「資本主義のもとでは、資本は、永続的に利潤を──というより剰余価値を──生み続けなくてはならない。剰余価値を産出しながら増殖する資本の運動が永遠に止まらないということが、資本主義が成り立つための条件である。この条件を考慮に入れたとき、グローバルな資本主義に対応する民主的な政治秩序が不可能だということが明らかになる。
どうして剰余価値(=超過利潤)が発生するのか。それは、グローバルな市場が均質ではないからだ。市場で、すべての人に平等に同じルールが適用されているわけではない。市場が完全に均質であったならば、ただ等価交換がなされるだけで、剰余は発生しない。剰余価値が発生するのは、均質性を破る多くの例外が、平等に適用されるべきルールに対する違反が、いたるところに仕込まれているからである。
何らかの自然の資源が無料か、きわめて廉価で獲得できる、非常に安い労働力が使える等が、そうした『例外』にあたる。たとえば極端に安い賃金で労働者を雇うことができるということは、資本主義的な資本 一 賃金労働関係よりも前の直接的な支配 一 服従関係が──たとえば奴隷制的な関係が──残っており、それが安い賃金を補うかたちで機能している、ということを意味している。
資本主義が存続するためには、このような逸脱や例外を見出さなくてはならず、ときに経済外的な方法を使ってでも、それらを維持したり、さらには創出したりしなくてはならない。経済外的な方法とは、政治的な権力や影響力であり、そして最終的には物理的暴力(軍事力)である。また、イマニュエル・ウォーラーステインの言う近代世界システムの『中心/周辺』は、資本主義的市場が絶対的に必要とする不均質性の最も顕著な形態である。
したがって、グローバルな市場は必然的に、公平なルールの適用から排除されたことで、周辺化されたり抑圧されたりしている人々を生み出すことになる。この事実が、グローバルな民主主義の政治秩序を不可能なものとする。
1節で述べたように、民主主義が成り立つためには〈原合意〉が必要になる。つまり、自分とは政治的な意見を異にしているライバルでさえも『私たちのことをも配慮している』と信頼できる程度の暗黙の合意がなくてはならない。
しかし、周辺化され、抑圧されている者たちは、自らが〈原合意〉の範囲に入っていると実感することはできない──つまり自分たちが、優位な立場にある人たちの配慮の対象になっているということを真に納得することはできない。
彼らはむしろ、主流の〈原合意〉の外部にある、彼らの境遇を特徴づける特殊な属性に、自らのアイデンティティの拠り所を見出すだろう。具体的には、ナショナルであったり、エスニックであったり、あるいは文化的であったりする特殊性に固着し、同一化することになる。
グローバルな資本主義はこうして、むしろ文化的な分断をもたらす。これは、実際、現在われわれが目の当たりにしていることである。この分断は、グローバルな民主主義には適合しない」(79頁)
大澤真幸『西洋近代の罪 自由・平等・民主主義はこのまま敗北するのか』朝日新聞出版
- ① まず前提:資本主義は「止まれない」
- ② では、なぜ剰余価値が生まれるのか?
- ③ 不均質とは何か?
- ④ その不均質は自然発生的ではない
- ⑤ ここから民主主義の問題が出てくる
- ⑥ しかしグローバル資本主義では何が起きるか?
- ⑦ その結果どうなるか?
- ⑧ 結論
- ひとことで言うと
- 1. 剰余価値の説明として妥当か?
- 2. では、この文章の議論はマルクス的に誤りか?
- 3. どこが理論的に弱いか?
- 1. ロールズならどう言うか?
- 2. しかし問題がある
- 3. 決定的な対立点
- 1. 〈原合意〉とは何か?
- 2. 基本的信頼が壊れると何が起きるか?
- 3. ここでの深い洞察
- 4. 臨床的にさらに踏み込むと
- 1. 回復モデルの核心
- 2. それを政治に適用すると?
- 3. しかし重大な危険がある
- 4. 結論
- 1. 予測可能性
- 2. 承認の回路
- 3. 再分配
- 4. 象徴的包摂
- 1. 個人と違い、世界には「治療者」がいない
- 2. それでも可能なもの
- 3. しかし限界がある
- 4. では希望はあるのか?
