気分障害は、いま :うつと躁を精神病理学から問い直す
津田 均 (著)
【目次】
第1章 症状の質とその構造的意味
第1節 症状、症状の質、症状の構造的意味
第2節 うつ病と躁うつ病の精神医学史についての小論
第3節 内因性うつ病の症例呈示と考察
第4節 主要症状の掘り下げ――享受、疎外、生成抑止
第5節 罪責性について
第6節 躁病の症状
第2章 うつとパーソナリティ
第1節 問題の所在
第2節 本書のテーゼとなる、二つの見解
第3節 内因性の気分障害の病前性格論
第4節 社会適応的病前性格論の解体――発達史および生得的特徴と社会的要請との矛盾を考慮して
第5節 執着気質について
第6節 神経症性・対象関係因性の抑うつ――内因性との対比において
第3章 患者の語りを聴くこと――気分障害患者の発達史論と経過論から
第1節 患者の語りを聴く意味
第2節 基盤となる治療関係――空間の提供
第3節 空間の提供のみではうまくいかない場合
第4節 発達史論と双極II型への精神療法
第5節 さまざまな発達史のあいだの関係と移行
第6節 内因性の気分変動と語りの変化、介入の実際
第7節 経過のある時期に語りが現れることの意味――三つのパターン
第4章 うつ病患者の不安と相克――マックス・ヴェーバーの病跡を介して
第1節 はじめに
第2節 内因性の気分障害と不安障害の併存
第3節 マックス・ヴェーバーの病跡学――「新型うつ」的病像と『倫理書』の予言
第5章 双極スペクトラムと「躁」について
第1節 はじめに
第2節 今日いわれている双極スペクトラムについて――薬物療法、精神病理、治療関係、鑑別診断の観点からの検討
第3節 双極スペクトラムと「青年期」――ライフサイクル論を越えて
第4節 おわりに
書籍『気分障害は、いま :うつと躁を精神病理学から問い直す』の内容。
この本は、現代の精神医学で広く使われている診断基準(例えばDSMなど)による分類だけでは捉えきれない、うつ病や双極性障害(躁うつ病)の本質に「精神病理学」という視点から深く迫ろうとする専門書です。
精神病理学とは、心の病の症状が患者さんにとって「どのような体験」であり、その体験がどのような構造を持っているのかを、言葉や現象を丹念に分析することで解き明かそうとする学問です。
本書は、単なる症状のリストアップや薬物療法だけでなく、患者一人ひとりの主観的な苦悩、その人のパーソナリティや生きてきた歴史(発達史)、そして患者自身の「語り」を重視し、気分障害の理解を根底から問い直すことを目指しています。
以下、各章の内容を詳しく見ていきましょう。
第1章 症状の質とその構造的意味
この章では、気分障害の「症状」を表面的な現象としてではなく、その背後にある質的な意味や構造を掘り下げます。
- 症状の「質」と「構造的意味」: 例えば「気分が落ち込む」という症状一つとっても、その落ち込み方が人によって全く異なります。それがどのような種類の苦しみなのか(虚しいのか、重苦しいのか、不安なのか)、その体験の核心は何かを探ります。
- 精神医学史: 現代のうつ病・躁うつ病の概念が、歴史的にどのように形成されてきたかを振り返り、現代の理解の前提となっている考え方を問い直します。
- 主要症状の掘り下げ: 本書の特徴的なキーワードとして「享受、疎外、生成抑止」が挙げられています。
- 享受の喪失: 喜びや楽しみを全く感じられなくなる状態。
- 疎外: 自分自身や周囲の世界から切り離されたような、現実感のない感覚。
- 生成抑止: 何か新しいことを考えたり、始めたりする意欲やエネルギーが内側から湧いてこなくなる状態。
- これらが、うつ病の体験の核心にあるのではないかと論じます。
- 罪責感や躁病: 同様に、自らを責める気持ち(罪責感)や、過剰に高揚する躁状態が、どのような内的体験なのかを深く分析します。
第2章 うつとパーソナリティ
ここでは、気分障害と、その人の「なり」であるパーソナリティ(性格)との関係を論じます。
- 病前性格論の問い直し: かつて「うつ病になりやすい性格(メランコリー親和型性格、執着気質など)」があると言われてきました。この章では、こうした伝統的な「病前性格論」を批判的に検討し(「解体」し)、より現代的な視点から再構築しようと試みます。
- 発達史と社会的要請: 生まれ持った気質と、成長過程で社会から求められる役割との間の「矛盾」が、どのように心の不調につながるのかを考察します。
- 内因性と神経症性の対比: 生物学的な要因が強いとされる伝統的な「内因性うつ病」と、心理的な葛藤や人間関係が要因となる「神経症性の抑うつ」を比較することで、うつ状態の多様性を浮き彫りにします。
第3章 患者の語りを聴くこと――気分障害患者の発達史論と経過論から
この章は本書の核心の一つであり、実際の臨床(治療)において、患者とどう向き合うかを論じます。
- 「語り」の重要性: 患者が自らの体験や生い立ちを言葉にすること(語り)が、治療においてなぜ重要なのかを探ります。
- 「空間の提供」: 治療者が安全で受容的な雰囲気(空間)を提供することで、患者が安心して自分自身を語り始めることができる、という治療の基本姿勢を論じます。
- 発達史の聴取: 患者の生い立ち(発達史)を丁寧に聴き取ることが、特に診断が難しい双極II型障害などの理解や精神療法にどう繋がるかを具体的に示します。
- 気分の波と語りの変化: 気分が変動する中で、患者の語りがどのように変化し、治療者はその変化にどう対応(介入)すべきか、という非常に実践的な内容に踏み込みます。
第4章 うつ病患者の不安と相克――マックス・ヴェーバーの病跡を介して
この章では、著名な社会学者マックス・ヴェーバーの精神的な不調を「病跡学(著名人の記録からその精神状態を分析する研究)」の手法で分析し、気分障害の理解を深めます。
- うつと不安の併存: 気分障害と不安障害が併存することは非常に多いですが、その関係性をヴェーバーの事例を通して考察します。
- 「新型うつ」との関連: ヴェーバーが示したとされる症状が、現代で言われる「新型うつ」的な特徴と共通点があることを指摘し、彼の代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の内容と彼の病がどう関わっていたのかを読み解きます。
第5章 双極スペクトラムと「躁」について
最終章では、現代の精神医学における重要なトピックである「双極スペクトラム」と、見過ごされがちな「躁」状態について論じます。
- 双極スペクトラムの検討: 典型的な躁うつ病だけでなく、軽い躁状態(軽躁)を含む、より広い範囲の双極性障害(双極スペクトラム)という概念を、薬物療法、精神病理、治療関係、診断など多角的な視点から検討します。
- ライフサイクルとの関連: 特に「青年期」という人生の段階と双極スペクトラムの問題がどう関わるのかを論じ、単なる病気のレッテル貼りではない、より深い人間理解を目指します。
まとめ:本書はどのような本か?
この本は、気分障害を「脳の病気」や「セロトニンの不足」といった単純な説明モデルに還元せず、一人の人間の全人的な苦悩として捉え直そうとする意欲的な一冊です。