1
- 「花も嵐も踏み越えて」の歌
- 1 未亡人の看護婦
- 2 若い医師との出会い
- 3 身分差と社会の壁
- 4 涙の別れ
- 5 愛染かつらの木
- 6 すれ違う運命
- 7 最後の再会
- メロドラマの心理構造
- 平安時代
- 江戸時代
- 2 明治時代:恋愛の再発明
- 3 北村透谷と「恋愛至上主義」
- 4 夏目漱石の恋愛観
- 5 純愛観の大衆化
- 6 精神分析的に見る純愛
- まとめ
- 1 日本文学に繰り返し現れる「片思い」
- 2 少女漫画の構造
- 3 アイドル文化
- 4 精神分析:「不在の対象への愛」
- 5 ラカンの視点
- 6 日本文化でこれが強い理由
- まとめ
- 1 『源氏物語』と紫の上
- 2 近松門左衛門の心中物
- 3 戦争未亡人
- 4 昭和歌謡
- 5 精神分析:喪と理想化
- 6 日本文化での特徴
- まとめ
「花も嵐も踏み越えて」の歌
とても有名なフレーズ:
花も嵐も踏み越えて
行くが男の生きる道
物語(医者と看護婦の恋) 、病院の恋愛物語です。💉
登場人物:
津村浩三:若い医師
高石かつら:看護婦(未亡人で子どもがいる)
ストーリー 病院で働く 若い医師と看護婦の純愛。
しかし
身分の差
未亡人であること
子どもがいること
周囲の反対
などのため、二人は簡単に結ばれません。
病院の庭にある 愛染かつらの木が象徴的に登場し、
そこで再会を誓うという 涙のメロドラマです。🌳
なぜ有名になったか この作品は当時、日本で社会現象になりました。
理由:
医師と看護婦のロマンスという新しい題材
主題歌「旅の夜風」の大ヒット
ラジオドラマ・映画・続編が作られた
特に
「花も嵐も踏み越えて」
という言葉は 苦難を乗り越えて生きる人生の比喩として 今でも引用されます。
歌の一節(参考) 有名な部分:
花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる道 泣くな恋よ 恋よ泣くなよ 涙の旅路じゃないか
2
『愛染かつら』実際のあらすじ
1 未亡人の看護婦
主人公は
高石かつら
- 若く美しい看護婦
- しかし 夫に先立たれた未亡人
- 小さな息子 健太 を育てている
生活は苦しく、
彼女は必死に働きながら子どもを育てています。
当時の日本では
- 未亡人
- 子どもを持つ女性
という立場は、社会的にとても厳しいものでした。
2 若い医師との出会い
その病院に
津村浩三
という若い医師が赴任してきます。
彼は
- 優秀
- 真面目
- 上流家庭の出身
かつらの
- 優しさ
- 誠実さ
- 母としての強さ
に惹かれていきます。
やがて二人は
深く愛し合うようになります。
3 身分差と社会の壁
しかし大きな問題があります。
津村の家は
名門の医師の家。
父親は
- 名誉
- 家柄
- 世間体
を非常に重視する人物です。
彼は
「未亡人の看護婦などと結婚は許さない」
と激しく反対します。
さらに
- かつらには子どもがいる
- 家柄が違う
- 看護婦という職業
など、当時の社会では大きな障害でした。
4 涙の別れ
二人は愛し合っていますが、
かつらは考えます。
「このままでは彼の将来を壊してしまう」
そこで彼女は
自分から身を引く決意をします。
愛していながら別れる――
この場面は当時の観客を大いに泣かせました。😢
5 愛染かつらの木
病院の庭には
愛染かつらの木
が立っています。🌳
二人はそこで
- 再会の約束
- 愛の誓い
を交わします。
この木は
運命の象徴
として物語全体に登場します。
6 すれ違う運命
その後
- 津村は医学の道を進み
- かつらは子どもを育てながら生きていく
二人は何度も
再会しそうで再会できない
