ポスト資本主義的民主主義への構想
資本の論理を超えた民主的社会の可能性
序論:ポスト資本主義とは何か
「ポスト資本主義」という言葉は、曖昧である。それは単に資本主義の「後」を意味するのか。それとも、資本主義を「超える」何かを意味するのか。歴史を振り返れば、資本主義に代わるシステムとして社会主義・共産主義が試みられたが、その多くは失敗に終わった。それでもなお、ポスト資本主義を構想する意義はあるのか。
本稿で構想する「ポスト資本主義的民主主義」は、二つの軸を持つ。第一に、経済システムとして、資本の無制限な蓄積と支配を超えること。第二に、政治システムとして、民主主義的プロセスを維持し、むしろ深化させること。
重要なのは、20世紀の社会主義の失敗から学ぶことである。中央集権的な計画経済は、非効率であり、権力の腐敗を招き、個人の自由を抑圧した。ポスト資本主義は、これらの過ちを繰り返してはならない。市場メカニズムの利点を活かしつつ、資本の支配を克服する——この困難な課題に取り組まなければならない。
以下、経済的基盤、政治的プロセス、技術的条件、移行戦略という四つの側面から、ポスト資本主義的民主主義の構想を展開する。
第一章 経済的基盤の再構築
1-1. 所有形態の多元化
資本主義の核心は、生産手段の私的所有である。資本家が工場、機械、土地を所有し、労働者はそれらを使って働く。この所有関係が、資本による支配を生み出す。ポスト資本主義は、この所有形態を変革しなければならない。
しかし、20世紀の社会主義のように、全てを国有化することは解決策ではない。国有化は、私的資本家を国家官僚に置き換えるだけで、支配の構造を変えない。むしろ必要なのは、所有形態の多元化である。
第一に、協同組合である。労働者が企業を共同所有し、民主的に経営する。モンドラゴン協同組合(スペイン)は、7万人以上を雇用し、売上高は数十億ユーロに達する。労働者協同組合は、利益を公平に分配し、雇用を守り、地域に貢献する。資本主義企業のような株主至上主義に陥らない。
第二に、社会的企業である。利潤追求ではなく、社会的使命を優先する企業形態。環境保護、貧困削減、教育、医療——こうした分野で、社会的企業は重要な役割を果たす。利益は、株主配当ではなく、社会的使命に再投資される。
第三に、コモンズ(共有財)である。水、森林、知識、文化——これらは、誰か一人が所有すべきものではない。コミュニティが共同で管理し、持続可能な形で利用する。エリノア・オストロムのコモンズ研究が示したように、共有財は、私的所有でも国有でもない、第三の道として機能しうる。
第四に、公共所有である。ただし、官僚的国有ではなく、民主的な公共所有である。公共交通、エネルギー、水道、教育、医療——これらの基幹サービスは、利潤追求の対象ではなく、公共財として提供されるべきである。重要なのは、公共企業の経営に市民が参加し、監視することである。
所有形態の多元化は、単一の支配原理を排除する。資本の論理だけが支配するのでもなく、国家の論理だけが支配するのでもない。協同組合、社会的企業、コモンズ、公共所有、そして一定範囲での私企業——これらが共存し、相互に牽制し、バランスを取る社会。これがポスト資本主義の経済的基盤である。
1-2. 労働の再定義
資本主義において、労働は商品である。労働者は労働力を売り、資本家は労働力を買う。この関係は、本質的に不平等である。なぜなら、資本家は生産手段を所有し、労働者は所有しないからである。労働者は、働かなければ生きていけない。資本家は、その弱みにつけこむ。
ポスト資本主義は、労働を商品の地位から解放しなければならない。その第一歩は、ベーシックインカム(基礎所得保障)である。全ての市民に、無条件で、生活に必要な最低限の所得を保障する。これにより、人々は「働かなければ死ぬ」という強制から解放される。
ベーシックインカムに対しては、「人々が働かなくなる」という批判がある。しかし実証研究は、この懸念を否定している。フィンランド、ケニア、カナダでの実験では、ベーシックインカム受給者の就労率は低下しなかった。むしろ、起業、教育、ケア労働など、資本主義では評価されにくい活動に従事する人が増えた。
