資本主義・民主主義・自由主義の相克
現代社会における価値選択のプロセスをめぐる考察
序論:自由主義と民主主義の概念的区別
日本には自由民主党という政党がある。この党名は、二つの異なる概念——自由主義と民主主義——を併置しているが、両者の区別は必ずしも明確ではない。しかし、概念的に整理すれば、この区別は重要である。
民主主義とは、本質的に手続きやプロセスの問題である。それは、複数の選択肢や価値観が存在するとき、どのようにして集団的決定を下すかという方法論に関わる。他方、自由主義とは、最終的に到達すべき価値や理念の問題である。すなわち、個人の自由や権利を最大限に尊重する社会のあり方を指す。
この整理に従えば、民主主義という過程を経ることで、自由主義という価値を実現していくという解釈が可能になる。民主主義は目的地への道筋であり、自由主義はその目的地そのものである。しかし現実社会を観察すると、この理念的な図式は複雑化している。
第一章 現代社会における資本主義の優位
人々の暮らしを注意深く観察すると、自由主義という価値を切実に求めている様子は見られない。多くの人々にとって、自由とは「不自由よりは自由の方がいい」という程度の、比較的軽い意味合いで捉えられている。
それよりも、人々が真に求めているものは、お金である。お金は単なる貨幣ではない。それは食料であり、健康であり、家庭であり、仕事である。お金は、こうした具体的な幸せへの通路として機能している。つまり、資本主義的価値観が人々の心の中にまで深く浸透しているのが現実である。
この傾向は、国政選挙における争点を見れば明らかである。「税金を安くしろ」という主張は、「自由を守りたい」「平和を守りたい」という理念的主張よりも、しばしば強い訴求力を持つ。資本主義は、自由主義や平和主義、非暴力主義などの理念に優越して、人々の行動原理となっている。
この現象の背景には、人間の根源的な条件がある。人間は食べなければ死んでしまう。カトリック主義でも、プロテスタンティズムでも、非暴力主義でも平和主義でも、腹を満たすことはできない。資本主義が他の価値観よりも強く、根深いのは、この原初的な生存条件に直結しているからである。
第二章 資本主義と民主主義の緊張関係
資本主義を社会の中心的原理として受け入れるとして、それは民主主義と相性が良いのだろうか。実は、資本主義と民主主義には構造的な矛盾がある。
金儲けのためには、独裁的な権力構造の方が効率的である可能性がある。トップダウンの迅速な意思決定、資源の集中的配分、異論の排除——こうした独裁的要素は、短期的な経済成長において優位性を発揮する。開発独裁で成功した国々の例がこれを示している。経済成長の初期段階では、独裁的手法が効果的な場合が多い。
しかし、独裁は腐敗する。権力の集中は必然的に堕落を招く。長期的には、非効率に見える民主主義の方が、結局は良い結果をもたらすのかもしれない。ここでも議論は「お金儲けのためには独裁と民主主義のどちらが良いか」という枠組みに収束してしまう。
興味深いのは、発展段階による変化である。人々がある程度豊かになり、衣食住の基本的ニーズが満たされた後、次に求めるものは自由であり、不安からの解放であり、自己実現である。そして、こうした高次の欲求の実現には、民主主義的プロセスが適しているように思われる。
資本主義と民主主義の対立は、具体的な政策領域でも顕在化する。軍需産業が資本の論理を貫徹しようとするとき、その反対の極には平和を求める民主主義的プロセスがある。原子力発電所で儲けようとする勢力に対して、環境を守り子孫を守るという価値観を対置するのも、民主主義的プロセスである。
第三章 民主主義のプロセスとしての本質
民主主義のプロセスとは何か。それは、複数の価値観が存在するとき、そのどれを優先するか、人々が意見を出し合い、説得し合い、最終的には投票により優先順位を決めることである。
これを野球の試合の例で考えてみよう。観客全員が監督の立場で、作戦や選手起用について議論している場面を想像する。「ゲームとして面白い」という価値観もある。イチローが投手をして、松井が打つ。しかし、かつて野村克也監督は、そうした「面白さ」を否定し、松井に代えて代打にピッチャーを起用したことがある。これが価値観の対立である。
一か八かで勝負したい人もいる。確率を大切にして、堅実に勝ちを拾いたい人もいる。自分の給料を上げることばかりを考える人もいる。ライバルに負けるくらいなら怪我のリスクを冒してでも勝ちたいという人もいる。できるだけ長く現役を続けたい人、みっともない成績で終わるくらいなら引退したいという人——様々な価値観が交錯する。
話し合ったとしても、最終的には分かり合えず、結論は一致しないかもしれない。その時には仕方がないので、暫定的に多数決で決める。しかしその決定は永遠ではない。一定期間が経過したら、また話し合いをして、多数決を取る。
この反復のプロセスの根底には、「人間は間違うものだ」という人間観がある。間違ったら訂正していけばいい。これが民主主義の知恵である。様々な価値観の中で、どれを優先するかについての、人類が編み出した現実的な方法論なのである。