運命のすれ違いを経験します。
この「すれ違い」が
戦前メロドラマの典型でした。
7 最後の再会
長い年月のあと、
二人は再び出会います。
かつらは
- 苦労を重ねながら
- 子どもを立派に育て
津村もまた
- 一人の医師として成長していました。
そしてようやく
二人の愛が認められる可能性が見えてきます。
(作品の版によって結末は少し違いますが、
基本的には 希望のある再会で終わります。)
この物語が当時なぜ大ヒットしたか
1930年代の日本では、この物語は社会現象でした。
理由:
- 身分差の恋
- 母性愛
- 自己犠牲の愛
- 純愛メロドラマ
特に
- 看護婦という近代的女性
- 子どもを守る母
という人物像が
多くの観客の共感を呼びました。
有名な主題歌
映画の成功を決定づけたのが
主題歌 **「旅の夜風」**です。🎶
花も嵐も踏み越えて
行くが男の生きる道
この歌は
戦前日本最大級のヒット曲になりました。
3
『愛染かつら』が1930年代の日本で社会現象になるほど人々を泣かせた理由は、単なる恋愛物語ではなく、当時の社会心理と深く結びついていました。心理学的・文化史的に見ると、少なくとも三つの層があります。
1 なぜ戦前日本人は「自己犠牲の恋」に泣いたのか(心理学)
戦前の日本では、恋愛の理想は
**「欲望を満たす恋」ではなく「欲望を抑える恋」**でした。
つまり
- 愛している
- しかし社会のために諦める
という構造です。
心理学的に言えばこれは
欲望 → 抑圧 → 美化
というプロセスです。
社会背景
当時の日本社会は
- 家制度
- 親の決めた結婚
- 家の名誉
が強く、恋愛は自由ではありませんでした。
そのため人々の心には
- 言えない恋
- 実らない恋
- 我慢する恋
が大量に存在していました。
『愛染かつら』は
その抑圧された恋愛感情の代弁だったのです。
観客は
「自分も同じだ」
と感じて涙を流しました。
これは心理学的には
**カタルシス(感情の浄化)**です。😢
2 愛染かつらと「母性イデオロギー」
『愛染かつら』のもう一つの核心は
母の物語です。
主人公かつらは
- 未亡人
- 子どもを育てる母
- 恋より子どもを優先
します。
これは当時の日本社会で広がった思想
「良妻賢母」
と深く関係しています。
母性イデオロギー
近代日本では
「女性の理想」
として次が強調されました。
- 献身
- 忍耐
- 母性
- 自己犠牲
つまり
女性は自分の幸福より他人の幸福を優先する
という価値観です。
かつらはまさにその象徴です。
彼女は
- 愛する男を諦め
- 子どもを守り
- 相手の将来のために身を引く
この姿は当時の観客にとって
「理想の女性」
でした。
そのため女性観客は
- 共感して泣き
- 男性観客は尊敬して泣いた
と言われます。
3 戦前メロドラマとフロイト的欲望
精神分析の視点から見ると、
戦前メロドラマは非常に興味深い構造を持っています。
フロイトは、人間の欲望は
- 性欲
- 愛情
- 攻撃性
などの衝動から生まれると言いました。
しかし社会はそれを抑圧します。
その結果、人間は
欲望を直接表現できない
ので、別の形で表します。
これを
昇華(sublimation)
と呼びます。
メロドラマの心理構造
戦前映画では
欲望(恋愛)
↓
社会が禁止
↓
苦しみ
↓
涙
↓
道徳
という構造になります。
つまり
欲望が道徳に変換される物語
です。
『愛染かつら』でも
本来なら
- 医師と看護婦は結婚すればよい
だけの話です。
しかし物語はそれを許しません。
代わりに
- 別れ
- 苦しみ
- 忍耐
が描かれます。
観客はそこで
抑圧された欲望を安全に体験する
のです。
これは精神分析的には
「安全な欲望の代理体験」