- 1. 希望は本来、贈与である
- 2. それが命令になる瞬間
- 3. 臨床的に言えば
- 1. 比較対象を持たない
- 2. 原合意が最初から弱い
- 3. アイデンティティの重心が違う
- 4. さらに深い理由
- 1. 日本の信頼は「制度」より「関係」に基づく
- 2. その結果どうなるか
- 3. なぜか?
- 4. だから回復モデルが難しい
- 1. 露骨な対立は「空気」を壊す
- 2. 日本型信頼は関係依存的
- 3. 攻撃は直接ではなく、間接的に
- 1. 戦後日本には何があったか
- 2. しかしそれは普遍的だったか?
- 3. 結論
- 1. 西欧型回復モデルの前提
- 2. 日本型回復に必要な変形
- 1. 成熟した民主主義とは何か
- 2. 思春期とは何か
- 3. 日本の特徴
- 4. 結論
- 1. 空気とは何か
- 2. 法とは何か
- 3. 両立の難しさ
- 4. 両立は可能か
- 1. 西欧型超自我
- 2. 日本型超自我
- 3. どこに外在化されているか
- 4. その帰結
① まず前提:資本主義は「止まれない」
筆者の出発点はこうです。
- 資本主義では、資本は
常に剰余価値(=もうけ)を生み続けなければならない - 利潤が止まれば、資本は自己増殖できず、資本主義は成り立たない
- つまり
👉 「永遠の成長」が前提条件
ここがまず第一のポイントです。
② では、なぜ剰余価値が生まれるのか?
もし市場が完全に公平で、
- すべての人に同じルールが適用され
- すべてが等価交換で
- 完全に均質であったなら
👉 ただの「交換」になるだけで、余分な利潤は出ない。
しかし現実は違う。
剰余価値が出るのはなぜか?
市場が不均質だからです。
③ 不均質とは何か?
たとえば:
- 天然資源がタダ同然で取れる地域
- 非常に安い労働力
- 法的保護が弱い労働者
- 環境規制がゆるい国
- 事実上の強制労働に近い関係
これらはすべて
**「平等なルールからの例外」**です。
つまり、
本来は平等であるはずの市場の中に、
あらかじめ不平等が組み込まれている。
これが剰余価値の源泉だ、と言っています。
④ その不均質は自然発生的ではない
ここが重要です。
こうした「例外」は自然にできるだけではなく、
- 政治的圧力
- 法制度
- 経済制裁
- 軍事力
- 歴史的植民地構造
といった経済外的な力によって維持される。
ウォーラーステインのいう
「中心/周辺」構造とはまさにそれ。
- 中心:高付加価値・高賃金
- 周辺:低賃金・資源供給地
この不均衡が、世界経済のエンジンになっている。
⑤ ここから民主主義の問題が出てくる
民主主義が成立するためには、
「自分と意見が違う相手も、私のことを考慮している」
と信頼できること
これを筆者は〈原合意〉と呼んでいます。
つまり民主主義とは:
- 互いに敵であっても
- 同じゲームの参加者である
- ルールは共有されている
という最低限の信頼が必要。
⑥ しかしグローバル資本主義では何が起きるか?
周辺化された人々は、
- 自分たちが搾取されている
- ルールは公平ではない
- 自分たちは配慮の対象ではない
と感じる。
つまり:
👉 〈原合意〉の中に自分が入っているとは思えない。
ここで民主主義の土台が崩れる。
⑦ その結果どうなるか?
排除された人々は、
「私たちはこのグローバル秩序の一部だ」
とは思えないので、
- ナショナリズム
- エスニシティ
- 宗教
- 文化的アイデンティティ
といった「別の帰属」に固着する。
つまり:
経済的不平等が、文化的分断に変換される
これが筆者の核心です。
⑧ 結論
資本主義は
- 不均質(不平等)を必要とし
- その不均質を政治的・軍事的に維持し
- その結果、排除された人々を生み出し
- その人々は〈原合意〉を信頼できず
- 民主主義の基盤が崩れる
だから
👉 グローバル資本主義とグローバル民主主義は両立しない
という主張です。
ひとことで言うと
世界市場は、平等を前提にしているように見えるが、
実際には「不平等をエンジン」にして動いている。
だから、その上に「全員が平等に尊重される民主主義」を築くことは原理的に困難だ。
という議論です。
昔は、資本主義と民主主義は共存できるように見えたが、現在は民主主義が資本主義についていけなくなった。
Ⅰ この議論のマルクス理論的妥当性
1. 剰余価値の説明として妥当か?