ベーシックインカムは、労働市場における力関係を変える。労働者は、劣悪な労働条件を拒否できる。「この仕事が嫌なら辞めろ」という資本家の脅しは、効力を失う。労働者は、より良い労働条件、より意義のある仕事を求めることができる。
さらに、労働時間の短縮である。資本主義は、労働生産性を飛躍的に向上させた。しかし、その果実は、労働時間の短縮ではなく、より多くの消費に向けられた。人々は、より多く働き、より多く稼ぎ、より多く消費する。この悪循環を断ち切らなければならない。
週40時間労働は、100年前の水準である。現在の生産性を考えれば、週20〜30時間で十分な生活水準を維持できる。労働時間の短縮は、雇用を増やし、ワークライフバランスを改善し、人々が民主的活動に参加する時間を生み出す。民主主義には時間が必要である。資本主義は、その時間を奪ってきた。
ポスト資本主義における労働は、生存のための強制ではなく、自己実現と社会貢献の手段である。人々は、ベーシックインカムによって生存を保障され、短縮された労働時間の中で有償労働に従事し、残りの時間を家族、友人、コミュニティ、学習、創造、民主的参加に充てる。これが、労働の再定義である。
1-3. 金融の民主的統制
現代資本主義において、金融は巨大な権力を持つ。銀行と投資家が、資金の流れを支配し、企業の行動を決定し、政府の政策に影響を与える。2008年の金融危機が示したように、金融の暴走は社会全体を破壊しうる。
ポスト資本主義は、金融を民主的統制下に置かなければならない。その第一の手段は、公共銀行である。ドイツの貯蓄銀行、日本のかつての郵便貯金——これらは、利潤極大化ではなく、公共の利益に奉仕した。地域への融資、中小企業支援、インフラ投資——公共銀行は、長期的・社会的視点から資金を配分する。
第二に、中央銀行の民主化である。現在、多くの国で中央銀行は「独立」している。しかし、この独立は、民主的統制からの独立を意味し、しばしば金融業界の利益に奉仕する独立になっている。中央銀行の政策目標を、雇用、環境、平等を含む形で再定義し、その運営に市民が参加する仕組みを作る必要がある。
第三に、金融取引税である。短期的な投機取引に課税し、その収入を公共目的に使う。トービン税の提案は古くからあるが、実現していない。なぜなら、金融業界が反対するからである。しかし、ポスト資本主義においては、金融業界の利益が絶対的価値ではない。社会的必要が優先される。
第四に、投資の社会的方向付けである。年金基金、保険、投資ファンド——これらは巨額の資金を運用している。しかし、その投資基準は、主に短期的リターンである。環境破壊、人権侵害、労働搾取——こうした問題は二の次である。ポスト資本主義では、投資に社会的・環境的基準を課す。化石燃料からのダイベストメント(投資引き揚げ)は、その先駆けである。
金融の民主的統制は、資本の専制を終わらせる。金融は、社会に奉仕する道具であって、社会を支配する主人ではない。この原則を確立することが、ポスト資本主義の核心課題の一つである。
1-4. 生態学的限界の認識
資本主義は、無限の成長を前提とする。企業は成長しなければならない。経済は成長しなければならない。しかし、地球は有限である。資源は有限であり、環境の吸収能力も有限である。無限の成長と有限の地球——この矛盾は、もはや無視できない。
気候変動、生物多様性の喪失、資源枯渇——これらは、成長至上主義の帰結である。ポスト資本主義は、脱成長(degrowth)あるいは定常経済を志向しなければならない。これは、貧困への後退を意味しない。むしろ、豊かさの再定義である。
GDPではなく、ウェルビーイング(幸福)を目標とする。物質的消費ではなく、時間、関係性、健康、文化、自然——これらを豊かさの指標とする。ブータンの国民総幸福(GNH)、ニュージーランドの幸福予算——これらは、代替的指標の試みである。
