17. 躁うつ病における躁状態先行仮説と、統合失調症・うつ病との関連
17-1. はじめに:躁状態は病気の「起点」か「帰結」か?
躁うつ病(双極性障害)は、その名の通り、躁状態と抑うつ状態という相反する気分エピソードを繰り返す疾患である。従来、うつ病を契機に診断される例が多く、実臨床においても初回エピソードが抑うつ状態であることが多いとされてきた。しかし一方で、**「躁状態先行仮説(mania-first hypothesis)」**として知られる視点もあり、これに基づけば、躁状態こそが双極性障害の原型であり、抑うつはその二次的な表現形にすぎないとする立場が存在する。
この章では、躁状態先行仮説の理論的背景と、実証研究の知見を検討しながら、それが統合失調症やうつ病とどのように関係するかを論じていく。
17-2. 躁状態先行仮説の概要と背景
躁状態先行仮説の根拠は、以下のような観点から支持されている。
- 発症年齢が躁状態の方が早いという報告(Post et al., 2003)
- 躁状態はしばしば病識が欠如し、社会的逸脱行動を伴いやすいため、臨床介入の初発点となりやすい
- 抑うつ状態が二次的に出現することが多く、躁転によって「うつ病」から双極性障害へ診断が変更される事例が多い
- 気分障害の家族歴において、躁状態を初発とする群の方が高頻度に遺伝的素因を有する傾向がある
この仮説に従えば、うつ状態は「躁病の疲弊後の状態」であり、躁状態が中核であると考える。
17-3. 双極性障害I型とII型の診断概念と躁状態の役割
DSM-5においては、以下のように双極性障害は定義されている:
- 双極I型障害:明確な躁病エピソードを含む(うつ病エピソードは必須ではない)
- 双極II型障害:軽躁病エピソードとうつ病エピソードを反復する(躁病は含まない)
この分類そのものが、躁状態の有無を中核的な判断材料としていることから、診断体系においても躁状態の優位性が示唆されているとも言える。
一方で、双極II型ではしばしば軽躁が見逃され、「反復性うつ病」と診断されることがあり、これが「うつ病の裏に隠れた双極性障害」という近年の関心へとつながっている。
17-4. 統合失調症との関連:躁状態と精神病性エピソード
躁状態が極度に亢進すると、しばしば幻覚や誇大妄想を伴い、精神病性障害との鑑別が問題となる。とくに以下の点が指摘されている:
- 躁病性エピソード中の精神病症状(特に聴覚性幻覚、関係妄想など)は、統合失調症のそれと酷似することがある
- 精神病性双極障害(psychotic bipolar disorder)は統合失調症との臨床的連続性を示す
- 家族研究では、躁うつ病と統合失調症は一定の遺伝的重複を示しており、「統合失調感情障害(schizoaffective disorder)」という中間カテゴリーが存在する背景ともなる
つまり、躁状態は単に「気分の高揚」として片づけられるものではなく、精神病性体験を伴うことで、統合失調症との接点を持ち得るのである。
17-5. うつ病との関係:躁病の「反跳」としての抑うつ
躁状態先行仮説を支持する立場から見れば、抑うつ状態は躁病の後に生じる「反跳的」「脱力的」なエピソードと位置づけられる。そのため、以下の臨床的特徴が報告されている:
- 躁病の後に出現するうつ病エピソードは、非定型的特徴(過眠、過食、拒絶過敏)を伴うことが多い
- 抑うつ状態中も、潜在的な気分の不安定さや易怒性を伴い、純粋な「大うつ病性障害」とは異なる様相を示す
これらの特徴は、うつ病と双極性障害の鑑別の難しさを示すものであり、治療の選択(抗うつ薬の単剤使用 vs 気分安定薬の併用)においても重要な意義を持つ。
17-6. 統合的視点:躁状態を中心としたスペクトラム理解
近年では、躁状態先行仮説は単なる仮説にとどまらず、気分障害と精神病のスペクトラム理解の一部として統合的に把握されつつある。以下のような軸が提案されている(Goodwin & Jamison, 2007):
- 気分スペクトラム(unipolar ←→ bipolar)
- 精神病スペクトラム(気分一致性妄想 ←→ 気分非一致性妄想 ←→ 自我障害)
この視点に立てば、躁状態は単なる気分の極端な高揚というよりも、精神病スペクトラムの中間点として、うつ病と統合失調症を橋渡しする役割を果たしているとも解釈できる。
17-7. 結語:躁状態は「中核」か、それとも「境界」か
躁状態先行仮説は、診断学的には魅力的であると同時に、疾患概念を再構築する可能性を秘めた視点である。躁状態は双極性障害の「中核」であると同時に、うつ病や統合失調症といった他の精神障害と重なり合う**「境界」**にも位置している。そのため、躁状態の診断・理解・早期発見は、気分障害全体の理解にとって極めて重要であると結論づけられる。
参考文献(第17章)
- Post, R. M., et al. (2003). The early course of bipolar disorder: clinical and research implications. Journal of Clinical Psychiatry, 64(Suppl 2), 5–19.
- Goodwin, F. K., & Jamison, K. R. (2007). Manic-Depressive Illness: Bipolar Disorders and Recurrent Depression. Oxford University Press.
- Akiskal, H. S. (1996). The bipolar spectrum: new concepts in classification and diagnosis. Comprehensive Psychiatry, 37(1), 1–10.
- Angst, J. (2007). The bipolar spectrum. British Journal of Psychiatry, 190(5), 189–191.
- American Psychiatric Association. (2013). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th Edition (DSM-5).