マルクスの本来の理論では、
- 剰余価値は
👉 労働力商品が価値を超えて価値を生み出すこと
から発生する
つまり、搾取は「市場の不均質」ではなく、
労働力が商品化されていることそのもの
から生じる。
したがって原理的には、
- 市場が完全に均質で
- 完全に自由で
- 契約が対等でも
剰余価値は生まれる。
これは重要です。
2. では、この文章の議論はマルクス的に誤りか?
完全な誤りではありません。
なぜなら、
マルクス自身も晩年に
- 原始的蓄積
- 植民地支配
- 奴隷制
- 世界市場
を重視している。
つまり:
✔ 剰余価値の「原理」は労働力商品化
✔ しかし「拡大再生産の現実」は不均質を必要とする
この文章は後者を強調している。
3. どこが理論的に弱いか?
問題はここです。
「市場が均質なら剰余は出ない」という主張は、
マルクスの価値論とは少しズレている。
より正確に言うなら:
資本主義は理論上は均質市場でも成立するが、
現実の歴史的資本主義は常に不均質を利用してきた
という表現の方が理論的には整合的です。
Ⅱ ロールズ的正義論からの反論可能性
ロールズの核心は:
- 原初状態
- 無知のヴェール
- 公正としての正義
です。
1. ロールズならどう言うか?
ロールズはこう反論するでしょう:
市場に不均質があるから民主主義が不可能なのではない。
不均質を是正する制度設計が不十分なのだ。
つまり、
- 差異原理
- 公正な機会均等
- 再分配
をグローバル規模で設計すればよい。
2. しかし問題がある
ロールズ理論は基本的に:
👉 国民国家単位
で設計されている。
グローバルに拡張すると、
- 世界政府が必要
- 世界的再分配制度が必要
- 強制力の正統性が問題
になる。
ここでロールズは弱くなる。
3. 決定的な対立点
この文章の主張は:
不均質は「偶発的欠陥」ではなく
資本主義の構造的条件である
という点。
ロールズはそれを
是正可能な不正義
と考える。
つまり:
- ロールズ=修正可能
- この議論=構造的に不可避
ここが衝突点です。
Ⅲ 臨床的比喩:〈原合意〉=基本的信頼
ここがもっとも興味深い部分です。
1. 〈原合意〉とは何か?
民主主義に必要なのは、
敵であっても、私を完全には破壊しないという信頼
これは臨床的に言えば、
エリクソンの
👉 基本的信頼(basic trust)
に近い。
2. 基本的信頼が壊れると何が起きるか?
