ハビトゥスは何にいちばん近いのか
――臨床・心理の言語で読み替える
結論から言うと、
ハビトゥスは「性格」ではない。
防衛でもあるが、それだけではない。
いちばん近いのは
👉「社会が身体化された超自我+自我機能の束」
です。
ただし、単純な対応関係にはなりません。
以下、臨床概念ごとに照合します。
1️⃣ ハビトゥス ≠ 性格(Character)
なぜ「性格」では足りないのか
臨床でいう性格は、
- 比較的安定した
- 個人内特性
として語られます。
しかしハビトゥスは:
- 個人の中にあるが
- 起源は徹底的に社会的
- 同じ階級内で相同性をもつ
つまり、
「この人の性格」というより
「この人が生きてきた社会的位置の痕跡」
に近い。
👉 性格概念に回収すると
社会構造が見えなくなる。
2️⃣ ハビトゥス ≒ 防衛(Defense)か?
共通点
- 無意識的
- 反射的
- 苦痛や不安を減らす
例:
- 「それは私の趣味じゃない」
- 「下品で耐えられない」
- 「ああいう人たちとは違う」
これらはしばしば
👉 不安や劣等感からの距離取り
しかし決定的な違い
防衛は通常:
- 内的葛藤への応答
ハビトゥスは:
- 社会的配置への適応
- 葛藤が起きる前から作動
👉 防衛より 前段階
👉 「防衛を要しない世界の選別装置」
3️⃣ ハビトゥス ≒ 身体化された超自我
ここが核心です。
超自我との類似点
- 規範を内在化している
- 善悪・上品/下品を即座に判断
- 論理ではなく感覚で作動
しかも:
- 誰に命じられたわけでもない
- しかし逆らうと「恥」「違和感」「不安」が出る
👉 社会的超自我
ただしフロイト的超自我との違い
| フロイト | ブルデュー |
|---|---|
| 親の禁止 | 階級文化 |
| 罪悪感 | 恥・野暮ったさ |
| 内的声 | 身体感覚 |
👉 日本臨床的に言えば
**「恥の超自我」**に極めて近い。
4️⃣ 自我機能としてのハビトゥス
臨床的にいちばん使いやすい理解はこれです。
ハビトゥスは:
- 世界を瞬時に仕分ける
- 「行ける/行けない」
- 「居心地がいい/悪い」
という 現実検討+判断+行動準備 の複合体。
つまり:
ハビトゥス=
社会に特化した自我機能
しかもそれは:
- 可塑的だが
- 基本的には反復され
- 疲弊すると破綻する
5️⃣ 病理はどこに現れるか
ここが臨床家向けの重要点です。
① ハビトゥスと場のミスマッチ
- 学歴上昇
- 階級移動
- 結婚・就職・移住
👉 ハビトゥスが「場」に合わなくなる
結果:
- 不安
- 居場所のなさ
- 「自分は偽物」という感覚
→ 抑うつ・社交不安・自己否定
② 過剰に硬いハビトゥス
- 上品/下品の境界が極端
- 逸脱への嫌悪が強い
- 柔軟性がない
→ 強迫的・ナルシシスティックな防衛
③ ハビトゥス崩壊
- 文化資本が通用しなくなる
- 社会的承認が失われる
→
- うつ
- アディクション
- アイデンティティ拡散
👉 「自分の判断基準が信用できない」
6️⃣ 臨床で何ができるか
ブルデュー的視点を入れると、治療の問いが変わります。
❌「なぜあなたはそう感じるのか」
⬇️
⭕「その感じ方は、どんな世界では合理的だったか」
つまり:
- 症状を個人に還元しない
- その人のハビトゥスが生き延びてきた文脈を見る
これは:
- 回復モデル
- 実存療法
- トラウマ臨床
とも深く接続します。
最後に(少し挑発的に)
ブルデューは、
精神分析が「家族」に還元しすぎたものを、
社会構造へ引き戻した。
そして臨床は逆に、
社会学が「構造」と呼ぶものを、
一人の身体と感情に戻す。
👉 両者は対立ではなく、往復運動です。
