静寂の中の他者 —— 共感と瞑想の交差点にて静寂の中の他者 —— 共感と瞑想の交差点にて

静寂の中の他者 —— 共感と瞑想の交差点にて

ある秋の日、禅寺の縁側に腰を下ろしたまま、ひとりの修行僧が風の音に耳を澄ませていた。竹林を渡る風のざわめき、時折落ちる木の葉のかすかな音、それを受け止める自らの内なる静けさ。その中に、言葉にならぬ「他者」が、ひっそりと息づいている。

瞑想とは、果たして「自分の内面に沈潜すること」なのか。それとも、「世界と調和すること」なのか。あるいは、「他者の存在に目覚めること」なのか。

この問いは、「共感とは何か」という問いと、深いところで交差している。


瞑想の二つの系譜——内省と共鳴

西洋における瞑想の系譜は、ギリシャのストア哲学、キリスト教神秘主義、そして現代のマインドフルネスへと続いている。これらはいずれも、「自己との向き合い」を重視する。アウグスティヌスは『告白』の中で、「我が魂よ、お前自身を探れ」と述べ、内なる神との対話を模索した。

一方、東洋における瞑想、とくに禅やチベット仏教においては、「自己を超えた空(くう)」との一体化が語られる。ここでは、自己は他者と分かたれた閉じた存在ではなく、風や音、さらには“他人の苦しみ”までもが自己の内に響く、共鳴体のようなものとして捉えられる。

この「他者への共鳴」としての瞑想は、現代の神経科学でも新たな関心を呼び起こしている。

たとえば、チベット仏教の熟達した瞑想者において、利他の瞑想(compassion meditation)を行っている最中、島皮質や前帯状皮質、扁桃体といった「共感」に関わる脳領域が著しく活性化することが発見された(Lutz et al., 2008)。つまり、「瞑想」は、ただ静かに座っているように見えて、実は「他者の苦しみを自己の内に引き受ける」脳の働きを強く喚起しているのだ。


呼吸と他者——身体としての共感

呼吸を意識する瞑想(アーナーパーナ・サティ)において、吸う息と吐く息の間にある微かな「間(ま)」に、私たちはしばしば「世界とのつながり」を感じる。自分が吸った空気は、少し前まで誰かが吐き出したものかもしれない。私たちはこの空気の循環の中で、いつでも「他者の痕跡」を肺の奥に受け入れている。

この身体的な「共鳴」の感覚こそ、人間学的精神療法における共感の核心のひとつである。つまり、共感とは「他者の感情を理解する」という知的操作ではなく、「他者と同じ空気を吸う」という、存在的な“共棲”の感覚なのだ。

ユージン・ジェンドリンが提唱した「フォーカシング」では、身体のなかにある漠然とした“フェルトセンス”を丁寧に感じ取ることが重視される。これもまた、瞑想に通じる身体との対話であり、そこに現れる感覚は、しばしば「他者に向かう道」として開かれていく。


沈黙は応答である——瞑想的共感の倫理

精神療法の場面では、沈黙はしばしば「理解できなさ」や「言葉にできなさ」を孕む空間である。だが、その沈黙に「瞑想的な耳を持つこと」は、そこにある苦しみの響きを逃さず聴くことに通じる。

これはブーバーの「我-汝」の関係性とも響き合う。相手が「何かを言っている」のではなく、「そこに在る」だけで、我々の内に“語りかけ”てくる。このとき共感とは、情報処理ではなく、「応答的存在」としてのわれわれが呼び覚まされる出来事である。

ここで思い出すのは、ロジャーズの言葉である。「共感的理解とは、相手の世界に足を踏み入れ、しばらくそこで暮らし、その世界の中からものを見ることである」。だがそれは、まさに瞑想の営みそのものではないか。つまり、共感とは、相手の“内的風景”を、静かに呼吸しながら見つめることであり、瞑想とは、その眼差しを自己にも、他者にも向ける行為なのである。


共感は技術ではなく祈りである

人間学的精神療法においては、共感は単なるコミュニケーション技術ではない。それは、「私があなたに関わる」という倫理的な決断であり、しかもそれは、“今ここ”の瞬間において、絶えず更新される生きた応答である。

瞑想の中で立ち現れる「他者の気配」は、自己を超えていく出来事である。苦しみ、怒り、哀しみ、歓び、そうした感情は、瞑想の静寂のなかで、どこからともなく訪れ、去っていく。その訪れを拒まず、評価せず、ただ受け取り、送り出す。この態度は、まさに「共感的応答性」の核である。

だからこそ、共感は「祈り」に近い。言葉以前の、音以前の、沈黙の奥にある「関わろうとする意志」。その祈りのような姿勢が、人と人とをつなぐ目に見えない橋となる。


参考文献・関連文献

  • Lutz, A., Brefczynski-Lewis, J., Johnstone, T., & Davidson, R. J. (2008). Regulation of the Neural Circuitry of Emotion by Compassion Meditation: Effects of Meditative Expertise. PLoS ONE, 3(3), e1897.
  • Buber, M. (1923). Ich und Du [I and Thou].
  • Rogers, C. (1961). On Becoming a Person.
  • Gendlin, E. T. (1981). Focusing.
  • Varela, F. J., Thompson, E., & Rosch, E. (1991). The Embodied Mind: Cognitive Science and Human Experience.

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