循環経済も重要である。資源を採取し、使用し、廃棄する——この直線的モデルを、循環モデルに転換する。製品の長寿命化、修理可能性、リサイクル、再利用——これらを経済の基本原則とする。計画的陳腐化(わざと壊れやすく作る)は禁止される。
生態学的限界の認識は、ポスト資本主義を現実の必要性にする。資本主義のもとでの無限の成長は、文明の自滅を意味する。生き残るためには、成長を超えなければならない。これは、道徳的要請であると同時に、実践的要請でもある。
第二章 民主主義プロセスの深化
2-1. 参加民主主義の拡大
現代の民主主義は、主に代表民主主義である。市民は数年に一度投票し、政治家に権限を委任する。しかしこのシステムには限界がある。政治家は選挙後、公約を破る。市民は、次の選挙まで影響力を行使できない。代表民主主義は、受動的市民を生み出す。
ポスト資本主義的民主主義は、参加民主主義を拡大しなければならない。市民が、日常的に、直接的に、政策決定に関与する。スイスの直接民主制、ブラジルのポルト・アレグレの参加型予算——これらは、参加民主主義の実例である。
参加型予算では、市民が地域の予算配分を決定する。公聴会、地域集会、投票——このプロセスを通じて、市民は予算の優先順位を議論し、決定する。これは、市民を政治の消費者から、政治の生産者へと転換する。
市民議会(Citizens’ Assembly)も重要な手法である。無作為抽出で選ばれた市民が、特定の課題について学習し、議論し、提言をまとめる。アイルランドの市民議会は、中絶合法化と同性婚について審議し、その提言は国民投票で承認された。専門家でも政治家でもない、普通の市民が、複雑な問題について熟慮し、合理的な結論に達することができる。
参加民主主義は、時間と労力を要する。だからこそ、労働時間の短縮が必要なのである。民主主義は、市民の余暇の上に成り立つ。資本主義が奪った時間を、民主主義に取り戻す。
2-2. 職場の民主化
人々は、人生の大半を職場で過ごす。しかし、職場は典型的に独裁的である。経営者が命令し、労働者が服従する。これは、民主主義社会における矛盾である。政治では市民だが、職場では臣民——この二重性は、民主主義を空洞化させる。
ポスト資本主義は、職場の民主化を実現しなければならない。労働者が、企業経営に参加し、意思決定に関与する。ドイツの共同決定制度は、その一例である。大企業の監査役会の半数は、労働者代表が占める。重要な経営判断は、労働者の同意なしには行えない。
より徹底した形態は、労働者自主管理である。旧ユーゴスラビアでは、企業が労働者評議会によって運営された。アルゼンチンでは、経営破綻した企業を労働者が占拠し、協同組合として再建した例が数百件ある。これらの企業は、利潤極大化ではなく、雇用維持と労働条件改善を優先する。
職場の民主化は、経済的効果も持つ。研究によれば、労働者参加企業は、生産性が高く、離職率が低く、イノベーションが活発である。なぜなら、労働者は自分の企業に帰属意識を持ち、積極的にアイデアを出し、問題解決に貢献するからである。
さらに重要なのは、教育的効果である。職場の民主化は、市民を訓練する。議論、妥協、合意形成、責任——これらの民主的スキルは、職場での実践を通じて身につく。民主主義は、学校で教科書から学ぶだけでなく、日常の実践を通じて学ばれる。
2-3. デジタル民主主義の可能性と危険
デジタル技術は、民主主義を変革する潜在力を持つ。電子投票、オンライン討論、クラウドソーシング——これらは、市民参加のコストを劇的に低減する。しかし、技術は中立的ではない。どのように設計され、誰が支配するかによって、民主主義を強化もすれば、破壊もする。
台湾のvTaiwanプラットフォームは、デジタル民主主義の成功例である。市民が政策提案を行い、議論し、合意形成を図る。このプラットフォームを通じて、Uberの規制、酒のオンライン販売など、争点の多い問題について合意が形成された。重要なのは、アルゴリズムが対立を煽るのではなく、合意点を見出すように設計されていることである。
アイスランドでは、クラウドソーシングで憲法草案が作成された。数千人の市民がオンラインで意見を提出し、憲法評議会がそれを参考に草案を作成した。これは、憲法制定という最も根本的な政治行為への、市民の直接参加である。
