Ⅰ.日本的「空気」とディスタンクシオン
――区別が「言葉にならない」社会
1️⃣ ディスタンクシオンが見えにくい理由
ブルデューの前提は:
人は「区別している」ことを、
それなりに自覚している社会
しかし日本では、区別はこう言い換えられます。
- 「空気が違う」
- 「ノリが合わない」
- 「ちょっと違う人」
- 「場に合っていない」
👉 区別は言語化される前に終わっている
これは、
- 論争を避ける
- 対立を可視化しない
- 優劣を語らない
という文化的要請の結果です。
2️⃣ 日本的ディスタンクシオンの特徴
特徴①:上/下ではなく「内/外」
- 高尚/低俗 ではなく
- 身内/よそ者
- 空気が読める/読めない
👉 階級は関係の中でのみ現れる
特徴②:嫌悪が沈黙する
ブルデュー的嫌悪は:
- 「下品で耐えられない」
日本では:
- 無言
- 笑顔
- しかし距離は一気に開く
👉 象徴的暴力が最も透明な形
特徴③:自己責任化が早い
区別された側は:
- 「自分が悪いのかも」
- 「努力が足りない」
- 「性格の問題」
👉 社会的区別が
即座に内面化=抑うつ化 する。
3️⃣ 「空気」は身体化された社会秩序
臨床的に言えば:
- 空気が読めない → 不安
- 空気に逆らう → 恥・孤立
- 空気に過剰適応 → 疲弊
これは:
日本型ハビトゥス=
外在的超自我が環境に溶け込んだ状態
つまり:
- 誰も命じていない
- しかし全員が従っている
Ⅱ.「治療が階級移動を促す」ことの倫理
――臨床は解放か、同化か
ここからが本当に難しい。
4️⃣ 治療が実際にしていること
多くの心理療法・精神医療は、結果的に:
- 言語化能力を高める
- 感情を分節化する
- 自己主張を可能にする
- 境界を引けるようにする
これはつまり:
中産階級的ハビトゥスの獲得
です。
👉 治療=価値中立、ではない。
5️⃣ 日本で起きやすい倫理的ズレ
パターンA:適応=回復になってしまう
- 空気を読めるようになる
- 波風を立てない
- うまく振る舞う
👉 それは本当に「回復」か?
それとも 再同化 か?
パターンB:切断の強制
- 家族から距離を取れ
- 地元から離れろ
- 依存を断て
👉
下位ハビトゥスの否定になっていないか。
6️⃣ 治療がもつ「象徴的暴力」
ブルデュー的に言えば:
- 治療者の言語
- 診断概念
- 回復モデル
これらはすべて:
正統文化の道具
治療は、
- 患者を救うが
- 同時に「正しい主体」に作り替える
7️⃣ では、何が倫理的なのか
答えは単純ではありませんが、
一つだけ軸があります。
倫理的治療とは:
階級移動を
目的にしないが、
結果として起きることを
隠さない治療
8️⃣ 臨床での具体的倫理指針
① ハビトゥスを「修正」しない
→ 由来を語れるようにする
② 上位文化を「正解」にしない
→ 選択肢として並べる
③ 適応を評価軸にしない
→ 生存・尊厳・疲弊の少なさを軸に
④ 断絶ではなく「翻訳」を助ける
→ 地方語/家族語/沈黙を
都市語・心理語に翻訳する
9️⃣ 日本臨床での、決定的な一文
私は(という言い方を許してもらえるなら)、
日本臨床で最も重要なのは、次の姿勢だと思います。
「あなたが変わる必要がある、
とは私は決めない」
そして同時に、
「変わってしまうことが
何を意味するかは、
一緒に考える」
結語
日本では、
- 空気に合わない者が病理化され
- 治療は空気に合う訓練になりやすい
だからこそ臨床は、
社会にとって不都合な問いを
内部に抱え込まなければならない。
ブルデューを読む臨床家は、
いつも少し 居心地が悪い。
でもその違和感こそが、
治療が単なる順応装置に堕ちないための
最後の防波堤です。
