第Ⅰ部 改憲論争の表層と深層
改憲か、まず対米自立かという議論は、軍事・情報・経済依存の現実を前にすると容易に結論が出ない。しかし本質は安全保障の技術論ではない。改憲論争が問うているのは、市民は国家にどこまで従う存在か、国家は市民をどこまで統合する存在かという国家観・人間観の問題である。
第Ⅱ部 条文が規定する力学
憲法の言葉は抽象的でありながら力を持つ。「公共の秩序」を強く掲げれば国家は自由を制限しやすくなる。「個人の尊厳」を最高価値とすれば国家は個人を守るために存在することになる。条文の配置ひとつで、市民と国家の関係の重心は動く。
第Ⅲ部 自由とは何か
自由の核心は、賛成する自由ではなく不同意できる自由である。批判する自由、拒否する自由、沈黙する自由、無関心でいる自由。思想・良心・表現の自由は、国家と一致しない権利を守るためにある。民主主義の成熟度は、不同意者が安心して存在できるかで測られる。
第Ⅳ部 法と空気の二重構造
日本社会には、明文化された法秩序と、明文化されない「空気」という秩序が併存する。法は自由を保障しても、空気は同調を強いる。逆らえば排除されるという予感が内面化されると、自由は形式だけ残り心理的に発動できなくなる。
第Ⅴ部 父性と男性性
家父長制は制度としては廃止されたが、精神構造はなお残存する。だが日本の男性優位は必ずしも法としての父性に基づくものではない。西欧が闘争を通じて法的父性を確立したのに対し、日本では空気が優位となり、権威は曖昧なまま内面化された。
第Ⅵ部 未成熟な主体
不安が強まると、人は強い象徴に依存する。未成熟な主体は国家と同一化し、国家批判を自己否定と感じる。そのとき国家は倫理の源泉となり、不同意は非国民的とみなされる。外的統制よりも、内面化された統制のほうが深く作用する。
第Ⅶ部 国家主義と従属の逆説
主体が自律していなければ、個人は国家に依存する。だが国家が安全保障で他国に依存していれば、個人は間接的に従属構造へ組み込まれる。国家主義が強まるほど自立国家になるとは限らず、むしろ従属が固定化されるという逆説が生じる。
第Ⅷ部 軽躁国家仮説
長期停滞のなかで、日本はうつではなく軽躁的波動を示している。強い言葉が好まれ、単純な物語が安心を与える。調整型政治は退屈とみなされる。周期的な高揚はあるが、本質的課題は先送りされ、社会は成熟しきらないまま揺れ続ける。
第Ⅸ部 不安と単純化
社会的危機や経済的不安は、分散より集中、多様性より単純化を選ばせる。SNS環境は短い言葉と敵味方構図を優遇し、熟議を衰退させる。不安は世界を単純化し、強いリーダー像を魅力的に見せる。これは日本固有というより時代的傾向である。
第Ⅹ部 自由の条件
最も危険なのは国家そのものではなく、国家と同一化しなければ不安になる心理である。自由とは国家を相対化できる主体の存在を前提とする。国家への不同意の自由が守られるときのみ、公共は成立する。その条件が崩れると、法が残っても自由は痩せていく。