と言えます。
4 涙の文化
もう一つ重要なのは
日本には昔から
「泣くことを美徳とする文化」
があることです。
例えば
- 浄瑠璃
- 歌舞伎
- 忠臣蔵
- 心中物
これらはすべて
悲しい運命に泣く芸術
です。
『愛染かつら』は
その近代版とも言えます。
つまり
江戸時代
→ 人形浄瑠璃
明治・昭和
→ メロドラマ映画
という流れです。
まとめ
『愛染かつら』が大ヒットした理由は
心理学的に見ると
- 抑圧された恋愛感情のカタルシス
- 母性イデオロギーへの共感
- 欲望の昇華としてのメロドラマ
- 日本の「涙の文化」
この四つが重なったためです。
4
現在の韓国ドラマや少女漫画と非常によく似ています。これは偶然ではなく、東アジアの社会と心理に共通する恋愛構造があるためです。
1 恋愛の「障害構造」
東アジアの恋愛物語は、基本的に
愛 → 障害 → 別離 → 再会
という構造を持っています。
典型的な障害は次のようなものです。
| 障害 | 例 |
|---|---|
| 身分差 | 医者と看護婦 |
| 家族の反対 | 親の意志 |
| 社会規範 | 未亡人・貧富差 |
| 運命 | 病気・事故・誤解 |
『愛染かつら』でも
- 医者の名門家系
- 未亡人の看護婦
- 子どもの存在
という三重の障害があります。
韓国ドラマでも同じです。
例
- 財閥の息子 × 貧しい女性
- 家族の反対
- 病気や事故
つまり恋愛は
「すぐ結ばれるもの」ではなく
「苦しみを通して純化されるもの」
として描かれます。😢
2 欲望より「忍耐」
西洋恋愛物語と東アジア恋愛物語の大きな違いはここです。
西洋型恋愛
基本構造
欲望 → 自己主張 → 結婚
例
ロミオとジュリエット
ハリウッド映画
個人の愛が社会に対抗します。
東アジア型恋愛
欲望 → 抑制 → 忍耐 → 道徳化
恋人たちは
- 親を尊重する
- 社会規範を守る
- 自己犠牲をする
『愛染かつら』のかつらは
愛よりも相手の将来を優先する
この自己抑制が
愛の証明
になります。
3 母性の中心性
東アジア恋愛物語では
恋人である前に母である
という構造がよく出ます。
『愛染かつら』では
かつらは
- 恋人
- しかし母
です。
恋よりも
子どもを優先する
この構造は現代でも非常に多いです。
例えば韓国ドラマでは
- シングルマザー
- 家族のために働く女性
- 弟妹を養うヒロイン
などが典型です。
これは
家族中心社会
の影響です。
4 「涙」の心理
東アジアの物語では
泣くこと
が重要です。
日本語でも
- 泣ける映画
- 泣ける小説
という表現があります。
心理学的にはこれは
共感の文化
です。
観客は
- 登場人物の苦しみ
- 忍耐
- 自己犠牲
に自分を重ねます。
その結果
感情の共同体
が生まれます。
5 精神分析的に見ると
精神分析の視点では、東アジア恋愛物語は
欲望の延期
です。
恋愛欲望
↓
社会が抑圧
↓
忍耐
↓
再会
この構造は
欲望を長く引き延ばす
ので感情が強くなります。
韓国ドラマが
- 16話
- 20話
と長いのも同じ心理です。
欲望を
すぐ満たさない
ことで、情動が増幅されます。
6 愛染かつらは「東アジア恋愛ドラマの原型」
文化史的に見ると
『愛染かつら』は
近代東アジア恋愛ドラマの原型
とも言えます。
構造は
- 身分差の恋
- 家族の反対
- 自己犠牲
- 母性
- 長い別離
- 涙の再会
これは
- 日本の少女漫画
- 韓国ドラマ
- 中国恋愛ドラマ
すべてに見られます。
最後に、精神医学的に非常に面白い視点があります。
実はこの構造は
日本人の恋愛心理(とくに男性)に強い影響を与えた
とも言われています。
つまり
「手に入らない女性ほど愛が深くなる」
