第3章 神経生物学的基盤の相違と共通点
3-1. はじめに
統合失調症とうつ病は、いずれも「脳の病」として神経生物学的な理解が進んできた。かつては主として心理的要因や環境的要因から理解されていたが、近年では神経伝達物質の異常や脳構造・機能の変化、さらには遺伝的脆弱性に関する知見が蓄積しつつある。本章では、両疾患の生物学的共通点と相違点を神経科学的観点から検討する。
3-2. 神経伝達物質の異常
ドーパミン系
統合失調症においては、ドーパミン仮説(dopamine hypothesis)が長らく中心的理論とされてきた。特に、中脳辺縁系(mesolimbic pathway)におけるドーパミン活動の亢進が陽性症状(妄想・幻覚)に関与し、前頭前野(prefrontal cortex)におけるドーパミン活動の低下が陰性症状や認知機能障害に寄与するというモデルがある。
一方、うつ病では、ドーパミンの減少が**無快感症(anhedonia)**や意欲低下に関係しているとされる。つまり、統合失調症では過剰、うつ病では不足という、方向性の違いが見られるものの、両者ともドーパミン系の調節異常を共有している。
セロトニン系とノルアドレナリン系
うつ病では、モノアミン仮説に基づき、セロトニン(5-HT)とノルアドレナリンの不足が中心的病態とされている。この仮説は、SSRIやSNRIなどの抗うつ薬が有効であることによって支持されている。
一方、統合失調症でも、近年ではセロトニン系(特に5-HT2A受容体)が注目されており、第2世代抗精神病薬(例:リスペリドン、オランザピン)はセロトニン・ドーパミン拮抗薬(SDA)として作用する。すなわち、セロトニン系の異常も両疾患に共通して関与していると考えられる。
3-3. 神経回路と脳構造の変化
統合失調症の特徴
MRIやfMRIなどの神経画像研究により、統合失調症では以下のような構造的・機能的変化が報告されている:
- 側脳室の拡大
- 前頭前野の灰白質減少
- 海馬の容積減少
- デフォルトモードネットワーク(DMN)の異常活動
うつ病の特徴
うつ病では、海馬の萎縮が繰り返し指摘されており、慢性的ストレスや高コルチゾール状態との関連が示唆されている。また、
- 扁桃体の過活動
- 前部帯状回の低活動
- DMNの過活動と制御困難
などがうつ病の神経機能的特徴として挙げられている。
両疾患において、**前頭前野—辺縁系の接続不全(disconnection)**という共通点が存在し、感情調整機能の破綻が精神病症状や抑うつ気分に関与する可能性が示唆されている。
3-4. 神経炎症仮説とグリア細胞の関与
最近では、両疾患に共通する基盤として**慢性神経炎症(neuroinflammation)**が注目されている。ミクログリアの活性化、サイトカイン(例:IL-6, TNF-α)の増加が報告されており、脳内の炎症が神経伝達や可塑性を変化させ、症状に影響を与える可能性がある。
この神経炎症仮説は、抗炎症薬やミクログリア抑制薬による治療戦略の開発にもつながっている。
3-5. 脳の発達と可塑性の観点から
統合失調症は神経発達障害の側面が強く、思春期以前の脳構造や可塑性の変化が病態形成に影響している。一方、うつ病は成人期以降のストレス負荷による神経可塑性の障害(特に海馬の神経新生抑制)が主因とされることが多い。したがって、発症時期や神経可塑性の局所的脆弱性にも違いがある。
3-6. 結語
統合失調症とうつ病はいずれも神経伝達系の異常、脳構造の変化、炎症反応の関与という観点で共通する点を持ちながらも、その発症メカニズムの方向性、病態進行、症状表現において重要な差異を有している。これらの知見は、将来的なバイオマーカーの開発や個別化医療への応用に資するものと期待される。
参考文献
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- 岡野栄之・林朗子編(2021)『神経精神医学入門』医学書院
- 宮岡等・樋口輝彦監修(2017)『精神疾患の脳科学的理解』中外医学社