心を平にして気を和らげ、言を少なくして無用の事をはぶ
き、風·寒·暑·湿の外邪を防ぎ、又時々身を動かし、歩行
し、時ならずしてねぶり臥す事なく、食気をめぐらすべし。
是養生の要なり。
貝原益軒『養生訓』(正徳三年·一七一三)総論下
「自分の身体は自分だけのものではなく、父母が授けてくれ、自分の子へと残すものであるため、不摂生をして身体を傷めつけることはしてはいけない。養生を学び、健康を保つことが大切である。欲のままに生活するのではなく、生まれてきたことに感謝をし、日々慎ましやかに楽しく生活することが長生きにつながる。」
養生の道
- 怒りや心配事を減らして心を穏やかに保つ
- 元気であることが生きる活力になるのでいつも元気でいる
- 食事は食べ過ぎず、毎日、自分に合った適度な運動をするのがよい
- 生活の中で自分の決まり事をつくり、よくないことは避ける
- 病気になってから治療するのではなく、病気にならない努力をする
- 何事もほどほどにし、調和のとれた生活を送る
- お金がある、ないに関係なく、自分なりの楽しみを持って生活する
- 養生のための生活を習慣化することが大切
- 呼吸はゆっくり行い、たまに大きく息を吸い込む
- 夜更かしはしない、だらだらと寝すぎない
- 身のまわりを清潔に保つ
食生活
- 食事は温かいうちに食べる
- 胃腸が悪い時は水を多めにして炊くなど、体調に合わせてご飯を炊く
- 食事は薄味にし、濃い味のものや脂っこいものは食べ過ぎない
- 冷たいもの、生もの、堅いものは避ける
- いろいろな味のものをバランスよく食べる
- 食べ物への感謝の気持ちを忘れずに食事する
- 夕食は朝食よりも少なめにする
- 食欲を抑える、食欲に勝てる精神力を持つことが大切
- 前にとった食事が消化してから次の食事をとる
- 大きな魚や鳥や魚の皮など消化しにくいものは避ける
- 食後はじっと座るのではなく、自分に合った軽い運動を行う
- 酒は少しにして呑みすぎない
- 塩分の少ない食事をとる
- 煙草は毒であり、習慣化すればやめにくくなる
性生活
- 食欲と性欲は人間の欲の中でも強い欲だが、若いときから自制しなければならない
住まい
- 適度な明るさの部屋で過ごし、薄暗い陰気な部屋に長時間いないようにする
睡眠
- 夜寝るときは横向きで寝るのがよい。仰向けになると気分が悪くなってうなされる。胸の上に手を置くと悪夢をみる
排泄
- 大便、小便は我慢せずに早く済ませる
薬の服用
- 長生きの薬はない。生まれ持った寿命を全うする
- 毒にあたって薬を飲むときは冷水がよい。熱湯は毒の力を活発にする
高齢者の過ごし方
- 心を鎮めて日々を楽しみ、怒ることと欲を制する
- 無理をしないようにする
- 養生訓からの学び
- 巻第二 総論下
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- 巻第三 飲食上
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- 巻第四 飲食下
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- 巻第五 五官
- 巻第六 病を慎しむ
- 巻第七 薬を用ふ
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- [760]
- 巻第八 老を養ふ
- からだは天地の賜物
- 人生で一番大事な事
- 大切な一字
- 三つの楽しみ
- 心を楽しませ、気を養う助け
- 気をめぐらす
- かぎりある元気
- 気を養う大切な方法
- 自分の体を可愛がり過ぎてはいけない
- 節度を守る
- 良い食事
- 飲食と色欲の慎み
- 交接の回数
- 心配しすぎない
- 天命を受け入れる
- 導引の術
養生訓からの学び
養生訓に書かれていることは、バランスのとれた食事と適度の運動、良質な睡眠、そしてストレスは避けて心を穏やかに保ち、楽しみを持って元気に過ごすという、現代の生活習慣病の予防や治療で大切とされることが全て網羅されていると感じます。食事も暮らしも質素であった時代から、欲を制して控えめな生活をすることが健康長寿につながると説かれており、江戸時代よりも格段に物が豊富にそろう現代では、どれだけ自分を制し、欲動※2をコントロールして生きていくかが健康のために大切なことといえるのではないでしょうか。
[101]
人の身は父母を本とし天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生まれ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの(御賜物)、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。是天地父母につかへ奉る孝の本也。身を失ひては、仕ふべきやうなし。わが身の内、少なる皮はだへ(皮膚)、髪の毛だにも、父母にうけたれば、みだりにそこなひやぶるは不孝なり。況(いわんや)大なる身命を、わが私の物として慎まず、飲食・色慾を恣(ほしいまま)にし、元気をそこなひ病を求め、生付たる天年を短くして、早く身命を失ふ事、天地父母へ不孝のいたり、愚なる哉。人となりて此世に生きては、ひとへに父母天地に孝をつくし、人倫の道を行なひ、義理にしたがひて、なるべき程は寿福をうけ、久しく世にながらへて、喜び楽みをなさん事、誠に人の各願ふ処ならずや。此如くならむ事をねがはば、先(まず)、古の道をかうが(考)へ、養生の術をまなんで、よくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり。人身は至りて貴とくおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。然るにこれを養なふ術をしらず、慾を恣にして、身を亡ぼし命をうしなふ事、愚なる至り也。身命と私慾との軽重をよくおもんぱかりて、日々に一日を慎しみ、私慾の危をおそるる事、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如くならば、命ながくして、ついに殃(わざわい)なかるべし。豈(あに)、楽まざるべけんや。命みじかければ、天下四海の富を得ても益なし。財の山を前につんでも用なし。然れば道にしたがひ身をたもちて、長命なるほど大なる福なし。故に寿(いのちなが)きは、尚書(=書経)に、五福の第一とす。是万福の根本なり。
[102]
万の事つとめてやまざれば、必(ず)しるし(験)あり。たとへば、春たねをまきて夏よく養へば、必(ず)秋ありて、なりはひ多きが如し。もし養生の術をつとめまなんで、久しく行はば、身つよく病なくして、天年をたもち、長生を得て、久しく楽まん事、必然のしるしあるべし。此理うたがふべからず。
[103]
園に草木をうへて愛する人は、朝夕心にかけて、水をそそぎ土をかひ、肥をし、虫を去て、よく養ひ、其さかえを悦び、衰へをうれふ。草木は至りて軽し。わが身は至りて重し。豈我身を愛する事草木にもしかざるべきや。思はざる事甚し。夫養生の術をしりて行なふ事、天地父母につかへて孝をなし、次にはわが身、長生安楽のためなれば、不急なるつとめは先さし置て、わかき時より、はやく此術をまなぶべし。身を慎み生を養ふは、是人間第一のおもくすべき事の至(り)也。
[104]
養生の術は、先(ず)わが身をそこなふ物を去べし。身をそこなふ物は、内慾と外邪となり。内慾とは飲食の慾、好色の慾、睡の慾、言語をほしゐままにするの慾と、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情の慾を云。外邪とは天の四気なり。風・寒・暑・湿を云。内慾をこらゑて、すくなくし、外邪をおそれてふせぐ、是を以(て)、元気をそこなはず、病なくして天年を永くたもつべし。
[105]
凡(およそ)養生の道は、内慾をこらゆるを以(て)本とす。本をつとむれば、元気つよくして、外邪をおかさず。内慾をつつしまずして、元気よはければ、外邪にやぶれやすくして、大病となり天命をたもたず。内慾をこらゆるに、其(の)大なる条目は、飲食をよき程にして過さず。脾胃をやぶり病を発する物をくらはず。色慾をつつしみて精気をおしみ、時ならずして臥さず。久しく睡る事をいましめ、久しく安坐せず、時々身をうごかして、気をめぐらすべし。ことに食後には、必数百歩、歩行すべし。もし久しく安坐し、又、食後に穏坐し、ひるいね、食気いまだ消化せざるに、早くふしねぶれば、滞りて病を生じ、久しきをつめば、元気発生せずして、よはくなる。常に元気をへらす事をおしみて、言語をすくなくし、七情をよきほどにし、七情の内にて取わき、いかり、かなしみ、うれひ思ひをすくなくすべし。慾をおさえ、心を平にし、気を和(やわらか)にしてあらくせず、しづかにしてさはがしからず、心はつねに和楽なるべし。憂ひ苦むべからず。是皆、内慾をこらえて元気を養ふ道也。又、風寒暑湿の外邪をふせぎてやぶられず。此内外の数(あまた)の慎は、養生の大なる条目なり。是をよく慎しみ守るべし。
[106]
凡(すべて)の人、生れ付たる天年はおほくは長し。天年をみじかく生れ付たる人はまれなり。生れ付て元気さかんにして、身つよき人も、養生の術をしらず、朝夕元気をそこなひ、日夜精力をへらせば、生れ付たる其年をたもたずして、早世する人、世に多し。又、天性は甚(はなはだ)虚弱にして多病なれど、多病なる故に、つつしみおそれて保養すれば、かへつて長生する人、是又、世にあり。此二つは、世間眼前に多く見る所なれば、うたがふべからず。慾を恣にして身をうしなふは、たとえば刀を以て自害するに同じ。早きとおそきとのかはりはあれど、身を害する事は同じ。
[107]
人の命は我にあり、天にあらずと老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生れ付たれども、養生よくすれば長し。養生せざれば短かし。然れば長命ならんも、短命ならむも、我心のままなり。身つよく長命に生れ付たる人も、養生の術なければ早世す。虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長し。是皆、人のしわざなれば、天にあらずといへり。もしすぐれて天年みじかく生れ付たる事、顔子などの如なる人にあらずむば、わが養のちからによりて、長生する理也。たとへば、火をうづみて炉中に養へば久しくきえず。風吹く所にあらはしおけば、たちまちきゆ。蜜橘をあらはにおけば、としの内をもたもたず、もしふかくかくし、よく養なへば、夏までもつがごとし。
[108]
人の元気は、もと是天地の万物を生ずる気なり。是人身の根本なり。人、此気にあらざれば生ぜず。生じて後は、飲食、衣服、居処の外物の助によりて、元気養はれて命をたもつ。飲食、衣服、居処の類も、亦、天地の生ずる所なり。生るるも養はるるも、皆天地父母の恩なり。外物を用て、元気の養とする所の飲食などを、かろく用ひて過さざれば、生付たる内の元気を養ひて、いのちながくして天年をたもつ。もし外物の養をおもくし過せば、内の元気、もし外の養にまけて病となる。病おもくして元気つくれば死す。たとへば草木に水と肥との養を過せば、かじけて枯るるがごとし。故に人ただ心の内の楽を求めて、飲食などの外の養をかろくすべし。外の養おもければ、内の元気損ず。
[109]
養生の術は先(ず)心気を養ふべし。心を和にし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ、思ひ、をすくなくし、心をくるしめず、気をそこなはず、是心気を養ふ要道なり。又、臥す事をこのむべからず。久しく睡り臥せば、気滞りてめぐらず。飲食いまだ消化せざるに、早く臥しねぶれば、食気ふさがりて甚(はなはだ)元気をそこなふ。いましむべし。酒は微酔にのみ、半酣をかぎりとすべし。食は半飽に食ひて、十分にみ(満)つべからず。酒食ともに限を定めて、節にこゆべからず。又、わかき時より色慾をつつしみ、精気を惜むべし。精気を多くつひやせば、下部の気よはくなり、元気の根本たへて必(ず)命短かし。もし飲食色慾の慎みなくば、日々補薬を服し、朝夕食補をなすとも、益なかるべし。又風・寒・暑・湿の外邪をおそれふせぎ、起居・動静を節にし、つつしみ、食後には歩行して身を動かし、時々導引して腰腹をなですり、手足をうごかし、労動して血気をめぐらし、飲食を消化せしむべし。一所に久しく安坐すべからず。是皆養生の要なり。養生の道は、病なき時つつしむにあり。病発(おこ)りて後、薬を用ひ、針灸を以(て)病をせむるは養生の末なり。本をつとむべし。
