現代企業社会と超越者:擬似超越者

現代の企業社会は、「超越者の内在化」という課題が最も激しく、かつ残酷な形で突きつけられている場です。かつての武士が「主君」に対して抱いた葛藤は、いまや会社員が「組織」や「市場価値」に対して抱く葛藤へと姿を変えています。


現代企業社会と超越者:擬似超越者としての「組織」と主体の消失

序:会社という名の「外部化された主君」

日本型企業社会において、会社は単なる職場を超え、個人のアイデンティティや生存を全般的に規定する「擬似超越者」として機能してきました。戦後の高度経済成長期、企業は「家族」や「国家」に代わる新たな「主君」となり、個人はその外部権威に献身(忠誠)を捧げることで安定を得てきました。

しかし、この構造は「忠節の内在化」とは真逆のプロセス、すなわち「権威の徹底的な外部化」に他なりませんでした。

1. 「内なる義」から「外なるKPI」へ

丸山眞男が『論語』や武士道に見出した「忠」の本質は、内なる「義(理想的基準)」に基づき、時には主君に反抗(諫奏)することにありました。しかし、現代企業社会における「忠誠」は、しばしば数字や評価という「外部の指標(KPIやノルマ)」への盲従へと矮小化されています。

  • 超自我の外部化: 自分の行動が正しいかどうかを「内なる良心」に問うのではなく、「上司の評価」や「四半期決算の数字」に問いかける。ここでは、超越者は個人の内面に宿る「法」ではなく、外部から個人を裁く「冷徹なデータ」となりました。
  • 「無責任の体系」の再来: 組織の不祥事が絶えないのは、社員が「内なる超越者」を持っていないからです。組織の論理(外部権威)が内なる倫理を圧倒しているため、「会社が言ったから」「みんながやっているから」という理由で、個人の主体的な判断が停止してしまいます。

2. 漱石的「自己本位」と「社畜」の葛藤

夏目漱石の「自己本位」を企業社会に当てはめると、それは「会社という他人の顔色を窺うのではなく、自らの仕事の流儀や倫理(内なる超越者)に従って働く」ことを意味します。

  • 「偽りの自己」の構築: 企業社会で生き抜くために、多くの会社員はウィニコットのいう「偽りの自己(False Self)」を発達させます。会社の期待に完璧に応え、社内の空気を読み、自分を殺して適応する。しかし、この「偽りの自己」が肥大化する一方で、内なる超越者と対話すべき「真の自己」は飢餓状態に陥り、それが「燃え尽き症候群」や「うつ病」の温床となります。
  • 「自己本位」の不可能性: 漱石が警告した「他人の後をついて歩く」生き方は、現代では「市場価値」や「キャリアデザイン」という言葉で正当化されています。外部の流行や基準に自分を無理やり適合させようとする焦燥感は、自らの中に「揺るぎない基準」を持てないことから来る病理です。

3. AI・アルゴリズム管理という「非人格的超越者」

現代の企業社会では、超越者は「上司」という人間から、「AI」や「アルゴリズム」という非人格的なシステムへと移行しつつあります。

  • 対話なき服従: 「諫奏(諫言)」は、相手が人間(主君)だからこそ可能でした。しかし、AIによる人事評価やシフト管理は、反論を許さない「絶対的な正解」として提示されます。人間がシステムという名の「新しい超越者」に従属するとき、主体性は完全に消滅し、人間は「交換可能なリソース」へと退行します。
  • 「内面」の不要化: システムは個人の内面的な葛藤を必要としません。ただ「出力(結果)」だけを求めます。人間が内面的な超越者と向き合い、悩む時間は「非効率」として切り捨てられていきます。

4. 「職業(Vocation)」の喪失と「ジョブ」への断片化

かつての「職業(ドイツ語のBeruf=神からの召命)」には、仕事を通じて超越者(神や道)と繋がるという感覚がありました。しかし、現代の企業社会では仕事は「ジョブ(切り出されたタスク)」へと断片化され、仕事を通じて自己の魂を練り上げるという「内的超越者への忠誠」は失われました。

科挙知識人のように「道に外れれば去る」というクールな自律性は、住宅ローンや家族の扶養、そして「組織を離れたら自分は何者でもなくなる」という恐怖(分離不安)によって封じ込められています。


結論:企業社会における「内的超越者」の奪還

企業社会の中で、私たちが「主体」を取り戻すためには、組織という「擬似超越者」とは別に、自分の中に「自分を律する別の王(超越者)」を住まわせる必要があります。

  • 「諫奏」の精神の回復: 会社にとっての「利益」ではなく、自分にとっての「義(プロフェッショナリズム)」に照らして、NOと言える基準を育てること。
  • 孤独な内面の確保: 会社の評価システムから完全に切り離された、自分だけの「価値の聖域」を確保すること。漱石が「自己本位」を打ち立てたように、外部の基準がどうあれ「自分はこうあるべきだ」という内的作業モデルを修練すること。
  • 「去る」覚悟の保持: 自己の魂を売り渡してまで組織に留まることを拒絶する、あの科挙知識人的なクールな自律性を、心のどこかに忍ばせておくこと。

現代の企業社会は、私たちから「内なる超越者」を奪い、外部のシステムへの隷属を強いてきます。しかし、主体とは「超越者を内部に持つ存在」です。会社という巨大な歯車の一部でありながらも、その中心に「自分自身の法」を戴くこと。この困難な内在化のプロセスこそが、現代の働く人々が精神的な健康と自由を取り戻すための、唯一の倫理的基盤となるのです。

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