という心理です。
これは精神分析では
欲望と喪失の構造として説明されます。
5
日本の**「純愛」観**は、古代から連続してあるように思われがちですが、実は現在私たちがイメージする形は 明治時代に形成された近代思想です。そこに深く関わった文学者として、よく名前が挙がるのが 北村透谷 と 夏目漱石です。
1 近代以前の日本の恋愛観
まず、明治以前の恋愛は、現在の「純愛」とはかなり違っていました。
平安時代
『源氏物語』などでは恋愛は
- 多くの恋人
- 身分関係
- 美と教養の競争
という性格が強いです。
つまり
恋=美的・社交的関係でした。
江戸時代
江戸文学では恋愛はしばしば
- 情欲
- 遊郭文化
- 心中(しんじゅう)
と結びつきます。
近松門左衛門の心中物では
恋 → 社会と衝突 → 死
という構造です。
しかしここで重要なのは、
これはまだ倫理的理想としての「純愛」ではないことです。
恋はむしろ
- 情
- 欲望
の世界にあります。
2 明治時代:恋愛の再発明
明治になると状況が大きく変わります。
理由は三つあります。
- 西洋思想の流入
- 個人主義の誕生
- キリスト教的倫理
ここで初めて
恋愛=人格の結合
という考えが生まれます。
この思想を最も強く語ったのが
北村透谷です。
3 北村透谷と「恋愛至上主義」
北村透谷(1868–1894)は、日本文学で最初に
恋愛を精神的・宗教的なもの
として語った人物です。
彼の有名な言葉があります。
恋愛は人生の秘鑰である
つまり
恋愛こそ人生の中心
だと主張しました。
これは当時としては非常に革命的でした。
なぜなら
- 家制度
- 親の決めた結婚
が普通だったからです。
透谷にとって恋愛は
魂と魂の出会い
でした。
ここで
精神化された恋
=純愛
という観念が誕生します。
4 夏目漱石の恋愛観
しかし夏目漱石は、透谷の理想主義を少し疑っていました。
漱石は恋愛を
美しいが危険な感情
として描きます。
例えば『こころ』では
- 愛
- 嫉妬
- 罪悪感
が複雑に絡み合います。
漱石にとって恋愛は
人格を深く揺さぶる心理現象
でした。
つまり
透谷
→ 恋愛は理想
漱石
→ 恋愛は心理的葛藤
です。
5 純愛観の大衆化
明治の文学思想は、その後
大衆文化に広がります。
流れとしては
明治文学
↓
大正ロマン
↓
少女小説
↓
映画メロドラマ
↓
『愛染かつら』
つまり『愛染かつら』の
- 自己犠牲
- 身分差
- 涙の別れ
は
明治文学の純愛思想が大衆文化化したもの
と言えます。
6 精神分析的に見る純愛
心理学的に見ると、純愛には特徴があります。
純愛は
欲望を否定しながら愛を語る
という構造を持ちます。
つまり
- 性欲を抑える
- 精神を強調する
これはフロイト的には
欲望の昇華
です。
欲望
↓
道徳
↓
理想化
こうして
「清い愛」
という観念が生まれます。
まとめ
日本の「純愛」は
- 近代以前には現在の形では存在しない
- 明治時代に西洋思想とともに生まれる
- 北村透谷が恋愛至上主義を提唱
- 夏目漱石が心理的葛藤として描く
- その思想が大衆文化(愛染かつら等)に広がる
という歴史を持っています。
6
1 日本文学に繰り返し現れる「片思い」
万葉集 万葉集には、恋の歌が非常に多いですが、その多くは
会えない恋
遠くの恋
別れた恋
です。
例えば典型的な歌の構造は
相手を思う
しかし会えない
夜や月を見て嘆く
つまり
恋=距離
です。
源氏物語 『源氏物語』でも同じ構造があります。
光源氏は多くの女性と関係を持ちますが、 物語の中心には
手に入らない女性
がいます。
典型が
藤壺
です。
父の妻
決して公然と愛せない
この「禁じられた女性」が 源氏の恋愛感情を最も強くします。
