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補論-10 精神病についての考え方の変遷

精神病についての考え方の変遷序論:この問いの射程「精神病についての考え方の変遷」——これは一見、純粋に医学史の問いだ。しかし深く読めば、これは**「人間が人間の苦しみをどう理解してきたか」という問いであり、さらに「社会が「正常」と「異常」の...
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補論-9 カトリック神学の成長と治癒——精神の発達史として読む

カトリック神学の成長と治癒——精神の発達史として読む序論:神学を「精神の自伝」として読むこれは独創的で、しかし正当な読み方だ。カトリック神学の二千年の歴史を、一つの精神の成長と治癒の物語として読む。個人の精神的成長には、段階がある。幼児的な...
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補論-8 理性の外部

宗教は理性の外部に存在するか——人間は理性の外部に立てるか序論:この問いの構造この問いは、一見シンプルだが、実は入れ子構造になっている。「宗教は理性の外部に存在するか」と問うとき、その問い自体が理性によって立てられている。「人間は理性の外部...
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補論-7 カトリックがあるのになぜ新興宗教はいつでも存在するのか

これほどに荘厳で深淵で慈愛に満ちた伝統宗教があるのに、それでも、新興宗教がいつでも存在するのは、なぜか。なぜ新興宗教はいつでも存在するのか序論:問いの鋭さを認めるこの問いは、表面上は宗教社会学の問いだ。しかし深く読めば、伝統宗教そのものへの...
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補論-6 カトリック神学から見た西洋の自然科学

カトリック神学から見た西洋の自然科学カトリック神学から見た西洋の自然科学とは。それは神に至る道なのか。世俗の道具なのか。にもかかわらず原子爆弾や生物化学兵器、遺伝子工学など、神の予定ではなかった歴史も刻まれているのではないか。序論:問いの複...
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補論-5 カトリック神学から見た唯物論的無神論

カトリック神学から見た唯物論的無神論序論:対話の前提としてカトリック神学が唯物論的無神論と向き合うとき、二つの誤った態度がある。一つは過度な敵対——「唯物論は悪魔の思想だ」として拒絶し、その内的論理を理解しようとしない態度。もう一つは過度な...
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補論-4 「理性を信仰する」——近代の隠れた宗教

「理性を信仰する」——近代の隠れた宗教この洞察の鋭さを最初に認める「理性を信仰する」という表現は、一見矛盾に見える。信仰は理性を超えたものへの態度であり、理性は信仰を批判する道具だ——という通常の理解からすれば、「理性への信仰」は形容矛盾だ...
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補論-3 理性と信仰——理性をどこまで信頼し、どこで離れるか

理性と信仰——どこまで信頼し、どこで離れるかこの問いの切実さを最初に認めるこの問いは、抽象的な哲学的問いではない。生きることに関わる問いだ。「理性を信じて考え抜いたとき、神の存在は証明できない。では信仰するとはどういうことか。」「信仰を持っ...
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第十二章付属章-2 新トマス派

カトリック新トマス派:伝統と革新の融合カトリックの新トマス派(Neo-Thomism)は、20世紀初頭から現在に至るまで、カトリック哲学と神学における重要な潮流です。その名は、中世スコラ哲学の巨匠であるトマス・アクィナス(1225-1274...
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第十二章付属章 新トマス主義入門

これまでの旅で、中世のトマス・アクィナスから、近代のパスカル、現代のラーナーや解放神学までを見てきました。しかし、19世紀末から20世紀にかけて、カトリック教会にはもう一つの巨大な動きがありました。それが「新トマス主義(ネオ・トミズム)」で...