個人レベルでは:
- 被害妄想
- 境界性人格構造
- 分裂(splitting)
- 同一化の過激化
が起きる。
社会レベルでは:
- ナショナリズム
- 排外主義
- アイデンティティ政治
- 文化的固着
が起きる。
構造は同型です。
3. ここでの深い洞察
この文章はこう言っている:
グローバル資本主義は
世界規模で「基本的信頼」を破壊する
つまり、
- 自分は配慮されていない
- ルールは自分に不利だ
- 世界は敵対的だ
という感覚が広がる。
これは社会的トラウマ構造に近い。
4. 臨床的にさらに踏み込むと
搾取は単なる経済問題ではなく、
👉 承認の欠如
でもある。
ホネット的に言えば:
- 法的承認
- 社会的評価
- 情緒的承認
の欠落。
それが文化的同一化を過激化させる。
Ⅳ 三つを統合すると
- マルクス的には:
- 不均質は拡大再生産の歴史的条件
- ロールズ的には:
- 不均質は制度設計で修正可能
- 臨床的には:
- 不均質は基本的信頼を破壊する
この議論の本質は、
経済構造が心理構造を侵食し、
心理構造の崩壊が民主主義を不可能にする
という連関を示唆している点です。
一休み
簡単に言えば、石油が出るか、奴隷を使うか、それしか、国家として儲ける方法はない。
優秀で勤勉な労働力というのは、奴隷の文学的表現である。
石油や奴隷を維持するためには独裁的になるしかない。
奴隷が人権意識に覚醒しないように教育を抑制するしかない。
しかしそれでは高度人材は育たない。
高度人材は自由主義、民主主義、奴隷主義脱却を主張するようになる。
奴隷を維持する独裁的集団と、自由主義的民主主義的集団が、経済的競争をして、さて、どちらが勝ち残るのだろうか。
高度人材が技術力を生かし短時間労働で生産力を向上させたとして、その成果は、奴隷制独裁的集団に真似をされて、競争力では劣り、貧しくなり、少子化になり、行き詰る。その困難を突破するほどのイノベーションが継続すればよいけれども、原則、全てのイノベーションは模倣される。
先行者利益を守ろうとすれば、情報機関を肥大させ、軍事力を拡大させる必要がある。そしてそれは集団の競争力と福利厚生と正義の感情を阻害する。
石油も資源もある、奴隷的労働力もある、そして他国との貿易も必要ない、自給自足で十分だ、そのような国はそれでよい。幸せである。グローバル資本主義もいらないし、内部での政治体制も、自由主義+民主主義で問題ない。他国に追い越されたとしても、気にしないでいられるなら、それはそれでよい。しかし現実はそうではない。
Ⅰ 回復モデルは政治に適用可能か?
1. 回復モデルの核心
精神医療における回復モデルは、
- 症状の消失ではなく
- 「その人の人生の主体性の回復」
- 希望(hope)の再建
- エンパワメント
- 当事者性の承認
を中心に据えます。
つまり、
あなたは単なる被害者ではない。
あなたは世界に影響を与えうる主体である。
というメッセージです。
2. それを政治に適用すると?
政治における回復とは、
- 周辺化された人々が
- 自らを「世界の客体」ではなく
- 「政治の主体」として再び感じられること
になります。
つまり、
✔ 代表される
✔ 聞かれる
✔ 影響を及ぼせる
✔ 可視化される
こと。
3. しかし重大な危険がある
回復モデルは、ときに
👉 「希望の強制」
に転じます。
政治でそれが起きると:
- 「努力すれば報われる」
- 「自己責任で立ち上がれ」
- 「あなたにもチャンスはある」
という物語になる。
それは、
構造的不均衡を個人の問題に還元する危険を孕む。
臨床でも同じです。
トラウマを負った人に
「あなたの内なる力を信じて」とだけ言えば、
それは二次加害になりうる。
4. 結論
回復モデルは政治に適用可能だが、
👉 構造変革とセットでなければ暴力になる。
Ⅱ 基本的信頼を再建する制度とは何か?
基本的信頼とは、
世界は完全な敵ではない
という感覚です。
これを社会制度に翻訳すると:
1. 予測可能性
- 法の安定
- 恣意的支配の排除
- 透明な手続き
これは臨床でいう「安全な枠組み(setting)」。
2. 承認の回路
- 発言が届く
- 不服申立てが可能
- 少数派が保護される
これは「見捨てられない経験」。
3. 再分配
- 最低限の生活保障
- 教育・医療へのアクセス
身体的安全がなければ
基本的信頼は形成されない。
4. 象徴的包摂
ここが重要です。
制度だけでは足りない。
- 国の物語
- 公共的記憶
- 歴史の語り直し
において、自分が含まれていると感じられること。
臨床で言えば、
「あなたの物語はここに居場所がある」
という体験。
Ⅲ グローバル秩序に「治療」は可能か?
