資本主義と誤差修正システム——市場機構の誤差修正機能とその内在的限界——(CL)

資本主義と誤差修正システム

——市場機構の誤差修正機能とその内在的限界——

一 問題の所在——民主主義との比較から

前稿において私たちは、民主主義を意思決定の誤差修正システムとして検討し、その手続き的正当性が決定内容の正しさを保証しないという根本的な限界を論じた。本稿では視座を転じ、資本主義という経済秩序を同様に誤差修正システムとして分析する。

民主主義と資本主義はしばしば対として論じられるが、誤差修正という観点から見ると、両者には構造的に重要な非対称性がある。民主主義の誤差修正は選挙・言論・代議制という「集合的な意図的行為」を通じて作動する。これに対し資本主義の誤差修正は、価格メカニズム・競争・利潤損失信号という「意図なき集計的過程」を通じて作動する。この差異が、後述する根本的な問いを導く。すなわち——誰が、何を「誤差」と定義するのか、という問いである。

二 市場メカニズムの誤差修正機能——ハイエクの洞察

資本主義の誤差修正機能に関する最も精緻な理論的擁護は、F・A・ハイエクの価格理論に見出される。ハイエクは一九四五年の論文「社会における知識の利用」において、社会に分散した情報を単一の中央機構が収集・処理することは認識論的に不可能であると論じた。価格シグナルは、分散した無数の個人の知識と選好を集約し、中央計画なしに資源配分の誤りを修正する機構として機能する——これがハイエク的擁護の核心である。

具体的な誤差修正メカニズムは次のように機能する。ある財が希少化すれば価格が上昇し、供給の増大と需要の抑制を通じて需給が均衡に向かう。非効率な企業は損失を被り、最終的には市場から退出する(倒産)。より優れた技術・製品・組織を持つ企業が生き残る。シュンペーターが「創造的破壊」と名付けたこの過程は、既存の非効率を破壊しながら新たな効率的構造を生み出す動態的な誤差修正過程として理解できる。

この機構が持つ情報処理能力は、二十世紀の計画経済との比較において実証的に確認された。ソビエト型中央計画経済の崩壊は、市場を経由しない資源配分が構造的に誤差を蓄積し続けるという、ハイエク的予測の歴史的検証と見ることができる。

三 「誤差」の定義問題——フレームの排除構造

しかし、市場メカニズムの誤差修正機能に対する根本的な疑問は、その機能の精度や効率にではなく、「誤差をいかに定義するか」という点に存在する。

市場が「誤差」と認識するのは、価格として表現可能な情報のみである。換言すれば、市場の誤差修正システムは、貨幣的交換に還元されない価値——生態系の健全性、社会的紐帯の強度、将来世代の福祉、非市場財の喪失——を原理的に「誤差」として認識できない。これは市場の機能不全ではなく、市場の定義的特性である。

この構造を最も端的に示すのが外部性(externality)の問題である。企業が生産過程で大気を汚染するとき、その汚染コストが価格に算入されない限り、市場はそれを「誤差」として認識しない。被害は存在するが、市場のフレームの外に位置するがゆえに、誤差修正の対象にならない。その意味で市場は、「フレーム内の誤差」に対しては精巧な修正機構を持つが、「フレーム自体の誤差」——すなわち、何を価値とし何をコストと見なすかという定義の誤り——に対しては盲目である。

ここに民主主義との第一の構造的差異が現れる。民主主義は(少なくとも原理的には)「何を政治的問題と見なすか」を自己更新する機構を内包する。市場が排除するフレーム外の問題を、市民的議論を通じて政治的アジェンダとして取り込む可能性がある。これに対し市場は、フレームの外部を自己更新する内的機構を持たない。(→シゾフレニーの妄想の外に立つことの問題)

四 正のフィードバックと誤差の増幅——累積という反修正

誤差修正システムとして機能するためには、負のフィードバック(逸脱の収束)が必要である。ところが資本主義の中核的メカニズムの一つは、正のフィードバック(逸脱の増幅)として機能する。これが資本の累積である。(→これがmanie。正のフィードバック。mad理論のMセル。)

富は富を生む。資本を持つ者は投資によって更なる資本を獲得し、その格差は時間とともに拡大する傾向を持つ。トマ・ピケティが『二十一世紀の資本』において実証的に示した「r > g」の構造——資本収益率が経済成長率を超える傾向——は、資本主義が格差の縮小ではなく拡大に向けた正のフィードバック回路を内蔵していることを示している。