つまり
手に入らないほど愛が強くなる
という心理です。
2 少女漫画の構造
この構造は現代の少女漫画にも続きます。
典型的なパターンは
好きな人がいる
すぐには結ばれない
誤解・障害・ライバル
恋は長い間
片思いの状態
に置かれます。
心理的には
欲望の延期
です。
結ばれない時間が長いほど
想像
理想化
が強くなります。
3 アイドル文化
さらに面白いのが、日本のアイドル文化です。🎤
アイドルへの感情は
好き
しかし恋人ではない
触れられない
つまり
永遠の片思い
です。
心理構造としては
ファン → 愛する → しかし距離がある
この距離が重要です。
距離があるからこそ
理想化が維持される
のです。
4 精神分析:「不在の対象への愛」
精神分析では、愛はしばしば
存在している対象より 失われた対象に向かう
と考えます。
フロイトはこれを
喪失の構造
として説明しました。
愛する対象 ↓ 失われる / 手に入らない ↓ 心の中で理想化される
このとき
現実の人間よりも 心の中のイメージが強くなる
のです。
5 ラカンの視点
ラカンはさらに面白いことを言っています。
人間の欲望は
欠如(lack)
から生まれる。
つまり
欲望は
持っているものではなく
持っていないもの
に向かいます。
だから
手に入る ↓ 欲望が弱くなる
手に入らない ↓ 欲望が強くなる
となります。
片思いは
欲望を永遠に保つ仕組み
とも言えます。
6 日本文化でこれが強い理由
日本文化では特に
距離・余白・間
が美とされます。
例えば
俳句
能
茶道
すべて
直接言わない
文化です。
恋愛でも同じで
愛を手に入れるより
思い続けること
が美しいと感じられます。
まとめ
日本文化には一貫して
「成就しない恋の美学」
があります。
万葉集 ↓ 源氏物語 ↓ 近代文学 ↓ 少女漫画 ↓ アイドル文化
すべてに共通する心理は
不在の対象への愛
です。
精神分析的には
欲望は欠如から生まれる
手に入らない対象は理想化される
という構造になります。
7
日本文化には**「喪(mourning)」と愛が結びつく強い傾向**があります。 つまり
愛 → 喪失 → 記憶 → 理想化
という構造です。🌙 これを文化心理学的に 「喪の文化(mourning culture)」 と呼ぶことがあります。
いくつかの代表例を見てみましょう。
1 『源氏物語』と紫の上
『源氏物語』では、光源氏が最も深く愛した女性は
紫の上
です。
しかし重要なのは、源氏の感情が最も強くなるのは
紫の上が亡くなった後
だという点です。
彼は
深い喪失感
後悔
思い出への執着
に苦しみます。
つまり
生きている恋人より 死んだ恋人の記憶が強くなる
のです。
これは精神分析的には
対象喪失(object loss) の典型的な描写です。
2 近松門左衛門の心中物
江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎には
心中(しんじゅう)
というテーマがあります。
代表例:
『曽根崎心中』
恋人たちは
社会に引き裂かれる
一緒に死ぬ
という結末を迎えます。
現代の感覚では悲劇ですが、当時の観客は
非常に美しい愛
として涙を流しました。
つまり
愛は死によって永遠になる
という美学です。
3 戦争未亡人
昭和の戦争体験も、日本の「喪の文化」を強くしました。
戦争で
夫
恋人
息子
を失った女性が大量に生まれました。
戦後社会では
未亡人の記憶
が文学や映画で語られます。
例えば
原爆文学
戦争映画
戦後小説
そこでは
失われた人を思い続ける愛
が描かれます。
4 昭和歌謡
昭和歌謡にも同じテーマが非常に多いです。🎵
