第9章 遺伝的・環境的要因の比較と発症メカニズム
9-1. はじめに
精神疾患の発症には、遺伝的素因と環境要因の相互作用が重要な役割を果たすことが広く認識されている。統合失調症とうつ病はいずれもこの両側面を持つが、遺伝の寄与率や環境的な誘因の特性には相違がみられる。本章では、遺伝・環境両面から両疾患の発症リスクに関する研究を概観し、共通点と相違点を明らかにする。
9-2. 統合失調症における遺伝的要因と環境要因
遺伝的素因
統合失調症の遺伝率は約70〜80%と推定されており、精神疾患の中でも遺伝の関与が強い疾患である(Gottesman, 1991)。近年のゲノムワイド関連解析(GWAS)では、100を超える関連遺伝子領域が特定されており、主にドーパミン機能や神経発達関連遺伝子の異常が注目されている(Schizophrenia Working Group of the Psychiatric Genomics Consortium, 2014)。
環境要因
一方で、統合失調症は以下のような環境要因の影響も受ける。
- 出生前・周産期の合併症(低出生体重、母体の感染症など)
- 都市部での育成
- 移民経験
- 幼少期のトラウマや虐待経験
これらの因子は、神経発達を阻害し、後年の発症リスクを高めると考えられている。
9-3. うつ病における遺伝的要因と環境要因
遺伝的素因
うつ病の遺伝率は約35〜40%とされており、統合失調症よりも遺伝の影響はやや弱い(Sullivan et al., 2000)。しかし、家族性は明らかであり、特に重症の反復性うつ病では強く遺伝的要因が関与していると考えられている。5-HTTLPR(セロトニントランスポーター遺伝子)多型とストレスとの相互作用に注目が集まっている。
環境要因
うつ病は環境的ストレスに対して非常に感受性が高く、次のような因子が発症に関連している。
- 早期の喪失体験(親の死別など)
- 虐待、ネグレクト、トラウマ
- 慢性的なストレス(職場・家庭など)
- 社会的孤立やサポートの欠如
環境ストレスに対する脆弱性が個人ごとに異なる「脆弱性ストレスモデル」は、うつ病の理解において重要な枠組みである。
9-4. 共通点と相違点の比較
視点 | 統合失調症 | うつ病 |
---|---|---|
遺伝率 | 高い(約70〜80%) | 中程度(約35〜40%) |
遺伝子のタイプ | 神経発達・シナプス関連遺伝子(例:COMT, DISC1) | 神経伝達系・ストレス反応関連(例:5-HTTLPR) |
環境因子の影響 | 周産期・都市化・移民・トラウマ | 喪失体験・虐待・慢性ストレス |
遺伝と環境の相互作用 | 神経発達の異常がトリガー | ストレスに対する脆弱性と調整能力の破綻 |
9-5. 両者の発症メカニズムにおける共通構造
近年の研究では、両疾患に共通する脳内ネットワークの異常や、炎症や神経免疫系の関与も指摘されており、「精神疾患のスペクトラム的理解」が進んでいる。たとえば、前帯状皮質や扁桃体の機能異常は、両疾患に共通して報告される領域である(Mayberg, 1997)。
9-6. 結語
統合失調症とうつ病は、いずれも遺伝的素因と環境要因の複雑な相互作用によって発症する疾患である。前者は神経発達の異常という視点から、後者は環境ストレスに対する反応という視点から理解が進められてきたが、両者には共通する脳機能の脆弱性もあり、完全に分離できるものではない。本章の知見は、次章の神経生物学的メカニズムの理解へとつながっていく。
参考文献
- Gottesman, I. I. (1991). Schizophrenia Genesis: The Origins of Madness. Freeman.
- Schizophrenia Working Group of the Psychiatric Genomics Consortium. (2014). Biological insights from 108 schizophrenia-associated genetic loci. Nature, 511(7510), 421–427.
- Sullivan, P. F., Neale, M. C., & Kendler, K. S. (2000). Genetic epidemiology of major depression: Review and meta-analysis. American Journal of Psychiatry, 157(10), 1552–1562.
- Mayberg, H. S. (1997). Limbic-cortical dysregulation: A proposed model of depression. Journal of Neuropsychiatry and Clinical Neurosciences, 9(3), 471–481.