[110]
人の耳・目・口・体の見る事、きく事、飲食ふ事、好色をこのむ事、各其このめる慾あり。これを嗜慾と云。嗜慾とは、このめる慾なり。慾はむさぼる也。飲食色慾などをこらえずして、むさぼりてほしゐままにすれば、節に過て、身をそこなひ礼儀にそむく。万の悪は、皆慾を恣(ほしいまま)にするよりおこる。耳・目・口・体の慾を忍んでほしゐまゝにせざるは、慾にかつの道なり。もろもろの善は、皆、慾をこらえて、ほしゐまゝにせざるよりおこる。故に忍ぶと、恣にするとは、善と悪とのおこる本なり。養生の人は、ここにおゐて、専ら心を用ひて、恣なる事をおさえて慾をこらゆるを要とすべし。恣の一字をさりて、忍の一字を守るべし。
[111]
風・寒・暑・湿は外邪なり。是にあたりて病となり、死ぬるは天命也。聖賢といへど免れがたし。されども、内気実してよくつつしみ防がば、外邪のおかす事も亦まれなるべし。飲食色慾によりて病生ずるは、全くわが身より出る過也。是天命にあらず、わが身のとがなり。万の事、天より出るは、ちからに及ばず。わが身に出る事は、ちからを用てなしやすし。風・寒・暑・湿の外邪をふせがざるは怠なり。飲食好色の内慾を忍ばざるは過なり。怠と過とは、皆慎しまざるよりおこる。
[112]
身をたもち生を養ふに、一字の至れる要訣あり。是を行へば生命を長くたもちて病なし。おやに孝あり、君に忠あり、家をたもち、身をたもつ。行なふとしてよろしからざる事なし。其一字なんぞや。畏(おそるる)の字是なり。畏るるとは身を守る心法なり。事ごとに心を小にして気にまかせず、過なからん事を求め、つねに天道をおそれて、つつしみしたがひ、人慾を畏れてつつしみ忍ぶにあり。是畏るるは、慎しみにおもむく初なり。畏るれば、つつしみ生ず。畏れざれば、つつしみなし。故に朱子、晩年に敬の字をときて曰、敬は畏の字これに近し。
[113]
養生の害二あり。元気をへらす一なり。元気を滞(とどこお)らしむる二也。飲食・色慾・労動を過せば、元気やぶれてへる。飲食・安逸・睡眠を過せば、滞りてふさがる。耗(へる)と滞ると、皆元気をそこなふ。
[114]
心は身の主也。しづかにして安からしむべし。身は心のやつこ(奴)なり。うごかして労せしむべし。心やすくしづかなれば、天君ゆたかに、くるしみなくして楽しむ。身うごきて労すれば、飲食滞らず、血気めぐりて病なし。
[115]
凡(およそ)薬と鍼灸を用るは、やむ事を得ざる下策なり。飲食・色慾を慎しみ、起臥を時にして(:規則正しく)、養生をよくすれば病なし。腹中の痞満(ひまん:腹がつかえてはること)して食気つかゆる人も、朝夕歩行し身を労動して、久坐・久臥を禁ぜば、薬と針灸とを用ひずして、痞塞(ひさい:腹がつかえて通じがないこと)のうれひなかるべし。是上策とす。薬は皆気の偏なり。参ぎ(115)(じんぎ:薬用人参)・朮甘(じゅつかん)の上薬といへども、其病に応ぜざれば害あり。況(いわんや)中・下の薬は元気を損じ他病を生ず。鍼は瀉ありて補なし。病に応ぜざれば元気をへらす。灸もその病に応ぜざるに妄に灸すれば、元気をへらし気を上す。薬と針灸と、損益ある事かくのごとし。やむ事を得ざるに非ずんば、鍼・灸・薬を用ゆべからず。只、保生の術を頼むべし。
[116]
古の君子は、礼楽をこのんで行なひ、射・御を学び、力を労動し、詠歌・舞踏して血脈を養ひ、嗜慾を節にし心気を定め、外邪を慎しみ防て、かくのごとくつねに行なへば、鍼・灸・薬を用ずして病なし。是君子の行ふ処、本をつとむるの法、上策なり。病多きは皆養生の術なきよりおこる。病おこりて薬を服し、いたき鍼、あつき灸をして、父母よりうけし遺体(ゆいたい)にきずつけ、火をつけて、熱痛をこらえて身をせめ病を療(いや)すは、甚(はなはだ)末の事、下策なり。たとへば国をおさむるに、徳を以すれば民おのづから服して乱おこらず、攻め打事を用ひず。又保養を用ひずして、只薬と針灸を用ひて病をせむるは、たとへば国を治むるに徳を用ひず、下を治むる道なく、臣民うらみそむきて、乱をおこすをしづめんとて、兵を用ひてたたかふが如し。百たび戦って百たびかつとも、たつと(尊)ぶにたらず。養生をよくせずして、薬と針・灸とを頼んで病を治するも、又かくの如し。
[117]
身体は日々少づつ労動すべし。久しく安坐すべからず。毎日飯後に、必ず庭圃の内数百足しづかに歩行すべし。雨中には室屋の内を、幾度も徐行すべし。此如く日々朝晩(ちょうばん)運動すれば、針・灸を用ひずして、飲食・気血の滞なくして病なし。針灸をして熱痛甚しき身の苦しみをこらえんより、かくの如くせば痛なくして安楽なるべし。
[118]
人の身は百年を以(て)期(ご)とす。上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。六十以上は長生なり。世上の人を見るに、下寿をたもつ人すくなく、五十以下短命なる人多し。人生七十古来まれなり、といへるは、虚語にあらず。長命なる人すくなし。五十なれば不夭と云て、わか死にあらず。人の命なんぞ此如くみじかきや。是、皆、養生の術なければなり。短命なるは生れ付て短きにはあらず。十人に九人は皆みづからそこなへるなり。ここを以(て)、人皆養生の術なくんばあるべからず。
[119]
人生五十にいたらざれば、血気いまだ定まらず。知恵いまだ開けず、古今にうとくして、世変になれず。言あやまり多く、行悔多し。人生の理も楽もいまだしらず。五十にいたらずして死するを夭(わかじに)と云。是亦、不幸短命と云べし。長生すれば、楽多く益多し。日々にいまだ知らざる事をしり、月々にいまだ能せざる事をよくす。この故に学問の長進する事も、知識の明達なる事も、長生せざれば得がたし。ここを以(て)養生の術を行なひ、いかにもして天年をたもち、五十歳をこえ、成べきほどは弥(いよいよ)長生して、六十以上の寿域に登るべし。古人長生の術ある事をいへり。又、「人の命は我にあり。天にあらず」ともいへれば、此術に志だにふかくば、長生をたもつ事、人力を以いかにもなし得べき理あり。うたがふべからず。只気あらくして、慾をほしゐままにして、こらえず、慎なき人は、長生を得べからず。
[120]
およそ人の身は、よはくもろくして、あだなる事、風前の燈火(とぼしび)のきえやすきが如し。あやうきかな。つねにつつしみて身をたもつべし。いはんや、内外より身をせむる敵多きをや。先飲食の欲、好色の欲、睡臥の欲、或(は)怒、悲、憂を以(て)身をせむ。是等は皆我身の内よりおこりて、身をせむる欲なれば、内敵なり。中につゐて飲食・好色は、内欲より外敵を引入る。尤おそるべし。風・寒・暑・湿は、身の外より入て我を攻る物なれば外敵なり。人の身は金石に非ず。やぶれやすし。況(や)内外に大敵をうくる事、かくの如にして、内の慎、外の防なくしては、多くの敵にかちがたし。至りてあやうきかな。此故に人々長命をたもちがたし。用心きびしくして、つねに内外の敵をふせぐ計策なくむばあるべからず。敵にかたざれば、必せめ亡されて身を失ふ。内外の敵にかちて、身をたもつも、其術をしりて能(く)ふせぐによれり。生れ付たる気つよけれど、術をしらざれば身を守りがたし。たとへば武将の勇あれども、知なくして兵の道をしらざれば、敵にかちがたきがごとし。内敵にかつには、心つよくして、忍の字を用ゆべし。忍はこらゆる也。飲食・好色などの欲は、心つよくこらえて、ほしいままにすべからず。心よはくしては内欲にかちがたし。内欲にかつ事は、猛将の敵をとりひしぐが如くすべし。是内敵にかつ兵法なり。外敵にかつには、畏の字を用て早くふせぐべし。たとへば城中にこもり、四面に敵をうけて、ゆだんなく敵をふせぎ、城をかたく保が如くなるべし。風・寒・暑・湿にあはば、おそれて早くふせぎしりぞくべし。忍の字を禁じて、外邪をこらえて久しくあたるべからず。古語に「風を防ぐ事、箭を防ぐが如くす」といへり。四気の風寒、尤おそるべし。久しく風寒にあたるべからず。凡(そ)是外敵をふせぐ兵法なり。内敵にかつには、けなげにして、つよくかつべし。外敵をふせぐは、おそれて早くしりぞくべし。けなげなるはあしし。
[121]
生を養ふ道は、元気を保つを本とす。元気をたもつ道二あり。まづ元気を害する物を去り、又、元気を養ふべし。元気を害する物は内慾と外邪となり。すでに元気を害するものをさらば、飲食・動静に心を用て、元気を養ふべし。たとへば、田をつくるが如し。まづ苗を害する莠(はぐさ)を去て後、苗に水をそそぎ、肥をして養ふ。養生も亦かくの如し。まづ害を去て後、よく養ふべし。たとへば悪を去て善を行ふがごとくなるべし。気をそこなふ事なくして、養ふ事を多くす。是養生の要なり。つとめ行なふべし。
[122]
およそ人の楽しむべき事三あり。一には身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむにあり。二には身に病なくして、快く楽むにあり。三には命ながくして、久しくたのしむにあり。富貴にしても此三の楽なければ、まことの楽なし。故に富貴は此三楽の内にあらず。もし心に善を楽まず、又養生の道をしらずして、身に病多く、其はては短命なる人は、此三楽を得ず。人となりて此三楽を得る計なくんばあるべからず。此三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。
[123]
天地のよはひは、邵尭夫(しょうぎょうふ)の説に、十二万九千六百年を一元とし、今の世はすでに其半に過たりとなん。前に六万年あり、後に六万年あり。人は万物の霊なり。天地とならび立て、三才と称すれども、人の命は百年にもみたず。天地の命長きにくらぶるに、千分の一にもたらず。天長く地久きを思ひ、人の命のみじかきをおもへば、ひとり愴然としてなんだ下れり。かかるみじかき命を持ながら、養生の道を行はずして、みじかき天年を弥(いよいよ)みじかくするはなんぞや。人の命は至りて重し。道にそむきて短くすべからず。
[124]
養生の術は、つとむべき事をよくつとめて、身をうごかし、気をめぐらすをよしとす。つとむべき事をつとめずして、臥す事をこのみ、身をやすめ、おこたりて動かさざるは、甚(だ)養生に害あり。久しく安坐し、身をうごかさざれば、元気めぐらず、食気とどこほりて、病おこる。ことにふす事をこのみ、ねぶり多きをいむ。食後には必(かならず)数百歩歩行して、気をめぐらし、食を消すべし。ねぶりふすべからず。父母につかへて力をつくし、君につかへてまめやかにつとめ、朝は早くおき、夕はおそくいね、四民ともに我が家事をよくつとめておこたらず。士となれる人は、いとけなき時より書をよみ、手を習ひ、礼楽をまなび、弓を射、馬にのり、武芸をならひて身をうごかすべし。農・工・商は各其家のことわざ(事業)をおこたらずして、朝夕よくつとむべし。婦女はことに内に居て、気鬱滞しやすく、病生じやすければ、わざをつとめて、身を労動すべし。富貴の女も、おや、しうと、夫によくつかへてやしなひ、お(織)りぬ(縫)ひ、う(紡)みつむ(績)ぎ、食品をよく調(ととのえ)るを以(て)、職分として、子をよくそだて、つねに安坐すべからず。かけまくもかたじけなき天照皇大神も、みづから神の御服(みぞ)をおらせたまひ、其御妹稚日女尊(わかひるめのみこと)も、斎機殿(いみはたどの)にましまして、神の御服をおらせ給ふ事、日本紀(:日本書紀)に見えたれば、今の婦女も昔かかる女のわざをつとむべき事こそ侍べれ。四民ともに家業をよくつとむるは、皆是養生の道なり。つとむべき事をつとめず、久しく安坐し、ねぶり臥す事をこのむ。是大に養生に害あり。かくの如くなれば、病おほくして短命なり。戒むべし。
[125]
