1.現象の観察――「弱者攻撃」はなぜ注目を集めるのか
現代社会では、立場の弱い人を攻撃する言動が、しばしば強い注目を集める。
そこには道徳的熟慮も、理念としての正義もない。ただ「話題になる」「視線を奪う」という効果がある。
弱者は反撃しにくい。
だから攻撃は一方通行になりやすく、見世物として成立する。
その結果、「強者を礼賛し、弱者を嘲笑する」言説が拡散する。
しかし、ここで問うべきは――
それは人間の本性なのか、それとも本性の逸脱なのか、である。
2.惻隠の心と進化論的利他性
古来、東アジア思想では「惻隠の心」は人間の本性とされた(例:孟子)。
他者の苦しみを見て放っておけない感情は、人間存在の根源にあるという理解である。
現代の進化生物学も、これと部分的に符合する。
- 親族選択理論
- 互恵的利他主義
- 集団選択仮説
これらはいずれも、「利他行動は遺伝子の存続に資する」という方向で説明される。
弱者を助ける行為は、短期的には損に見えても、
長期的には集団の安定と存続を支える。
これを仮に「DNA主義」と呼ぶならば、
人間の利他性は、遺伝子レベルで合理的である。
という立場になる。
3.弱者攻撃の快楽――脳の暴走仮説
ところが、現代には逆の現象がある。
弱者を攻撃し、排除し、嘲笑することに快楽を見出す態度である。
ここで仮説を立てることができる。
脳は本来、DNAの生存を助けるために進化してきた器官である。
ところが高度に発達した結果、短期的な報酬(優越感、承認欲求、刺激)に過剰反応するようになった。
- 他者より優位に立つ快感
- 仲間内での同調的興奮
- 集団的攻撃によるドーパミン的報酬
これらは、局所的には「快」である。
しかし長期的には集団の分断を招き、協力構造を壊し、結果として生存可能性を低下させる。
この立場をあえて「脳主義」と呼ぶならば、
目先の神経報酬が、遺伝子レベルの合理性を裏切る。
という逆説が成立する。
4.DNAと脳のねじれ
整理すると、次の構図になる。
| 観点 | 行動 | 短期的効果 | 長期的効果 |
|---|---|---|---|
| DNA主義 | 弱者を助ける | コストあり | 集団安定・生存有利 |
| 脳主義 | 弱者を攻撃する | 快感・注目 | 分断・生存不利 |
つまり、
「弱者攻撃」は本能の表出ではなく、
本能の目的から逸脱した神経的誤作動とも言える。
進化の時間軸は長い。
しかし現代の情報環境は極端に短期的である。
脳は即時的な刺激に適応するが、
DNAは世代を超えた持続性を目指す。
ここに文明の歪みがある。
5.結論――恥と理性の役割
弱者攻撃に「恥がない」という状態は、
社会がDNA主義よりも脳主義に傾いている兆候である。
しかし、
- 他者の痛みに共鳴する能力
- 協力によって生き延びてきた歴史
- 惻隠の心という倫理的感覚
これらは依然として人間の内部に存在する。
理性とは、
脳の即時的快楽を抑え、
より長期的な生存合理性に回帰する装置とも言える。
弱者を助けることは美徳である以前に、
人類という集団の生存戦略だった。
もし弱者をいじめることが社会の常態となれば、
それは快楽の勝利ではなく、
自己破壊の前兆である。
まとめ
弱者攻撃は注目を生む。
しかしそれは進化的合理性ではない。
人間の本性は、他者を助ける方向に設計されてきた。
脳がその設計目的を忘れたとき、文明は内部から崩れる。
恥とは、DNAの記憶かもしれない。
惻隠の心とは、人類が生き延びるための深層プログラムかもしれない。
どちらの側に立つかは、
今も私たち一人ひとりの選択に委ねられている。