この事実は、誤差修正システムとしての資本主義の性質について根本的な問いを提起する。もし、著しい経済的不平等が社会的凝集性・民主的意思決定の質・機会の平等を損なうという意味で「誤差」であるならば、市場はその誤差を修正するどころか、構造的に生産し続ける機構として機能している。(マーケットメカニズムの根本的欠陥。)

競争は短期的には既存の優位を脅かしうる。しかし長期的には、蓄積した資本は政治的影響力・研究開発能力・流通網の独占・ブランド価値の構築を通じて競争者の参入障壁を高め、競争という誤差修正機構そのものを弱体化させる。すなわち資本主義は、自己の誤差修正機構(競争)を自己の論理(累積)によって侵食するという、自己矛盾的な傾向を内蔵している。

五 時間軸の非対称性——短期修正と長期誤差の蓄積

資本主義の誤差修正機能に対するもう一つの根本的な批判は、時間軸に関わる。

市場メカニズムは、短期的・可逆的な誤差の修正において高い能力を発揮する。価格シグナルは迅速であり、競争は即効性がある。しかし、市場参加者の意思決定は四半期利益・年次収益という短い時間軸によって支配されており、長期的・非可逆的な誤差に対しては構造的に鈍感である。

気候変動はこの限界の最も大規模な事例である。温室効果ガスの排出が将来の気候変動リスクを累積させているという意味で「誤差」であることは、現在では科学的コンセンサスとして確立されている。しかし市場は半世紀以上にわたり、この誤差を修正することができなかった。炭素コストが市場価格に算入されない限り、排出は個別企業にとって合理的な選択であり続け、誤差は修正されずに蓄積する。

同様の時間軸問題は、土壌の枯渇、漁業資源の過剰採取、地下水の枯渇、都市インフラの老朽化といった諸問題に普遍的に見出される。これらはいずれも、個別の市場参加者の短期的合理性が集合的・長期的な非合理性を産出するという構造を持つ。ハーディンが「コモンズの悲劇」として定式化したこの構造は、市場の誤差修正機能の時間軸上の限界を示している。

六 誤差修正の自己破壊——「大きすぎて潰せない」という逆説

資本主義的誤差修正の最も劇的な自己崩壊は、二〇〇八年のグローバル金融危機に見出される。

市場原理主義的な立場からすれば、過剰なリスクを取った金融機関は損失を被り、最終的には倒産するべきであった。倒産は市場の誤差修正機構の最も根本的な要素であり、非効率・不適切なリスク管理を行った主体を市場から除去し、将来の類似行動を抑止する。ところが、リーマン・ブラザーズの破綻が金融システム全体の連鎖崩壊をもたらしたとき、各国政府は「大きすぎて潰せない(too big to fail)」という論理によって、市場の誤差修正機構を意図的に停止させた。

この決定は、短期的には経済崩壊を防いだかもしれない。しかし長期的には、誤差修正機構の停止が道徳的危険(moral hazard)を構造化した。金融機関は、巨大化すれば国家が救済するという期待のもとで、さらに大きなリスクを取るインセンティブを持つようになる。誤差修正を停止させた結果、より大きな誤差が将来に蓄積される構造が強化される。

「大きすぎて潰せない」という論理は、単に金融機関にとどまらない。プラットフォーム独占(ネットワーク外部性による自然独占)、農業・エネルギー分野の大企業、軍産複合体——これらはいずれも、資本の累積による規模の拡大が、市場の誤差修正機構(競争による淘汰)から事実上免除される地位を生み出す構造を示している。

七 民主主義との非対称的依存関係——相互規定の構造

以上の検討から浮かび上がるのは、資本主義の誤差修正機能の限界——フレーム排除、累積による反修正、時間軸の短期性、誤差修正機構の自己破壊——はいずれも、市場「外部」からの介入なしには対処できないという構造である。外部性の内部化(炭素税・環境規制)、累積の抑制(累進課税・独占禁止)、長期的投資の確保(公共財の供給)、システミックリスクの管理(金融規制)——これらはすべて、市場メカニズムではなく国家・民主的政治過程による介入を必要とする。

この意味において、資本主義は民主主義に依存している。より正確に言えば、資本主義の誤差修正機能が排除するフレーム外の誤差を修正するために、民主的政治過程という別種の誤差修正システムを必要とする。両者は相互補完的である——と楽観的に述べることもできる。

