20. 医療者によるバイアスと診断上の盲点
―女性の統合失調症、高齢者のうつ病の見逃しを中心に―
はじめに
精神疾患の診断は、問診と観察を中心とする高い臨床判断力を要する営みである。しかし、どれほど熟練した精神科医であっても、患者の属性(性別、年齢、文化的背景など)や自らの経験・固定観念に影響され、認知の歪みや診断の偏りを生じることがある。本章では、特に女性における統合失調症および高齢者におけるうつ病という2つの「見逃されやすい」診断領域を取り上げ、医療者の無意識的バイアスや制度的要因が診断にどのような影響を与えているかを検討する。
1. 女性における統合失調症の診断と見逃し
診断遅延とその背景
統合失調症の罹患率は性別によって大きな差はないとされているが、女性は発症年齢が遅く、より軽症な経過を取る傾向があるとされており(Häfner et al., 1998)、それが診断の遅れや見逃しに繋がることがある。女性患者は社会的スキルや適応能力を保ちやすく、職場や家庭での機能がある程度保たれるため、行動の異常が「性格の問題」「更年期障害」「適応障害」として扱われやすい。
感情優位な症状と誤診の可能性
女性では情動性や気分症状が目立ちやすいことから、双極性障害や境界性パーソナリティ障害、うつ病と誤診されるケースが少なくない。特に感情の不安定さが先行し、その後に妄想や幻聴が顕在化する場合、初期段階での統合失調症の診断は困難となる。
症例:30代後半の女性。数年来の抑うつエピソードと対人過敏を主訴に複数の医療機関を受診。双極性障害との診断で気分安定薬が処方されるも、治療反応に乏しい。後に、「監視されている」との訴えが顕在化し、改めて統合失調症と診断された。
医療者側のバイアス
医療者が無意識に抱く「統合失調症=若年男性」というステレオタイプは、女性患者の症状の意味づけに影響することがある。また、感情的・関係的訴えが強い場合、「パーソナリティの問題」として精神病性を否定的に扱う傾向も無視できない。
2. 高齢者におけるうつ病の見逃し
仮面うつ病と身体訴訟性
高齢者のうつ病は、典型的な「抑うつ気分」「希死念慮」といった症状よりも、倦怠感、不眠、食欲不振、痛みなどの身体的訴えを主として呈することが多く、「仮面うつ病(masked depression)」と呼ばれる状態で見逃されがちである(Blazer, 2003)。
また、「年齢的に仕方がない」「老化による自然な気分の低下」などと高齢による心身の変化に還元されやすい点も問題である。結果として、内科や整形外科などで漫然とした対症療法を受け続けるケースが少なくない。
認知症との鑑別の難しさ
高齢者のうつ病では、認知機能の低下を伴う「うつ病性仮性認知症(depressive pseudodementia)」の形を取ることもあり、アルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症との鑑別が必要になる。
ポイント:
- 発症が急性である
- 曜日や場所の見当識は比較的保たれる
- 記憶の障害は「わからない」と訴える形で顕在化する(真の認知症では、誤答や取り繕いが多い)
- 気分症状に対する治療により認知機能が改善する
医療制度上の問題
高齢者では、訪問診療や地域包括ケアの枠組みの中で精神科専門医による評価が後回しになりやすい。その結果、うつ病が長期間見逃され、身体的虚弱や認知症が進行してから精神科受診に至るケースが多い。
3. その他の盲点:診断的短絡と制度的制約
現代の外来精神医療においては、「とりあえず抗うつ薬から始めてみる」「数分の診察で症状にラベリングを行う」スタイルが定着しており、統合失調症の初期症状や非定型的な精神病状態が見逃されやすい環境がある。
加えて、診断基準(DSMやICD)の構造上、「除外診断」によって本来の病態が曖昧に分類されることもある(例:統合失調感情障害の診断困難性)。こうした制度的制約は、診断バイアスと併存しやすい。
おわりに
精神疾患の診断は「知識」と「直感」の両輪によって支えられるが、それだけでは十分ではなく、自己の認知の限界に対する自覚と、診断過程における再評価の姿勢が不可欠である。特に、社会的に声が上げにくい立場にある女性や高齢者においては、医療者が意識的に診断の盲点を点検する姿勢が、的確な介入と予後の改善に直結する。
参考文献
- Häfner, H., et al. (1998). Epidemiology of schizophrenia. The Canadian Journal of Psychiatry, 43(2), 139–151.
- Blazer, D. G. (2003). Depression in late life: Review and commentary. Journals of Gerontology Series A: Biological Sciences and Medical Sciences, 58(3), 249–265.
- Jeste, D. V., & Finkel, S. I. (2000). Psychosis of Alzheimer’s disease and related dementias: Diagnostic criteria for a distinct syndrome. American Journal of Geriatric Psychiatry, 8(1), 29–34.
- APA (2013). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (5th ed.). American Psychiatric Association.