ルーマンと臨床

「近代社会を、批判しながら記述できるのか」
「人間を救おうとして、人間を見失っていないか」


Ⅰ.ルーマン × フーコー

――「権力」か「システム」か

この二人はしばしば並べられますが、同じ場所を違う向きから見ている

1.共通点:人間中心主義の否定

視点フーコールーマン
主体構築される構成要素ではない
理性権力と絡むシステムの操作
普遍的人間否定否定

両者とも
「人間の自由意志」「理性的主体」「善意の制度」
に幻想を抱いていません。


2.決定的な違い:悪役の所在

フーコー

  • 権力は
    • 身体を管理し
    • 規範を内面化させ
    • 知を通じて人を作る
  • 医療・精神医学は規律権力の装置

👉 どこかに「抑圧する構造」がある

ルーマン

  • 権力も医療も
    • 自律的なコミュニケーションの流れ
  • 誰も全体を支配していない

👉 悪役はいない

ここが決定的です。


3.精神医療の読み替え

  • フーコー:
    • 精神医療=逸脱を正常化する暴力
  • ルーマン:
    • 精神医療=「健康/疾病」コードで世界を処理する機能システム

👉
フーコーは「告発者」
ルーマンは「解剖学者」

臨床家は、両方を知っていないと危険です。


Ⅱ.ルーマン × ハーバーマス

――「合意」は幻想か

この対立は、20世紀社会理論の決闘です。


1.ハーバーマスの賭け

  • コミュニケーションには
    • 理解志向
    • 合意可能性
    • 規範的合理性
      が内在している

👉
歪みを除去すれば、
「より良い議論」が社会を導く。


2.ルーマンの冷笑

ルーマンはこれを根本から否定します。

  • コミュニケーションは
    • 理解を目的としない
    • 合意を必要としない
  • ただ「次のコミュニケーション」を生むだけ

👉
合意は例外的副産物でしかない。


3.医療・ケア倫理への影響

ハーバーマス的理想

  • 説明すればわかる
  • 対話すれば合意できる
  • インフォームド・コンセントは救済

ルーマン的現実

  • 医療は
    • 治療可能性で判断する
  • 患者の「納得」は
    • システム的には不要

👉
「説明責任」が暴力になる瞬間が、ここで生まれます。


Ⅲ.医療・精神医療への本格適用

――なぜ臨床はいつも苦しいのか

ここが一番、あなたの領域に近い。


1.精神医療は「翻訳地獄」である

精神医療は、

  • 医療(健康/疾病)
  • 法(責任能力)
  • 福祉(支援/非支援)
  • 家族(愛/拒絶)
  • 経済(労働可能性)

これらの交差点にあります。

👉
どのコードも完全には満たせない。


2.「回復モデル」が苦しくなる理由

回復モデルは善意ですが、

  • 医療システムから見ると
    • 治療の曖昧化
  • 福祉から見ると
    • 自立要求
  • 当事者から見ると
    • 希望の義務化

👉
「回復」が多コード要求になる瞬間、
それは命令に変わります。


3.臨床家の役割(ルーマン的)

臨床家は

  • 救済者ではない
  • 真理の代弁者でもない

役割はただ一つ:

翻訳不能性を、完全破綻させないこと

これは小さく、地味で、しかし尊厳のある仕事です。


Ⅳ.日本社会への翻訳

――「空気」はどのシステムか

ここで、ルーマンは驚くほど効きます。


1.日本社会の特徴(ルーマン的整理)

  • 機能分化が
    • 完全ではない
    • しかし前近代でもない
  • 代わりに現れるのが
    • 空気

空気とは:

  • 明文化されない
  • 誰の責任でもない
  • しかし強制力がある

👉
非人格的超自我


2.同調圧力の正体

同調圧力は

  • 権力でも
  • 道徳でもない

それは:

「どのシステムのコードで処理するか」を
曖昧なまま強制する圧

だから反論不能。


3.専門家が沈黙する理由

専門家は

  • 自分のコードでしか話せない
  • しかし日本社会は
    • コードを明示させない

👉
話せば浮く
黙れば共犯

これは人格の問題ではなく構造です。


結語

――冷たい理論が、なぜ臨床に必要か

ルーマン理論は

  • 優しくない
  • 救ってくれない
  • 希望も語らない

しかし、

「なぜ救えないのか」を
嘘なく説明する

その一点で、
臨床と政治にとって、異様な誠実さを持っています。


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