第2章 鑑別診断の歴史的変遷と診断基準の考察
2-1. クラペリンによる精神疾患の分類
20世紀初頭の精神医学における大きな転換点は、エミール・クラペリン(Emil Kraepelin)による精神疾患の「二大疾患仮説(Dichotomie)」の提唱であった。彼は、多彩な精神病症状を経過や予後に基づいて大きく2群に分類し、早発性痴呆(Dementia Praecox)(のちの統合失調症)と躁うつ病(Manisch-depressives Irresein)(現在のうつ病を含む気分障害)を区別した。
この分類は、現在に至るまで精神疾患の診断体系に強い影響を与えており、統合失調症=慢性かつ進行性、うつ病=エピソード性かつ可逆的という認識が、基本的な枠組みとして定着した。
2-2. シュナイダーによる一級症状とその影響
第二次世界大戦後には、**クルト・シュナイダー(Kurt Schneider)**が登場し、統合失調症の診断において「一級症状(first-rank symptoms)」を提唱した。これは、
- 思考伝播
- 思考奪取
- 幻聴(対話形式の幻聴や思考内容への実況中継)
- 被影響体験
などを含み、これらの症状を有することが統合失調症の診断上、決定的であるとされた。シュナイダーのこの観点は、症状の質的な特異性に着目した臨床診断を導入し、従来のクラペリン的な「経過主義」を補完するものとなった。
一方で、シュナイダー症状はうつ病における精神病性特徴(例:罪業妄想、貧困妄想、幻聴など)とも一部重なり得ることから、診断の実用性には限界もあると指摘されてきた。
2-3. DSM・ICDの時代と診断の操作的基準
1980年のDSM-III以降、精神疾患の診断は**操作的診断基準(operational criteria)にもとづく方式へと移行した。これは、観察可能な症状とその持続期間、障害の程度などを明文化し、客観的診断の再現性を高めることを目指したものである。統合失調症とうつ病も、それぞれの診断基準に明確な定義が設けられたが、両者における精神病症状(妄想・幻覚)**の存在は、重複的に扱われている。
現代では、たとえば以下のような点が重要な鑑別要素とされる:
- 気分一致性:精神病性うつ病では妄想・幻覚が気分に一致する傾向(例:罪業妄想)が強いのに対し、統合失調症では気分と無関係な内容も多い。
- 病前性格・社会機能:統合失調症では病前の社会的適応の崩壊が顕著な一方、うつ病では発症前まで適応が良好なことが多い。
- 認知機能の持続的低下:統合失調症ではエピソード間でも持続する認知機能障害があるのに対し、うつ病では可逆性が高い。
2-4. 現代における診断の曖昧さと交差
とはいえ、実際の臨床現場では診断の曖昧さは依然として残っており、うつ状態を呈する統合失調症の初期例、あるいは精神病症状を伴う重症うつ病など、どちらに分類するか困難なケースが多い。また、抗精神病薬や抗うつ薬の投与によって症状が変化し、初期診断が修正されることもある。
このような臨床の現実は、統合失調症とうつ病が必ずしも互いに排他的な疾患ではなく、ある種の連続性や重なりを持つスペクトラム上の存在である可能性を示唆している。
参考文献
- Kraepelin, E. (1919). Dementia Praecox and Paraphrenia. Translated by R.M. Barclay, Chicago: University of Chicago Press.
- Schneider, K. (1959). Clinical Psychopathology. Translated by M.W. Hamilton. New York: Grune & Stratton.
- American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition (DSM-5). American Psychiatric Publishing, 2013.
- World Health Organization. International Classification of Diseases 11th Revision (ICD-11), 2019.
- Tsuang, M.T., Stone, W.S., & Faraone, S.V. (2000). Toward reformulating the diagnosis of schizophrenia. American Journal of Psychiatry, 157(7), 1041–1050.
- 岡田尊司(2014)『精神疾患はなぜ誤診されるのか』新潮社。
- 木村敏(1995)『人と人との間―精神病理学的日本論』講談社学術文庫。