第6章 神経生物学的基盤の共通点と相違点
6-1. はじめに
統合失調症とうつ病はいずれも精神疾患として長らく研究されてきたが、近年ではこれらの疾患に共通する神経生物学的基盤が注目されている。特に神経伝達物質の異常、脳の構造的変化、神経回路の機能障害といった観点から、両者の比較は精神疾患理解の深化に貢献している。本章では、それぞれの生物学的基盤について整理し、両者の共通点と相違点を明確にする。
6-2. 神経伝達物質の異常
統合失調症
統合失調症においては、特にドーパミン仮説が古くから提唱されており、中脳辺縁系(とくに腹側被蓋野から側坐核)におけるドーパミン活性の過剰が陽性症状(幻覚・妄想)に関与しているとされる(Howes & Kapur, 2009)。また、前頭前野におけるドーパミン低下は陰性症状および認知障害と関連がある。
さらに、グルタミン酸仮説(NMDA受容体機能低下)や、GABAの抑制機能の低下も報告されており、神経伝達のバランスの乱れが多系統にわたっていることが分かっている。
うつ病
一方、うつ病ではモノアミン仮説に基づき、セロトニン(5-HT)・ノルアドレナリン(NA)・ドーパミン(DA)の枯渇が症状の中心とされてきた。とくにセロトニン系の機能不全が抑うつ気分や不安、意欲低下などと関係するとされており、SSRIなどの治療薬の効果がこれを支持している。
また、うつ病においてもドーパミン系の低下が快感消失や意欲低下に関与するなど、統合失調症との神経伝達物質の重なりが一部に見られる。
6-3. 神経回路と脳機能の相違
統合失調症
脳画像研究により、統合失調症では以下の構造的・機能的異常が指摘されている:
- 側脳室の拡大
- 前頭前野の灰白質減少
- 聴覚皮質・側頭葉の変化
- デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)の異常活動
これらの変化は、認知機能障害や幻聴といった症状と相関しており、発症早期からみられることも多い。
うつ病
うつ病では以下の神経基盤の異常が報告されている:
- 前部帯状回(ACC)の過活動
- 扁桃体の過剰反応性
- 海馬の萎縮
- DMNの過剰な自己志向的思考(rumination)との関連
これらは情動調整の障害や過去の記憶への過剰な固執と関係し、慢性化するうつ病において特に顕著である(Drevets et al., 2008)。
6-4. ストレス応答とHPA軸
統合失調症とうつ病はともに、ストレス応答系(視床下部-下垂体-副腎系:HPA軸)の異常が関与している。
- うつ病ではHPA軸の過活動によりコルチゾール値の上昇が一貫して認められ、慢性ストレスによる神経毒性や神経新生の抑制が問題となる。
- 統合失調症においても、ストレスに対する過敏性やHPA軸の異常が報告されているが、より個体差が大きく、一定のパターンを描かない点が特徴である(Walker & Diforio, 1997)。
6-5. 生物学的重なりと病態連続性の示唆
上記のように、統合失調症とうつ病にはドーパミンやセロトニンの関与、DMNやHPA軸の異常などの共通点が見られる。このことは、両者が一部重なり合う神経生物学的スペクトラム上に位置づけられる可能性を示している。
一方で、症状の発現様式や治療反応性、予後の違いなどを考慮すると、それぞれが独立した神経回路異常に由来する別個の疾患であるという考え方も妥当である。
6-6. 結語
統合失調症とうつ病の神経生物学的基盤を比較することで、両者の症状の重なりの理由や、治療戦略の共通性と差異を理解する手がかりが得られる。今後は、より詳細な神経回路の解析や、**個別化医療(precision medicine)**の進展によって、こうした理解が実臨床へと応用されることが期待される。
参考文献
- Howes, O. D., & Kapur, S. (2009). The dopamine hypothesis of schizophrenia: version III—the final common pathway. Schizophrenia Bulletin, 35(3), 549–562.
- Drevets, W. C., Savitz, J., & Trimble, M. (2008). The subgenual anterior cingulate cortex in mood disorders. CNS spectrums, 13(8), 663–681.
- Walker, E., & Diforio, D. (1997). Schizophrenia: a neural diathesis-stress model. Psychological Review, 104(4), 667–685.
- Nestler, E. J., & Hyman, S. E. (2010). Animal models of neuropsychiatric disorders. Nature Neuroscience, 13(10), 1161–1169.
- American Psychiatric Association. (2013). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (5th ed.).