古典的な暴力や強制とは異なる、高度化した支配のかたち。
権力が成熟すると、命令しなくなります。
むしろこう語ります。
「あなたのためです」
「自由に選んでください」
「自己責任です」
その結果、人は自分の意志で従っていると思いながら、実際には選択肢を構造的に限定されている。
1.強制から“同意”へ
前近代的支配
- 恐怖
- 罰
- 暴力
近代的支配
- 契約
- 合意
- 法
後期近代的支配
- 内面化
- 自己規律
- 自己最適化
ここでは「命令」は消えます。
代わりに「望ましい自己像」が提示される。
フーコーが言う「規律権力」や「生政治」はこの段階です。
人は監視されているから従うのではなく、
“望ましい主体になろうとして”自分を管理する。
2.なぜ自発的服従が可能になるのか
心理的には三つの契機があります。
① 不安
② 所属欲求
③ 承認欲求
人は不安を減らし、共同体に属し、認められたい。
権力はそこに入り込む。
「安心したいなら従ってください」
「仲間でいたいなら同じ言葉を使ってください」
「成功したいなら自己投資を続けてください」
命令ではない。
しかし拒否は“孤立”を意味する。
3.自由のパラドックス
ここで逆説が生まれます。
自由が拡大するほど、
- 自己責任が増え
- 失敗の帰属が個人化され
- システム批判が困難になる
「あなたが選んだのだから」
これは非常に洗練された装置です。
4.日本的文脈
日本ではこれがさらに「空気」という形をとる。
法ではなく
命令でもなく
しかし従わないと“居場所がなくなる”。
超自我が外在化している、と言ってもいい。
「皆がそうしている」
これが最大の統治技術になる。
5.臨床的に見ると
これは患者個人の話ではなく、
社会が“神経症化”している状態にも似ています。
- 過剰適応
- 自己否定
- 燃え尽き
- 不安障害
外部からの強制ではなく、
“自分で自分を縛る”構造。
ここが最も治療困難です。
なぜなら本人は「自分で選んだ」と感じているから。
6.では自由とは何か
自由とは、
「選択肢があること」ではなく、
“選ばされている構造に気づくこと”
かもしれません。
自発的服従が完成するとき、
人は命令を必要としません。
しかし、そこに一瞬の違和感が生じるとき、
支配は揺らぎ始めます。
