成長への障害を取り除く――ドングリとオーク、そして人間の可能性
心理療法の道に足を踏み入れたばかりの頃、私の心に深く根を下ろした一冊があった。カレン・ホーナイの『神経症と人間の成長』である1。この本が私に教えてくれたのは、何か技術的なことや理論の構造ではなく、人間という存在に対するまなざしの変え方だった。
中でも心を打ったのが、ホーナイのこの考えだ。
「障害が取り除かれさえすれば、人は成熟した、十分に自己を実現した大人へと自然に成長する。ちょうどドングリがオークに育つように――。」
“Just as an acorn will develop into an oak tree.”2
なんという明快で、解放感に満ちたイメージだろう。私の中で、それまで少し重苦しかった心理療法のイメージがふっと軽くなった。「人を変える」必要などない。誰かに勇気や知恵、愛や希望を「注ぎ込む」必要もない。その人の中にはすでに、成長へと向かう力が宿っている。ただ、それを妨げる石ころや枯れ葉のような障害をそっと取り除けばいいのだ。
思い出すのは、ある若い未亡人との出会いである。彼女は、自らの心を「壊れた心臓」と呼び、もう二度と誰かを愛することはできないと語った。私には、どうやって「愛すること」を教えればよいのかわからなかった。けれど、「愛を妨げる障害を探し、それを取り除く」ことなら、できるかもしれないと思った。
彼女の心には、いくつもの重い石が積み重なっていた。愛することは、亡き夫を裏切ること。もう一度深く愛すれば、前の愛が不完全だったと証明することになる。さらには、愛すること自体が自分を傷つける行為であり、必ず喪失と痛みが伴うという確信。彼女は、自分の愛には呪いが宿っているとさえ信じていた。
私たちは、これらの石を一つひとつ丁寧に拾い上げては、手のひらの上で確かめ、そっと脇に置いていった。月日が経つうちに、彼女の中で何かが静かに芽吹いた。やがて彼女は恋に落ち、結婚し、新たな人生を歩み始めた。私は何も「教え」なかった。ただ、彼女の中にすでにあったものが、ようやく光を浴びて動き出したのだった。
この体験は、人間を「作り替える対象」としてではなく、「すでに意味と価値を内包した存在」として見る、人間学的精神療法3の根本的な姿勢と深く響き合っている。そこでは、私たちの仕事は何かを修正することではなく、むしろ人間存在への敬意をもって、その人の「本来性(Eigentlichkeit)」4が現れる場を整えることだ。
カール・ロジャーズ5もまた、ホーナイと同じく「自己実現への傾向(actualizing tendency)」という力を信じていた。人は、自らにふさわしい自分になるために、静かに、しかし確実に成長しようとする。それを妨げるのは、評価されるために着込んできた他人の期待、傷ついた過去、あるいは恐れである。ロジャーズのいう「無条件の肯定的関心(unconditional positive regard)」は、ドングリに太陽の光を注ぐことに似ているのかもしれない。
そして思い出すのが、フリードリヒ・ニーチェの言葉である。彼は「人間とは、超えんとする存在である」6と言った。人間は完成品ではなく、生成途上の存在。彼の言葉には、私たちの内側にある「もっとよく生きたい」「もっと真実に触れたい」という静かな叫びが響いている。
もちろん、人生の中には、ドングリがオークになるどころか、地面にすら届かずに吹き飛ばされてしまうような嵐もある。だが、その嵐を一緒にくぐり抜けてくれる誰かがいれば、風がやんだあとに、土の中では何かが静かに根を張りはじめる。私はその瞬間に立ち会いたい。その人が、自分自身という名の森を再び育て始める瞬間に。
カレン・ホーナイの名前は、今ではあまり知られていないかもしれない。けれど、彼女やサリヴァン、フロムといった「新フロイト派(ネオ・フロイディアン)」の思想は、今日の私たちの臨床の言葉や態度に、目に見えないかたちで染み込んでいる。
このことを思い出させてくれるのが、モリエールの戯曲『町人貴族(Le Bourgeois Gentilhomme)』7に登場する、あの有名な一幕だ。登場人物ジョルダン氏は、ある日「あなたの話し方は散文(プローズ)ですね」と指摘され、目を丸くする。「なんと! 私はこれまでずっと、知らないうちに散文をしゃべっていたのか!」と驚嘆するのだ。これは、私たちが日々の臨床で無意識のうちに新フロイト派の遺産を受け継いでいることに、ふと気づく瞬間に似ている。
心理療法とは、人の中にすでにある「成長したいという力」を信じ、それが自然に芽吹くような環境を整えること。すべては、あのドングリの比喩に集約されている。
“Just as an acorn will develop into an oak tree.”
この一文は、いまも私の心の中で、春の森のようにそっと鳴り響いている。
Footnotes
- Horney, K. (1950). Neurosis and Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization. Norton. —— カレン・ホーナイはフロイトに批判的な立場から、人間の自己実現欲求と文化的・対人関係的要因を強調した心理学者である。 ↩
- 原文はアーヴィン・D・ヤーロム『心理療法講義』(”The Gift of Therapy”)より引用。この比喩はホーナイの考え方を象徴的に表現している。 ↩
- 「人間学的精神療法」とは、人間存在を根源的に尊重し、全体的・実存的に理解する立場を取る精神療法の総称である。ヴィクトール・フランクル、メイ、ブガンタルらが代表的。 ↩
- 「本来性(Eigentlichkeit)」は、ハイデガー哲学において「自分自身として生きること」を意味する概念。実存的心理療法に大きな影響を与えている。 ↩
- Rogers, C. (1951). Client-Centered Therapy. —— ロジャーズは来談者中心療法の創始者で、「条件づけられない受容(unconditional positive regard)」を中心に据えた。 ↩
- Nietzsche, F. (1883–1885). Also sprach Zarathustra. —— 「人間は乗り越えるべき存在である(der Mensch ist etwas, das überwunden werden soll)」という表現は、ニーチェの超人思想を象徴する。 ↩
- Molière, J.-B. (1670). Le Bourgeois Gentilhomme. —— 文学の素養がない中年男性ジョルダン氏が、実はずっと「散文」で話していたことに驚くシーン。知らずに文化や理論を体現していたことへのアイロニー。 ↩