19. 自殺リスクとその精神病理
はじめに
精神疾患と自殺の関連は、精神医学における古典的かつ現在に至るまで中心的な問題である。とりわけうつ病および統合失調症は、自殺リスクが最も高い精神疾患として知られており、その精神病理を理解することは、予防・介入の戦略立案に不可欠である。
本章では、両疾患における自殺リスクの特徴、精神病理学的背景、予測因子、ならびに臨床的な対応について論じる。
うつ病における自殺リスクと精神病理
うつ病は最も自殺との関連が深い疾患のひとつである。疫学的には、うつ病患者の約15%が生涯に少なくとも1回の自殺企図を経験し、5%前後が自殺により死亡するとされる(Mann et al., 2005)。リスクが高いのは、以下のような要素を含む:
- 抑うつ気分と絶望感
- 罪業妄想、貧困妄想
- 精神運動制止と希死念慮の併存
- 治療への反応性の低さ(治療抵抗性)
- 回復初期におけるエネルギーの回復と自殺実行力の一致
精神病性うつ病(psychotic depression)では、現実感覚の歪みと強い自己否定が加わり、自殺既遂のリスクはさらに高まる。精神病理的には、Freudの『喪とメランコリー』に描かれたような自己内在化された怒りや、病前性格における過度な良心性・完全主義が関連するとされる。
統合失調症における自殺リスクと精神病理
統合失調症患者の約5〜10%が生涯に自殺で亡くなるという報告がある(Palmer et al., 2005)。うつ病と比べると頻度はやや低いが、若年男性で初回発症から数年以内に自殺に至るケースが目立つ。
主なリスク要因としては以下が挙げられる:
- 病識の獲得とともに生じる絶望感(「洞察関連絶望」)
- 陽性症状(特に命令幻聴や被害妄想)
- 社会的孤立、失業、治療中断
- アクチベーションのある時期(急性期や回復初期)
陽性症状による直接的な誘導、例えば「死ね」という幻聴や迫害妄想からの回避としての自殺、というメカニズムもあるが、より多いのは、自己認識の回復によってもたらされる絶望や羞恥の感情である。
現代では、統合失調症におけるうつ症状(post-psychotic depression)や、いわゆる「陰性症状のうつ的解釈」も含めた包括的理解が重要視されている。
精神病スペクトラムとしての視点と自殺
うつ病と統合失調症は、伝統的には異なるカテゴリーとされてきたが、近年の研究では、両者の間にスペクトラム的な連続性があることが示唆されている。たとえば統合失調症スペクトラム障害や統合失調感情障害では、うつ的感情と現実感の障害が併存し、自殺リスクがさらに複雑な様相を呈する。
また、神経発達症、パーソナリティ障害、PTSDなど、境界領域にある疾患においても自殺リスクが高く、精神病性と非精神病性の二項対立では説明できない現象が多い。
このような視点からは、診断名にとらわれず、自殺に至る心理的プロセス(例:孤立、自己否定、現実への圧倒感、絶望)の理解と介入が重要になる。
臨床への応用:評価と介入の要点
評価のポイント
- 希死念慮の有無とその具体性(計画・手段)
- 自殺念慮の持続時間と衝動性
- 社会的支持・環境的ストレス要因
- 病識と治療に対する態度
介入の観点
- 急性期には保護的入院も含めた安全確保が最優先
- 希死念慮が強い場合、薬剤の選択に注意(例:三環系抗うつ薬は過量服薬による致死性が高い)
- 心理教育により、病識とともに希望をもたらす視点を提供する
- 薬物治療と並行して、CBTやACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)などの心理的支援
とりわけ、病識の回復に伴って生じる絶望に対しては、「回復の物語」を語る支援が不可欠である。
終わりに
自殺は単なる症状の延長ではなく、個々の精神病理と人生史的背景の交差点において生じる複雑な現象である。うつ病・統合失調症それぞれにおける特徴的な精神病理を理解しつつ、診断枠組みを超えた個別的理解と支援の実践が、自殺予防にとって不可欠である。
参考文献
- Mann, J. J., et al. (2005). Suicide prevention strategies: A systematic review. JAMA, 294(16), 2064–2074.
- Palmer, B. A., Pankratz, V. S., & Bostwick, J. M. (2005). The lifetime risk of suicide in schizophrenia: A reexamination. Archives of General Psychiatry, 62(3), 247–253.
- Freud, S. (1917). Mourning and melancholia. In: The Standard Edition of the Complete Psychological Works of Sigmund Freud, Volume XIV.
- Hawton, K., & van Heeringen, K. (2009). Suicide. The Lancet, 373(9672), 1372–1381.
- De Hert, M., et al. (2011). Risk factors for suicide in schizophrenia: A review of the literature. Neuropsychiatric Disease and Treatment, 7, 483–490.