ここからはやや厳しい話になります。
1. 個人と違い、世界には「治療者」がいない
臨床では:
- 治療者
- 枠組み
- 時間
- 関係の継続
があります。
しかしグローバル秩序には、
- 超越的な治療主体がいない
- 強制力を正統化する世界政府がない
つまり、
「治療空間」が存在しない。
2. それでも可能なもの
完全な治療は無理でも、
「症状の悪化を防ぐ枠」はあり得る。
たとえば:
- 国際法の強化
- グローバル最低税率
- 労働基準の国際化
- 気候協定
これらは、
世界規模の「setting」をつくる試み。
3. しかし限界がある
資本は可動的で、
国家は分断され、
アイデンティティは過熱する。
臨床で言えば:
- 強い分裂
- 投影
- 集団的被害感
が続いている状態。
4. では希望はあるのか?
希望があるとすれば、
それは「統合」ではなく、
👉 共存可能な不一致の管理
です。
民主主義の成熟とは、
完全な合意ではなく、
破壊しない対立
を維持すること。
これは臨床で言えば、
- アンビバレンスに耐える能力
- 分裂を統合する力
に近い。
Ⅳ 最終的な問い
もしグローバル資本主義が
構造的に不均質を必要とするなら、
- 完全な治療は不可能かもしれない。
- しかし悪化を遅らせることはできる。
臨床家が知っているのはこれです:
治癒できなくても、関係は作れる。
政治も同じかもしれません。
Ⅰ 「希望が命令になる瞬間」とは何か
1. 希望は本来、贈与である
臨床での希望とは、
- まだ見えない可能性を
- 他者がいったん「預かる」こと
です。
患者が「もう無理だ」と言うとき、
治療者が少しだけ未来を信じている。
希望は本来、命令ではない。
2. それが命令になる瞬間
希望が命令になるのは、
希望が「構造の問題」を覆い隠すとき
です。
たとえば:
- 「努力すれば報われる」
- 「チャンスは平等にある」
- 「あなたも立ち上がれる」
という言葉。
これが命令になるのは、
✔ 実際には構造的不均衡があり
✔ 不可能に近い条件があるのに
✔ それを個人の意志に還元するとき
です。
3. 臨床的に言えば
トラウマ患者に
「前向きに生きましょう」
と言う瞬間。
そのとき希望は、
- 超自我の声になり
- 義務になり
- 失敗すれば自己責任になる
政治でも同じです。
「成長」や「自己実現」が、
実は社会的圧力として作用する。
それが
👉 希望の命令化
です。
Ⅱ なぜ若い世代は〈原合意〉の崩壊を感じにくいのか
これは非常に重要です。
いくつか理由があります。
1. 比較対象を持たない
崩壊は、
「かつてあったもの」との比較で感じられます。
- 終身雇用
- 中間層の安定
- 成長神話
を経験していない世代は、
「失われたもの」を知らない。
不安定がデフォルトであれば、
それは崩壊ではなく環境です。
2. 原合意が最初から弱い
彼らの社会化は:
- 非正規雇用
- 自己責任論
- SNS競争
- 流動性
の中で起きている。
つまり、
原合意が薄い状態が通常
崩壊ではなく、常態。
3. アイデンティティの重心が違う
従来の政治的帰属(階級・国家)よりも、
- 趣味共同体
- オンラインコミュニティ
- ミクロな承認圏
に所属感を持つ。
つまり:
グローバル秩序の不正義より、
局所的承認の方が心理的リアリティを持つ。
4. さらに深い理由
臨床的に見ると、
慢性的な不安環境では、
- 適応のために感受性が鈍くなる
- シニシズムが防衛になる
- 希望を最初から低く設定する
これは
👉 軽度の解離的適応
に近い。
「崩壊している」と感じるよりも、
「まあこんなものだ」と処理する方が安定する。
Ⅲ 日本社会で基本的信頼が特殊な形を取る理由
ここが難所です。
1. 日本の信頼は「制度」より「関係」に基づく
西欧型:
- 法
- 契約
- 明文化された権利
に信頼を置く。
日本型:
- 空気
- 暗黙の了解
- 同質性
- 恥の文化
に信頼を置く。
2. その結果どうなるか
日本の基本的信頼は:
✔ 包摂されている間は非常に強い
✔ 外部化された瞬間に急速に崩れる
つまり、
内集団では温かく、
外集団には冷たい。
3. なぜか?