しかし、デジタル民主主義には危険もある。第一に、デジタル・デバイド(情報格差)である。高齢者、低所得層、農村部——これらの人々は、デジタル技術へのアクセスが限られている。デジタル民主主義が、これらの声を排除してはならない。
第二に、操作の危険である。ボット、フェイクアカウント、アルゴリズム操作——これらは、デジタル民主主義を歪める。ロシアの2016年アメリカ選挙介入は、この危険を示した。デジタル民主主義には、強力なセキュリティと透明性が必要である。
第三に、熟慮の欠如である。オンライン投票は簡単だが、それは熟慮された判断を保証しない。クリック一つで投票できることは、クリック一つで操作されることを意味する。デジタル民主主義は、参加のコストを下げるが、同時に思考のコストも下げてはならない。オンライン討論、情報提供、熟慮のための時間——これらを組み込んだ設計が必要である。
2-4. 多層的ガバナンスと補完性原理
民主主義は、どの規模で機能すべきか。国民国家か、地方自治体か、グローバルか。答えは、全てである。異なる規模の問題には、異なる規模のガバナンスが必要である。
補完性原理(subsidiarity)が重要である。決定は、可能な限り下位のレベルで行われるべきである。地域の問題は地域で決定し、国家レベルでは地域で決定できない問題のみを扱い、グローバルレベルでは国家を超える問題のみを扱う。
都市は、民主的実験の場として重要である。バルセロナ、ボローニャ、ジャクソン(ミシシッピ州)——これらの都市では、ポスト資本主義的政策が試みられている。協同組合の支援、参加型予算、再地域化、エネルギー民主化——国家レベルでは困難な改革が、都市レベルでは実現可能である。
同時に、グローバルな民主主義も必要である。気候変動、パンデミック、金融危機、難民——これらは国境を越える問題であり、国民国家単独では対処できない。しかし、現在のグローバル・ガバナンスは民主的ではない。
グローバル市民議会、国際的な国民投票、世界議会——これらは空想的に聞こえるかもしれない。しかし、グローバルな問題がグローバルな民主主義を要求している以上、何らかの形での制度化が必要である。国連改革、国際機関の民主化——これらは、その第一歩となりうる。
第三章 技術的条件と知識の民主化
3-1. オープンソースとコモンズとしての知識
資本主義は、知識を私有化する。特許、著作権、企業秘密——これらは、知識へのアクセスを制限し、イノベーションを阻害する。製薬企業は、薬の特許で莫大な利益を得るが、その間、途上国の患者は治療を受けられない。
ポスト資本主義は、知識をコモンズ(共有財)として扱う。オープンソース・ソフトウェアは、その先駆けである。Linux、Wikipedia、Creative Commons——これらは、知識の共有と協働による創造を示している。
オープンソースは、驚くべき成果を上げている。Linuxは、世界中のサーバーの大半を動かしている。Wikipediaは、人類史上最大の百科事典である。これらは、利潤動機ではなく、共有と協働の精神によって作られた。
科学研究も、オープンアクセスへと移行しつつある。研究論文を、誰でも無料で読めるようにする。これは、知識の民主化である。現在、多くの学術論文は、高額な購読料を払わなければ読めない。これは、知識を特権階級に独占させることを意味する。
知識のコモンズ化は、イノベーションを加速させる。なぜなら、誰もが既存の知識を基礎として、新しい知識を生み出せるからである。特許制度は、イノベーションを促進すると主張される。しかし実際には、特許は他者の研究を阻害し、「特許の藪」を作り出している。知識の共有こそが、真のイノベーションを生む。
3-2. 人工知能と自動化の民主的管理
人工知能と自動化は、労働の性質を根本的に変えつつある。楽観的な見方では、これは人類を単純労働から解放し、創造的活動に専念できるようにする。悲観的な見方では、これは大量失業と格差拡大を招く。どちらになるかは、技術それ自体ではなく、社会システムによって決まる。