例えば典型的な歌詞は
帰らない恋人
別れた人
思い出の街
です。
例として挙げると
「港町ブルース」
「北の宿から」
「津軽海峡・冬景色」
など。
歌の中心は
今ここにいない人
です。
つまり
不在の恋人への感情
です。
5 精神分析:喪と理想化
フロイトは
喪とメランコリー(Mourning and Melancholia)
という論文で、喪の心理を説明しました。
愛する人が失われると
人間の心は
1 喪失を受け入れようとする
2 しかし完全には手放せない
その結果
内面に対象を保存する
のです。
つまり
現実の人物 ↓ 失われる ↓ 心の中で理想化される
これが
死者への愛が強くなる理由
です。
6 日本文化での特徴
日本文化では、この喪の心理が
美的価値
として発達しました。
代表的な美意識があります。
もののあはれ
本居宣長が説明した美学。
意味は
失われていくものへの感動
です。
桜が散る 恋が終わる 人が死ぬ
この儚さに美を感じます。
まとめ
日本文化では
愛は完成より喪失の中で深まる
という特徴があります。
例:
紫の上(源氏物語)
心中(近松)
戦争未亡人
昭和歌謡
心理構造は
愛 ↓ 喪失 ↓ 記憶 ↓ 理想化
です。
精神史的にさらに面白いことがあります。
実は日本では
「幽霊の恋」
というテーマが非常に多いのです。👻
雨月物語
怪談
能
歌舞伎
そこでは
死者が恋人に会いに来る
という物語が繰り返し描かれます。
これは精神分析的には
「喪が終わらない文化」
とも言われます。
ここまで来ると、日本人の死生観と恋愛心理が深く結びついてきます。
昔の大ヒット作『愛染かつら』です
『愛染かつら』は川口松太郎の小説を原作とし、戦前・戦後にかけて何度も映画化・テレビドラマ化されました。そのため、続編やリメイク版によって「浩三がアメリカに留学する」「かつ枝が記憶喪失になる」など脚本にさまざまな脚色や違いが存在します。
ここでは、日本の「すれ違いメロドラマ」の原点にして最大のヒットとなった、最も代表的な「1938年(昭和13年)のオリジナル映画版(上原謙・田中絹代 主演)および原作小説」の基本ストーリーを、最後まで詳しく、物語形式で章立てしてご紹介します。
昭和の大恋愛メロドラマ『愛染かつら』(代表的ストーリー)
第1章:秘密を抱えた白衣の天使
舞台は東京の名門・津村病院。院長の息子であり、将来を嘱望される若き青年医師・津村浩三は、病院で働く美しく献身的な看護婦・高石かつ枝に惹かれていました。
しかし、かつ枝には誰にも言えない秘密がありました。彼女は17歳で結婚したものの若くして未亡人となり、5歳になる娘・敏子を抱えていたのです。当時の住み込み看護婦にとって「子持ち」はご法度。彼女は姉に娘を預け、独身と偽って懸命に働いていました。
ある日、病院の創立25周年祝賀会が開かれます。余興で歌を披露することになったかつ枝の伴奏を、浩三がピアノで務めたことがきっかけで、二人は急接近します。かつ枝の美しい歌声と清楚な姿に、浩三は完全に心を奪われました。
第2章:愛染堂の誓いと猛反対
浩三から熱烈なプロポーズを受けたかつ枝。しかし、身分の違いと「子持ち」という秘密が彼女を苦しめます。ためらうかつ枝でしたが、浩三の誠実で真っ直ぐな愛情に打たれ、ついに真実の愛に生きる決意をします。
二人は津村家の菩提寺にある愛染堂へ向かい、そこにそびえ立つ霊木「愛染かつら」の巨木の下で、永遠の愛を誓い合いました。
しかし、二人の関係はすぐに浩三の家族の知るところとなります。名門令嬢・中田未知子との縁談を進めていた家族、特に浩三の妹・竹子は激怒し、かつ枝を激しく罵倒します。二人の恋は周囲の猛反対にさらされることになりました。
(→竹子はなぜそんなにも激怒するのか?)
