ピエール・ブルデューの「ハビトゥス(階層特有の行動様式や趣味)」の概念と、現代のアルゴリズム経済。
「文化の質の低下」と「エリートの擬態」という二つの現象。
『ベルカーブの呪い』――なぜSNSは文化を「低俗」へと誘惑するのか
現代のデジタル空間において、私たちの知性や趣味、そして発言は、目に見えない巨大な力によって「ある一点」へと引き寄せられています。その力の正体は、統計学でおなじみの「ベルカーブ(正規分布)」です。
知能、財産、あるいは特定の文化資本(ハビトゥス)。これら人間集団の属性は、多くの場合、極端な層は少なく、中間層が最も厚い「ベルカーブ」を描きます。この統計的な事実が、SNSという「共感と数字」の戦場に持ち込まれたとき、文化にとって致命的な事態が引き起こされます。
1. ボリュームゾーンの誘惑と「文化の底割れ」
SNSにおいて「クリック数」や「インプレッション」は通貨そのものです。発信者が影響力を持ちたいと願うなら、論理的な帰結として、最も人数の多い「ベルカーブの中央(ボリュームゾーン)」に照準を合わせることになります。
ここで「ハビトゥス」の問題が浮上します。高度な教育や訓練を必要とする「ハイカルチャー(高踏的文化)」は、理解するために高いコスト(時間や知識)を要求するため、ベルカーブの端にあるごく少数の人々にしか届きません。
一方で、直感的で、扇情的で、知的な負荷が低いコンテンツは、ボリュームゾーンの人々に容易に受け入れられます。
結果として、市場原理は「文化の高度化」ではなく「低次化」へとアクセルを踏みます。より多くのクリックを稼ぐためには、表現をより平易に、より刺激的に、より「誰にでもわかるレベル」へと削ぎ落としていかなければならないからです。これが、デジタル空間で進行している文化のデフレ現象です。
2. 匿名空間における「エリートの擬態」
さらに興味深い(あるいは絶望的な)現象は、ベルカーブの右端に位置するはずの「ハイカルチャー層」の動向です。
本来、高い教養や専門性を持つ層は、物理的な社会においては独自のコミュニティを形成し、中間階級や大衆層とは交わらない「ハビトゥス」を維持してきました。彼らの言葉遣いや趣味は、一種の特権的な障壁として機能していたのです。
しかし、SNSという匿名かつフラットな空間では、その障壁が崩壊します。驚くべきことに、本来はハイカルチャー側にいるはずの知的な人々が、ボリュームゾーンの「作法」に自らをチューニングし、大衆に好まれる言葉で語り始めているのです。
3. なぜ彼らは「下方修正」するのか
なぜ、高い知性を持つ人々が、わざわざ自らの言葉を低次元化させるのでしょうか。理由は二つあります。
一つは、「承認の快楽」です。どれほど高尚な議論を端っこで展開しても、得られる反応はごくわずかです。しかし、ボリュームゾーンの感情に訴えかける「分かりやすい正義」や「敵を設定した攻撃」を繰り出せば、爆発的な反応が得られます。知的なエリートであっても、脳内の報酬系はこの誘惑に抗えません。
もう一つは、「生存戦略」です。誰も見向きもしない高潔な言説よりも、たとえ低俗であっても数百万人に届く発言の方が、現代社会では実質的なパワー(政治力や経済価値)を持つようになってしまったからです。
結びに代えて:消えゆく「孤高」
ハイカルチャー層が中間階級のハビトゥスに擬態し、ボリュームゾーンに向けて言葉を研磨し続けるとき、文化の「多様性」は失われ、単一の「巨大な平均」へと収束していきます。
かつて文化を牽引した「難解さ」や「高潔さ」は、今やクリックを阻害するノイズとして排除されつつあります。ベルカーブの中央に最適化された世界。そこは、誰もが理解できるが、誰も見たことのない高みには到達できない、平坦で退屈な「文化の墓場」なのかもしれません。