資本主義のもとでは、自動化は資本家の利益になる。労働者を機械に置き換え、人件費を削減し、利潤を増やす。労働者は失業し、賃金は下がり、不平等は拡大する。自動化の果実は、資本家に独占される。
ポスト資本主義では、自動化の果実は社会全体で共有される。ロボット税——自動化によって得られた利益に課税し、ベーシックインカムの財源とする——という提案がある。あるいは、自動化された生産手段を、社会的に所有する。工場が完全自動化されたとき、その工場は誰のものか。株主のものではなく、社会のものである。
人工知能の開発も、民主的統制下に置かれるべきである。現在、AIの開発は、巨大IT企業に集中している。彼らは、AIを何のために使うかを決定する。監視、広告、操作——これらは、企業の利益には資するが、社会の利益には反する。
AIの開発目標を、社会的に決定する必要がある。医療診断、気候変動対策、教育支援——AIは、これらの分野で人類に貢献できる。しかし、それは利潤動機に任せていては実現しない。公的資金による研究、オープンソースのAI、市民参加による優先順位決定——これらが必要である。
さらに、AIの透明性とアカウンタビリティが重要である。AIがどのように判断を下すか、そのアルゴリズムは公開されるべきである。ブラックボックスのAIに、人々の運命を委ねてはならない。AIによる差別、偏見、エラー——これらを監視し、是正する仕組みが必要である。
3-3. エネルギー民主主義
エネルギーは、現代社会の基盤である。そして、エネルギーシステムは、権力構造を反映する。化石燃料資本主義では、石油企業とエネルギー独占企業が、エネルギーを支配してきた。この支配は、経済的利益だけでなく、政治的権力ももたらした。
再生可能エネルギーは、この権力構造を変革する潜在力を持つ。太陽光、風力は、分散型である。どこでも、誰でも生産できる。これは、エネルギーの民主化を可能にする。
ドイツのエネルギー転換(Energiewende)では、市民エネルギー協同組合が重要な役割を果たした。地域住民が共同で、太陽光パネルや風力タービンに投資し、所有し、利益を分配する。エネルギーは、遠くの大企業が供給するものではなく、地域が自ら生産するものになる。
エネルギー民主主義は、環境的にも、経済的にも、政治的にも意義がある。環境的には、再生可能エネルギーへの転換を加速する。経済的には、エネルギー費用を地域に還流させる。政治的には、市民がエネルギー政策に参加し、エネルギー企業の権力を制約する。
ポスト資本主義のエネルギーシステムは、公共所有、協同組合所有、コミュニティ所有の組み合わせである。送電網は公共インフラとして社会的に所有され、発電は地域の協同組合やコミュニティが行う。エネルギー政策は、利潤極大化ではなく、持続可能性と公平性を目標とする。
第四章 移行戦略:いかにして到達するか
4-1. 改良か革命か
ポスト資本主義への移行は、どのように実現されるのか。この問いをめぐって、左派は長く分裂してきた。改良主義者は、漸進的改革を主張する。民主的プロセスを通じて、少しずつ資本主義を改革し、最終的に変革する。革命主義者は、これを幻想だと批判する。資本主義は改革不可能であり、革命的転覆が必要だと主張する。
歴史を見れば、両者とも部分的に正しく、部分的に間違っている。20世紀の社会民主主義は、改良主義の成功例である。福祉国家、労働法、社会保障——これらは革命なしに実現された。しかし、これらの改革は資本主義を超えなかった。1980年代以降の新自由主義は、多くの成果を巻き戻した。
他方、20世紀の革命の多くは、悲劇に終わった。ロシア革命、中国革命——これらは資本主義を打倒したが、民主主義も破壊した。独裁、粛清、経済的非効率——革命の代償は、あまりにも大きかった。
ポスト資本主義への現実的な道は、「非改良的改革」(non-reformist reforms)である。これは、アンドレ・ゴルツが提唱した概念で、資本主義の枠内での改革でありながら、資本主義の論理を超える契機を含む改革である。
