として分類した。代表的には:
様式 | 内容 | 該当症例 |
---|---|---|
狭小化された世界(Eingeschränkte Weltbeziehung) | 世界が縮減し、限定された対象(身体、食物など)に閉じる | 神経性無食欲症、強迫症状 |
過度に拡張された世界(Überweite Weltbeziehung) | 世界が過剰に広がり、意味や繋がりが過剰に感じられる | 統合失調症の妄想体験 |
固着的・自己閉塞的世界(Verhärtete Selbstbeziehung) | 自己の内面に閉じ、他者と世界への関係が停止する | 重度うつ病、自閉スペクトラム |
絶対的高次自己への志向(Streben nach Idealexistenz) | 完成・純粋さ・理想への病的固執 | エレン・ウエスト、拒食、自死への欲望 |
記述例:
この患者は、理想的・純粋な存在への執着を捨てきれず、生の現実的困難に触れることができない。その意味で、「死」だけが自己完成の場と感じられる“理想的実存様式”への固着がある。
🟦【5】臨床的含意・治療的姿勢の検討
- この人の「世界内存在」を否定せず、その“なりゆき”に共に立ち会えるか?
- どのようにして“語り”が生まれうる空間をつくるか?
- 「治すこと」よりも、「ともにいること」の可能性を探る。
記述例:
治療者の目標は、彼女を「正常にすること」ではなく、彼女が閉ざした世界に対して「他者がいる」ということを静かに示し続けることである。治療とは、新しい世界の開かれ方を“可能性として提示する”営みである。
📄 付録:記述テンプレート(まとめ用)
# 実存分析的ケースフォーミュレーション
■ 患者名:_____
■ 年齢・性別:____
■ 主訴/診断名:__________
### 1. 存在の開かれ方(世界経験の様式):
______________________
### 2. 実存主題の浮上:
- 自由:
- 孤独:
- 有限性(死):
- 意味:
### 3. 空間・時間・他者関係の分析:
- 空間性:
- 時間性:
- 対他的関係:
### 4. 実存様式の仮分類:
______________________
### 5. 臨床的含意と介入の方向性:
______________________
🎓補足文献(参考)
- Ludwig Binswanger: Über Ideenflucht(1908)/『実存分析の理論と実践』(1930s〜)
- Karl Jaspers: Allgemeine Psychopathologie(1913)
- Medard Boss: Psychoanalysis and Daseinsanalysis
- 橋本雅雄『実存分析と臨床の哲学』
- 木村敏『時間と自己』『人と人とのあいだ』