人の身のわざ多し。その事をつとむるみちを術と云。万のわざつとめならふべき術あり。其術をしらざれば、其事をなしがたし。其内いたりて小にて、いやしき芸能も、皆其術をまなばず、其わざをならはざれば、其事をなし得がたし。たとへば蓑をつくり、笠をはるは至りてやすく、いやしき小なるわざ也といへども、其術をならはざれば、つくりがたし。いはんや、人の身は天地とならんで三才とす。かく貴とき身を養ひ、いのちをたもつて長生するは、至りて大事なり。其術なくんばあるべからず。其術をまなばず、其事をならはずしては、などかなし得んや。然るにいやしき小芸には必(ず)師をもとめ、おしへをうけて、その術をならふ。いかんとなれば、その器用あれどもその術をまなばずしては、なしがたければなり。人の身はいたりて貴とく、是をやしなひてたもつは、至りて大なる術なるを、師なく、教なく、学ばず、習はず、これを養ふ術をしらで、わが心の慾にまかせば、豈其道を得て生れ付たる天年をよくたもたんや。故に生を養なひ、命をたもたんと思はば、其術を習はずんばあるべからず。夫養生の術、そくばくの大道にして、小芸にあらず。心にかけて、其術をつとめまなばずんば、其道を得べからず。其術をしれる人ありて習得ば、千金にも替えがたし。天地父母よりうけたる、いたりておもき身をもちて、これをたもつ道をしらで、みだりに身をもちて大病をうけ、身を失なひ、世をみじかくする事、いたりて愚なるかな。天地父母に対し大不孝と云べし。其上、病なく命ながくしてこそ、人となれる楽おほかるべけれ。病多く命みじかくしては、大富貴をきはめても用なし。貧賤にして命ながきにおとれり。わが郷里の年若き人を見るに、養生の術をしらで、放蕩にして短命なる人多し。又わが里の老人を多く見るに、養生の道なくして多病にくるしみ、元気おとろへて、はやく老耄す。此如くにては、たとひ百年のよはひをたもつとも、楽なくして苦み多し。長生も益なし。いけるばかりを思ひでにすともともいひがたし。
[126]
或人の曰(く)、養生の術、隠居せし老人、又年わかくしても世をのがれて、安閑無事なる人は宜しかるべし。士として君父につかへて忠孝をつとめ、武芸をならひて身をはたらかし、農工商の夜昼家業をつとめていとまなく、身閑ならざる者は養生成りがたかるべし。かかる人、もし養生の術をもつぱら行はば、其身やはらかに、其わざゆるやかにして、事の用にたつべからずと云。是養生の術をしらざる人のうたがひ、むべなるかな。養生の術は、安閑無事なるを専(もっぱら)とせず。心を静にし、身をうごかすをよしとす。身を安閑にするは、かへつて元気とどこほり、ふさがりて病を生ず。たとへば、流水はくさらず、戸枢(こすう:戸の回転軸)はくちざるが如し。是うごく者は長久なり、うごかざる物はかへつて命みじかし。是を以、四民ともに事をよくつとむべし。安逸なるべからず。是すなわち養生の術なり。
[127]
或人うたがひて曰。養生をこのむ人は、ひとゑにわが身をおもんじて、命をたもつを専にす。されども君子は義をおもしとす。故に義にあたりては、身をすて命をおしまず、危を見ては命をさづけ、難にのぞんでは節に死す。もしわが身をひとへにおもんじて、少なる髪・膚まで、そこなひやぶらざらんとせば、大節にのぞんで命をおしみ、義をうしなふべしと云。答て曰、およその事、常あり、変あり。常に居ては常を行なひ、変にのぞみては変を行なふ。其時にあたりて義にしたがふべし。無事の時、身をおもんじて命をたもつは、常に居るの道なり。大節にのぞんで、命をすててかへり見ざるは、変におるの義なり。常におるの道と、変に居るの義と、同じからざる事をわきまへば、此うたがひなかるべし。君子の道は時宜にかなひ、事変に随ふをよしとす。たとへば、夏はかたびらを着、冬はかさねぎするが如し。一時をつねとして、一偏にかかはるべからず。殊に常の時、身を養ひて、堅固にたもたずんば、大節にのぞんでつよく、戦ひをはげみて命をすつる事、身よはくしては成がたかるべし。故に常の時よく気を養なはば、変にのぞんで勇あるべし。
[128]
いにしへの人、三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡(ねぶり)の欲なり。飲食を節にし、色慾をつつしみ、睡をすくなくするは、皆慾をこらゆるなり。飲食・色欲をつつしむ事は人しれり。只睡の慾をこらえて、いぬる事をすくなくするが養生の道なる事は人しらず。ねぶりをすくなくすれば、無病になるは、元気めぐりやすきが故也。ねぶり多ければ、元気めぐらずして病となる。夜ふけて臥しねぶるはよし、昼いぬるは尤(も)害あり。宵にはやくいぬれば、食気とゞこほりて害あり。ことに朝夕飲食のいまだ消化せず、其気いまだめぐらざるに、早くいぬれば、飲食とどこほりて、元気をそこなふ。古人睡慾を以、飲食・色慾にならべて三慾とする事、むべなるかな。おこたりて、ねぶりを好めば、くせになりて、睡多くして、こらえがたし。ねぶりこらえがたき事も、又、飲食・色慾と同じ。初は、つよくこらえざれば、ふせぎがたし。つとめてねぶりをすくなくし、ならひてなれぬれば、おのづから、ねぶりすくなし。ならひて睡をすくなくすべし。
[129]
言語をつつしみて、無用の言をはぶき、言をすくなくすべし。多く言語すれば、必(ず)気へりて、又気のぼる。甚(だ)元気をそこなふ。言語をつつしむも、亦徳をやしなひ、身をやしなふ道なり。
[130]
古語に曰、「莫大の禍は、須臾の忍ばざるに起る」。須臾とはしばしの間を云。大なる禍は、しばしの間、慾をこらえざるよりおこる。酒食・色慾など、しばしの間、少の慾をこらえずして大病となり、一生の災となる。一盃の酒、半椀の食をこらえずして、病となる事あり。慾をほしゐままにする事少なれども、やぶらるる事は大なり。たとへば、蛍火程の火、家につきても、さかんに成て、大なる禍となるがごとし。古語に曰ふ。「犯す時は微にして秋毫(:きわめてわずか)の若し、病を成す重きこと、泰山のごとし」。此言むべなるかな。凡(そ)小の事、大なる災となる事多し。小なる過より大なるわざはひとなるは、病のならひ也。慎しまざるべけんや。常に右の二語を、心にかけてわするべからず。
[131]
養生の道なければ、生れ付つよく、わかく、さかんなる人も、天年をたもたずして早世する人多し。是天のなせる禍にあらず、みづからなせる禍也。天年とは云がたし。つよき人は、つよきをたのみてつつしまざる故に、よはき人よりかへつて早く死す。又、体気よはく、飲食すくなく、常に病多くして、短命ならんと思ふ人、かへつて長生する人多し。是よはきをおそれて、つつしむによれり。この故に命の長短は身の強弱によらず、慎と慎しまざるとによれり。白楽天が語に、福と禍とは、慎と慎しまざるにあり、といへるが如し。
[132]
世に富貴・財禄をむさぼりて、人にへつらひ、仏神にいのり求むる人多し。されども、其しるしなし。無病長生を求めて、養生をつつしみ、身をたもたんとする人はまれなり。富貴・財禄は外にあり。求めても天命なければ得がたし。無病長生は我にあり、もとむれば得やすし。得がたき事を求めて、得やすき事を求めざるはなんぞや。愚なるかな。たとひ財禄を求め得ても、多病にして短命なれば、用なし。
[133]
陰陽の気天にあつて、流行して滞らざれば、四時よく行はれ、百物よく生(な)る。偏にして滞れば、流行の道ふさがり、冬あたたかに夏さむく、大風・大雨の変ありて、凶害をなせり。人身にあっても亦しかり。気血よく流行して滞らざれば、気つよくして病なし。気血流行せざれば、病となる。其気上に滞れば、頭疼・眩暈となり、中に滞れば亦腹痛となり、痞満となり、下に滞れば腰痛・脚気となり、淋疝・痔漏となる。此故によく生を養ふ人は、つとめて元気の滞なからしむ。
[134]
養生に志あらん人は、心につねに主あるべし。主あれば、思慮して是非をわきまへ、忿をおさえ、慾をふさぎて、あやまりすくなし。心に主なければ、思慮なくして忿と慾をこらえず、ほしゐまゝにしてあやまり多し。
[135]
万の事、一時心に快き事は、必後に殃(わざわい)となる。酒食をほしゐまゝにすれば快けれど、やがて病となるの類なり。はじめにこらゆれば必後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらゆれば、後に病なきが如し。杜牧が詩に、忍過ぎて事喜ぶに堪えたりと、いへるは、欲をこらえすまして、後は、よろこびとなる也。
[136]
聖人は未病を治すとは、病いまだおこらざる時、かねてつつしめば病なく、もし飲食・色欲などの内慾をこらえず、風・寒・暑・湿の外邪をふせがざれば、其おかす事はすこしなれども、後に病をなす事は大にして久し。内慾と外邪をつつしまざるによりて、大病となりて、思ひの外にふかきうれひにしづみ、久しく苦しむは、病のならひなり。病をうくれば、病苦のみならず、いたき針にて身をさし、あつき灸にて身をやき、苦き薬にて身をせめ、くひたき物をくはず、のみたきものをのまずして、身をくるしめ、心をいたましむ。病なき時、かねて養生よくすれば病おこらずして、目に見えぬ大なるさいはいとなる。孫子が曰「よく兵を用る者は赫々の功なし」。云意は、兵を用る上手は、あらはれたるてがら(手柄)なし、いかんとなれば、兵のおこらぬさきに戦かはずして勝ばなり。又曰「古の善く勝つ者は、勝ち易きに勝つ也」。養生の道も亦かくの如くすべし。心の内、わづかに一念の上に力を用て、病のいまだおこらざる時、かちやすき慾にかてば病おこらず。良将の戦はずして勝やすきにかつが如し。是上策なり。是未病を治するの道なり。
[137]
養生の道は、恣(ほしいまま)なるを戒(いましめ)とし、慎(つつしむ)を専(もっぱら)とす。恣なるとは慾にまけてつつしまざる也。慎は是恣なるのうら也。つつしみは畏(おそるる)を以(て)本とす。畏るるとは大事にするを云。俗のことわざに、用心は臆病にせよと云がごとし。孫真人も「養生は畏るるを以(て)本とす」といへり。是養生の要也。養生の道におゐては、けなげなるはあしく、おそれつつしむ事、つねにちい(小)さき一はし(橋)を、わたるが如くなるべし。是畏るなり。わかき時は、血気さかんにして、つよきにまかせて病をおそれず、慾をほしゐままにする故に、病おこりやすし。すべて病は故なくてむなしくはおこらず、必(ず)慎まざるよりおこる。殊に老年は身よはし、尤おそるべし。おそれざれば老若ともに多病にして、天年をたもちがたし。
[138]
人の身をたもつには、養生の道をたのむべし。針・灸と薬力とをたのむべからず。人の身には口・腹・耳・目の欲ありて、身をせむるもの多し。古人のをしえに、養生のいたれる法あり。孟子にいはゆる「慾を寡くする」、これなり。宋の王昭素も、「身を養ふ事は慾を寡するにしくはなし」と云。省心録にも、「慾多ければ即ち生を傷(やぶ)る」といへり。およそ人のやまひは、皆わが身の慾をほしゐままにして、つつしまざるよりおこる。養生の士はつねにこれを戒とすべし。
[139]
気は、一身体の内にあまねく行わたるべし。むねの中一所にあつむべからず。いかり、かなしみ、うれひ、思ひ、あれば、胸中一所に気とどこほりてあつまる。七情の過て滞るは病の生る基なり。
[140]
俗人は、慾をほしゐままにして、礼儀にそむき、気を養はずして、天年をたもたず。理気二ながら失へり。仙術の士は養気に偏にして、道理を好まず。故に礼儀をすててつとめず。陋儒は理に偏にして気を養はず。修養の道をしらずして天年をたもたず。此三つは、ともに君子の行ふ道にあらず。
巻第二 総論下
[201]
凡(そ)朝は早くおきて、手と面を洗ひ、髪をゆひ、事をつとめ、食後にはまづ腹を多くなで下し、食気をめぐらすべし。又、京門(第12肋骨部)のあたりを手の食指のかたはらにて、すぢかひにしばしばなづべし。腰をもなで下して後、下にてしづかにうつべし。あらくすべからず。もし食気滞らば、面を仰ぎて三四度食毒の気を吐くべし。朝夕の食後に久しく安坐すべからず。必ねぶり臥すべからず。久しく坐し、ねぶり臥せば、気ふさがりて病となり、久しきをつめば命みじかし。食後に毎度歩行する事、三百歩すべし。おりおり五六町歩行するは尤よし。
[202]
家に居て、時々わが体力の辛苦せざる程の労動をなすべし。吾起居のいたつがはしきをくるしまず、室中の事、奴婢をつかはずして、しばしばみづからたちて我身を運用すべし。わが身を動用すれば、おもひのままにして速に事調ひ、下部をつかふに心を労せず。是「心を清くして事を省く」の益あり。かくのごとくにして、常に身を労動すれば気血めぐり、食気とどこほらず、是養生の要術也。身をつねにやすめおこたるべからず。我に相応せる事をつとめて、手足をはたらかすべし。時にうごき、時に静なれば、気めぐりて滞らず。静に過ればふさがる。動に過ればつかる。動にも静にも久しかるべからず。
[203]