例えば、労働者協同組合の支援は、非改良的改革である。それは資本主義社会でも実現可能だが、同時に資本主義的所有関係を超える。ベーシックインカムも同様である。それは現行制度の改革として導入できるが、労働の商品化を解除し、資本主義の根本原理に挑戦する。
移行は、急進的な長期目標と、漸進的な短期戦略の組み合わせである。目標を妥協してはならないが、一挙に実現しようとしてもならない。一つ一つの改革を積み重ね、それらが相互に強化し合い、最終的に質的転換を生み出す——これが、現実的な移行戦略である。
4-2. 社会運動の役割
ポスト資本主義は、上から与えられるものではない。下から、社会運動によって獲得されるものである。歴史上の全ての進歩的改革——奴隷制廃止、普通選挙権、労働法、公民権——は、社会運動の成果である。
21世紀の社会運動は、新しい形態を取っている。オキュパイ運動、気候正義運動、Black Lives Matter、フェミニズムの新しい波——これらは、従来の労働運動とは異なる。より水平的で、より多様で、より文化的である。
これらの運動の強みは、新しい価値観を提示することである。資本主義の論理——競争、成長、消費——に対して、連帯、持続可能性、ケアの価値を対置する。これは、文化的ヘゲモニーをめぐる闘いである。
しかし、社会運動だけでは不十分である。運動は、制度化されなければ持続しない。運動のエネルギーを、法律、政策、組織へと変換する必要がある。これには、政党、議会、政府との関わりが不可欠である。
理想的には、社会運動と政治的代表が相互に強化する。運動が圧力をかけ、政治家が法制化する。政治家が限界に直面したとき、運動が突破口を開く。スペインのポデモス、ギリシャのシリザ——これらは、運動と政党の接合を試みた例である。成功と失敗の両方から学ぶ必要がある。
4-3. プレフィギュラティブ・ポリティクス
「目的は手段を正当化する」という原則は、20世紀の左派を破滅させた。社会主義を実現するために、独裁が正当化された。平等を実現するために、自由が犠牲にされた。この誤りを繰り返してはならない。
プレフィギュラティブ・ポリティクス(prefigurative politics)は、手段と目的の一致を主張する。未来の社会を、現在の運動の中で先取りする。民主的な社会を目指すなら、運動も民主的でなければならない。平等な社会を目指すなら、運動も平等でなければならない。
協同組合、コミュニティ菜園、時間銀行、相互扶助ネットワーク——これらは、プレフィギュラティブな実践である。資本主義社会の中で、ポスト資本主義的関係を創り出す。これらは、単なる実験ではない。それらは、代替的な生き方が可能であることを示し、人々の想像力を解放する。
プレフィギュラティブ・ポリティクスには限界もある。小規模な実践だけでは、システムを変えられない。資本主義の海に浮かぶ小島は、いずれ飲み込まれる。だからこそ、プレフィギュラティブな実践と、システム的変革の追求を、組み合わせる必要がある。
プレフィギュラティブな実践は、「ここに別の世界が可能だ」と示す。システム的変革は、「別の世界を普遍化する」と追求する。両者は相補的である。実践なき変革は空虚であり、変革なき実践は無力である。
4-4. 危機と転換の契機
歴史は、危機の時に大きく動く。大恐慌はニューディールを生み、第二次世界大戦は福祉国家を生んだ。2008年金融危機は、オキュパイ運動を生み、新自由主義への疑問を広げた。2020年のパンデミックは、国家の役割と経済の優先順位を再考させた。
危機それ自体は、進歩を保証しない。危機は、左にも右にも動きうる。1930年代のドイツでは、危機がファシズムを生んだ。重要なのは、危機の時に、代替案を提示できる準備ができているかどうかである。
気候危機は、おそらく今世紀最大の危機である。それは、資本主義の存続可能性そのものを問う。無限の成長と有限の地球——この矛盾は、もはや先延ばしできない。気候危機への対応は、必然的に、ポスト資本主義への移行を含む。
