社会という患者――麻酔が効きすぎた国の臨床所見
臨床の場では、しばしば似た光景に出会う。
症状は進行しているのに、本人はどこか落ち着いている。
不安は語られるが、切迫感がない。
理由ははっきりしている。麻酔が効いているからだ。
いまの日本社会を診るとき、私はしばしば同じ感覚を覚える。
1.資本と権力は「衝動制御障害」を起こす
ピケティが描いた資本主義の構図は、臨床的に見れば分かりやすい。
資本と権力は、衝動制御が効かない。
・成功体験が報酬系を過剰に刺激する
・抑制系(倫理・公共性・長期的視点)が弱まる
・「もっと」「まだ足りない」が止まらない
これは個人の人格の問題ではない。
構造的に、そうなる。
衝動が制御されないと、自己肥大化が起きる。
肥大化したものは、必ず周囲の資源を吸い上げる。
その結果、労働者や若年世代は慢性的な消耗状態に置かれる。
これは搾取というより、慢性疾患に近い。
2.民主主義は「拡大鏡としての症状増幅装置」
民主主義は万能薬ではない。
臨床で言えば、症状を可視化する検査機器に近い。
問題は、その検査結果が、必ずしも「全体像」を映すとは限らないことだ。
日本の選挙制度では、
少数の強い衝動(怒り・恐怖・敵意)が、
拡大鏡を通して全人格のように映る。
自民党内の極右勢力は、
人数としては少ない。
理論的基盤も脆弱だ。
しかし、
・低投票率
・党内選挙という閉鎖空間
・対立の単純化
これらが重なると、
一部の症状が、全体を代表しているかのように錯覚される。
臨床で言えば、
一つの強い症状だけを見て、診断を確定してしまう状態に近い。
3.防衛族とITゼネコン――「共依存」の形成
軍事費拡張、防衛族、霞が関、ITゼネコン。
この連関は、臨床的には共依存関係として読むのが自然だ。
・恐怖(外敵)を強調する
・不安が高まる
・「守ってあげる」という役割が強化される
・予算と権限が拡大する
恐怖は、依存を生む。
依存は、権力を正当化する。
本人(国民)は、
「守られている」と感じて安心する。
だが実際には、自律性が奪われていく。
4.アメリカと日本――治療者を装った加害者
日本と韓国は、アメリカにとって長らく「優等生」だった。
勤勉で、反抗せず、期待に応え続けた。
しかし最近の軍事費要求は、
臨床的には過剰な要求を突きつける養育者の振る舞いに近い。
・「君のためだ」
・「安全のためだ」
・「責任を果たせ」
その結果、
体力(人口・経済)が衰え、
未来(出生率)が失われていく。
これは治療ではない。
慢性的な負荷による衰弱である。
5.86兆円――現実検討能力の低下
86兆円を国外投資として差し出すという判断は、
臨床で言えば現実検討能力の低下を疑う水準だ。
・合理的説明がない
・将来リスクの評価がなされていない
・「仕方がない」という諦めが支配している
それでも社会が大きく反応しないのは、
直面化を避けているからだ。
人は、耐えがたい現実を前にすると、
「大丈夫だ」という言葉にすがる。
6.国家主義とアベノミクス――強力な鎮静剤
国家主義も、アベノミクス再演論も、
臨床的には即効性のある鎮静剤に近い。
・不安が一時的に下がる
・高揚感が生まれる
・「まだやれる」という万能感が戻る
しかし副作用がある。
・依存が形成される
・現実への適応力が落ちる
・長期的な回復が遅れる
しかも、代替治療案が提示されない。
だから、同じ薬が繰り返し処方される。
7.形式としての民主主義――治療同意の問題
民主主義は「形式」に過ぎない。
だが臨床で言えば、それは治療同意に相当する。
同意なき治療は、
たとえ結果が良く見えても、暴力である。
「内容が良ければ独裁でもいい」という発想は、
患者の同意を無視して治療することを正当化する論理だ。
それは、回復ではなく、支配である。
8.非核三原則――空文化した境界線
非核三原則の「持ち込ませず」は、
すでに象徴的意味しか持っていない。
臨床で言えば、
形骸化した境界線だ。
しかし、それをわざわざ壊そうとするのは、
他の境界――
「作らず」「持たず」まで崩したい衝動の表れだろう。
境界が壊れるとき、
人は一時的に「自由」になる。
だが同時に、不安は跳ね上がる。
結語:回復とは、麻酔を切ることから始まる
回復モデルで言えば、
いまの日本は前熟考期にある。
問題は薄々分かっている。
だが、直視する準備ができていない。
必要なのは、
もっと強い麻酔ではない。
安全に麻酔を切り、痛みを言語化し、共有するプロセスだ。
資本と権力の肥大化は、病理である。
民主主義は、それを治す魔法ではない。
だが、回復のための最低条件ではある。
痛みを引き受ける覚悟なしに、
社会は回復しない。