華陀が言に、「人の身は労動すべし。労動すれば穀気きえて、血脈流通す」といへり。およそ人の身、慾をすくなくし、時々身をうごかし、手足をはたらかし、歩行して久しく一所に安坐せざれば、血気めぐりて滞らず。養生の要務なり。日々かくのごとくすべし。呂氏春秋曰、「流水腐らず、戸枢(こすう)螻(むしば)まざるは、動けば也。形気もまた然り」。いふ意(こころ)は、流水はくさらず、たまり水はくさる。から戸のぢくの下のくるゝ(枢)は虫くはず。此二のものはつねにうごくゆへ、わざはひなし。人の身も亦かくのごとし。一所に久しく安坐してうごかざれば、飲食とゞこほり、気血めぐらずして病を生ず。食後にふすと、昼臥すと、尤(も)禁ずべし。夜も飲食の消化せざる内に早くふせば、気をふさぎ病を生ず。是養生の道におゐて尤いむべし。
[204]
千金方に曰、養生の道、「久しく行き、久しく坐し、久しく臥し、久しく視る」ことなかれ。
[205]
酒食の気いまだ消化せざる内に臥してねぶれば、必(ず)酒食とゞこほり、気ふさがりて病となる。いましむべし。昼は必(ず)臥すべからず。大に元気をそこなふ。もし大につかれたらば、うしろによりかゝりてねぶるべし。もし臥さば、かたはらに人をおきて、少ねぶるべし。久しくねぶらば、人によびさまさしむべし。
[206]
日長き時も昼臥すべからず。日永き故、夜に入て、人により、もし体力つかれて早くねぶることをうれへば、晩食の後、身を労動し、歩行し、日入の時より臥して体気をやすめてよし。臥して必(かならず)ねぶるべからず。ねぶれば甚(だ)害あり。久しく臥べからず。秉燭(へいしょく=夕方)の比(ころ)おきて坐すべし。かくのごとくすれば夜間体に力ありて、ねぶり早く生ぜず。もし日入の時よりふさゞるは尤よし。
[207]
養生の道は、たの(恃)むを戒しむ。わが身のつよきをたのみ、わかきをたのみ、病の少(し)いゆるをたのむ。是皆わざはひの本也。刃のと(鋭)きをたのんで、かたき物をきれば、刃折る。気のつよきをたのんで、みだりに気をつかへば、気へる。脾腎のつよきをたのんで、飲食・色慾を過さば、病となる。
[208]
爰(ここ)に人ありて、宝玉を以てつぶてとし、雀をうたば、愚なりとて、人必わらはん。至りて、おもき物をすてゝ、至りてかろき物を得んとすればなり。人の身は至りておもし。然るに、至りてかろき小なる欲をむさぼりて身をそこなふは、軽重をしらずといふべし。宝玉を以て雀をうつがごとし。
[209]
心は楽しむべし、苦しむべからず。身は労すべし、やすめ過すべからず。凡わが身を愛し過すべからず。美味をくひ過し、芳うん(209)をのみ過し、色をこのみ、身を安逸にして、おこたり臥す事を好む。皆是、わが身を愛し過す故に、かへつてわが身の害となる。又、無病の人、補薬を妄に多くのんで病となるも、身を愛し過すなり。子を愛し過して、子のわざはひとなるが如し。
[210]
一時の慾をこらへずして病を生じ、百年の身をあやまる。愚なるかな。長命をたもちて久しく安楽ならん事を願はゞ、慾をほしゐまゝにすべからず。慾をこらゆるは長命の基也。慾をほしゐまゝにするは短命の基也。恣なると忍ぶとは、是寿(いのちながき)と夭(いのちみじかき)とのわかるる所也。
[211]
易に曰、「患(うれい)を思ひ、予(かね)てこれを防ぐ」。いふ意(こころ)は後の患をおもひ、かねて其わざはひをふせぐべし。論語にも「人遠き慮(おもんぱかり)なければ、必近きうれひあり」との玉へり。是皆、初に謹んで、終をたもつの意なり。
[212]
人、慾をほしゐまゝにして楽しむは、其楽しみいまだつきざる内に、はやくうれひ生ず。酒食・色慾をほしゐまゝにして楽しむ内に、はやくたたりをなして苦しみ生ずるの類也。
[213]
人、毎日昼夜の間、元気を養ふ事と元気をそこなふ事との、二の多少をくらべ見るべし。衆人は一日の内、気を養ふ事は常にすくなく、気をそこなふ事は常に多し。養生の道は元気を養ふ事のみにて、元気をそこなふ事なかるべし。もし養ふ事はすくなく、そこなふ事多く、日々つもりて久しければ、元気へりて病生じ、死にいたる。この故に衆人は病多くして短命なり。かぎりある元気をもちて、かぎりなき慾をほしゐまゝにするは、あやうし。
[214]
古語曰、「日に慎しむこと一日、寿(いのちながく)して終に殃(わざわい)なし」。言心は一日々々をあらためて、朝より夕まで毎日つヽしめば、身にあやまちなく、身をそこなひやぶる事なくして、寿して、天年をおはるまでわざはひなしと也。是身をたもつ要道なり。
[215]
飲食・色慾をほしゐまヽにして、其はじめ少(し)の間、わが心に快き事は、後に必身をそこなひ、ながきわざはひとなる。後にわざはひなからん事を求めば、初わが心に快からん事をこのむべからず。万の事はじめ快くすれば、必(ず)後の禍となる。はじめつとめてこらゆれば、必(ず)後の楽となる。
[216]
養生の道,多くいふ事を用ひず。只飲食をすくなくし,病をたすくる物をくらはず、色慾をつゝしみ,精気をおしみ,怒・哀・憂・思を過さず。心を平にして気を和らげ、言をすくなくして無用の事をはぶき、風・寒・暑・湿の外邪をふせぎ、又時々身をうごかし、歩行し、時ならずしてねぶり臥す事なく、食気をめぐらすべし。是養生の要なり。
[217]
飲食は身を養ひ、ねぶり臥は気を養なふ。しかれども飲食節に過れば、脾胃をそこなふ。ねぶり臥す事時ならざれば、元気をそこなふ。此二は身を養はんとして、かへつて身をそこなふ。よく生を養ふ人は、つとにおき、よは(夜半)にいねて、昼いねず、常にわざをつとめておこたらず、ねぶりふす事をすくなくして、神気をいさぎよくし、飲食をすくなくして、腹中を清虚にす。かくのごとくなれば、元気よく、めぐりふさがらずして、病生ぜず。発生の気其養を得て、血気をのづからさかんにして病なし。是寝食の二の節に当れるは、また養生の要也。
[218]
貧賎なる人も、道を楽しんで日をわたらば、大なる幸なり。しからば一日を過す間も、その時刻永くして楽多かるべし。いはんや一とせをすぐる間、四の時、おりおりの楽、日々にきはまりなきをや。此如にして年を多くかさねば、其楽長久にして、其しるしは寿かるべし。知者の楽み、仁者の寿は、わが輩及がたしといへども、楽より寿にいたれる次序は相似たるなるべし。
[219]
心を平らかにし、気を和かにし、言をすくなくし、しづかにす。是徳を養ひ身をやしなふ。其道一なり。多言なると、心さはがしく気あらきとは、徳をそこなひ、身をそこなふ。其害一なり。
[220]
山中の人は多くはいのちながし。古書にも山気は寿(じゅ)多しと云、又寒気は寿ともいへり。山中はさむくして、人身の元気をとぢかためて、内にたもちてもらさず。故に命ながし。暖なる地は元気もれて、内にたもつ事すくなくして、命みじかし。又、山中の人は人のまじはりすくなく、しづかにして元気をへらさず、万ともしく不自由なる故、おのづから欲すくなし。殊に魚類まれにして肉にあかず。是山中の人、命ながき故なり。市中にありて人に多くまじはり、事しげければ気へる。海辺の人、魚肉をつねに多くくらふゆえ、病おほくして命みじかし。市中にをり海辺に居ても、慾をすくなくし、肉食をすくなくせば害なかるべし。
[221]
ひとり家に居て、閑(しずか)に日を送り、古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微酔にのみ、園菜を煮るも、皆是心を楽ましめ、気を養ふ助なり。貧賎の人も此楽つねに得やすし。もしよく此楽をしれらば、富貴にして楽をしらざる人にまさるべし。
[222]
古語に、忍は身の宝也といへり。忍べば殃(わざわい)なく、忍ばざれば殃あり。忍ぶはこらゆるなり。恣ならざるを云。忿(いかり)と慾とはしのぶべし。およそ養生の道は忿・慾をこらゆるにあり。忍の一字守るべし。武王の銘に曰「之を須臾(しゅゆ)に忍べば、汝の躯を全す」。書に曰。「必ず忍ぶこと有れば、其れ乃ち済すこと有り」。古語に云。「莫大の過ちは須臾の忍びざるに起る」。是忍の一字は、身を養ひ徳を養ふ道なり。
[223]
胃の気とは元気の別名なり。冲和(ちゅうが)の気也。病甚しくしても、胃の気ある人は生く。胃の気なきは死す。胃の気の脉とは、長からず、短からず、遅(ち)ならず、数(さく)ならず、大ならず、小ならず、年に応ずる事、中和にしてうるはし。此脉、名づけて言がたし。ひとり、心に得べし。元気衰へざる無病の人の脉かくの如し。是古人の説なり。養生の人、つねに此脉あらんことをねがふべし。養生なく気へりたる人は、わかくしても此脉とも(乏)し。是病人なり。病脉のみ有て、胃の気の脉なき人は死す。又、目に精神ある人は寿(いのちなが)し。精神なき人は夭(いのちみじか)し。病人をみるにも此術を用ゆべし。
[224]
養生の術、荘子が所謂(いわゆる)、庖丁(:料理人)が牛をときしが如くなるべし。牛の骨節(こっせつ)のつがひは間(ひま)あり。刀の刃はうすし。うすき刃をもつて、ひろき骨節の間に入れば、刃のはたらくに余地ありてさはらず。こゝを以て、十九年牛をときしに、刀新にとぎたてたるが如しとなん。人の世にをる、心ゆたけくして物とあらそはず、理に随ひて行なへば、世にさはりなくして天地ひろし。かくのごとくなる人は命長し。
[225]
人に対して、喜び楽しみ甚(し)ければ、気ひらけ過てへる。我ひとり居て、憂悲み多ければ、気むすぼほれてふさがる。へるとふさがるとは、元気の害なり。
[226]
心をしづかにしてさはがしくせず、ゆるやかにしてせまらず、気を和にしてあらくせず、言をすくなくして声を高くせず、高くわらはず、つねに心をよろこばしめて、みだりにいからず、悲をすくなくし、かへらざる事をくやまず、過あらば、一たびはわが身をせめて二度悔ず、只天命をやすんじてうれへず、是心気をやしなふ道なり。養生の士、かくのごとくなるべし。
[227]
津液(しんえき:つばき)は一身のうるほひ也。化して精血となる。草木に精液なければ枯る。大せつの物也。津液は臓腑より口中に出づ。おしみて吐べからず。ことに遠くつばき吐べからず、気へる。
[228]
津液をばのむべし。吐べからず。痰をば吐べし、のむべからず。痰あらば紙にて取べし。遠くはくべからず。水飲津液すでに滞りて、痰となりて内にありては、再(び)津液とはならず。痰、内にあれば、気をふさぎて、かへつて害あり。此理をしらざる人、痰を吐ずしてのむは、ひが事也。痰を吐く時、気をもらすべからず。酒多くのめば痰を生じ、気を上(のぼ)せ、津液をへらす。
[229]
何事もあまりよくせんとしていそげば、必あしくなる。病を治するも亦しかり。医をゑらばず、みだりに医を求め、薬を服し、又、鍼・灸をみだりに用ひ、たゝりをなす事多し。導引(:道教の健康法)・按摩も亦しかり。わが病に当否をしらで、妄に治(じ)を求むべからず。湯治も亦しかり。病に応ずると応ぜざるをゑらばず、みだりに湯治して病をまし、死にいたる。およそ薬治・鍼・灸・導引・按摩・湯治。此六の事、其病と其治との当否をよくゑらんで用ゆべし。其当否をしらで、みだりに用ゆれば、あやまりて禍をなす事多し。是よくせんとして、かへつてあしくする也。
[230]
凡(そ)よき事あしき事、皆ならひよりおこる。養生のつゝしみ、つとめも亦しかり。つとめ行ひておこたらざるも、慾をつゝしみこらゆる事も、つとめて習へば、後にはよき事になれて、つねとなり、くるしからず。又つゝつしまずしてあしき事になれ、習ひくせとなりては、つゝつしみつとめんとすれども、くるしみてこらへがたし。
[231]
万の事、皆わがちからをはかるべし。ちからの及ばざるを、しゐて、其わざをなせば、気へりて病を生ず。分外をつとむべからず。
[232]
わかき時より、老にいたるまで、元気を惜むべし。年わかく康健なる時よりはやく養ふべし。つよきを頼みて、元気を用過すべからず。わかき時元気をおしまずして、老て衰へ、身よはくなりて、初めて保養するは、たとへば財多く富める時、おごりて財をついやし、貧窮になりて財ともしき故、初めて倹約を行ふが如し。行はざるにまされども、おそくして其しるしすくなし。
[233]
気を養ふに嗇(しょく)の字を用ゆべし。老子此意をいへり。嗇はおしむ也。元気をおしみて費やさゝざる也。たとへば吝嗇なる人の、財多く余あれども、おしみて人にあたへざるが如くなるべし。気をおしめば元気へらずして長命なり。
[234]
養生の要は、自欺(みずからあざむく)ことをいましめて、よく忍ぶにあり。自欺とは、が心にすでにあしきとしれる事を、きらはずしてするを云。あしきとしりてするは、悪をきらふ事、真実ならず、是自欺なり。欺くとは真実ならざる也。食の一事を以いはゞ、多くくらふがあしきとしれども、あしきをきらふ心実ならざれば、多くくらふ。是自欺也。其余事も皆これを以しるべし。
