Derek Parfit の思想

Derek Parfit の思想

──自己・合理性・倫理の根底を問い直した哲学者


一、パーフィットとはどのような人物か

Derek Parfit(1942-2017)は、オックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジのフェローとして生涯を過ごした英国の哲学者である。主著は二冊。『理由と人格』(Reasons and Persons, 1984)と、死の直前に完成した『事柄の重要性について』(On What Matters, 2011)。

パーフィットは哲学的な生産量としては決して多くない。しかしその少ない著作が、分析哲学の世界で20世紀後半以降の倫理学・個人同一性論・合理性論に対して及ぼした影響は、計り知れないほど大きい。

彼の思考の根本的な姿勢を一言で言えば、**「自明と思われていることを疑い、その帰結を徹底的に追う」**ということである。思考実験を極限まで押し進め、私たちの直観が実は一貫していないことを暴露し、その混乱から新たな哲学的洞察を引き出す。

パーフィットの思想は大きく三つの柱から成る。個人同一性論、合理性論、倫理学である。これらは独立した主題ではなく、深く相互に絡み合っている。


二、個人同一性論──「私」とは何か

2-1. 問いの設定

パーフィットが最初に取り組んだ問いは「個人の同一性(personal identity)」である。

私は昨日の私と同じ人物か。私は20年前の私と同じ人物か。私は今後50年後の私と同じ人物か。常識的には「もちろんそうだ」と答えるだろう。しかしパーフィットは問う──「同じ」とはどういう意味か。何が保存されることで「同じ人物」と言えるのか。そしてその問いは、私たちが思うほど重要な問いなのか。

2-2. 従来の理論への批判

個人同一性に関する従来の主要理論は二つある。

身体的連続性説:同じ身体(特に同じ脳)を持ち続けることが個人同一性の基準である。

心理的連続性説:記憶・信念・欲求・意図・性格などの心理的状態の連続性と因果的接続が個人同一性の基準である。ロックの記憶説がその原型である。

パーフィットは心理的連続性説に近い立場を取りつつも、これを根本的に変形させた。

2-3. 分裂事例と移植事例──思考実験の展開

パーフィットが用いる思考実験は、しばしば「脳分割(brain bisection)」「テレポーテーション」「分裂(fission)」などの極限的事例である。

脳分割の事例:人間の脳は左右半球に分かれており、それぞれが独立して意識を生み出す能力を持つ(脳梁切断の事例が示すように)。ある人物Aの脳を左右に分割し、それぞれを別の身体に移植したとする。すると二人の人物B・Cが存在することになる。BとCはどちらもAとの心理的連続性を持っている。

ここで問う。AはBと同一人物か、それともCと同一人物か。

BはAである、かつCはAであると言うと、BとCが同一人物ということになってしまうが、彼らは明らかに別の人物である(別の身体に別の場所にいる)。AはBでもCでもないと言うと、Aは死んだことになるが、AとBの間・AとCの間には完全な心理的連続性があり、「死」と言うのは奇妙である。AはBかCのどちらかであると言うと、なぜ一方とだけ同一性が成立するのかを説明できない(二者は対称的な関係にある)。

パーフィットの結論:この問いには答えがない。あるいは答えが重要ではない。

これは「答えが不明」というのではなく、個人同一性という概念そのものが、このような極限的事例においては空虚になるという主張である。

2-4. 「空虚な問い」という主張

パーフィットはこの洞察を一般化する。個人同一性の問いは、さらなる事実(further fact)を問う問いとして立てられることが多い。身体的・心理的な連続性のすべての事実が確定した後にも、「それでも同一人物なのか」という問いが残るように感じられる。

しかしパーフィットは言う。この「さらなる事実」は存在しない。すべての物理的・心理的事実が確定した後に残る「個人同一性の事実」などというものはない。同一性とは程度の問題(a matter of degree)であり、かつ私たちが何を「同一性」と呼ぶかという言語的慣習の問題である。

2-5. 還元主義的見解

パーフィットは自らの立場を**還元主義(Reductionism)**と呼ぶ。

人格の存在は、脳・身体の存在と、一連の物理的・心理的出来事の発生に還元される。それ以上の何か──デカルト的な実体的自己・霊魂・不可分な「私」というもの──は存在しない。

