第5章 症状の重なりと診断の課題

第5章 症状の重なりと診断の課題

5-1. はじめに

精神疾患の診断において、症状の重なりは臨床上の大きな障壁となる。統合失調症とうつ病は、異なる疾患概念として扱われてきたが、実臨床においては感情の障害を伴う統合失調症や、精神病症状を伴ううつ病(精神病性うつ病)など、両者の症状が交錯する事例が少なくない。本章では、これらの診断上の課題とその背景を明らかにし、診断精度を高めるための視点について考察する。


5-2. 統合失調症の症状スペクトラム

統合失調症は以下のような症状を中心に構成される:

  • 陽性症状:幻覚、妄想
  • 陰性症状:感情鈍麻、意欲低下、対人関係の困難
  • 認知機能障害:注意力、作業記憶、実行機能の障害
  • 気分症状:抑うつ、不安、イライラ感

近年では、統合失調症における抑うつ症状の合併が注目されており、これが疾患の経過や予後に影響を与えることが知られている(Birchwood et al., 2000)。一方で、幻覚や妄想といった陽性症状が改善しても、陰性症状や抑うつ症状が残存するケースも少なくない。


5-3. うつ病の症状とその変容

うつ病の主症状には、以下が含まれる:

  • 抑うつ気分、興味・喜びの喪失
  • 疲労感、睡眠・食欲の変化
  • 自責感、集中困難、死への希死念慮

ただし、重症のうつ病では、幻覚や妄想(「自責妄想」「貧困妄想」「心気妄想」など)といった精神病症状が出現することがある。この「精神病性うつ病」は、統合失調症との鑑別を難しくする代表的な病型である(Parker et al., 1999)。


5-4. 診断上の困難

統合失調症とうつ病の診断の混乱は以下のような状況で起こりやすい:

状況診断の難しさ
幻覚・妄想を伴ううつ病統合失調症との鑑別が困難
抑うつを訴える統合失調症患者うつ病との誤診のリスク
発症初期における症状の非定型性精神病圏内での診断変更が頻発

DSM-5では、気分障害に付随する精神病症状か、それとも精神病が主要な表現かによって、診断の区分がなされている。また、「統合失調感情障害」や「双極性障害との鑑別」も含めた包括的視点が求められる。


5-5. 生物学的指標による補助診断の可能性

近年では、以下のような神経画像やバイオマーカーによる補助診断の可能性が模索されている:

  • 統合失調症:前頭葉および側頭葉の容積減少、ドーパミン作動系の過活動
  • うつ病:扁桃体や前部帯状回の過活動、セロトニン系の低下

しかし、これらの所見はあくまで傾向であり、診断の決定打とはならないため、臨床的判断と併せて用いる必要がある(Insel et al., 2010)。


5-6. 診断の柔軟性と経過観察の重要性

精神疾患の診断は、一時点で確定的に下すことが困難な場合がある。特に若年者の初発例では、時間経過とともに症状が変化し、診断名が変更されることもある。このため、定期的な再評価と、診断名よりも治療的対応を優先する姿勢が推奨される(Kendler, 2009)。


5-7. 結語

統合失調症とうつ病の診断は、症状の重なりや多様性のゆえに複雑であり、臨床家には柔軟かつ多角的なアプローチが求められる。とりわけ、精神病性うつ病や陰性症状の強い統合失調症など、鑑別が難しい領域においては、診断名のみにとらわれず、個々の症状への対応と長期的な経過観察が重要である。


参考文献

  1. Birchwood, M., Iqbal, Z., & Chadwick, P. (2000). Cognitive approach to depression in schizophrenia. The British Journal of Psychiatry, 177(6), 516–522.
  2. Parker, G., Hadzi-Pavlovic, D., & Boyce, P. (1999). Classification of depressive disorders: relevance to practice and research. British Journal of Psychiatry, 174(4), 289–293.
  3. Insel, T. R., et al. (2010). Research domain criteria (RDoC): Toward a new classification framework for research on mental disorders. American Journal of Psychiatry, 167(7), 748–751.
  4. Kendler, K. S. (2009). An historical framework for psychiatric nosology. Psychological Medicine, 39(12), 1935–1941.
  5. American Psychiatric Association. (2013). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (5th ed.).

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