[235]
世の人を多くみるに、生れ付て短命なる形相ある人はまれなり。長寿を生れ付たる人も、養生の術をしらで行はざれば、生れ付たる天年をたもたず。たとへば、彭祖といへど、刀にてのどぶゑ(喉笛)をたゝば、などか死なざるべきや。今の人の欲をほしゐまゝにして生をそこなふは、たとへば、みづからのどぶえをたつが如し。のどぶゑをたちて死ぬると、養生せず、欲をほしゐまゝにして死ぬると、おそきと早きとのかはりはあれど、自害する事は同じ。気つよく長命なるべき人も、気を養なはざれば必命みじかくして、天年をたもたず。是自害するなり。
[236]
凡(て)の事、十分によからんことを求むれば、わが心のわづらひとなりて楽なし。禍も是よりおこる。又、人の我に十分によからん事を求めて、人のたらざるをいかりとがむれば、心のわづらひとなる。又、日用の飲食・衣服・器物・家居・草木の品々も、皆美をこのむべからず。いさゝかよければ事たりぬ。十分によからん事を好むべからず。是、皆わが気を養なふ工夫なり。
[237]
或人の曰、「養生の道、飲食・色慾をつゝしむの類、われ皆しれり。然れどもつゝつしみがたく、ほしゐまゝになりやすき故、養生なりがたし」といふ。我おもふに、是いまだ養生の術をよくしらざるなり。よくしれらば、などか養生の道を行なはざるべき。水に入ればおぼれて死ぬ。火に入ればやけて死ぬ。砒霜をくらへば毒にあてられて死ぬる事をば、たれもよくしれる故、水火に入り、砒霜をくらひて、死ぬる人なし。多慾のよく生をやぶる事、刀を以(て)自害するに同じき理をしれらば、などか慾を忍ばざるべき。すべて其理を明らかにしらざる事は、まよひやすくあやまりやすし。人のあやまりてわざはひとなれる事は、皆不知よりおこる。赤子のはらばひて井におちて死ぬるが如し。灸をして身の病をさる事をしれる故、身に火をつけ、熱く、いためるをこらえて多きをもいとはず。是灸のわが身に益ある事をよくしれる故なり。不仁にして人をそこなひくるしむれば、天のせめ人のとがめありて、必わが身のわざはひとなる事は、其理明らかなれども、愚者はしらず。あやうき事を行ひ、わざはひをもとむるは不知よりおこる。盗は只たからをむさぼりて、身のとがにおち入(る)事をしらざるが如し。養生の術をよくしれらば、などか慾にしたがひてつゝしまずやは有べき。
[238]
聖人やゝもすれば楽をとき玉ふ。わが愚を以て聖心おしはかりがたしといへども、楽しみは是人のむまれ付たる天地の生理なり。楽しまずして天地の道理にそむくべからず。つねに道を以て欲を制して楽を失なふべからず。楽を失なはざるは養生の本也。
[239]
長生の術は食色の慾をすくなくし、心気を和平にし、事に臨んで常に畏・慎あれば、物にやぶられず、血気おのづから調ひて、自然に病なし。かくの如くなれば長生す。是長生の術也。此術を信じ用ひば、此術の貴とぶべき事、あたかも万金を得たるよりも重かるべし。
[240]
万の事十分に満て、其上にくはへがたきは、うれひの本なり。古人の曰、酒は微酔にのみ、花は半開に見る。此言むべなるかな。酒十分にのめばやぶらる。少のんで不足なるは、楽みて後のうれひなし。花十分に開けば、盛過て精神なく、やがてちりやすし。花のいまだひらかざるが盛なりと、と古人いへり。
[241]
一時の浮気をほしゐまゝにすれば、一生の持病となり。或(は)即時に命あやうき事あり。莫大の禍はしばしの間こらえざるにおこる。おそるべし。
[242]
養生の道は、中を守るべし。中を守るとは過不及なきを云。食物はうゑを助くるまでにてやむべし。過てほしゐまゝなるべからず。是中を守るなり。物ごとにかくの如くなるべし。
[243]
心をつねに従容としづかにせはしからず、和平なるべし。言語はことにしづかにしてすくなくし、無用の事いふべからず。是尤気を養ふ良法也。
[244]
人の身は、気を以(て)生の源、命の主とす。故(に)養生をよくする人は、常に元気を惜みてへらさず。静にしては元気をたもち、動ゐては元気をめぐらす。たもつとめぐらすと、二の者そなはらざれば、気を養ひがたし。動静其時を失はず、是気を養ふの道なり。
[245]
もし大風雨と雷はなはだしくば、天の威をおそれて、夜といへどもかならずおき、衣服をあらためて坐すべし。臥すべからず。
[246]
客となつて昼より他席にあらば、薄暮より前に帰るべし。夜までかたれば主客ともに労す。久しく滞座すべからず。
[247]
素問に「怒れば気上る。喜べば気緩まる。悲めば気消ゆ。恐るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気泄(も)る。驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結(むすぼう)る」といへり。百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調るにあり。調ふるは気を和らぎ、平にする也。凡(そ)気を養ふの道は、気をへらさると、ふさがらざるにあり。気を和らげ、平にすれば、此二のうれひなし。
[248]
臍下三寸を丹田と云。腎間の動気こゝにあり。難経に、「臍下腎間の動気は人の生命也。十二経の根本也」といへり。是人身の命根のある所也。養気の術つねに腰を正しくすゑ、真気を丹田におさめあつめ、呼吸をしづめてあらくせず、事にあたつては、胸中より微気をしばしば口に吐き出して、胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。この如くすれば気のぼらず、むねさはがずして身に力あり。貴人に対して物をいふにも、大事の変にのぞみいそがはしき時も、この如くすべし。もしやむ事を得ずして、人と是非を論ずとも、怒気にやぶられず、浮気ならずしてあやまりなし。或(あるいは)芸術をつとめ、武人の槍・太刀をつかひ、敵と戦ふにも、皆此法を主とすべし。是事をつとめ、気を養ふに益ある術なり。凡技術を行なふ者、殊に武人は此法をしらずんばあるべからず。又道士の気を養ひ、比丘の坐禅するも、皆真気を臍下におさむる法なり。是主静の工夫、術者の秘訣なり。
[249]
七情は喜・怒・哀・楽・愛・悪・慾也。医家にては喜・怒・憂・思・悲・恐・驚と云。又、六慾あり、耳・目・口・鼻・身・意の慾也。七情の内、怒と慾との二、尤徳をやぶり、生をそこなふ。忿を懲し、慾を塞ぐは易の戒なり。忿は陽に属す。火のもゆるが如し。人の心を乱し、元気をそこなふは忿なり。おさえて忍ぶべし。慾は陰に属す。水の深きが如し。人の心をおぼらし、元気をへらすは慾也。思ひてふさぐべし。
[250]
養生の要訣一あり。要訣とはかんようなる口伝也。養生に志あらん人は、是をしりて守るべし。其要訣は少の一字なり。少とは万の事皆すくなくして多くせざるを云。すべてつつまやかに、いはゞ、慾をすくなくするを云。慾とは耳・目・口・体のむさぼりこのむを云。酒食をこのみ、好色をこのむの類也。およそ慾多きのつもりは、身をそこなひ命を失なふ。慾をすくなくすれば、身をやしなひ命をのぶ。慾をすくなくするに、その目録十二あり。十二少と名づく。必是を守るべし。食を少くし、飲ものを少くし、五味の偏を少くし、色欲を少くし、言語を少くし、事を少くし、怒を少くし、憂を少くし、悲を少くし、思を少くし、臥事を少くすべし。かやうに事ごとに少すれば、元気へらず、脾腎損せず。是寿をたもつの道なり。十二にかぎらず、何事も身のわざと欲とをすくなくすべし。一時に気を多く用ひ過し、心を多く用ひ過さば、元気へり、病となりて命みじかし。物ごとに数多くはゞ広く用ゆべからず。数すくなく、はばせばきがよし。孫思ばく(250)が千金方にも、養生の十二少をいへり。其意同じ。目録は是と同じからず。右にいへる十二少は、今の時宜にかなへるなり。
[251]
内慾をすくなくし、外邪をふせぎ、身を時々労動し、ねぶりをすくなくす。此四は養生の大要なり。
[252]
気を和平にし、あらくすべからず。しづかにしてみだりにうごかすべからず。ゆるやかにして、急なるべからず。言語をすくなくして、気をうごかすべからず。つねに気を臍(ほぞ)の下におさめて、むねにのぼらしむべからず。是気を養ふ法なり。
[253]
古人は詠歌・舞踏して血脉を養ふ。詠歌はうたふ也。舞踏は手のまひ足のふむ也。皆心を和らげ、身をうごかし、気をめぐらし、体をやしなふ。養生の道なり。今導引・按摩して気をめぐらすがごとし。
[254]
おもひをすくなくして神を養ひ、慾をすくなくして精を養ひ、飲食をすくなくして胃を養ひ、言をすくなくして気を養ふべし。是養生の四寡なり。
[255]
摂生の七養あり。是を守るべし。一には言をすくなくして内気を養ふ。二には色慾を戒めて精気を養ふ。三には滋味を薄くして血気を養ふ。四には津液をのんで臓気を養ふ。五には怒をおさえて肝気を養ふ。六には飲食を節にして胃気を養ふ。七には思慮をすくなくして心気を養ふ。是(これ)寿親養老補書に出たり。
[256]
孫真人が曰「修養の五宜(ごぎ)あり。髪は多くけづるに宜し。手は面にあるに宜し。歯はしばしばたゝくに宜し。津(つばき)は常にのむに宜し。気は常に練るに宜し。練るとは、さはがしからずしてしづかなる也」。
[257]
久しく行き、久しく坐し、久しく立、久しく臥し、久しく語るべからず。是労動ひさしければ気へる。又、安逸ひさしければ気ふさがる。気へるとふさがるとは、ともに身の害となる。
[258]
養生の四要は、暴怒をさり、思慮をすくなくし、言語をすくなくし、嗜慾をすくなくすべし。
[259]
病源集に唐椿が曰、四損は、遠くつばきすれば気を損ず。多くねぶれば神を損ず。多く汗すれば血を損ず。疾(とく)行けば筋を損ず」。
[260]
老人はつよく痰を去薬を用べからず。痰をことごとく去らんとすれば、元気へる。是古人の説也。
[261]
呼吸は人の鼻よりつねに出入る息也。呼は出る息也。内気をはく也。吸は入る息なり。外気をすふ也。呼吸は人の生気也。呼吸なければ死す。人の腹の気は天地の気と同くして、内外相通ず。人の天地の気の中にあるは、魚の水中にあるが如し。魚の腹中の水も外の水と出入して、同じ。人の腹中にある気も天地の気と同じ。されども腹中の気は臓腑にありて、ふるくけがる。天地の気は新くして清し。時々鼻より外気を多く吸入べし。吸入ところの気、腹中に多くたまりたるとき、口中より少づつしづかに吐き出すべし。あらく早くはき出すべからず。是ふるくけがれたる気をはき出して、新しき清き気を吸入る也。新とふるきと、かゆる也。是を行なふ時、身を正しく仰ぎ、足をのべふし、目をふさぎ、手をにぎりかため、両足の間、去事五寸、両ひぢと体との間も、相去事おのおの五寸なるべし。一日一夜の間、一両度行ふべし。久してしるしを見るべし。気を安和にして行ふべし。
[262]
千金方に、常に鼻より清気を引入れ、口より濁気を吐出す。入る事多く出す事すくなくす。出す時は口をほそくひらきて少吐べし。
[263]
常の呼吸のいきは、ゆるやかにして、深く丹田に入べし。急なるべからず。
[264]
調息の法、呼吸をとゝのへ、しづかにすれば、息やうやく微也。弥(いよいよ)久しければ、後は鼻中に全く気息なきが如し。只臍の上より微息往来する事をおぼゆ。かくの如くすれば神気定まる。是気を養ふ術なり。呼吸は一身の気の出入する道路也。あらくすべからず。
[265]
養生の術、まづ心法をよくつゝしみ守らざれば、行はれがたし。心を静にしてさはがしからず、いかりをおさえ慾をすくなくして、つねに楽んでうれへず。是養生の術にて、心を守る道なり。心法を守らざれば、養生の術行はれず。故に心を養ひ身を養ふの工夫二なし、一術なり。
[266]
夜書をよみ、人とかたるに三更をかぎりとすべし。一夜を五更にわかつに、三更は国俗の時皷の四半過、九の間なるべし。深更までねぶらざれば、精神しづまらず。
[267]
外境いさぎよければ、中心も亦是にふれて清くなる。外より内を養ふ理あり。故に居室は常に塵埃をはらひ、前庭も家僕に命じて、日々いさぎよく掃はしむべし。みづからも時々几上の埃をはらひ、庭に下りて、箒をとりて塵をはらふべし。心をきよくし身をうごかす、皆養生の助なり。
[268]