これに対して**非還元主義(Non-Reductionism)**は、人格はそのような出来事・状態の束に還元されない独立した実体であると主張する。常識的な自己観はしばしば非還元主義的である。

パーフィットによれば仏教哲学は還元主義の優れた先駆者であり、「無我(anatta)」の教えはパーフィットの主張と深く共鳴している。パーフィット自身がこの親縁性を明示的に認めている。

2-6. 「私」が重要でないという逆説的解放

ここにパーフィットの最も印象的な主張の一つがある。

「私」という強固な同一性が存在しないことを知ることは、解放的である。

通常私たちは「私の将来の苦しみ・幸福」を「他人の苦しみ・幸福」よりも遥かに重要視する。近い未来の自分への関心と遠い未来の自分への関心も異なる。これは「私」という同一性が持続するという信念に基づいている。

しかし還元主義が正しければ、「私」と「他人」の間の境界は、私たちが考えるほど形而上学的に重要ではない。未来の自分と現在の自分の関係は、現在の自分と他人の関係と、種類において違うのではなく、程度において違うに過ぎない。未来の自分も、ある意味では「他人」である。

この洞察は倫理学的に革命的な含意を持つ。「私の幸福を最大化せよ」という自己利益原理の特権的地位が、個人同一性の形而上学的根拠を失うことで、揺らぐ。

パーフィット自身はこう述べている。「私がこの見解を採用するようになって以来、残りの人生についての見方が変わった。私はより少なく自己に閉じ込められているように感じる」。


三、合理性論──自己利益原理への挑戦

3-1. 三つの理論

『理由と人格』の第一部・第二部は合理性論に当てられる。パーフィットは行為の合理性に関する三つの理論を検討する。

現在の目的に関する理論(Present-aim theory):現時点での欲求・目的を最大限に充足させることが合理的である。

自己利益理論(Self-interest theory / S):自己の生涯全体の利益(well-being)を最大化することが合理的である。

批判的現在主義(Critical Present-aim theory):理性的な吟味に耐える欲求を充足させることが合理的である。

3-2. 自己利益理論の問題

常識的合理性観に最も近い**自己利益理論(S)**をパーフィットは詳細に検討し、その内部矛盾を暴く。

Sは「自己の生涯全体の利益を最大化せよ」と命じる。これは現在の欲求よりも将来の利益を優先することを求める場合もある(近視眼的な快楽への耽溺を戒める)。しかしこれは**「将来の自己」と「現在の自己」が同一であるという前提**に依存している。

ところがパーフィットの個人同一性論が示したように、「同一性」は程度の問題であり、時間が経つほど心理的連続性は薄れる。ならば遠い将来の自己に対して今の自己が強い関心を持つべき理由は、個人同一性という形而上学的根拠に基づかなければならないが、その根拠は還元主義によって解体された。

さらにパーフィットは、Sが**自己破壊的(self-defeating)**になりうることを示す。「常に自己利益を最大化しようと戦略的に行動する人物は、そうしない人物よりも自己利益の達成において劣る」ことがありうる(囚人のジレンマ型の状況において)。

3-3. 「合理的な非合理性」の問題

パーフィットは**合理的な非合理性(rational irrationality)**というパラドクスも論じる。

ある種の状況では、「合理的に考えない」ことが合理的な帰結をもたらす。例えば、「どんな状況でも約束を守る」という無条件のコミットメントを持つことは、個々の状況では「非合理」に見えるが、長期的には信頼を築き自己利益に資する。

これは自己利益理論の中心にある「各時点での合理的計算」というモデルへの批判となる。


四、倫理学──「事柄の重要性について」

4-1. 功利主義・義務論・契約論の統合という野心

パーフィットの倫理学的思考は『理由と人格』第三・四部と、晩年の大著『事柄の重要性について』に展開される。

パーフィットの最終的な倫理学的野心は壮大である。それは帰結主義(功利主義)・カント的義務論・契約論(スキャンロン)という三つの主要な倫理理論が、表面的な違いにもかかわらず、深いレベルでは同一の真理を指し示していることを示すことであった。

