第1章 序論

第1章 序論

1-1. 本稿の目的と背景

統合失調症とうつ病は、いずれも精神医学における主要な疾患であり、臨床現場において頻繁に遭遇する。かつては両者の診断的境界は明瞭であると考えられていたが、近年では症候の重なりや診断の揺れ、さらには治療方針の接近により、明確な鑑別が困難な症例も増えている。特に外来診療が精神医療の中心を占める現代においては、限られた診察時間と情報の中で初期診断がなされ、再評価が不十分なまま治療が進められる傾向も否定できない。

また、近年の臨床的傾向として、両疾患に共通する病態的特徴――たとえば認知機能障害陰性症状――への注目が高まっている。さらに、薬物療法の観点でも、抗精神病薬がうつ病に対して増強療法として用いられるなど、治療手段においても「相互乗り入れ」が進んでいる。こうした動きは、統合失調症とうつ病が必ずしも明確に区別されるべき疾患群ではなく、より連続体的・スペクトラム的な存在であることを示唆している。

1-2. 精神病概念の再考

統合失調症とうつ病の鑑別困難さは、単に症候の類似性にとどまらず、精神病という概念そのものの再定義を私たちに迫るものである。伝統的な「内因性精神病」の枠組みの中では、統合失調症は人格荒廃を伴う器質的疾患として、うつ病は気分変調を主体とする可逆的疾患として対置されてきた。しかしながら、近年では発達障害との鑑別や、適応障害に包含されるような軽症うつ病の増加など、従来の分類がもはや現実の多様な臨床像を十分に説明できないという問題も浮上している。

また、DSM-5においては、初診時にはまず「大うつ病性障害(MDD)」と診断され、抗うつ薬が開始されるというプロトコルが暗黙のうちに共有されている。こうした診断の初期バイアスは、統合失調症の発症初期を見落とす原因にもなり得る。

1-3. 疾患概念の相対性と臨床実践のはざまで

われわれが日常的に用いている「統合失調症」や「うつ病」といった診断名は、一定の診断基準に基づく便宜的な枠組みであり、必ずしも実体的な病態を示すものではない。こうした概念の相対性を認識したうえで、臨床的には「いま目の前にいる患者がどのような支援を必要としているのか」を見極める柔軟性が求められる。

本稿では、統合失調症とうつ病という二つの主要精神疾患を、歴史的・診断学的・神経生物学的・社会文化的な視点から多角的に対比し、両者の共通点と相違点を整理することで、より実践的かつ理論的な理解を深めることを目的とする。


参考文献

  1. American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition (DSM-5). Arlington, VA: American Psychiatric Publishing, 2013.
  2. Jablensky, A. (2000). Epidemiology of schizophrenia: the global burden of disease and disability. European Archives of Psychiatry and Clinical Neuroscience, 250(6), 274–285.
  3. Maj, M. (2005). “Psychiatric comorbidity: an artefact of current diagnostic systems?” British Journal of Psychiatry, 186(3), 182–184.
  4. Insel, T. R. (2010). Rethinking schizophrenia. Nature, 468(7321), 187–193.
  5. Sakai, M. (2020). 統合失調症とうつ病の初期鑑別と治療戦略. 精神医学, 62(10), 1123–1131.
  6. 鈴木伸一(2015)「現代精神医療と診断バイアス」『精神療法』第41巻第4号, 420–428.
  7. 岩波明(2019)『精神科医が見た うつ病と統合失調症の境界』日本評論社.

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