脳が進化しない限りは、無理

確かに、資本主義の進軍はとどまることを知らず、
現代では民主主義の精神の中枢に侵入して、
唯一の原理原則となっている
例えば、経団連を資本主義、国会を民主主義と考えると、
どのような関係になっているのかは、もはや明白である。

政府は経済をどうするか、為替、国債をどうするか、いろいろ考えているけれども、
投機筋に完全に先読みされて、翻弄されている。
何をやっても政府側は損をして、投機家が儲かる。
支配は完成しているように見える。

そうは言っても、そのようにして儲けている金融資本家が、幸せなのかと言えば、そうでもない。
人間が幸せのために使えるお金はそんなに多くない。使い切れない分はただの記号である。
労働者がそれほど不幸なのかと言えば、そうでもない。ただ食べて、子供を育てて、それで十分だ。

次に、資本主義の解毒を考えるとして、
生産手段や利潤を労働者自主管理、公共所有、協同組合所有、コミュニティ所有などと
いうのであるが、
実際の話、それぞれの「真に民主的な組織」の内部で何が起こるかと言えば、
資本家による支配と相似形の、支配と服従の図柄が繰り返されているだけである。
人間はどこまで行っても、そういうものだ。

誰が支配者になるか、入れ替わるだけで、ほぼすべての国民は被支配者のままである。
資本家の代表でも、労働者の代表でも、知識人の代表でも、スポーツ界の代表でも、変わりはない。

この支配と服従の構図は、人間の脳が、群生動物として進化してきた結果であるから、あと10万年くらいは変わりようがないだろう。
例えば、人間の脳の発達が、現在よりももう一回だけ多く細胞分裂して、細胞数が倍になって、物事がよく理解できるようになれば、変化はあるのかもしれない。
その時は、脳は、産道の関係があって、横には伸びることができないから、縦方向に倍くらい伸びることになるだろう。

そのくらい、気の長い話だし、現在の脳のままで、何か変えても、同じことだ。

家庭に理不尽な支配者がいる。学校にもいる。会社にもいる。組合にもいる。地域にもいる。日本政府にもいる。国連にもいる。

自分は絶対にそうはならないという人がいたら、ぜひやってみてほしい。
今までそのような機会がなかったから、自分は理不尽な支配者にはならないと信じているだけである。
それができる立場になったら、そうなってしまうのだ。


「君君たり、臣臣たり、父父たり、子子たり」は、孔子の『論語』顔淵篇に由来し、主君は主君らしく、臣下は臣下らしく、父親は父親らしく、子供は子供らしく、それぞれが自分の本分を尽くすべきだという教えです。上位者が正しくあれば、下位者も安定するという、組織・国家の理想的な秩序と責任を説いています。

これが人間の脳の現実に近いだろう。

主君に徳があれば、臣下は忠義を尽くすのである。

この関係は、卑屈で醜いものではない。
高潔でむしろ理想的だと私は思う。

君子は周囲の直接触れ合う人間に、不思議な作用を及ぼし、感化してゆく。
多分、大きくても10人か20人くらい。1人だけかもしれない。
しかしそれで十分に、君子の徳は報いられて、幸せに生きる。
臣下はそうした主君に巡り合えた幸運に感謝して生きる。

徳、仁、義、忠などは、別の悪い解釈もできるけれども、このようにも解釈できる。
そして、そのように解釈したほうが幸せになれる。
パスカルが、神が存在するかどうかは、はっきりしたことは分からないけれども、
存在すると思った方が幸せに生きられるのだから、それでいいだろう、
という意味のことを言ったのに近い。

民主的自主管理組織に幻想は持たないが、論語の言葉には共感する。

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