グリーン・ニューディールは、その可能性を示している。再生可能エネルギーへの大規模投資、グリーン・ジョブの創出、公正な移行——これらは、気候対策であると同時に、経済システムの変革でもある。化石燃料資本主義から、再生可能エネルギーに基づく民主的経済への転換。
危機を無駄にしてはならない。それは、ラディカルな変革の窓を開く。しかし、その窓は短時間しか開かない。準備ができていなければ、機会は失われる。だからこそ、平時における構想、組織化、運動構築が重要なのである。
第五章 課題と批判への応答
5-1. 効率性の問題
ポスト資本主義への最も一般的な批判は、効率性の欠如である。資本主義は、競争を通じて効率性を実現する。利潤動機が、イノベーションを駆動する。市場メカニズムが、資源を最適配分する。これらなしに、経済は機能するのか。
この批判には、三つの応答がある。第一に、資本主義の効率性は限定的である。それは、利潤を生む活動の効率性であって、社会的価値を生む活動の効率性ではない。ケア労働、環境保全、文化創造——これらは利潤を生まないため、資本主義は過小評価する。真の効率性は、人間のニーズ充足の効率性であるべきだ。
第二に、市場メカニズムを全て否定する必要はない。ポスト資本主義は、市場社会主義の要素を含みうる。協同組合間の競争、価格メカニズムによる調整——これらは、中央計画よりも効率的でありうる。重要なのは、市場を資本の支配から解放し、社会的規制下に置くことである。
第三に、技術進歩が計画経済の可能性を広げている。20世紀の計画経済が失敗した一因は、情報処理能力の限界である。しかし、現代のコンピューター、ビッグデータ、AIは、複雑な経済の調整を可能にするかもしれない。もちろん、これは民主的統制下で行われなければならない。アルゴリズム独裁ではなく、アルゴリズム民主主義として。
5-2. 人間性の問題
もう一つの批判は、人間性への懐疑である。人間は本質的に利己的であり、競争的である。社会主義は、この人間性を変えようとして失敗した。ポスト資本主義も、同じ運命を辿るのではないか。
この批判は、人間性を自然化する誤りを犯している。「人間は利己的だ」という主張は、資本主義社会における人間の観察に基づく。しかし、人間の行動は、社会システムによって形成される。競争を強制する社会では、人々は競争的になる。協力を奨励する社会では、人々は協力的になる。
人類学の研究は、多様な人間社会を示している。狩猟採集社会の多くは、平等主義的で協力的である。インディアンの「贈与経済」、アフリカの「ウブントゥ」——これらは、資本主義とは異なる人間関係の可能性を示す。人間性は固定的ではなく、可塑的である。
さらに、資本主義社会でさえ、利己心だけが動機ではない。ボランティア活動、寄付、相互扶助——これらは広く存在する。オープンソース・ソフトウェアの開発者は、無報酬で貢献する。Wikipediaの編集者は、知識を共有する。人間は、利己心と利他心の両方を持つ。どちらが優勢になるかは、社会システム次第である。
ポスト資本主義は、人間性の変革を前提としない。むしろ、人間の協力的側面を引き出す制度設計を行う。競争ではなく協力に報酬を与え、利己心ではなく連帯を評価する。人間性は変わらなくても、人間の行動は変わりうる。
5-3. 権力の問題
より深刻な問題は、権力の集中である。ポスト資本主義は、経済の民主的統制を目指す。しかし、民主的統制は、権力の集中を伴いうる。計画経済は、計画官僚の権力を生む。公共所有は、国家権力を強化する。これは、新たな支配を生むのではないか。
この懸念は正当である。ソ連の歴史が示すように、経済の国家統制は、全体主義に至りうる。だからこそ、ポスト資本主義は、権力の分散を組み込まなければならない。
第一に、所有形態の多元化である。前述のように、協同組合、社会的企業、コモンズ、公共所有——これらの共存が、権力の集中を防ぐ。単一の所有形態への集中は、単一の権力への集中を意味する。
第二に、意思決定の分散化である。補完性原理に基づき、決定を可能な限り下位レベルで行う。中央政府は、地方で決定できない問題のみを扱う。これは、権力の垂直的分散である。