第四章 エリート主義の限界と人間の誤謬性
民主主義のプロセスにおいて、人々は判断を間違うことがある。宣伝に乗せられる、思い込みに囚われる、金銭で買収される、恐怖により服従する、思考力の不足により本質を把握できない——様々な落とし穴がある。
それならば、数学の問題を解くように、得意な人に頼んで考えてもらい、答えを書き写せば良いのではないか。これが、優秀な人間を選抜して官僚として国家を運営させるというエリート主義のビジョンである。
しかし現実は、そのようにうまくはいかない。ソビエト連邦などの例が示すように、人間の知性には限界がある。また人間である限り、純粋な知性でもなければ、純粋な倫理でもない。権力者は腐敗する。これは歴史が繰り返し証明してきた真理である。
権力の腐敗を食い止めるのも、民主主義のプロセスである。定期的な選挙、権力の分散、透明性の確保、批判の自由——これらは全て、人間の誤謬性と権力の腐敗性を前提とした、民主主義的な安全装置である。
第五章 価値観の多元性と対立の諸相
現代社会における価値観の対立は、多様な形態をとる。自由と平等という古典的な対立がある。平等概念の内部でも、結果の平等と機会の平等との間に緊張関係がある。
資本主義よりも平等主義を優先すると考えてみても、平等の内容は分かりにくい。鄧小平の「先富論」——まず一部を豊かにして、そのあとで全体が豊かになり、結果として全体が平等に向かう——というビジョンもある。しかし、これが本当に平等の実現につながるのかは、依然として論争的である。
人種問題を考えてみよう。白人と黒人の平等とは何か。この問いに対する答えは容易ではない。「怠け者だから豊かになれない」と主張する人もいる。「機会の平等は既に実現している」と言う人もいる。「逆差別になっている」と批判する人もいる。
男女平等も、最終的な地点では微妙で難しい問題を孕んでいる。妊娠・出産は女性でなければできないことである。この生物学的事実を踏まえて、社会的に男女の平等をどのように実現するのか。どんなに考えても、何が真の平等で、みんなが納得できるのか、容易に答えは出ない。
こうした価値観の対立において、唯一の正解は存在しない。だからこそ、対話と説得と暫定的決定の反復——つまり民主主義的プロセス——が必要なのである。
第六章 民主主義の機能再考:物質と情念
民主主義に関する議論を見ていると、民主主義は主に二つのもの——必要な物質と、集団統合の情念——を提供するという意見がある。
物質の提供については理解しやすい。経済的繁栄、社会保障、インフラ整備——これらは民主主義体制下での政策決定により実現される。しかし、集団統合の情念という側面は、考察を要する。
この見解によれば、戦争になったときに集団のために命を捧げてもいいと思う情念を養成し保存することが、民主主義の仕事の半分だという。確かに、集団の統治原理として考えれば、情念の側面は必要だったのかもしれない。しかし、これには納得しにくい面がある。軍国主義の残影を感じるからである。
情念部分を省略した民主主義は可能だろうか。純粋に合理的な意思決定プロセスとしての民主主義。興味深いことに、大規模言語モデルのようなAIには、多数決の原理があらかじめ組み込まれている。AI による統治は、情念なき民主主義の極限形態かもしれない。
しかし、人間社会における意思決定から情念を完全に排除することは、現実的でもなければ、望ましくもないだろう。情念は非合理的な面を持つと同時に、連帯や共感といった、人間社会に不可欠な要素の源泉でもある。
第七章 結論:資本主義による民主主義の侵食
当初、私は複数の価値観として資本主義、社会主義、共産主義などがあり、それらを実現するプロセスとして暴力主義、独裁主義、民主主義などがあると、明確に区別して考えていた。プロセスと価値は、概念的に分離可能であると考えていた。
しかし、現実を観察すると、資本主義は単なる一つの価値観にとどまらない。資本主義は、議論のプロセスそのものにまで侵入し、蝕んでいるのではないか。
選挙における金権政治、メディアの商業主義、ロビー活動による政策決定の歪み、世論調査の商品化——資本の論理は、民主主義的プロセスの各段階に浸透している。「一人一票」の原則は、「一円一票」の現実に侵食されつつあるのかもしれない。
人々が資本主義的価値を内面化していることは、既に述べた。しかしそれだけでなく、民主主義というプロセス自体が、資本主義の影響下で変質しているとすれば、事態はより深刻である。
それでも、民主主義的プロセスを放棄することはできない。なぜなら、それは人間の誤謬性と権力の腐敗性に対する、最も有効な防御メカニズムだからである。問題は、いかにして資本主義の過度な影響から民主主義的プロセスを守るか、という点にある。
完全な答えは存在しない。しかし、この問題を認識し、対話を続け、暫定的な解決策を試み、失敗から学び、また試みる——この反復こそが、民主主義の本質なのである。民主主義は完璧なシステムではない。それは、人間の不完全性を前提とした、最も人間的なシステムである。
(了)