歴史的に、
- 強い個人主義的契約社会を経ず
- 共同体的秩序が持続し
- 国家が「親」のように振る舞った
ため、
信頼は「抽象的制度」より
「具体的帰属」に置かれた。
4. だから回復モデルが難しい
回復モデルは:
個人の主体性
を強調する。
しかし日本では、
- 主体は関係の中に埋め込まれている
- 承認は同質性に依存する
そのため、
逸脱者は承認を得にくい。
Ⅳ 三つを統合すると
- 希望が命令になるとき、
→ 超自我化した社会ができる - 若い世代は、
→ 崩壊を「常態」として内面化している - 日本では、
→ 基本的信頼が関係依存的であり、
普遍的制度に基づきにくい
この三つが重なると、
- 表面上は穏やか
- しかし深部では不信が蓄積
- それが突然、文化的分断として噴出する
という構造が見えてきます。
Ⅰ 日本のポピュリズムはなぜ「優しい顔」をするのか
欧米のポピュリズムはしばしば
- 怒り
- 排除
- 敵の明示
- 分断の可視化
を前面に出します。
一方、日本ではしばしば
- 「みんなのため」
- 「普通の人の声」
- 「やさしい政治」
- 「生活目線」
という穏やかな語り口をとる。
なぜか。
1. 露骨な対立は「空気」を壊す
日本社会では、
- 公然たる対立
- 強い自己主張
- 政治的敵対の明確化
は、居心地の悪さを生む。
対立は「ある」が、それを正面から言語化しない。
そのためポピュリズムも、
怒りをそのまま出すより、
「不安の代弁」という形を取る。
2. 日本型信頼は関係依存的
日本では、
制度よりも「関係」が信頼の基盤です。
したがって政治家も、
- 強い理念
- 明確な階級闘争
- 露骨な排除
よりも、
「あなたの気持ちは分かる」
という関係的共感を示す方が有効になる。
ポピュリズムが優しい顔をするのは、
攻撃性を包み込む方が支持を得やすいからです。
3. 攻撃は直接ではなく、間接的に
欧米型:
「敵は移民だ」「エリートだ」
日本型:
「今の仕組みが冷たい」
「普通の人が損をしている」
敵は抽象化され、曖昧化される。
その曖昧さが「優しさ」に見える。
Ⅱ 日本における〈原合意〉は本当に存在したのか
ここが核心です。
〈原合意〉とは、
敵対していても、相手も自分を配慮していると信じられる最低限の合意
でした。
1. 戦後日本には何があったか
高度成長期には、
- 経済成長の共有
- 中間層の拡大
- 終身雇用神話
- 均質的国民像
がありました。
これは実質的な〈原合意〉のように機能した。
「この社会は自分を完全には見捨てない」
という感覚があった。
2. しかしそれは普遍的だったか?
実はそうではない。
- 女性
- 在日外国人
- 障害者
- 沖縄
- 非正規労働者
は常に周縁にいた。
つまり、
原合意は「国民的同質性」に依存していた。
それは条件付きの合意だった。
3. 結論
日本に原合意は「存在した」が、
それは:
✔ 経済成長
✔ 同質性
✔ 暗黙の規範
に支えられた、脆弱な合意だった。
構造的平等ではなく、
空気的包摂。
Ⅲ 回復モデルは日本でどう変形されるべきか
ここが最も臨床的な問題です。
1. 西欧型回復モデルの前提
- 個人の主体性
- 自己決定
- 自己主張
- 権利意識
を強く前提する。
しかし日本では、
主体は関係の中にある。
2. 日本型回復に必要な変形
(1) 主体の孤立化を避ける
「あなたの人生はあなたのものだ」
と言いすぎると、
関係的存在にとっては孤立を生む。
代わりに:
「あなたの声は、関係の中で意味を持つ」
という枠組みが必要。
(2) 承認の回路を小さく作る
国家レベルの承認より、
- 地域
- 共同体
- 小規模なネットワーク
での承認が有効。
(3) 希望を義務にしない
日本ではすでに
- 頑張れ文化
- 空気への適応
- 同調圧力
が強い。