第三に、チェック・アンド・バランスである。立法、行政、司法の分離。メディアの独立。市民社会の自律性。これらは、自由主義の遺産であり、ポスト資本主義も継承すべきである。
第四に、リコール(解任)の権利である。選ばれた代表が、市民の意思に反する場合、任期途中でも解任できる。これは、代表の説明責任を強化する。権力は、常に市民の監視下にある。
5-4. グローバル化の問題
ポスト資本主義は、一国で実現できるのか。資本主義はグローバルなシステムである。一国がポスト資本主義に移行しようとすれば、資本逃避、経済封鎖、軍事介入——これらの圧力に直面する。チリのアジェンデ政権、ニカラグアのサンディニスタ政権——これらは、外部圧力によって崩壊した。
この問題に対する答えは、国際的連帯である。ポスト資本主義への移行は、複数の国で同時に進行する必要がある。一国の実験を、他国の運動が支援する。資本の国際的ネットワークに対して、労働と市民の国際的ネットワークで対抗する。
歴史的には、社会主義インターナショナル、非同盟運動——これらは、国際連帯の試みであった。21世紀には、グローバル正義運動、気候正義運動——これらが、新しい国際連帯を構築している。
同時に、地域的統合も重要である。EUのような地域ブロックは、一国よりも大きな経済圏を形成し、グローバル資本への交渉力を持つ。ラテンアメリカの「ピンク・タイド」の時期には、複数の左派政権が協力し、地域統合を進めた。こうした地域的連帯が、ポスト資本主義への移行を支える。
結論:可能性の地平
ポスト資本主義的民主主義は、ユートピアか。それは、理想主義者の夢想か。それとも、現実的な構想か。
答えは、両方である。それはユートピアであり、同時に現実的構想である。ユートピアとは、「どこにも存在しない場所」を意味する。しかし、それは「決して存在しえない場所」を意味しない。ユートピアは、現実を批判し、代替案を想像する力である。ユートピアなしには、現状を超える変革は不可能である。
同時に、ポスト資本主義は現実的構想である。なぜなら、その要素の多くは、既に存在するからである。協同組合、参加型予算、ベーシックインカム実験、再生可能エネルギー協同組合、オープンソース——これらは、理論ではなく、実践である。問題は、これらを拡大し、接続し、システム化することである。
資本主義も、かつてはユートピアであった。封建制の時代に、市場経済、賃労働、議会制——これらは空想的に見えた。しかし、何世紀もかけて、資本主義は実現した。それは、一挙にではなく、徐々に、矛盾を孕みながら、抵抗を受けながら、しかし不可逆的に進行した。
ポスト資本主義への移行も、同様に長い過程となるだろう。それは、数十年、おそらく数世代を要する。その過程で、多くの試行錯誤があり、失敗もあるだろう。しかし、方向性は明確である。資本の支配を超え、民主主義を深化させ、生態学的限界を尊重し、人間の尊厳を実現する。
この移行は、必然ではない。資本主義は、自動的に崩壊しない。歴史は、人間が作るものである。ポスト資本主義が実現するか否かは、我々の選択と行動にかかっている。
悲観する理由は多い。資本の権力は強大である。気候変動は加速している。不平等は拡大している。民主主義は後退している。しかし、希望の理由もある。世界中で、人々は抵抗し、代替案を実験し、連帯を構築している。
アントニオ・グラムシは、「知性の悲観主義、意志の楽観主義」と書いた。現実を冷静に分析すれば、悲観的にならざるをえない。しかし、それでもなお、行動する意志を持たなければならない。なぜなら、行動しなければ、確実に未来はないからである。
ポスト資本主義的民主主義は、保証された未来ではない。それは、可能性の地平である。その可能性を実現するか否かは、我々次第である。歴史は開かれている。未来は、我々が作るものである。
問うべきは、「ポスト資本主義は可能か」ではない。問うべきは、「我々は、ポスト資本主義を実現するために、何をするのか」である。
この問いへの答えは、理論ではなく、実践の中にある。
(了)
