第十二章 統合失調症における超越者体験

以下では、これまで論じてきた「内的超越者」の構造を基盤として、統合失調症における超越者体験を、ジャック・ラカンの「父の名(Nom du Père)」概念を中心に、精神医学・現象学・構造論の統合として提示します。


第十二章 統合失調症における超越者体験

――「父の名」と内的超越者の構造的破綻――

第一節 内的超越者の通常構造

通常の精神構造において、超越者は人格の内部に存在する。

それは

  • フロイトにおいては超自我
  • ユングにおいては自己(Self)
  • ハイデガーにおいては良心
  • 丸山眞男においては忠節の内的対象

として現れる。

この超越者は、人格の内部にありながら人格を超えている。

この構造は逆説的である。

それは「内的外部」である。

人格の内部にあるが、人格の意志には従属しない。

この構造によって主体は成立する。

主体とは、

内的超越者との関係である。


第二節 統合失調症における外在化

統合失調症において特徴的なのは、

内的超越者の外在化である。

通常、内的超越者は

「内なる声」
「良心」
「倫理的確信」

として経験される。

しかし統合失調症では、

それは外部からの声として経験される。

すなわち幻聴である。

患者はしばしば語る。

「誰かが命令している」
「神が語っている」
「監視されている」

ここで重要なのは、

これらが単なる知覚異常ではないことである。

それは構造異常である。

内的であるべき超越者が、

外部存在として経験されているのである。


第三節 ラカンにおける「父の名」

ラカンはこの構造を「父の名」によって説明した。

父の名とは、

象徴秩序の中心である。

それは単なる父親ではない。

それは法である。

秩序である。

意味の中心である。

父の名の機能は、

欲望を構造化することである。

そして主体を象徴秩序の内部に位置づけることである。

父の名は、

内的超越者の構造的基盤である。


第四節 排除(foreclosure)としての統合失調症

ラカンは統合失調症の本質を

父の名の排除(forclusion)

と定義した。

排除とは、

抑圧とは異なる。

抑圧されたものは無意識に存在する。

しかし排除されたものは、

象徴秩序に一度も統合されていない。

その結果、

象徴秩序の外部に存在する。

そして現実界として侵入する。

これが幻聴である。

幻聴とは、

排除された父の名の回帰である。


第五節 超越者体験の構造的理解

この観点から見ると、

統合失調症における神体験や啓示体験は、

単なる病理ではない。

それは内的超越者の構造破綻である。

通常の主体においては、

超越者は内部に存在する。

統合失調症においては、

超越者は外部に存在する。

通常の構造:

内的超越者 → 主体を構成する

統合失調症の構造:

超越者 → 外部存在として主体を侵入する

主体はもはや超越者を内部に保持できない。

主体は超越者によって占拠される。


第六節 現象学的理解――ビンスワンガーの視点

ルートヴィヒ・ビンスワンガーは統合失調症を

世界内存在の構造変容

として理解した。

通常、人間は世界の中心として存在する。

しかし統合失調症では、

世界の中心が外部に移動する。

主体は世界の中心ではなくなる。

中心は外部存在になる。

これが妄想構造である。

妄想とは、

世界の中心の移動である。


第七節 「父の名」と主体の成立

父の名の機能は、

超越者を内部に位置づけることである。

父の名は、

超越者を象徴化する。

象徴化された超越者は、

主体の内部に存在できる。

これが正常構造である。

父の名が排除されると、

超越者は象徴化されない。

その結果、

外部存在として経験される。

これが統合失調症である。


第八節 宗教体験との連続性と差異

ここで重要なことは、

宗教体験と統合失調症体験の構造的近接性である。

両者とも、

超越者体験を含む。

しかし決定的差異がある。

宗教的主体:

超越者は内部に存在する

統合失調症的主体:

超越者は外部に存在する

宗教者は神と対話する。

統合失調症者は神に支配される。

ここに主体性の差異がある。


第九節 治療的含意――象徴化の回復

精神療法の目標は、

超越者を除去することではない。

それは不可能である。

なぜなら超越者は人格の構造だからである。

治療の目標は、

超越者の象徴化である。

すなわち、

外部存在として経験される超越者を、

内部構造として再統合することである。

これは父の名の機能の回復である。


第十節 人間の本質としての超越構造

以上から明らかなことは、

超越者は病理の産物ではないことである。

それは人格の本質である。

人格とは、

超越者との関係である。

統合失調症とは、

この関係の破綻である。


結論

ラカンの「父の名」は、

内的超越者の構造的条件である。

父の名によって、

超越者は内部に位置づけられる。

この機能が失われるとき、

超越者は外部存在として現れる。

これが統合失調症である。

統合失調症とは、

超越者の消失ではない。

超越者の外在化である。

主体とは、

超越者を内部に保持する構造である。


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