しかし、ここに根本的な逆説が存在する。資本は民主的政治過程そのものに影響を与える力を持つ。選挙資金・ロビイング・メディア所有・規制機関への人材供給(「回転ドア」現象)を通じて、資本は民主的意思決定の構造そのものを変形させる。換言すれば、資本主義の誤差を修正するために必要な民主的過程を、資本主義自体が侵食するという構造的矛盾が存在する。

この構造は単なる「悪い行為者」の問題ではない。個別の企業や資本家が法の範囲内で自己利益を追求する結果として、集合的に民主的誤差修正システムが機能不全に陥るという、構造的問題である。ここに、資本主義と民主主義の「協調」ではなく「非対称的依存」の実態がある。資本主義は民主主義の誤差修正機能を必要とするが、その資本主義の論理がその民主主義を侵食する——という循環が内在している。

八 誰が誤差を定義するか——メタ問題への回帰

以上の論考を通じて、資本主義の誤差修正システムに対する最も根本的な問いに回帰する。「誰が誤差を定義するのか」という問いである。

市場は誤差を「利潤の損失」として定義する。この定義はきわめて明確であり、そのために市場は定義された誤差の修正において高い効率を発揮する。しかし、利潤に還元されない損害——健康被害、共同体の解体、生物多様性の喪失、尊厳の侵害——は誤差として認識されない。

民主主義は(前稿で論じたように)誤差の内容を確定する普遍的基準を持たないが、少なくとも「何を誤差とみなすか」という定義自体を集合的意思決定の対象にする可能性を持つ。これは手続き的民主主義の重要な機能である。市場が排除したフレーム外の問題を、市民的議論が政治的問題として定義し直す——この過程こそが、資本主義の誤差修正機能の補完として、民主主義に期待されるものである。

しかし前節で論じたように、この期待は資本による民主的過程の侵食という現実によって恒常的に脅かされている。「誰が誤差を定義するか」という問いに対する答えは、「市場参加者の集合的意思」と「民主的市民の集合的意思」の二つの力が、不均等な権力関係のもとで拮抗しているという、不安定な均衡の中にある。

九 結論——二重の限界と残された問い

資本主義の誤差修正システムとしての機能と限界を整理すると、以下のように要約できる。

市場メカニズムは、価格として表現可能な誤差の修正において、中央集権的計画を凌駕する情報処理能力を持つ。これはハイエク的洞察の正しさである。しかし、市場は同時に以下の構造的問題を抱える。第一に、市場フレームの外部に位置する誤差——外部性・非市場財の喪失——を原理的に認識できない。第二に、資本の累積という正のフィードバック回路が、格差という誤差を修正するのではなく生産し続ける。第三に、短期的合理性の集合が長期的・集合的誤差を構造的に産出する。第四に、資本の規模拡大が市場自体の誤差修正機構(競争・倒産)を内側から無効化する。

これらの限界は、資本主義の廃棄を直ちに帰結しない。計画経済の歴史的失敗が示すように、市場メカニズムの代替は容易ではなく、その誤差修正能力のコストは高い。問題はむしろ、市場が修正できない種類の誤差を、いかなる補完的システム(民主的規制・公共投資・国際的協調)が担いうるか、という問いである。

しかしその補完的システムを構築・維持するためには、資本が侵食しがちな民主的過程の自律性を確保する必要がある。ここに資本主義と民主主義の根源的な緊張が存在する。両者は相互に必要としながら、相互に侵食し合う関係にある。

民主主義論における結論と並行して、ここでも同様の問いに到達する。誤差修正システムとしての資本主義の限界は、その廃棄ではなく、不断の批判的修正の必要性を示している。しかしその修正を行う主体——民主的政治過程——もまた、修正を必要とする欠陥を持つ。二重の不完全性の中で、それでもなお誤差の蓄積を最小化する制度設計を模索し続けること——それが、この問いが私たちに課す実践的責務である。

【付記】

本稿は資本主義そのものを否定するためではなく、その誤差修正機能の構造的特性と限界を分析することを目的としている。市場の情報処理能力と創造的破壊の機能は実質的な価値を持つ。問題は、その機能がいかなる種類の誤差に対して機能し、いかなる誤差に対して盲目であるかを精確に理解することである。また、本稿で論じた問題は相互に連関しており、その総体を理解するためには、本稿で展開した各論点をさらに個別に深化させる必要がある。

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