意識は本質的に時間に関わっています。好むと好まざるとにかかわらず、時間とは意識の形象です。
意識が時間を生み出すわけではありません。そうだとすれば意識は時間の前か後に存在することになるからです。
もしAがBを生み出すとしたら、通常この二つは違うものでなくてはなりません。それでは意識がどうやって時間を生み出せるでしょうか。
ですから時間は意識の形象だと私は考えます。意識がなければ時間は存在しません。しかしひとたび意識を持てば、そこには時間があるのです。
また私は、意識は何の理由もなく宇宙に現れたと考えています。自然が意識を生み、その意識の形象が時間です。自然が意識を時間の中で生み出したのではありません。
なぜなら意識以前に時間は存在しないからです。ですから意識以前に時間がどのようであったかを問うことさえも無意味です。時間と意識は同じ形象だからです。そこに外部性はありません。
現実は時間の中にあるように見えますが、それは意識の観点からにすぎません。意識を取り去れば時間はなくなります。
意識とはすべてのものが時間の中にあるという幻想です。しかし意識を取り去れば無時間になります。
意識は幻想ですが、実在する。客観的に存在している真の幻想なのです。