新自由主義・少子化・インフレ・軍事化・医療費抑制


目次

序章

なぜ、いま「回復」を疑うのか
― 日本社会における不安・沈黙・支援の風景


第Ⅰ部 構造としての危機

第1章

マルクス的視点から見た現代日本
― 新自由主義、少子化、インフレ、弱者切り捨て

第2章

金融化される不安
― 円安・債券安・トリプル安と国家の自己防衛

第3章

なぜ危機は「怒り」にならないのか
― 抑圧、内面化、そしてアパシーの社会心理


第Ⅱ部 国家と心の臨床

第4章

超自我化する国家
― フロイト的視点から見た統治と自己責任

第5章

社会的抑うつとパニック
― 臨床心理の比喩としての現代日本

第6章

医療・福祉という最後の緩衝材
― なぜここにすべてが押し寄せるのか


第Ⅲ部 回復モデルの光と影

第7章

回復モデルとは何だったのか
― 反体制的思想としての出発点

第8章

回復が義務になるとき
― 希望・自己決定・前向きさの超自我化

第9章

回復モデルとの緊張関係
― 治らないこと、変われないことをめぐって


第Ⅳ部 優しさと支援の政治性

第10章

なぜ優しさが政治になるのか
― 超自我への不服従としてのケア

第11章

支援が制度に回収される瞬間
― 善意が管理に変わるとき

第12章

なぜ専門職ほど沈黙しやすいのか
― 専門性・中立性・感情の切断


第Ⅴ部 疲弊する臨床、残される倫理

第13章

臨床家自身が疲弊する理由
― 倫理的引き裂かれと燃え尽き

第14章

「回復しないという生き方」の倫理
― 生存戦略としての非回復

第15章

回復モデル以後の支援思想
― 改善から関係へ、目標から持続へ


終章

それでも臨床を続ける理由
― 解決できない問題の前で席を立たないという選択


あとがき(任意)

希望ではなく、責任としての支援



目次と各章要旨

第1章 新自由主義日本という「症例」

本章では、現代日本を一つの社会的症例として捉え、新自由主義・少子化・インフレ・軍事化・医療費抑制といった現象を全体構造の中で整理する。個別政策の是非ではなく、資本主義の成熟段階において日本社会がどのような力学に巻き込まれているのかを、臨床的距離を保ちながら描き出す。


第2章 マルクス的視点――資本の自己増殖と社会の疲弊

マルクスの視点から、日本経済を「資本が自己増殖する一方で、生活世界が痩せ細る過程」として読む。労働の価値低下、社会保障の縮減、弱者切り捨ては偶発的な失政ではなく、資本の論理が制度全体に浸透した結果であることを示す。


第3章 金融不安の構造――円安・債券安・トリプル安

円安・債券安・株安というトリプル安の危険性を、世界金融資本主義の文脈で検討する。日本国債の信認低下が、国内問題に留まらず国際金融危機の引き金となりうる構造を示しつつ、国家が有効な立て直し策を持ち得ない理由を考察する。


第4章 フロイト的視点――超自我としての国家

フロイト理論を用い、国家が「超自我化」する過程を描く。自己責任論、道徳化された規律、過剰な同調圧力は、外的権力ではなく内面化された命令として人々を縛る。政治的不満が意識化されにくい心理的背景をここで明らかにする。


第5章 不安の金融化と社会的パニック

不安が商品化・金融化される過程を分析する。不安は管理され、測定され、保険や投資の対象となる一方で、人々の実感的な苦しさは切り捨てられる。結果として社会は慢性的抑うつと突発的パニックを繰り返す構造に陥る。


第6章 なぜ日本では怒りが政治にならないのか

危機が怒りや抗議ではなく、無力感や諦念として表出する日本社会の特性を検討する。恥の文化、関係性依存、超自我的規範が、攻撃性を内向させ、政治的言語化を阻害していることを臨床心理の比喩を用いて説明する。


第7章 医療・福祉という最後の緩衝材

医療・福祉が、経済的・政治的矛盾を吸収する「緩衝材」として機能してきた過程を描く。社会的失敗が個人の症状へと転化され、臨床現場が沈黙のうちに引き受けさせられてきた構造を明らかにする。


第8章 なぜ臨床家は疲弊し、沈黙するのか

専門職が政治的発言を控え、制度に回収されやすい理由を分析する。倫理と制度、共感と管理の板挟みの中で、臨床家自身が消耗していく過程を描き、専門性が無力化される瞬間を検討する。


第9章 回復モデルとの緊張と限界

回復モデルが持つ希望と、その裏に潜む「回復の強制」を検討する。回復が規範化されたとき、回復できない生き方は不可視化される。本章では、回復モデルが抱える構造的矛盾を冷静に整理する。


第10章 回復モデルを救い直す可能性

回復モデルを否定するのではなく、救い直す道を探る章である。回復を目標ではなく関係として捉え直し、「回復しないという生き方」も含めた支援思想の再構築を試みる。


終章 なぜ「優しさ」が政治になるのか

最後に、優しさやケアが私的感情ではなく政治的実践である理由を論じる。制度に回収されない支援、怒りに転化しない連帯の可能性を示し、本論全体を静かに閉じる。


タイトルとURLをコピーしました