第3章:運命の「すれ違い」
家族の反対から逃れ、自分たちの愛を貫くため、二人は浩三の先輩・服部を頼って京都へ駆け落ちする計画を立てます。
いよいよ約束の夜。新橋駅で浩三が待つ中、かつ枝は思いがけない悲劇に見舞われます。預けていた娘の敏子が急病で倒れてしまったのです。高熱に苦しむ我が子を置いて駅に向かうことはできず、かつ枝の約束の時間は無情にも過ぎてしまいます。
事情を知らない浩三は、いつまで待っても現れないかつ枝に絶望します。「彼女は土壇場で僕を裏切ったのか…」。浩三は失意と怒りを抱えたまま、単身、京都行きの夜行列車に乗るのでした。これぞ、日本のメロドラマにおける伝説の「すれ違い」の始まりです。
第4章:哀しき別離
京都の大学研究室で働き始めた浩三。先輩・服部の妹である美也子は、傷心の浩三に惹かれかいがいしく世話を焼きます。
一方、娘の看病を終えたかつ枝は、誤解を解くために京都の服部邸を訪ねます。しかし、応対した服部はかつ枝を「浩三を裏切った身勝手な女」と誤解しており、冷たく追い返して浩三の居場所を教えませんでした。
後日、かつ枝が自分を訪ねてきたことを知った浩三は急いで東京に戻り、彼女のアパートへ向かいます。しかし、そこで浩三は「かつ枝に子供(敏子)がいる」という決定的な秘密を初めて知ってしまいます。事実を隠されていたことにショックを受けた浩三は、かつ枝に会うことなく、再び背を向けてしまうのでした。
さらに、妹・竹子の圧力によって、かつ枝は津村病院を追放されてしまいます。
第5章:白衣の天使から流行歌手へ
どん底の生活の中、かつ枝は娘を養うために、祝賀会でも披露した自らの「美声」を生かし、レコード歌手としてデビューする道を歩み始めます。
「白衣の天使から流行歌手へ」という話題性もあり、かつ枝の歌声は瞬く間に大衆の心を掴み、彼女はまたたく間に大スターへと登り詰めます。
一方の浩三は、未だにかつ枝への愛と「騙された」という思いの間で苦悩し、心を閉ざしたまま医学の仕事に没頭していました。
第6章:花も嵐も踏み越えて(結末)
数ヶ月後、新聞には、かつ枝が東京で大々的な「自作歌の発表会」を開くことが報じられます。津村病院の看護婦たちはかつての同僚を応援しに行きたいと願い出ますが、心を頑なにしている浩三は看護婦たちの外出許可を出しません。
しかし、見かねたかつ枝の元同僚たちが、ついに浩三に直訴します。
「かつ枝さんがどれほど過酷な運命の中で子供を育ててきたか」
「駆け落ちの夜、なぜ駅に行けなかったのか(娘の急死に直面していたこと)」
「そして今でも、どれほど浩三先生を深く愛しているか」
すべての事情と、彼女の隠された苦悩を知った浩三の目から、ようやく誤解の鱗が落ちます。「僕はなんという思い違いをしていたんだ!」。浩三は直ちに全看護婦に外出許可を与え、自らも発表会の劇場へと車を走らせます。
大盛況の内に幕を下ろした発表会。熱気冷めやらぬ楽屋に、息を切らせて飛び込んできた浩三の姿がありました。
言葉はいりませんでした。見つめ合う二人。かつ枝の瞳から大粒の涙が溢れ、浩三の胸に飛び込みます。幾重もの誤解とすれ違い、身分差という嵐を乗り越え、二人の心は再び一つになったのです。
翌日。愛染堂の「愛染かつら」の木の下には、静かに手を合わせる浩三と、寄り添うかつ枝、そして二人に挟まれて無邪気に微笑む娘・敏子の姿がありました。三人の上には、どこまでも晴れやかな空が広がっていたのでした。(完)
補足:その後の展開や脚本の違いについて
この基本ストーリーの大ヒットを受け、当時はすぐさま『続・愛染かつら』『愛染かつら 完結篇』が制作されました。
続編以降では、「浩三がアメリカへ留学してしまう」「かつ枝が後を追うが声が出なくなる(失声症)」「浩三が別の女性と結婚させられそうになる」といった、さらにハードな「すれ違い」と「障害」が次々と脚本に付け足されていきます。
しかし、どの時代のリメイク版であっても、主題歌『旅の夜風』の歌詞にある「花も嵐も 踏み越えて〜♪」の通り、「身分違いの二人が恋に落ち、愛染かつらの木の下で誓いを立てるが、すれ違いの連続の末に、最後は歌手になったかつ枝と結ばれる」という王道の骨組みは共通しています。携帯電話のない時代ならではの、もどかしくも美しい大恋愛物語です。
