責任の引き受け方と、恥と良心の構造は同じ問題の裏表です。
1.関係的主体は責任をどう引き受けるか
■ 近代主体の責任
近代主体では、
- 私が決定した
- 私が選んだ
- だから私が責任を負う
責任は「決定の帰属」です。
この構造は
Immanuel Kant
の自律概念と強く結びついています。
■ 関係的主体の困難
関係的主体では、
- 決定は場の中で生まれる
- 合意は暗黙に形成される
- 責任は分散する
そのため、
「誰が決めたのか分からない」
という事態が起こりやすい。
日本社会で見られる「空気による決定」は、まさにこの構造です。
ここでは責任は
- 個人に集中しない
- しかし場の中で圧力として働く
という形を取ります。
■ 関係的主体の責任再定義
関係的主体が責任を引き受けるためには、
① 共同生成された決定でも「自分の部分」を引き受ける
② 関係を理由に免責しない
③ 関係そのものを問い直す勇気を持つ
つまり責任は、
決定の起点であること
ではなく
関係の中での参与を自覚すること
になります。
これは「孤立した自己責任」とは違います。
2.「恥」と「良心」は統合可能か
■ 構造の違い
良心(西洋型):
- 内面的審級
- 誰も見ていなくても働く
- 神や理性の前での自己
恥(関係型):
- 他者の視線を前提
- 関係の断絶への恐れ
- 調和破壊への感受性
フロイト的に言えば、
Sigmund Freud
の超自我は良心型に近い。
恥はより「関係的超自我」です。
■ 統合は可能か?
可能ですが、条件があります。
良心だけの場合
→ 道徳的孤立
→ 原理主義
→ 他者軽視
恥だけの場合
→ 同調圧力
→ 過剰適応
→ 内面の空洞化
統合とは、
他者の視線を感じつつ、
しかし最終的判断は内面で行う
という二重構造です。
3.統合モデル
統合された主体は:
- 恥によって関係を守る感受性を持ち
- 良心によって場に逆らう力を持つ
このとき責任は:
「関係を壊さないために沈黙する」ことではなく
「関係を壊してでも真実を語る可能性を持つ」こと
になります。
4.臨床的視点
関係的主体の病理は:
- 恥が過剰
- 良心が弱い
- 境界が曖昧
近代主体の病理は:
- 良心が過剰
- 恥が希薄
- 孤立が強い
健康とは、
恥と良心の往復運動
です。
5.核心
関係的主体が責任を持つとは:
- 「場がそうだったから」ではなく
- 「私はその場に参与した」と言えること
恥と良心の統合とは:
- 他者との関係を守りながら
- 必要ならそれを超える勇気を持つこと
