弱者攻撃は「不安」の産物である


精神分析的視点

――弱者攻撃は「脳」ではなく「不安」の産物である

1.弱者攻撃の快楽の正体

弱者を攻撃するとき、人は単にドーパミン的快楽を得ているのではない。
そこには「不安の処理」という無意識的機能がある。

精神分析の観点から言えば、弱者はしばしば「自分の中の弱さ」の投影対象となる。

自分の脆弱性
失敗の可能性
依存欲求
無力感

これらを外在化し、他者に押しつけることで、自己の統一感を守る。

これが「投影」である。


2.スケープゴート機制

集団心理の中では、この投影はさらに拡大する。
古典的にはジークムント・フロイトが『集団心理と自我分析』で示したように、
集団は不安を共有するとき、攻撃対象を必要とする。

弱者は反撃しない。
だから集団の不安を安全に受け止める「容器」となる。

ここで快感が生まれるのは、攻撃そのものよりも、

「自分はあちら側ではない」という安心

である。


3.超自我の倒錯

通常、超自我は「弱者を守れ」と命じる。
しかし社会が不安に満ちると、超自我は形を変える。

・生産性至上主義
・強者への同一化
・「自己責任」という道徳化

これらは新しい超自我の命令となる。

つまり、

弱者を助けることが善ではなく、
弱者であることが悪になる。

この倒錯が起こると、弱者攻撃は道徳的行為にすら見えてくる。


4.死の欲動と自己破壊

ジークムント・フロイトは晩年、「死の欲動」という概念を提示した。

自己を解体し、秩序を破壊する衝動。

弱者攻撃は、他者を破壊しているように見えて、
実際には集団の協力構造を壊している。

それは外向きの攻撃であると同時に、
内向きの自己破壊でもある。

脳がDNAに反する行為で快楽を得るという現象は、
精神分析的には

生の欲動よりも、破壊衝動が優位になった状態

と読み替えられる。


5.結論

弱者をいじめる快楽は、本性ではない。
それは不安の処理、投影、同一化、そして破壊衝動の産物である。

惻隠の心は、単なる倫理ではない。
それは自己の分裂を防ぐ統合機能でもある。

弱者を守ることは、他者を守ること以上に、
自己を守ることなのかもしれない。


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