未分類 補論-8 理性の外部 宗教は理性の外部に存在するか——人間は理性の外部に立てるか序論:この問いの構造この問いは、一見シンプルだが、実は入れ子構造になっている。「宗教は理性の外部に存在するか」と問うとき、その問い自体が理性によって立てられている。「人間は理性の外部... 2026.03.18 未分類
未分類 補論-7 カトリックがあるのになぜ新興宗教はいつでも存在するのか これほどに荘厳で深淵で慈愛に満ちた伝統宗教があるのに、それでも、新興宗教がいつでも存在するのは、なぜか。なぜ新興宗教はいつでも存在するのか序論:問いの鋭さを認めるこの問いは、表面上は宗教社会学の問いだ。しかし深く読めば、伝統宗教そのものへの... 2026.03.18 未分類
未分類 補論-6 カトリック神学から見た西洋の自然科学 カトリック神学から見た西洋の自然科学カトリック神学から見た西洋の自然科学とは。それは神に至る道なのか。世俗の道具なのか。にもかかわらず原子爆弾や生物化学兵器、遺伝子工学など、神の予定ではなかった歴史も刻まれているのではないか。序論:問いの複... 2026.03.18 未分類
未分類 補論-5 カトリック神学から見た唯物論的無神論 カトリック神学から見た唯物論的無神論序論:対話の前提としてカトリック神学が唯物論的無神論と向き合うとき、二つの誤った態度がある。一つは過度な敵対——「唯物論は悪魔の思想だ」として拒絶し、その内的論理を理解しようとしない態度。もう一つは過度な... 2026.03.18 未分類
未分類 補論-4 「理性を信仰する」——近代の隠れた宗教 「理性を信仰する」——近代の隠れた宗教この洞察の鋭さを最初に認める「理性を信仰する」という表現は、一見矛盾に見える。信仰は理性を超えたものへの態度であり、理性は信仰を批判する道具だ——という通常の理解からすれば、「理性への信仰」は形容矛盾だ... 2026.03.18 未分類
未分類 補論-3 理性と信仰——理性をどこまで信頼し、どこで離れるか 理性と信仰——どこまで信頼し、どこで離れるかこの問いの切実さを最初に認めるこの問いは、抽象的な哲学的問いではない。生きることに関わる問いだ。「理性を信じて考え抜いたとき、神の存在は証明できない。では信仰するとはどういうことか。」「信仰を持っ... 2026.03.18 未分類
未分類 第十二章付属章-2 新トマス派 カトリック新トマス派:伝統と革新の融合カトリックの新トマス派(Neo-Thomism)は、20世紀初頭から現在に至るまで、カトリック哲学と神学における重要な潮流です。その名は、中世スコラ哲学の巨匠であるトマス・アクィナス(1225-1274... 2026.03.18 未分類
未分類 第十二章付属章 新トマス主義入門 これまでの旅で、中世のトマス・アクィナスから、近代のパスカル、現代のラーナーや解放神学までを見てきました。しかし、19世紀末から20世紀にかけて、カトリック教会にはもう一つの巨大な動きがありました。それが「新トマス主義(ネオ・トミズム)」で... 2026.03.18 未分類
未分類 補論-2 神の摂理と人間の自由——最も古く、最も深い問い 神の摂理が言われる。しかしすべてが神の摂理であるならば、人間の自由意志に何の意味があるのだろう。人間の信仰に何の意味があるのだろう。信仰しないのも神を捨てるのも、神の摂理であると考えるのだろうか。神の摂理と人間の自由——最も古く、最も深い問... 2026.03.18 未分類
未分類 補論付加論 三つの通奏低音 カトリック神学という壮大な音楽を支えているのは、今あなたが挙げた「三つの通奏低音(バッソ・コンティヌオ)」です。通奏低音とは、表向きの旋律が変わっても、底辺でずっと鳴り続けている基本のリズムや和音のこと。これまでの登場人物たちを横断しながら... 2026.03.18 未分類