医学的診断を留保することの意味
現代の心理療法の教育現場では、診断への過度な傾倒が見られます。医師は、迅速かつ正確な診断を下し、その診断に合致した短期間の焦点化された療法を実施するように求められます。一見、理にかなっており、効率的なプロセスに思えるでしょう。しかし、それは現実とはかけ離れた幻想に過ぎません。科学的な精密さを強引に制度化しようとする試みであり、可能でもなければ望ましいものでもないのです。
たしかに、統合失調症、双極性障害、重度のうつ病、側頭葉てんかん、薬物中毒、脳血管性疾患など、明確な生物学的基盤を持つ重篤な状態においては、診断は不可欠です。しかし、より軽度の、日常的な精神療法の場面では、診断はしばしば逆効果となります。
心理療法とは、一人の人間をできるだけ深く理解しようとする、徐々に展開される対話のプロセスです。医学的診断はその視野を狭めてしまいます。人間をカテゴリーに押し込めた瞬間、私たちは無意識のうちに、その診断に適合しない側面を無視し、逆にそれに合致する特徴を過剰に読み取るようになります。そしてその関係性の中で、診断が自己成就的予言として働きはじめるのです〔注1〕。
このような現象を、人間学的精神療法の先駆者たちは深く憂慮しました。ルートヴィヒ・ビンスワンガーは、診断学は「生きられた実存」に対する侮辱になりうると述べました〔注2〕。彼にとって精神療法とは、「Begegnung(出会い)」の場です。セラピストは他者を観察し分析する者ではなく、自己と他者の関係性の中で共に変容する存在なのです。
またヴィクトール・フランクルは、「意味への意志(der Wille zum Sinn)」を人間の根源的な動機と捉え、精神療法とはその回復のプロセスであるとしました〔注3〕。彼のロゴセラピーでは、「診断名」の背後にある存在論的な問いこそが重要です。苦しみは、単なる病理ではなく、意味の空白に対する応答なのです。
フリードリヒ・ニーチェもまた、病理学的分類の傾向に批判的でした。彼は『悦ばしき知識』の中で、「分類は生命の複雑さを矮小化し、現実から切断する作用をもつ」と述べています〔注4〕。すなわち、診断とは、生命の豊かなゆらぎを「正常」や「異常」といった単純な二分法に押し込める装置であるというわけです。
カール・ロジャーズは、こうした診断至上主義への対抗として「非指示的療法(nondirective therapy)」を提唱しました。彼にとって大切なのは、「無条件の肯定的関心(unconditional positive regard)」と「共感的理解(empathic understanding)」という態度でした〔注5〕。ロジャーズの臨床的信念は、「人は自己であることを許されたとき、もっとも変化する」というものでした。
私の同僚は、精神科研修医に次のように問いかけます。「もしあなたが個人療法を受けるとしたら、あなたのセラピストは、DSMのどの診断名をあなたに当てはめるでしょうか? そしてそれは、あなたの何を見落とすことになるでしょうか?」この問いは、私たちに自省を促します。「私たちは本当に“他者”を見ているのか? それとも“診断された他者”を見ているだけなのか?」
精神療法とは、本来、計測不能なもの、予測できないもの、そして深く人間的な営みです。もし私たちが、DSMの診断体系をあたかも自然の節理にかなった絶対的真理のように扱うなら、その瞬間、私たちはこの営みの「詩情」を殺してしまうでしょう〔注6〕。
記憶しておくべきことは、過去の診断体系――すでに廃棄された多くのそれら――を作った人々も、今のDSM委員会のメンバーと同じように、有能で、自信に満ちた専門家たちだったということです。未来の世代にとって、現代のDSM分類表が滑稽に映る日が来るのは、時間の問題かもしれません。
だからこそ、私たちは慎重でありたいのです。診断はあくまで補助的な道具であり、「出会い」を導く灯火ではあっても、それ自体が目的であってはなりません。人間の苦悩には、名前を与えるだけでは救われない、言語を超えた深みがあります。その深みこそが、私たちの耳と心を必要としているのです。
注釈
- 自己成就的予言(self-fulfilling prophecy):心理学者ロバート・マートンにより提唱された概念で、他者の期待が無意識に行動に影響し、それによって期待が現実化する現象。
- ビンスワンガーと「出会い」:Ludwig Binswanger, Grundformen und Erkenntnis menschlichen Daseins(1942)にて、実存的出会いの意義が論じられている。
- ロゴセラピーと意味への意志:Viktor E. Frankl, Man’s Search for Meaning(1959)にて、人間の苦悩と意味探求との関係が語られている。
- ニーチェと分類批判:Friedrich Nietzsche, Die fröhliche Wissenschaft(1882)第III書、第111節「知ることにおける矛盾」などを参照。
- ロジャーズの非指示的療法:Carl R. Rogers, On Becoming a Person(1961)に、非指示的態度と人間の自己実現の可能性が豊かに描かれている。
- 詩情(poetic quality)と精神療法:Irvin D. Yalom, The Gift of Therapy(2001)などにおいて、詩的で人間的な療法のあり方が強調されている。