時間と回復の哲学──人間学的精神療法の視点から
「時間が癒す」とはよく言われる。しかし、いったい「時間」とは何であろうか。単なる暦の進行、時計の針の運動として時間を捉えるとき、「癒し」なるものは、まるで自然現象のように感じられるかもしれない。だが、人間の「癒し」や「回復」は、そうした客観的時間の流れとは、異なる仕方で時間を生きる主体において起こる──つまり「存在としての時間」を生きることに深く関わっている。
実存の時間性──ヤスパースにおける「限界状況」
カール・ヤスパースは、人間が回避不可能に直面する「限界状況(Grenzsituationen)」──死、苦悩、闘争、罪責──において、人は自己の実存を問う契機を得るとした¹。こうした状況において、過去の傷や未来への不安が鋭利に立ち現れるとき、私たちは「単なる時間」ではなく「実存的時間」のただ中にいる。そこでは、過去はただ過ぎ去るのではなく、現在において新たに意味をもって再解釈され、未来は単なる予測ではなく、「選択」としての可能性を我々に迫ってくる。
身体の時間、記憶の身体──メルロ=ポンティの現象学
モーリス・メルロ=ポンティは、身体を「世界への開かれ」であると同時に、「記憶の現場」として捉えた²。心的外傷を負った人間が、「頭では忘れたつもりでも、身体が覚えている」状況にしばしば陥ることは、精神療法の現場で繰り返し観察される。トラウマは線形時間では処理されない。時間は、身体のうちでらせん状に回帰し、過去は「現在における再演(reenactment)」として蘇る。回復とは、この循環に新たなリズムを与えることであり、忘却ではなく、時間のなかでの「再意味化」なのである。
意味への意志──フランクルとロゴセラピーの時間性
ヴィクトール・フランクルは、『夜と霧』のなかで、強制収容所という極限状況においても、人は「意味」を問う存在であることを証した³。彼のロゴセラピーにおいて、癒しは過去の傷の否認や回避によってではなく、むしろ「苦しみの意味づけ」によって成し遂げられる。未来における何か、まだ実現されていない「意味の可能性」に向かって自己を開くことによって、苦悩の現在は「耐えるに足るもの」となる。時間は、単なる持続ではなく、意味を担う実存的な構造である。
ニーチェ──「永劫回帰」と「生成としての癒し」
ニーチェの思想における時間は特異である。「永劫回帰(ewige Wiederkunft)」の思想は、一見すると宿命論のようだが、彼の意図はむしろ、「この瞬間を再び生きることを肯定できるか」という倫理的問いにあった⁴。回復とは、傷がなかったことにすることではない。それどころか、傷を含めた人生全体を肯定する、「生成変化」としての癒しである。傷を記憶しつつ、それを内在化し、存在の一部として引き受ける──それがニーチェ的回復の時間性なのだ。
精神療法という共存の時間
精神療法とは、「癒す者と癒される者」の非対称的関係ではなく、むしろ「共に時間を生きる者(Mitsein)」の関係であるべきだ。ヤスパースが語ったように、実存は他者との関係において開かれる⁵。セラピストとクライエントが共に「語る」ことで、傷は言葉に包まれ、時間のなかに位置づけられてゆく。そこでは、時間とは「出来事の列」ではなく、「意味の編まれる布」として、互いの存在を織りなしていく場となる。
終わりに──問いの時間へ
リルケは『若き詩人への手紙』で、「問いそのものを愛する」ようにと助言した⁶。私たちが生きる時間は、解答の連続ではなく、未解決の問いを携えて進む道程である。回復とは、答えを得ることではなく、問いを携えながら生きることの力を取り戻す過程なのかもしれない。人間学的精神療法は、まさにその「問いを愛する力」の回復をめざす営みなのである。
注釈・参考文献
- ヤスパース, K. (1932). Philosophie. 特に「限界状況」概念について。日本語訳:前田敬作他訳『哲学3 実存開示』(理想社, 1957年)。
- メルロ=ポンティ, M. (1945). Phénoménologie de la perception. 日本語訳:竹内芳郎・小木貞孝訳『知覚の現象学』(みすず書房, 1974年)。
- フランクル, V. E. (1946). …trotzdem Ja zum Leben sagen: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager. 日本語訳:霜山徳爾訳『夜と霧』(みすず書房, 2002年)。
- ニーチェ, F. (1882). Die fröhliche Wissenschaft. 日本語訳:信太正三訳『悦ばしき知識』(岩波書店, 1957年)。特に第341節「大いなる思考」参照。
- ヤスパース, K. (1931). Psychologie der Weltanschauungen. 日本語訳:小川捷之訳『世界観の心理学』(理想社, 1971年)。
- リルケ, R. M. (1903). Briefe an einen jungen Dichter. 日本語訳:手塚富雄訳『若き詩人への手紙』(岩波文庫, 1953年)。
「この瞬間を再び生きることを肯定できるか」という倫理的問い。
いま、あなたは、その行為を選び取る。
そして、同時に、その行為を再び生きることを選び取る。さらに、何度でもその行為を生きることを選ぶ。
そのような、無限の再演を引き受けることができる行為だけが、責任のある選択と言うにふさわしい。
アトラスの営み。