内的超越者と精神病理


内的超越者と精神病理

―統合失調症の預言者体験と近代的主体の成立―


要旨

本論文は、人間の精神における「内的超越者」の構造を、哲学史・精神分析・現象学的精神医学の観点から検討し、さらに統合失調症における宗教妄想・使命妄想との関連を明らかにすることを目的とする。特に、夏目漱石の「自己本位」、丸山眞男の忠誠論、キェルケゴールの神との単独関係、精神分析におけるジークムント・フロイトの超自我、カール・グスタフ・ユングの自己元型、ジャック・ラカンの「父の名」、さらにルートヴィヒ・ビンスワンガーの実存論的精神医学を統合的に検討する。

その結果、内的超越者は近代主体の成立の基盤であると同時に、統合失調症においては外在化された超越者として現象し、預言者体験や使命妄想の基盤となることが明らかになる。


第一章 忠誠の内面化と近代的主体の成立

1 忠誠の二重構造

忠誠には二つの形態がある。

第一は、現実の君主への外的忠誠である。
第二は、理想的君主への内的忠誠である。

丸山眞男は『忠誠と反逆』において、日本の忠誠は単なる服従ではなく、「正統性の基準を内面に保持する構造」を持つことを指摘した[1]。

すなわち、家臣は単に君主に従うのではなく、

君主はかくあるべきである

という規範を内面に持つ。

ここにおいて忠誠は、外部対象から内的規範へと移行する。


2 孔子における忠の内面性

『論語』において忠は単なる服従ではない。

孔子は言う:

君使臣以礼、臣事君以忠[2]

ここで忠は礼と相互的関係にある。

さらに重要なのは以下の言葉である:

見義不為、無勇也[2]

義は君主より上位にある。

つまり儒教においてすでに、

内的規範 > 外的権威

という構造が成立している。


3 キリスト教と単独者

この構造はキリスト教において完成する。

キェルケゴールは述べる:

個人は神の前に単独者として立つ[3]

ここで神は社会を介さない。

神は完全に内面化された超越者である。


4 漱石の自己本位

夏目漱石は『私の個人主義』で述べる:

自己の内に拠って立つべきである[4]

これは単なる自我主義ではない。

それは内的規範への忠誠である。

ここにおいて、忠誠は完全に内面化される。


第二章 精神分析における内的超越者

1 フロイトの超自我

ジークムント・フロイトは超自我を

内面化された父の権威

と定義した[5]。

これは

  • 判断する存在
  • 命令する存在
  • 監視する存在

である。

超自我は、精神内部の君主である。


2 ユングの自己元型

カール・グスタフ・ユングはさらに進み、

自己元型を

心の中心であり全体性の原理

とした[6]。

それはしばしば

  • 預言者

として象徴される。


3 ラカンの「父の名」

ジャック・ラカンは「父の名」を

象徴秩序を成立させる中心とした[7]。

父の名は、

世界の意味を保証する中心である。


第三章 実存論的精神医学と超越者

1 ビンスワンガーの世界内存在

ルートヴィヒ・ビンスワンガーは精神病を

世界構造の変化

として理解した[8]。

人間は

  • 世界に開かれた存在
  • 意味に向かう存在

である。


2 超越の必要性

人間は単なる生物ではない。

意味に従う存在である。

その意味の中心が内的超越者である。


第四章 統合失調症における超越者体験

統合失調症においては、内的超越者が外在化する。

1 使命妄想

患者は

  • 神に選ばれた
  • 世界を救う

と確信する。

これは内的中心の外在化である。


2 宗教妄想

患者は

  • 神の声を聞く
  • 啓示を受ける

これは超自我の外在化である。


3 祖先・天皇・神

日本の患者では、

  • 祖先
  • 天皇

が頻出する。

これは文化的象徴を通じた内的中心の表現である。


第五章 預言者体験との構造的同一性

預言者体験も同じ構造を持つ。

モーセは神の声を聞いた。

パウロは復活したキリストを見た。

これらは

内的超越者の顕現

である。


第六章 回心と精神病理の境界

両者の違いは統合度である。

健常者:

内的超越者は内面に統合される

統合失調症:

内的超越者は外在化する


第七章 近代主体の成立

近代主体とは、

内的超越者に従う存在である。

それは

  • 良心
  • 理想

として存在する。


結論

人間の精神は構造的に超越者を必要とする。

それは

  • 忠誠の基盤であり
  • 道徳の基盤であり
  • 主体の基盤である

統合失調症は、この構造の破綻ではなく、

その露呈である。


参考文献

[1] 丸山眞男『忠誠と反逆』
[2] 『論語』
[3] キェルケゴール『死に至る病』
[4] 夏目漱石『私の個人主義』
[5] Freud, The Ego and the Id
[6] Jung, Aion
[7] Lacan, Écrits
[8] Binswanger, Being-in-the-World


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