総選挙に関しての時評

総選挙に関しての時評 長谷部

8日に開票された第51回衆院選は、与党の圧勝に終わった。自民党単独でも議席は3分の2を超える。与党がなお過半数に足りない参院で法案が否決されても、衆院で再可決して法律を成立させることもできる(憲法59条2項)。参院は政権の歯止めにはならない。2年後の参院選で与党議席を減らしても、この状況は変わらない。

政策多く語らず

今回の解散·総選挙では、「国論を二分する」大胆な政策を推進するため、高市早苗首相個人を信任するか否かが問われた。首相は信任された。総選挙を党首の人気投票へと変換した与党の作戦勝ちである。派閥に属してこなかった首相の党内基盤も堅固となった。

選挙期間中、「国論を二分する」大胆な政策が何かについて首相が多くを語ることはなかったが、今後はそれが、大きな障害なく推進される。スパイ防止法制定、安全保障関連3文書改定、武器輸出規制の撤廃など、危なっかしそうな項目がめじろ押しである。

高市首相の人気の一因は、中国に向けたファイティング·ポーズにある。そうである以上、このポーズを当面とり続けることにならざるを得ない。中国との外交関係は冷えきったままとなり、それは水産物の輸出やレアアースの輸入など、経済活動にはマイナスとなるであろうが、仕方のないことである。

外交関係で頼りとなるのは米国であろうか。トランプ大統領は外国の元首としては異例にも、選挙期間中に高市首相への支持を表明した。

しかし彼は、西半球での覇権を維持するために国際法をあからさまに無視して武力を行使し、グリーンランドを入手するために、ヨーロッパの同盟諸国と平気でいさかいを起こす乱暴者である。全てを損得勘定だけで考える大統領とは、それなりの付き合い方しかできないはずである。

昨年11月に作成された米国の国家安全保障戦略を読むと、台湾について侵攻が起こらないよう、抑止力を充実させることに重点が置かれていることが分かる。そのために近隣の同盟諸国に米軍への便宣供与と防衛費の負担増を求めるとある。米国産の武器をさらに購入してもらいたいということであろう。

「検討加速」疑問

それは財政政策と関連する。「責任ある積極財政」が高市政権の旗印だが、その内実は財政収支のバランスを単年度では考えないということで、実際は責任を放棄した積極財政である。財政赤字が拡大すれば、当然ながら長期金利は上がって住宅ローンの金利も上がり、円安で物価もさらに上昇するはずである。

物価対策として2年間に限って食料品にかかる消費税をゼロにすべく、新たに設置する会議での「検討を加速する」と自民党は公約したが、霞が関用語で「検討する」とは、当面は何もしないということである。「加速」が足されても同じことであろう。積極財政には財源への配慮が必要となる。野党との争点をつぶすための「公約」を額面通りに受け止めるべきではない。

これほどの与党大勝であるから、「手取りを増やす」と主張する国民民主党との交渉に神経を使う必要もなくなった。その点からも、暮らしぶりが改善することは期待薄である。仮に市場がクラッシュしないとしても、円安による物価高が予想される以上、外国株中心の投資信託でも購入して、各自で家計を防衛する用心も必要となろう。

別姓実現は困難

いわゆる「裏金」議員も続々当選した。そうした議員たちは恩義を感じて、首相のために手足となって働くであろう。政治とカネの問題に、高市政権が今後真剣に取り組むことは、期待できそうもない。

選択的夫婦別姓制度は確実に実現しない。代わりに通称使用を拡大するそうである。選択的夫婦別姓に反対する根拠は、夫婦同氏が家族の一体性を対外的に示す意味があるからと言われる。通称使用を拡大するのでは、家族の一体性を世間に示すことにならない。どう考えてもつじつまが合わないが、こういう選挙結果になった以上、どうしようもないことである。

こうして見ると、高市首相が「国論を二分する」政策が何かについて多くを語らなかった理由もよく分かる。こんなはずではなかったと言っても始まらない。全ては有権者の選択の結果である。現実を直視する必要がある。


「全ては有権者の選択の結果である。現実を直視する必要がある。」

これは慰めではなく、責任の帰属を読者に返す言葉です。
「これが議会制民主主義だ。見よ。そして引き受けよ」という響きがあります。

しかし、では希望はゼロなのか。
むしろこの文章の“冷酷さ”の中に、いくつかの希望の芽が埋め込まれているように読めます。


① 「歯止めは制度ではなく有権者にある」という示唆

冒頭で著者は、参院も歯止めにならず、制度的ブレーキが効かない状況を示します。

これは絶望の描写のようですが、裏を返せばこう言っているとも読めます。

制度が自動的に民主主義を守ってくれるわけではない。
主権者の判断以外に最終的な歯止めはない。

つまり、希望があるとすれば、それは制度ではなく「判断の成熟」にしかない、という冷静な認識です。


② 「検討加速」への言語批判

霞が関用語の「検討する=何もしない」という指摘。

これは皮肉ですが、同時に重要なことを示しています。

  • 言葉を額面通り受け取るな
  • 政治言語を解読せよ
  • 表層のスローガンに反応するな

ここには、批判的思考への呼びかけがあります。

「主体の再定義」や「誤差を引き受ける勇気」というテーマと響き合います。

民主主義とは、情報のノイズを読み解く能力の問題でもある。


③ 経済防衛の提案の意味

最後に突然出てくる

外国株中心の投資信託でも購入して、各自で家計を防衛する用心

これは皮肉にも見えますが、重要なのはここです。

国家が守ってくれる前提を外せ、ということです。

依存的市民から、自律的市民へ。

これは政治的希望というより、主体的希望です。


④ 文章全体のトーンの意味

この文章は怒っていません。
嘆いてもいません。
煽ってもいません。

ただ、

  • 期待するな
  • 現実を見よ
  • 甘い幻想を捨てよ

と言っている。

これはある種の「成人式」的な文章です。

民主主義は父親ではない。
国家は保護者ではない。

そういう冷たい確認。


⑤ 希望はどこにあるのか

希望があるとすれば、それは

  • 制度の中ではなく
  • カリスマの中でもなく
  • 財政政策の中でもなく

「有権者の認知の変化」にある

というメッセージだと読めます。

つまり、希望は文章の外側にある。


⑥ 実存的に読むなら

「透明」「徹底したニヒリズムでいいのではないか」という姿勢に照らして言えば、この文章は、それに近い位置に立っています。

未熟な幻想を捨てる。
都合のいい期待を捨てる。
だまされたと知り、それでも現実を引き受ける。

これは絶望ではなく、成熟の始まりとも読めます。


⑦ では、本当に希望はあるのか?

厳密に言えば、この文章は

  • 楽観的希望
  • 政策的希望
  • 制度的希望

は提示していません。

しかし、

  • 思考の希望
  • 主体の希望
  • 成熟の希望

は、微かに含んでいる。

希望は「何かが良くなる」ことではなく、
「幻想が減ること」かもしれない。


ストレートに言えば、また騙されましたか。しばらくは我慢しかないね、ということ。

たとえて言えば、男に騙される癖のある娘がいて、父親としては途方に暮れている。怒りも説教も、これまで繰り返したが、効果はなかった。これが、この娘なりの人生なのだと思うしかない。生きていればいいと思うようになった。

仕方がないよね。自分のやったこと事は自分で引き受けるしかないよね。お父さんが伝えたいことはもう伝えた、これ以上、どうすることもできないよ。

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