彼はこれを「三本の道が集まる(triple theory)」と呼んだ。

4-2. 帰結主義と義務論の収束

カント倫理学の定言命法「あなたの意志の格率が、同時に普遍的法則の原理として妥当しうるように行為せよ」を、パーフィットは独自に解釈し直す。

パーフィットによれば、カントの定言命法の本質は**「全員が合理的に受け入れうる原理に従って行為せよ」**という要求である。これはスキャンロンの契約論──「誰も合理的に拒絶しえない原理に従って行為せよ」──と深く共鳴する。

さらにパーフィットは、このような「全員が受け入れうる原理」を追求することは、帰結主義的に帰結の最善化を追求することと、多くの場合に一致する、と論じる。三つの理論は異なる出発点から同じ倫理的要求へと収束する。

これは「倫理的真理は客観的に存在し、複数の理論はその真理へのそれぞれのアプローチである」という倫理的客観主義・認知主義の立場と結びついている。

4-3. 非同一性問題(Non-Identity Problem)

パーフィットが提起した最も影響力ある哲学的問題の一つが非同一性問題である。

問題の設定

ある政策Aを実施すると、数百年後の世代は比較的低い生活水準で生きることになる。しかし政策Aを実施しなければ(政策Bを実施すれば)、数百年後には全く異なる人々が生まれる。つまり政策Aによって生まれた人々は、政策Bが実施されていたなら存在しなかった。

問う:政策Aによって数百年後に生まれた人々は、政策Aによって「害を被った」と言えるか。

通常の「害(harm)」の概念は、「その行為がなければその人物は better off だった」という比較を必要とする。しかし政策Aがなければ、その特定の人物たちはそもそも存在しなかった。存在しないよりも低水準でも存在する方が良いのであれば(人生が生きるに値するのであれば)、政策Aによる人々は害を被っていない、ということになる。

しかし直観的には、将来世代に低水準の生活を強いるような政策は道徳的に問題があると感じられる。

この非同一性問題は環境倫理学・世代間倫理学・生命倫理学に深刻な問題を提起する。将来世代に対する義務をどう根拠づけるか、人口政策の倫理をどう考えるか、人工生殖・遺伝子操作の倫理をどう評価するか──これらすべてに非同一性問題が影を落とす。

4-4. 人口倫理学と「忌まわしい結論(Repugnant Conclusion)」

パーフィットが提起した最も議論を呼んだ問題の一つが「忌まわしい結論(Repugnant Conclusion)」である。

問題の設定

功利主義的な「総和最大化(total view)」の立場を取るとする。すなわち、幸福の総量(すべての人々の幸福の総和)を最大化することが目標である。

世界Aには100億人が存在し、全員が非常に高い幸福を享受している。

世界Zには1000億人が存在し、全員の幸福はごくわずか(生きることがかろうじて価値あるという程度)である。

しかし人数が十分多ければ、世界Zの幸福の総量は世界Aを上回りうる。

総和最大化の立場では、世界Zは世界Aより良いということになる。

しかしこれは忌まわしいと感じられる。「非常に多くの、ほとんど生きるに値しないほどの人々からなる世界」が「少数の非常に幸福な人々からなる世界」より良いなどということが、どうして正しいのか。

パーフィットはこの帰結を「忌まわしい結論」と名付け、これを避けようとする様々な人口倫理学的理論(平均功利主義・重要なレベルの功利主義など)がすべて別の反直観的帰結に行き着くことを系統的に示した。

人口倫理学は今日もこの問題と格闘し続けており、パーフィットの問題提起なしには現在の議論は存在しない。

4-5. 倫理的客観主義──道徳的事実の存在

パーフィットは倫理的非自然主義的認知主義の立場に立つ。

道徳的判断は真偽を持つ命題である(認知主義)。道徳的事実は自然科学的事実に還元されない(非自然主義)。しかしそれは客観的に存在する(客観主義)。

彼はメタ倫理学において、規範的倫理学における客観的真理を守ることが、彼の哲学的営みの最終的目標だと述べている。

『事柄の重要性について』の最後の部分で、パーフィットは次のような感動的な文章を書いた。

「私たちは今、倫理学の黎明期にいる。歴史はまだ始まったばかりである。もし私たちが生き延びるならば、私たちの子孫たちは──何百年・何千年の後に──私たちが今いる地点を、科学における暗黒時代と見るだろう。」


