雪解けの縁側にて 

雪解けの縁側にて 

人の心の奥底には、時折、どうしようもなく幼い自分が顔を出すことがある。まるで、降りしきる雪に埋もれた家の中で、ただひたすらに春の陽射しを待ち焦がれるように。その「内なる子供」は、かつてそうであったように、強く、頼りになる誰かに、ただ「大丈夫だよ」と、その一言で凍てついた心を溶かしてほしいと願う。抱えている苦しみや不安が、魔法のように消え去ることを、一心に渇望するのだ。それは、まるで冷たい板の間に裸足で立ち尽くしているような、心細さ、寄る辺なさの現れなのかもしれない。 

そんな切実な叫びが、カウンセリングルームという、いわば心の縁側のような場所で、ぽつり、ぽつりと零れ落ちることがある。その声は、理屈や建前を通り越して、存在の根源から響いてくるようだ。 therapist として、その痛切な響きを受け止めるとき、ただ同情的に「大丈夫ですよ」と繰り返すだけでは、かえってその子の孤独を深めてしまうのではないか、という迷いがよぎる。それは、あたかも雪かきを代わりにするだけで、本人の中に春を呼ぶ力があることを忘れさせてしまうようなものかもしれない。 

ここで、ひとつの静かな試みがなされる。その、子供のように助けを乞うているクライエントの、もう一つの側面――物事を客観的に捉え、考え、判断しようとする「理性的な心」に、そっと語りかけるのだ。 

「少し、教えていただけますか」と、あくまで穏やかに問いかける。「もし、ここに別の患者さんがいらして、あなたと同じように、とにかく早くこの不安から解放されたい、と強く願っているとします。その方に対して、お医者さんとして、どんな言葉をかけたら、その方は安心できるでしょうか。どうすれば、その方の力になれると思われますか」 

この問いかけは、一見、回りくどいものに聞こえるかもしれない。しかし、ここには、人間学的、あるいはロジャーズ的な視点からの深い配慮が込められている。カール・ロジャーズが強調したように、人間には本来、自己実現に向かう力が備わっている。たとえ今、深い苦悩の中にいたとしても、その人の中には、状況を理解し、乗り越えていこうとする潜在的な知恵や強さが眠っている、という信頼である。 

この問いは、クライエントを「助けられるべき無力な存在」という位置から、一時的に「他者を助ける視点を持つ、思慮深い存在」へと誘う。それは、依存の沼から、自立の岸辺へと、そっと手を差し伸べるようなものだ。 

すると、しばしば、不思議な変化が訪れる。さっきまで、ただ「大丈夫だと言ってほしい」と訴えていたクライエントの表情に、ふと、思索の色が浮かぶ。眉間に寄せられていた皺が、わずかに和らぐ。そして、ぽつり、ぽつりと、言葉を探し始めるのだ。 

「そうですね……まず、じっくり話を聞いてあげる、ことでしょうか……」 
「急かさないで……その人のペースを大事にする、とか……」 
「『すぐに良くならなくても、焦らなくていいんですよ』って……伝える……かもしれません」 

その言葉は、驚くほど的確で、温かい。まるで、先ほどまで助けを求めていた「内なる子供」に向けて、自分自身が語りかけているかのようだ。他者を思いやるという形で、クライエントは、自分自身の不安を鎮めるための言葉を、自らの内から紡ぎ出しているのである。 

これは、単なる役割演技ではない。ロジャーズの言う「共感的理解」を、クライエント自身が、仮託された他者に対して(そして、無意識のうちに自己に対して)実践しようとするプロセスなのだ。そして、そのプロセス自体が、自己治癒力を静かに呼び覚ます。 therapist は、その傍らで、ただ受容的に、その変化を見守る。あたかも、縁側で日向ぼっこをする猫のように、静かに寄り添う。 

「大丈夫だよ」という言葉の、本当の重み。それは、誰か偉い人や力のある存在から、一方的に与えられる慰めの中にあるのではないのかもしれない。むしろ、自分自身の内なる声に耳を澄まし、他者への(そして自己への)思いやりの中から、自らその響きを見つけ出すときに、最も深く、温かく、心に沁みわたるのではないだろうか。 

もちろん、その「理性的な心」の声が、すぐに「内なる子供」の不安を完全に消し去るわけではない。雪解けには時間がかかるように、心の回復にもプロセスがある。だが、この問いかけによって、クライエントは、自分の中にも不安と向き合い、それを和らげる力があるのだ、という可能性に、そっと触れることができる。依存という一本の細い糸だけでなく、自分自身で立つための、もう一本の、確かかもしれない糸を見出すのだ。 

人生には、どうしようもない哀しみや、寄る辺なさがある。そんな静かな哀切の中にも、ふとした瞬間に、人の内にある温かさや、ささやかな強さが、ほのかな灯りのように見えることがある。このセラピーの瞬間は、まさにそのような、静かで、しかし確かな希望の灯がともる瞬間と言えるのかもしれない。クライエントが、自らの内に眠る「大人」の声に耳を澄ますとき、本当の意味での「大丈夫だよ」への道が、雪の下から、ゆっくりと顔を出し始めるのである。 

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