天地の理、陽は一、陰は二也。水は多く火は少し。水はかはきがたく、火は消えやすし。人は陽類にて少く、禽獣虫魚は陰類にて多し。此故に陽はすくなく陰は多き事、自然の理なり。すくなきは貴とく多きはいやし。君子は陽類にて少く、小人は陰類にて多し。易道は陽を善として貴とび、陰を悪としていやしみ、君子を貴とび、小人をいやしむ。水は陰類なり。暑月はへるべくしてますます多く生ず。寒月はますべくしてかへつてかれてすくなし。春夏は陽気盛なる故に水多く生ず。秋冬は陽気変る故水すくなし。血は多くへれども死なず。気多くへれば忽(たちまち)死す。吐血・金瘡・産後など、陰血大に失する者は、血を補へば、陽気いよいよつきて死す。気を補へば、生命をたもちて血も自(おのずから)生ず。古人も「血脱して気を補ふは、古聖人の法なり」、といへり。人身は陽常にすくなくして貴とく、陰つねに多くしていやし。故に陽を貴とんでさかんにすべし。陰をいやしんで抑ふべし。元気生生すれば真陰も亦生ず。陽盛(さかん)なれば陰自(おのずから)長ず。陽気を補へば陰血自生ず。もし陰不足を補はんとて、地黄・知母・黄栢等、苦寒の薬を久しく服すれば、元陽をそこなひ、胃の気衰て、血を滋生せずして、陰血も亦消ぬ。又、陽不足を補はんとて、烏附(うぶ:トリカブト)等の毒薬を用ゆれば、邪火を助けて陽気も亦亡ぶ。是は陽を補ふにはあらず。丹渓(の)陽有余陰不足論は何の経に本づけるや、其本拠を見ず。もし丹渓一人の私言ならば、無稽の言信じがたし。易道の陽を貴とび、陰を賎しむの理にそむけり。もし陰陽の分数を以其多少をいはゞ、陰有余陽不足とは云べし。陽有余陰不足とは云がたし。後人其偏見にしたがひてくみするは何ぞや。凡(およそ)識見なければ其才弁ある説に迷ひて、偏執に泥(なず)む。丹渓はまことに古よりの名医なり。医道に功あり。彼補陰に専なるも、定めて其時の気運に宜しかりしならん。然れども医の聖にあらず。偏僻の論、此外にも猶多し。打まかせて悉くには信じがたし。功過相半せり。其才学は貴ぶべし。其偏論は信ずべからず。王道は偏なく党なくして平々なり。丹渓は補陰に偏して平々ならず。医の王道とすべからず。近世は人の元気漸(ようやく)衰ろふ。丹渓が法にしたがひ、補陰に専ならば、脾胃をやぶり、元気をそこなはん。只東垣が脾胃を調理する温補の法、医中の王道なるべし。明の医の作れる軒岐救生論、類経等の書に、丹渓を甚(はなはだ)誹(そし)れり。其説頗(すこぶ)る理あり。然れども是亦一偏に僻して、丹渓が長ずる所をあはせて、蔑(ないがしろ)にす。枉(まが)れるをためて直(なおき)に過と云べし。凡古来術者の言、往々偏僻多し。近世明季の医、殊に此病あり。択んで取捨すべし。只、李中梓が説は、頗(すこぶる)平正にちかし。
巻第三 飲食上
[301]
人の身は元気を天地にうけて生ずれ共、飲食の養なければ、元気うゑて命をたもちがたし。元気は生命の本也。飲食は生命の養也。此故に、飲食の養は人生日用専一の補にて、半日もかきがたし。然れ共、飲食は人の大欲にして、口腹の好む処也。其このめるにまかせ、ほしゐまゝにすれば、節に過て必(ず)脾胃をやぶり、諸病を生じ、命を失なふ。五臓の初(はじめ)て生ずるは、腎を以(て)本とす。生じて後は脾胃を以(て)五臓の本とす。飲食すれば、脾胃まづ是をうけて消化し、其精液を臓腑におくる。臓腑の脾胃の養をうくる事、草木の土気によりて生長するが如し。是を以(て)養生の道は先(まず)脾胃を調るを要とす。脾胃を調るは人身第一の保養也。古人も飲食を節にして、その身を養ふといへり。
[302]
人生日々に飲食せざる事なし。常につゝしみて欲をこらへざれば、過やすくして病を生ず。古人「禍は口よりいで、病は口より入」といへり。口の出しいれ常に慎むべし。
[303]
論語、郷党篇に記せし聖人の飲食の法、是養生の要なり。聖人の疾を慎み給ふ事かくの如し。法とすべし。
[304]
飯はよく熱して、中心まで和らかなるべし。こはくねばきをいむ。煖なるに宜し。羮(あつもの)は熱きに宜し。酒は夏月も温なるべし。冷飲は脾胃をやぶる。冬月も熱飲すべからず。気を上せ、血液をへらす。
[305]
飯を炊ぐ法多し。たきぼし(:普通に炊く)は壮実なる人に宜し。ふたたびいい(305:湯を入れ二度炊き)は積聚気滞(しゃくじゅきたい:胃けいれん)ある人に宜し。湯取飯(ゆとりいい:水を多くして炊く)は脾胃虚弱の人に宜し。粘りて糊の如くなるは滞塞す。硬(こわ)きは消化しがたし。新穀の飯は性つよくして虚人はあしゝ。殊に早稲は気を動かす。病人にいむ。晩稲は性かろくしてよし。
[306]
凡(すべて)の食、淡薄なる物を好むべし。肥濃・油膩の物多く食ふべからず。生冷・堅硬なる物を禁ずべし。あつ物、只一によろし。肉も一品なるべし。さい(306)は一二品に止まるべし。肉を二かさぬべからず。又、肉多くくらふべからず。生肉をつゞけて食ふべからず。滞りやすし。羹に肉あらば、さい(306)には肉なきが宜し。
[307]
飲食は飢渇をやめんためなれば、飢渇だにやみなば其上にむさぼらず、ほしゐままにすべからず。飲食の欲を恣にする人は義理をわする。是を口腹の人と云(いい)いやしむべし。食過たるとて、薬を用ひて消化すれば、胃気、薬力のつよきにうたれて、生発の和気をそこなふ。おしむべし。食飲する時、思案し、こらへて節にすべし。心に好み、口に快き物にあはゞ、先(まず)心に戒めて、節に過ん事をおそれて、恣にすべからず。心のちからを用ひざれば、欲にかちがたし。欲にかつには剛を以すべし。病を畏るゝには怯(つたな)かるべし。つたなきとは臆病なるをいへり。
[308]
珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし。十分に飽き満るは後の禍あり。少しの間、欲をこらゆれば後の禍なし。少のみくひて味のよきをしれば、多くのみくひてあきみちたるに其楽同じく、且後の災なし。万のむくひて味のよきをしれば、多くのみくひて、あきみちたるに其楽同じく、且後の災なし。万に事十分にいたれば、必わざはひとなる。飲食尤満意をいむべし。又、初に慎めば必後の禍なし。
[309]
五味偏勝とは一味を多く食過すを云。甘き物多ければ、腹はりいたむ。辛き物過れば、気上りて気へり、瘡(かさ)を生じ、眼あしゝ。鹹(しおはゆ)き物多ければ血かはき、のんどかはき、湯水多くのめば湿を生じ、脾胃をやぶる。苦き物多ければ脾胃の生気を損ず。酸き物多ければ気ちゞまる。五味をそなへて、少づゝ食へば病生ぜず。諸肉も諸菜も同じ物をつゞけて食すれば、滞りて害あり。
[310]
食は身をやしなふ物なり。身を養ふ物を以、かへつて身をそこなふべからず。故に、凡(そ)食物は性よくして、身をやしなふに益ある物をつねにゑらんで食ふべし。益なくして損ある物、味よしとてもくらふべからず。温補して気をふさがざる物は益あり。生冷にして瀉(はき)下し、気をふさぎ、腹はる物、辛くし(て)熱ある物、皆損あり。
[311]
飯はよく人をやしなひ、又よく人を害す。故に飯はことに多食すべからず。常に食して宜しき分量を定むべし。飯を多くくらへば、脾胃をやぶり、元気をふさぐ。他の食の過たるより、飯の過たるは消化しがたくして大いに害あり。客となりて、あるじ心を用ひてまうけたる品味を、箸を下さゞれば、主人の盛意を空しくするも快からずと思はゞ、飯を常の時より半減してさい(306)の品味を少づゝ食すべし。此の如くすればさい多けれど食にやぶられず。飯を常の如く食して、又魚鳥などの、さい(306)数品多くくらへば必(ず)やぶらる。飯後に又茶菓子ともち(311)・餌(だんご)などくらひ、或後段とて麪類など食すれば、飽満して気をふさぎ、食にやぶらる。是常の分量に過れば也。茶菓子・後段は分外の食なり。少食して可也。過すべからず。もし食後に小食せんとおもはゞ、かねて飯を減ずべし。
[312]
飲食の人は、人これをいやしむ。其小を養つて大をわするゝがためなりと、孟子ののたまへるごとく、口腹の欲にひかれて道理をわすれ、只のみくひ、あきみちん事をこのみて、腹はりいたみ、病となり、酒にゑひて乱に及ぶは、むけにいやしむべし。
[313]
夜食する人は、暮て後、早く食すべし。深更にいたりて食すべからず。酒食の気よくめぐり、消化して後ふすべし。消化せざる内に早くふせば病となる。夜食せざる人も、晩食の後、早くふすべからず。早くふせば食気とゞこをり、病となる。凡夜は身をうごかす時にあらず。飲食の養を用ひず、少うゑても害なし。もしやむ事を得ずして夜食すとも、早くして少きに宜し。夜酒はのむべからず。若(もし)のむとも、早くして少のむべし。
[314]
俗のことばに、食をひかへすごせば、養たらずして、やせおとろふと云。是養生知不人の言也。欲多きは人のむまれ付なれば、ひかえ過すと思ふがよきほどなるべし。
[315]
すけ(好)る物にあひ、うゑたる時にあたり、味すぐれて珍味なる食にあひ、其品おほく前につらなるとも、よきほどのかぎりの外は、かたくつゝしみて其節にすぐすべからず。さい(306)多く食ふべからず。魚鳥などの味の濃く、あぶら有て重き物、夕食にあしし。菜類も薯蕷(やまのいも)、胡蘿蔔(にんじん)、菘菜(うきな)、芋根(いも)、慈姑(くわい)などの如き、滞りやすく、気をふさぐ物、晩食に多く食ふべからず。食はざるは尤よし。
[320]
飯のすゑり、魚のあざれ、肉のやぶれたる、色のあしき物、臭(か)のあしき物、にえばな(320)をうしなへる物くらはず。朝夕の食事にあらずんばくらふべからず。又、早くしていまだ熟せず、或いまだ生ぜざる物根をほりとりてめだちをくらふの類、又、時過ぎてさかりを失へる物、皆、時ならざる物也。くらふべからず。是論語にのする処、聖人の食し給はざる物なり。聖人身を慎み給ふ、養生の一事なり。法とすべし。又、肉は多けれども、飯の気にかたしめずといへり。肉を多く食ふべからず。食は飯を本とす。何の食も飯より多かるべからず。
[321]
飲食の内、飯は飽ざれば飢を助けず。あつものは飯を和せんためなり。肉はあかずしても不足なし。少くらって食をすゝめ、気を養ふべし。菜は穀肉の足らざるを助けて消化しやすし。皆その食すべき理あり。然共多かるべからず。
[322]
人身は元気を本とす。穀の養によりて、元気生々してやまず。穀肉を以元気を助くべし。穀肉を過して元気をそこなふべからず。元気穀肉にかてば寿(いのちなが)し。穀肉元気に勝てば夭(みじか)し。又古人の言に穀はかつべし。肉は穀にかたしむべからずといへり。
[323]
脾胃虚弱の人、殊(ことに)老人は飲食にやぶられやすし。味よき飲食にむかはゞ忍ぶべし。節に過べからず。心よはきは慾にかちがたし。心つよくして慾にかつべし。
[324]
交友と同じく食する時、美饌にむかえば食過やすし。飲食十分に満足するは禍の基なり。花は半開に見、酒は微酔にのむといへるが如くすべし。興に乗じて戒を忘るべからず。慾を恣にすれば禍となる。楽の極まれるは悲の基なり。
[325]
一切の宿疾を発する物をば、しるして置きてくらふべからず。宿疾とは持病也。即時に害ある物あり。時をへて害ある物あり。即時に傷なしとて食ふべからず。
[326]
傷食の病あらば、飲食をたつべし。或食をつねの半減し、三分の二減ずべし。食傷の時はやく温湯に浴すべし。魚鳥の肉、魚鳥のひしほ、生菜、油膩の物、ねばき物、こわき物、もちだんご、つくり菓子、生菓子などくらふべからず。
[327]
朝食いまだ消化せずんば、昼食すべからず。点心などくらふべからず。昼食いまだ消化せずんば、夜食すべからず。前夜の宿食、猶滞らば、翌朝食すべからず。或半減し、酒肉をたつべし。およそ食傷を治する事、飲食をせざるにしくはなし。飲食をたてば、軽症は薬を用ずしていゆ。養生の道しらぬ人、殊に婦人は智なくして食滞の病にも早く食をすゝむる故、病おもくたる。ねばき米湯など殊に害となる。みだりにすゝむべからず。病症により、殊に食傷の病人は、一両日食せずしても害なし。邪気とゞこほりて腹みつる故なり。
[328]
煮過してにえばな(320)を失なへる物と、いまだ煮熟せざる物くらふべからず。魚を煮るにに煮ゑざるはあしゝ。煮過してにえばなを失なへるは味なく、つかへやすし。よき程の節あり。魚を蒸たるは久しくむしても、にえばなを失なはず。魚をにるに水おおきは味なし。此事、李笠翁が閑情寓寄にいへり。
[329]
聖人其(その)醤(あえしお)を得ざればくひ給わず。是養生の道也。醤とはひしほ(:なめ味噌)にあらず、其物にくはふべきあはせ物なり。今こゝにていはゞ、塩酒、醤油、酢、蓼、生薑、わさび、胡椒、芥子、山椒など、各其食物に宜しき加へ物あり。これをくはふるは其毒を制する也。只其味のそなはりてよからん事をこのむにあらず。