五、パーフィットの思想の全体的構造

三つの柱がいかに内的に連関しているかを整理する。

個人同一性論は「私」という自己の実体的持続を解体した。自己は還元主義的に理解される。

この解体は合理性論において、自己利益原理の形而上学的根拠を掘り崩した。「将来の自分の利益を最大化せよ」という命令は、「将来の自分」と「現在の自分」の間の同一性が自明でないとすれば、その根拠を失う。

そして自己利益原理の特権的地位の失墜は、倫理学において、他者への配慮・普遍的原理への服従という要求を正当化する。「私」の境界線が曖昧であるなら、「私の利益」と「他者の利益」の間の鋭い区別も、形而上学的根拠を持たない。

パーフィットは言う。個人同一性が重要でないという洞察は、功利主義の説得力を高める。なぜなら、「私の幸福」と「他者の幸福」の区別の形而上学的根拠が薄れれば、すべての幸福を等しく配慮することへの抵抗が小さくなるからである。

自己の解体が利他的倫理学の基礎となる──これがパーフィット思想の逆説的な核心である。


六、仏教哲学との親縁性

パーフィット自身が何度も言及するように、彼の還元主義的自己論は仏教の**無我論(anattā)**と深い親縁性を持つ。

仏教においても、固定した実体的自己(アートマン)の存在は否定される。「私」とは諸要素(skandhas)の一時的な集合であり、それ以上の形而上学的実体ではない。

しかし両者の間には重要な差異もある。仏教の無我論は一般に**解脱(nirvana)**への道として提示される。自己への執着(tanha)を手放すことが苦(dukkha)からの解放につながる、という実践的文脈がある。

パーフィットの還元主義は純粋に哲学的・分析的であり、宗教的実践への直接的な接続を持たない。しかし「自己への執着の緩和が解放をもたらす」という実存的含意においては、両者は確かに共鳴する。


七、パーフィットの思想の影響と評価

パーフィットの影響は、哲学の複数の分野に及ぶ。

個人同一性論においては、彼の議論は以後の議論の出発点となり、心の哲学・倫理学・法哲学(刑罰論・責任論)に波及した。

人口倫理学においては、非同一性問題と忌まわしい結論が現在も中心的問題として研究され続けている。世代間倫理学・環境倫理学・生命倫理学はパーフィットの遺産なしに語れない。

メタ倫理学においては、倫理的客観主義の擁護が道徳的実在論の現代的議論に貢献した。

彼への批判としては、思考実験の非現実性・自己論の直観に反する帰結・人口倫理学における難問の未解決、などが挙げられる。しかし批判者もまたパーフィットが問題を正確に設定したことは認める。

バーナード・ウィリアムズは個人同一性論に批判的だったが、パーフィットを「20世紀後半最も重要な道徳哲学者」と評した。


八、小括──パーフィットが問い続けたもの

パーフィットの哲学全体を貫く一つの問いがあるとすれば、それは「何が本当に重要か(what matters)」という問いである。

私の同一性の持続は本当に重要か。自己利益は本当に合理性の唯一の基準か。道徳的に正しく行為することは客観的に根拠を持つか。将来世代への義務はいかに根拠づけられるか。

これらの問いのどれもが、私たちの日常的な自己理解・合理性理解・道徳理解の自明性に挑戦し、「自明と思っていたことが実は脆弱な基盤の上に立っていた」という不安と、同時に「自己への執着から解放された、より広い視点が可能だ」という解放感をもたらす。

パーフィットは純粋に分析的な哲学者でありながら、その帰結において、実存主義・仏教・ストア哲学が別の言語で語ってきたことと深く共鳴する地点に達した。「私」という堅固な要塞の解体が、逆説的に、より広い人間的連帯と倫理的責任の根拠となる──これがパーフィットの遺産の核心である。

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