犬笛を吹く。
罪悪感に乏しい、あるいは乏しいふりをした、匿名の集団。状況の全体が見えていない人たち、あるいは見えていないと言い張って面積を期待している人たちが集まって、集団の熱狂を楽しむ。
ビデオの切り取りをして拡散して収入を得る。そこには罪悪感はない、候補者がどんな人なのかは興味がなかったと語る。普通考えて、興味がないはずはないし、自分はいったい何の宣伝をしているのかと思うに決まっているはずだ。一応、内容については関心がなかった、よく知らなかった、見ていないで、免責してもらおうとしているようだ。
法律を逆用している。こういう建前にすれば、逃げられると知っていて、振る舞っている。
法律の隙間を利用した、他人を傷つけて、自己利益と考え感じる人びとである。
家族がそのようなことをしている場合、当然、静止が働くが、そのような家族もいないのだろうか。
ところが、現実に生起した被害は大きい。死者も発生しているし、様々な苦痛をまき散らし、業務に支障も出た。
その被害が嫌なので、あえて反対も糾弾も表明せず、集団ストーカーの被害にならないように、言葉をひそめていたマスコミその他の人々がいる。それが結局、被害を増大させた。加害者の言葉だけはいまも頻回に大声で流れ続けている。
一体どうしたことなのか、理解が難しい。
公開の会見の場で、わざと的外れな、不誠実な、はぐらかしの答えばかりを続けている人間は、はたして正気が続くものなのだろうか。自分は何をしているのだろうと怖くならないのだろうか。自分の人生を自分でけがしてしまって、いったい自分は何を求めているのだろうと思わないのだろうか。立場が違えば、それなりに、整合性のある理屈も感情もあるのだろうか。
理解しがたいことも、勉強して、なるべく理解を拡張して、考えることにしているが、どのようにしても、理解しがたい。自分がつらすぎるのではないだろうか。
しかしそれにしては、深い苦悩を呈するわけでもない。イベントにはあちこちでかけている。のような種類の人間がいるという結論しかないのだろうか。合理的な了解も理解もできない。