[330]
飲食の慾は朝夕におこる故、貧賤なる人もあやまり多し。況富貴の人は美味多き故、やぶられやすし。殊に慎むべし。中年以後、元気へりて、男女の色欲はやうやく衰ふれども、飲食の慾はやまず。老人は脾気よはし。故に飲食にやぶられやすし。老人のにはかに病をうけて死するは、多くは食傷也。つゝしむべし。
[331]
諸(もろもろ)の食物、皆あたらしき生気る物をくらふべし。ふるくして臭(か)あしく、色も味もかはりたる物、皆気をふさぎて、とゞこほりやすし。くらふべからず。
[332]
すける物は脾胃のこのむ所なれば補となる。李笠翁も本姓甚すける物は、薬にあつべしといへり。尤此理あり。されどすけるまゝに多食すれば、必やぶられ、好まざる物を少くらふにおとる。好む物を少食はゞ益あるべし。
[333]
清き物、かうばしき物、もろく和かなる物、味かろき物、性よき物、此五の物をこのんで食ふべし。益ありて損なし。是に反する物食ふべからず。此事もろこしの食にも見えたり。
[334]
衰弱虚弱の人は、つねに魚鳥の肉を味よくして、少づゝ食ふべし。参ぎ(115)の補にまされり。性よき生魚を烹炙よくすべし。塩つけて一両日過たる尤よし。久しければ味よからず。且滞りやすし。生魚の肉みそ(334)につけたるを炙煮て食ふもよし。夏月は久しくたもたず。
[335]
脾虚の人(:胃腸の弱い人)は生魚をあぶりて食するに宜し。煮たるよりつかえず。小魚は煮て食するに宜し。大なる生魚はあぶりて食ひ、或煎酒(:煮詰めた料理用の酒)を熱くして、生薑わさびなどを加え、浸し食すれば害なし。
[336]
大魚は小魚より油多くつかえやすし。脾虚の人は多食すべからず。薄く切て食へばつかえず。大なる鯉・鮒大に切、或全身を煮たるは、気をふさぐ。うすく切べし。蘿蔔(だいこん)、胡蘿蔔(にんじん)、南瓜、菘菜(うきな)なども、大に厚く切て煮たるは、つかえやすく、薄く切て煮るべし。
[337]
生魚、味をよく調へて食すれば、生気ある故、早く消化しやすくしえつかえず。煮過し、又は、ほして油多き肉、或塩につけて久しき肉は、皆生気なき隠物なり。滞やすし。此理をしらで生魚より塩蔵をよしとすべからず。
[338]
甚腥く脂多き魚食ふべからず。魚のわたは油多し。食べからず。なしもの(3380,3381:塩辛)ことにつかえやすし。痰を生ず。
[339]
さし身、鱠(なます)は人により斟酌すべし。酢過たるをいむ。虚冷の人はあたゝめ食ふべし。鮓は老人・病人食ふべからず、消化しがたし。殊に未熟の時、又熟し過て日をへたる、食ふべからず。ゑびの鮓毒あり。うなぎの鮓消化しがたし。皆食ふべからず。大なる鳥の皮、魚の皮のあつきは、かたくして油多し。食ふべからず。消しがたし。
[340]
諸獣の肉は、日本の人、腸胃薄弱なる故に宜しからず。多く食ふべからず。烏賊・章魚など多く食ふべからず。消化しがたし。鶏子・鴨子、丸ながら煮たるは気をふさぐ。ふはふはと俗の称するはよし。肉も菜も大に切たる物、又、丸ながら煮たるは、皆気をふさぎてつかえやすし。
[341]
生魚あざらけきに塩を淡くつけ、日にほし、一両日過て少あぶり、うすく切て酒にひたし食ふ。脾に妨なし。久しきは滞りやすし。
[342]
味噌、性和(やわらか)にして脾胃を補なふ。たまりと醤油はみそより性するどなり。泄瀉(嘔吐や下痢)する人に宜しからず。酢は多く食ふべからず。脾胃に宜しからず。然れども積聚(しゃくじゅ:胃けいれん)ある人は小食してよし。げん醋(342:げんそ:濃い酢)を多く食ふべからず。
[343]
脾胃虚して生菜をいむ人は、乾菜を煮食ふべし。冬月蘿蔔(らふく)をうすく切りて生ながら日に乾す。蓮根、牛蒡、薯蕷(やまのいも)、うどの根、いづれもうすく切りてほす。椎蕈、松露、石茸(いわたけ)、もほしたるがよし。松蕈塩漬よし。壷廬(ゆうがお)切て塩に一夜つけ、おしをかけ置てほしたるがよし。瓠畜(かんぴょう)もよし。白芋の茎熱湯をかけ日にほす。是皆虚人の食するに宜し。枸杞(くこ)、五加(うこぎ)、ひゆ (343)、菊、蘿摩(らも:ちぐさ)、鼓子花(ひるがお)葉など、わか葉をむし、煮てほしたるをあつ物とし、味噌にてあへ物とす。菊花は生にてほす。皆虚人に宜し。老葉はこはし。海菜(みる)は冷性也。老人・虚人に宜しからず。昆布多く食へば気をふさぐ。
[344]
食物の気味、わが心にかなはざる物は、養とならず。かへつて害となる。たとひ我がために、むつかしくこしらへたる食なりとも、心にかなはずして、害となるべき物は食ふべからず。又、其味は心にかなへり共、前食いまだ消化せずして、食ふ事を好まずば食すべからず。わざととゝのへて出来たる物をくらはざるも、快からずとて食ふはあしゝ。別に使令する家僕などにあたへて食はしむれば、我が食せずしても快し。他人の饗席にありても、心かなはざる物くらふべからず。又、味心にかなへりとて、多く食ふは尤あしゝ。
[345]
凡食飲をひかへこらゆる事久き間にあらず。飲食する時須臾の間、欲を忍ぶにあり。又、分量は多きにあらず。飯は只二三口、さい(306)は只一二片、少の欲をこらゑて食せざれば害なし。酒も亦しかり。多飲の人も少こらえて、酔過さゞれば害なし。
[346]
脾胃のこのむと、きらふ物をしりて、好む物を食し、きらふ物を食すべからず。脾胃の好む物は何ぞや。あたたかなる物、やはらかなる物、よく熟したる物、ねばりなき物、味淡くかろき物、にえばなの新に熟したる物、きよき物、新しき物、香よき物、性平和なる物、五味の偏ならざる物、是皆、脾胃の好む物なり。是、脾胃の養となる。くらふべし。
[347]
脾胃のきらふ物は生しき物、こはき物、ねばる物、けがらはしく清からざる物、くさき物、煮ていまだ熟せざる物、煮過してにえばな(320)を失へる物、煮て久しくなるもの、菓(このみ)のいまだ熟せざる物、ふるくして正味を失なへる物、五味の偏なる物、あぶら多くして味おもきもの、是皆、脾胃のきらふ物也。是をくらへば脾胃を損ず。食ふべからず。
[348]
酒食を過し、或は時ならずして飲食し、生冷の物、性あしく病をおこす物をくひて、しばしば泄瀉すれば、必胃の気へる。久しくかさなりては、元気衰へて短命なり。つゝしむべし。
[349]
塩と酢と辛き物と、此三味を多く食ふべからず。此三味を多くくらひ、渇きて湯を多くのめば、湿を生じ、脾をやぶる。湯・茶・羹多くのむべからず。右の三味をくらつて大にかはかば葛の粉か天花粉を熱湯にたてゝ、のんで渇をとゞむべし。多く湯をのむ事をやめんがためなり。葛などのねば湯は気をふさぐ。
[350]
酒食の後、酔飽せば、天を仰で酒食の気をはくべし。手を以面及腹・腰をなで、食気をめぐらすべし。
[351]
わかき人は食後に弓を射、鎗、太刀を習ひ、身をうごかし、歩行すべし。労動を過すべからず。老人も其気体に応じ、少労動すべし。案(おしまずき)によりかゝり、一処に久しく安坐すべからず。気血を滞らしめ、飲食消化しがたし。
[352]
脾胃虚弱の人、老人などは、もち(311)・だんご(352)、饅頭などの類、堅くして冷たる物くらふべからず。消化しがたし。つくりたる菓子、生菓子の類くらふ事斟酌すべし。おりにより、人によりて甚害あり。晩食の後、殊にいむべし。
[353]
古人、寒月朝ごとに、性平和なる薬酒を少のむべし。立春以後はやむべしといへり。人により宜かるべし。焼酒(しょうちゅう)にてかもしたる薬酒は用ゆべからず。
[354]
肉は一臠を食し、菓(くだもの)は一顆(ひとつぶ)を食しても、味をしる事は肉十臠を食し、菓百顆を食したると同じ。多くくひて胃をやぶらんより、少くひて其味をしり、身に害なきがまされり。
[355]
水は清く甘きを好むべし。清からざると味あしきとは用ゆべからず。郷土の水の味によって、人の性(うまれつき)かはる理なれば、水は尤ゑらぶべし。又悪水のもり入たる水、のむべからず。薬と茶を煎ずる水、尤よきをゑらぶべし。
[356]
天よりすぐに下る雨水は性よし、毒なし。器にうけて薬と茶を煎ずるによし。雪水は尤よし。屋漏(あまだり)の水、大毒あり。たまり水はのむべからず。たまり水の地をもり来る水ものむべからず。井のあたりに、汚濁のたまり水あらしむべからず。地をもり通りて井に入る甚いむべし。
[357]
湯は熱きをさまして、よき比の時のむはよし。半沸きの湯をのめば腹はる。
[358]
食すくなければ、脾胃の中に空処ありて、元気めぐりやすく、食消化しやすくして、飲食する物、皆身の養となる。是を以病すくなくして身つよくなる。もし食多くして腹中にみつれば、元気のめぐるべき道をふさぎ、すき間なくして食消せず。是を以のみくふ物、身の養とならず、滞りて元気の道をふさぎ、めぐらずして病となる。甚しければもだえて死す。是食過て腹にみち、気ふさがりて、めぐらざる故也。食後に病おこり、或頓死するは此故也。凡大酒・大食する人は、必短命なり。早くやむべし。かへすがへす老人は腸胃よはき故に、飲食にやぶられやすし。多く飲食すべからず。おそるべし。
[359]
およそ人の食後に俄にわづらひて死ぬるは、多くは飲食の過て、飽満し、気をふさげばなり。初まづ生薑に塩を少加えてせんじ、多く飲しめて多く吐しむべし。其後食滞を消し、気をめぐらす薬を与ふべし。卒中風として、蘇合円・延齢丹など与ふべからず。あしゝ。又少にても食物を早く与ふべからず。殊ねばき米湯など、与ふべからず。気弥(いよいよ)塞りて死す。一両日は食をあたへずしてよし。此病は食傷なり。世人多くはあやまりて卒中風とす。その治応ぜず。
[360]
うえて食し、かはきて飲むに、飢渇にまかせて、一時に多く飲食すれば、飽満して脾胃をやぶり、元気をそこなふ。飢渇の時慎むべし。又飲食いまだ消化せざるに、又いやかさねに早く飲食すれば、滞りて害となる。よく消化して後、飲食を好む時のみ食ふべし。如此すれば、飲食皆養となる。
[361]
四時老幼ともに、あたたかなる物くらふべし。殊に夏月は伏陰内にあり。わかく盛なる人も、あたたかなる物くらふべし。生冷を食すべからず。滞やすく泄瀉しやすし。冷水多く飲むべからず。
[362]
夏月、瓜菓・生菜多く食ひ、冷麪をしばしば食し、冷水を多く飲めば、秋必瘧痢(:下痢を伴う急性の発熱)を病む。凡病は故なくしてはおこらず。かねてつゝしむべし。
[363]
食後に湯茶を以口を数度すゝぐべし。口中清く、牙歯にはさまれる物脱し去る。牙杖にてさす事を用ひず。夜は温なる塩茶を以口をすゝぐべし。牙歯堅固になる。口をすゝぐには中下の茶を用ゆべし。是、東坡が説なり。
[364]
人、他郷にゆきて、水土かはりて、水土に服せず、わづらふ事あり。先豆腐を食すれば脾胃調(ととのい)やすし。是、時珍が食物本草の注に見えたり。
[365]
山中の人、肉食ともしくて、病すくなく命長し。海辺、魚肉多き里にすむ人は、病多くして命短し、と千金方にいへり。
[366]
朝早く、粥を温に、やはらかにして食へば、腸胃をやしなひ、身をあたため、津液を生ず。寒月尤よし。是、張来が説也。
[367]
生薑、胡椒、山椒、蓼、紫蘇、生蘿蔔(だいこん)、生葱(ひともじ)など、食の香気を助け、悪臭を去り、魚毒を去り、食気をめぐらすために、其食品に相宜しからき物を、少づゝ加へて毒を殺すべし。多く食すべからず。辛き物多ければ気をへらし、上升し、血液をかはかす。
[368]
朝夕飯を食するごとに、初一椀は羹ばかり食して、さい(306)を食せざれば、飯の正味をよく知りて、飯の味よし。後に五味のさい(306)を食して、気を養なふべし。初よりさい(306)をまじえて食へば、飯の正味を失なふ。後にさい(306)を食へば、さい(306)多からずしてたりやすし。是身を養ふによろしくて、又貧に処(す)るによろし。魚鳥・蔬菜のさい(306)を多く食はずして、飯の味のよき事を知るべし。菜肉多くくらへば、飯のよき味はしらず。貧民はさい(306)肉ともしくして、飯と羹ばかり食ふ故に、飯の味よく食滞の害なし。
[369]
臥にのぞんで食滞り、痰ふさがらば、少(すこし)消導の薬をのむべし。夜臥して痰のんどにふさがるはおそるべし。
[370]
日短き時、昼の間、点心(てんじん)食ふべからず。日永き時も、昼は多食はざるが宜し。
[371]
晩食は朝食より少くすべし。さい(306)肉も少きに宜し。
[372]
一切の煮たる物、よく熱して柔なるを食ふべし。こはき物、未熟物、煮過してにえばな(320)を失へる物、心にかなはざる物、食ふべからず。
[373]