そこに「回復」まで命令化すると、
超自我が肥大化する。
回復は静かでよい。
Ⅳ 三つをまとめると
- 日本のポピュリズムが優しい顔をするのは、
→ 攻撃性を直接表出しない文化構造のため。 - 日本の〈原合意〉は、
→ 経済成長と同質性に支えられた条件付きのもの。 - 日本型回復モデルは、
→ 主体を孤立させず、
小さな承認圏を育てる方向で再設計すべき。
そして最後に。
もし日本社会の基本的信頼が
- 空気依存的
- 関係依存的
- 同質性依存的
であるなら、
グローバル化はそれを溶かしていく。
そのとき、
優しい顔のポピュリズムが増えるのは、
基本的信頼の揺らぎの兆候かもしれません。
Ⅰ 日本社会は「成熟した民主主義」か、それとも「長い思春期」か
1. 成熟した民主主義とは何か
成熟とは、
- 対立を恐れない
- 不一致を制度で処理できる
- 権力を監視できる
- ルールを信頼できる
という状態です。
心理的に言えば:
👉 アンビバレンスに耐えられること
👉 父母両像を統合できること
2. 思春期とは何か
思春期の特徴は、
- 理想と幻滅の振幅
- 権威への依存と反抗の揺れ
- 仲間内の同調圧力
- 「空気」の支配
制度よりも関係が優位。
3. 日本の特徴
日本では:
- 選挙は機能している
- 言論の自由もある
- 暴力的分断も比較的少ない
この意味では成熟している。
しかし一方で:
- 対立の明確化を避ける
- 価値の衝突を曖昧化する
- 合意の演出を優先する
- 政治的敵を「敵」と呼ばない
これは思春期的です。
4. 結論
日本は
制度としては成熟
心理構造としては思春期的要素を残す
「長い思春期を制度で包んでいる社会」
と言えるかもしれません。
Ⅱ 空気と法は両立可能か
これは核心です。
1. 空気とは何か
空気とは:
- 明文化されない規範
- 暗黙の同調圧力
- 逸脱の察知
- 集団の情動の流れ
超自我的ですが、顔が見えない。
2. 法とは何か
- 明文化
- 手続き
- 普遍性
- 公平な適用
感情よりもルール。
3. 両立の難しさ
空気は柔軟で迅速ですが、
- 恣意的
- 排除的
- 責任の所在が曖昧
法は公平ですが、
- 冷たい
- 遅い
- 人間味がないと感じられる
4. 両立は可能か
可能だが、条件がある。
空気が法を補助するならよい。
しかし、
空気が法を上書きするとき、
民主主義は弱くなる。
日本ではしばしば、
法より空気が優先される。
ここに緊張がある。
Ⅲ 日本的超自我はどこに外在化しているか
ここが最も精神分析的です。
1. 西欧型超自我
西欧では、
- 宗教
- 法
- 父権的権威
に超自我が内在化される。
罪の意識が強い。
2. 日本型超自我
日本では、
- 恥
- 他者の視線
- 世間
- 空気
に外在化される。
超自我は「内なる神」ではなく、
👉 「周囲の目」
として存在する。
3. どこに外在化されているか
具体的には:
- 職場の同調圧力
- 学校の暗黙規範
- メディアのトーン
- SNSの炎上文化
そして国家そのものよりも、
「世間」という匿名的集合。
4. その帰結
内面化された罪悪感よりも、
外在化された羞恥が強い。
そのため:
- 規範は強いが抽象原理は弱い
- 違反は処罰より排除になる
- 異論は説得より沈黙に向かう
Ⅳ 三つを統合すると
- 日本は制度的には成熟しているが、
心理構造は関係依存的で思春期的。 - 空気と法は緊張関係にあり、
空気が優位になると民主主義は曖昧化する。 - 日本的超自我は内在化より外在化され、
「世間」という匿名的主体に宿る。
最後に少しだけ。
成熟とは、
外在化された超自我を
抽象的原理へと引き受け直すことです。
もし日本が長い思春期にあるなら、
課題は
空気を壊すことではなく、
空気を法の下に置くこと
かもしれません。