我が家にては、飲食の節慎みやすし、他の饗席にありては烹調・生熱の節我心にかなはず。さい(306)品多く過やすし。客となりては殊に飲食の節つつしむべし。
[374]
飯後に力わざすべからず。急に道を行べからず。又、馬をはせ、高きにのぼり、険路に上るべからず。
巻第四 飲食下
[401]
東坡(とうば)日(く)、「早晩の飲食一爵一肉に過す。尊客あれば之を三にす。へらすべくして、ますべからず。我をよぶ者あれば是を以つぐ。一に日(く)、分を安すんじて以福を養なふ。二に日(く)、胃を寛(ゆる)くして以気を養なふ。三に日(く)、費(ついえ)をはぶきて以財を養なふ」。東坡が此法、倹約養生のため、ともにしかるべし
[402]
朝夕一さい(306)を用ゆべし。其上に醤(ひしお)か肉醢(ししびしお:塩辛)か或(あるいは)つけもの(402)か一品を加ふるもよし。あつものは、富める人も常に只一なるべし。客に饗するに二用るは、本汁、もし心に叶はずば、二の汁を用させん為也。常には無用の物也。唐の高侍郎と云し人、兄弟あつものと肉を二にせず、朝夕一品のみ用ゆ。晩食には只蔔匏(ふくほう)をくらふ。大根と夕がほとを云。范忠宣と云し富貴の人、平生肉をかさねず。其倹約養生二ながら則とすべし。
[403]
松蕈、竹筍、豆腐など味すぐれたる野菜は、只一種煮食すべし。他物と両種合わせ煮れば、味おとる。李笠翁が閑情萬寄にかくいへり。味あしければ腸胃に相応せずして養とならず。
[404]
もち(310)・餌(だんご)の新に成て再煮ずあぶらずして、即食するは消化しがたし。むしたるより、煮たるがやはらかにして、消化しやすし。’もち’は数日の後、焼煮て食ふに宣し。
[405]
朝食、肥濃の物ならば、晩食は必淡薄に宣し。晩食豊腴(ほうゆ)ならば、明朝の食はかろくすべし。
[406]
諸の食物、陽気の生理ある新きを食ふべし。毒なし。日久しく歴(へ)たる陰気欝滞(うったい)せる物、食ふべからず。害あり。煮過してにえばな(320)を失へるも同じ。
[407]
一切の食、陰気の欝滞せる物は毒あり。くらふべからず。郷党篇(きょうとうへん)にいへる、聖人の食し給はざる物、皆、陽気を失て陰物となれるなり。穀肉などふたをして時をへるは、陰鬱の気にて味を変ず。魚鳥の肉など久しく時をへたる、又、塩につけて久しくして、色臭(か)味変ず。是皆陽気を失へる也。菜蔬(さいそ)など久しければ、生気を失ひて味変ず。此如なるは皆陰物なり。腸胃に害あり。又、害なきも補養をなさず。水など新に汲むは陽気さかんにて、生気あり。久しきを歴(ふ)れば陰物となり、生気を失なふ。一切の飲食、生気を失ひて、味と臭(か)と色と少にても、かはりたるは食ふべからず。ほして色かはりたると、塩に浸して不損とは、陰物にあらず食ふに害なし。然共、乾物の気のぬけたると、塩蔵の久して、色臭(か)味変じたるも皆陰物也。食ふべからず。
[408]
夏月、暑中にふたをして、久しくありて、熱気に蒸欝(むしうつ)し、気味悪しくなりたる物、食ふべからず。冬月、霜に打れたる菜、又、のきの下に生じたる菜、皆くらべからず。是皆陰物なり。
[409]
瓜は風涼の日、及秋月清涼の日、食ふべからず。極暑の時食ふべし。
[410]
炙もち(311)・炙肉すでに炙りて、又、熱湯に少ひたし、火毒を去りて食ふべし。然れずは津液(しんえき:つばき)をかはかす。又、能喉痺(よくこうひ:慢性咽頭疾患)を発す。
[411]
茄子、本草等の書に、性好まずと云。生なるは毒あり、食ふべからず。煮たるも瘧痢(ぎゃくり:急性下痢)傷寒(しょうかん:高熱疾患)などには、誠に忌むべし。他病には、皮を去切(さりきり)て米みず(411)(しろみず:米のとぎ水)に浸し、一夜か半日を歴(へ)てやはらかに煮て食す。害なし。葛粉、水に溲(こね)て、切て線条(せんじょう)とし、水にて煮、又、みそ(334)汁に鰹魚(かつお)の末(まつ)を加へ、再煮て食す。瀉を止め、胃を補ふ。保護に益あり。
[412]
胃虚弱の人は、蘿蔔(だいこん)、胡蘿蔔(にんじん)、芋、薯蕷(やまのいも)、牛蒡(ごぼう)などうすく切てよく煮たる、食ふべし。大にあつくきりたると、煮ていまだ熟せざると、皆、脾胃(ひい)をやぶる。一度うすみそか、うすじょうゆにて煮、其汁にひたし置、半日か、一夜か間置て、再前の汁にて煮れば、大に切りたるも害なし、味よし。鶏肉、野猪(やちょ)肉なども此如くすべし。
[413]
蘿蔔は菜中の上品也。つねにに食ふべし。葉のこはきをさり、やはらかなる葉と根と、みそ(334)にて煮熟して食ふ。脾を補ひ痰(たん)を去り、気をめぐらす。大根の生しく辛きを食すれば、気へる。然ども食滞ある時、少食して害なし。
[414]
菘(な)は京都のはたけ菜水菜、いなかの京菜也。蕪(かぶ)の類也。世俗あやまりて、ほりいりなと訓ず。味よけれども性よからず。仲景日(く)、「薬中に甘草ありて、菘を食へば病除かず。根は九十月の比(ころ)食へば味淡くして可也。うすく切てくらふべし、あつく切たるは気をふさぐ。十一月以後、胃虚の人くらへば滞塞(たいそく)す」。
[415]
諸菓、寒具(ひがし)など、炙(あぶり)食へば害なし。味も可也。甜瓜(あまうり)は核(さね)を去て蒸食す。味よくして胃をやぶらず。熟柿も木練も皮共に、熱湯にてあたヽめ食すべし。乾柿(ほしがき)はあぶり食ふべし。皆、脾胃虚の人に害なし。梨子(なし)は大寒なり。蒸煮て食すれば、性やはらぐ。胃虚寒の人は、食ふべからず。
[416]
人は病症によりて禁宣(きんぎ)の食物各(おのおの)かはれり。よく其物の性を考がへ、其病に随ひて精(くわ)しく禁宣を定むべし。又、婦人懐胎(かいたい)の間、禁物多し。かたく守らしむべし。
[417]
豆腐には毒あり。気をふさぐ。されども新しきをにて、にえばな(320)を失はざる時、早く取あげ、生だいこん(4170,4171)のおろしたるを加へ食すれば害なし。
[418]
前食未だ消化せんば、後食相つぐべからず。
[419]
薬を服す時、あまき物、油膩(ゆに)の物、獣の肉、諸菓、もち(311)、餌(だんご)、生冷の物、一切気を塞ぐ物、食うべからず。服薬の時多食へば薬力とヾこほりて力なし。酒は只一盞(さん)に止るべし。補薬を服する日、ことさら此類いむべし。凡(およそ)薬を服する日は、淡き物を食して薬力をたすくすべし、味こき物を食して薬力を損ずべからず。
[420]
だいこん(4170,4171)、菘、薯蕷(やまのいも)、芋、慈姑(くわい)、胡蘿蔔(にんじん)、南瓜(ぼぶら)、大葱白(ひともじのしろね)等の甘き菜は、大に切て煮食すれば、つかへて気をふさぎ、腹痛す。薄く切べし。或(あるいは)辛き物をくはへ、又、物により酢を少(すこし)加るもよし。再び煮る事を右に記せり。又、此如の物、一時に二三品くらふべからず。又、甘き菜の類、およそつかえやすき物、つヾけ食ふべからず。生魚、肥肉、厚味の物つづけ食ふべからず。
[421]
薑(はじかみ:しょうが)を八九月食へば、来春眼をうれふ。
[422]
豆腐、菎蒻(こんにゃく)、薯蕷(やまのいも)、芋、慈姑(くわい)、蓮根などの類、豆油(しょうゆ)にて煮たるもの、既に冷へて温ならざるは食ふべからず。
[423]
暁の比(ころ)、腹中鳴動し、食つかへて腹中不快ば、朝食を減ずべし。気をふさぐ物、肉、菓など食ふべからず。酒を飲べからず。
[424]
飲酒の後、酒気残らば、もち(311)、餌(だんご)、諸穀食、寒具(ひがし)、諸菓、醴(あまざけ)、にごりざけ(424)、油膩(ゆに)の物、甘き物、気をふさぐ物、飲食すべからず。酒気めぐりつきて後、飲食すべし。
[425]
鳥獣のこはき肉、前日より豆油(しょうゆ)及みそ(334)汁を以煮て、その汁を用ひて翌日再煮れば、大に切たるも、やはらかになりて味よし。つかえず。蘿蔔(だいこん)も亦同じ。
[426]
鶻突羹(こつとつこう)は鮒魚(ふな:426)をうすく切て、山椒などくはへ、味噌にて久しく煮たるを云。脾胃(ひい)を補ふ。脾虚(ひきょ)の人、下血(げけつ)する病人などに宣し。大に切たるは気をふさぐ、あしヽ。
[427]
凡諸菓の核(さね)いまだ成ざるをくらふべからず、菓(このみ)に双仁(そうじん)ある物、毒あり。山椒、口をとぢて開かざるは、毒あり。
[428]
怒(いかり)の後、早すべからず。食後、怒るべからず。憂ひて食すべからず。食して憂ふべからず。
[429]
腹中の食いまだ消化せざるに、又食すれば、性よき物も毒となる。腹中、空虚になりて食すべし。
[430]
永夜、寒甚(はなはだし)き時、もし夜飲食して寒を防ぐに宣しくば、晩饌(ばんせん)の酒飯を、数口減ずべし。又、やむ事を得ずして、人の招に応じ、夜話に、人の許(もと)にゆきて食客とならば、晩そん(430)(ばんそん)の酒食をかさねて減ずべし。此如かにして、夜少飲食すればやぶれなし。夜食は、朝晩より進みやすし。心に任せて恣(ほしいまま)にすべからず。
[431]
朝夕の食、塩味をくらふ事すくなければ、のんどかはかず、湯茶を多くのまず。脾に湿を生ぜずして、胃気発生しやすし。
[432]
中華、朝鮮の人は、脾胃つよし。飯多く食し、六蓄の肉を多く食つても害なし。日本の人は是にことなり、多く穀肉を食すれば、やぶられやすし。是日本人の異国の人より体気(たいき)よはき故也。
[433]
空腹に、生菓食ふべからず。つくり菓子、多く食ふべからず。脾胃の陽気を損ず。
[434]
労倦(ろうけん)して多く食すれば、必眠り臥す事をこのむ。食して即臥(そくが)し、ねむれば、食気塞りてめぐらず、消化しがたくして病となる。故に労倦したる時は、くらふべからず。労をやめて後、食ふべし。食してねむらざるがため也。
[435]
古今医統(ここんいとう)に、百病の横夭(おうよう)は多く飲食による。飲食の患(うれい)は色欲に過たりといへり。色慾は楢も絶べし。飲食は半日もたつべからず。故飲食のためにやぶらるヽ事多し。食多ければ積聚(しゃくじゅ)となり、飲多ければ痰癖(たんぺき)となる。
[436]
病人の甚食せん事をねがふ物あり。くらひて害に成食物、又、冷水などは願に任せがたし。然共(しかれども)病人のきはめてねがふ物を、のんどにのみ入ずして、口舌に味はヽしめて其願を達するも、志を養ふ養生の一術也。およそ飲食を味はひてしるは舌なり。のんどにあらず。口中にかみて、しばしふくみ、舌に味はひて後は、のんどにのみこむも、口に吐出すも味をしる事は同じ。穀、肉、酒、羹、酒は、腹に入て臓腑(ぞうふ)を養なふ。此外の食は、養のためにあらず。のんどにのまず、腹に入らずとも有なん。食して身に害ある食物といへど、のんどに入(いら)ずして口に吐出せば害なし。冷水も同じ。久しく口にふくみて舌にこヽろみ、吐出せば害なし。水をふくめば口中の熱を去り、牙歯(がし)を堅くす。然共、むさぼり多くしてつヽしまざる人には、此法は用がたし。
[437]
多く物、諸のもち(311)、餌(もち)、ちまき(4370)、寒具(ひがし)、冷麪、麪類、饅頭、河濡(そばきり)、砂糖、醴(あまざけ)、焼酒、赤小豆(あずき)、酢、豆油(しょうゆ)、*魚(鮒:426)、泥鰌(どじょう)、蛤蜊(はまぐり)、鰻*(うなぎ)(4371)、鰕(えび)、章魚(たこ)、烏賊(いか)、鯖(さば)、鰤魚(ぶり)、しおから(338)、海鰌(くじら)、だいこん(417)、胡蘿蔔(にんじん)、薯蕷(やまのいも)、菘根(な)、蕪菁(かぶら)、油膩(ゆに)の物、肥濃(ひのう)の物。
[438]
老人、虚人、物、一切生冷の物、堅硬の物、稠黏(ちゅうねん)の物、油膩(ゆに)の物、冷麪、冷てこはき’もち’、餌(だんご)、粽(ちまき)、冷饅頭、并(ならびに)皮、糯飯(こわいい)、生味噌、醴(あまざけ)の製法好(よ)からざると、冷なると。海鰌(くじら)、海鰮(いわし)、鮪(しび)、梭魚(かます)、諸生菓、皆脾胃(ひい)発生の気をそこなふ。
[439]
凡(すべて)の人、食ふべからざる物、生冷の物、堅硬の物、未だ熟せぬ物、ねばき物、ふるくして気味の変じたる物、製法心に叶はざる物、塩からき物、酢の過たる物、にえばな(320)を失へる物、臭(か)悪き物、色悪き物、味変じたる物、魚餒(あざれ)、肉敗たる、豆腐の日をへたると、味あしきと、にえばな(320)を失へると、冷たると、索麪(そうめん)に油あると、諸品煮て未だ熟せずと、灰(あく)有る酒、酸味ある酒、いまだ時ならずして熟せざる物、すでに時過たる物、食ふべからず。夏月、雉(きじ)食ふべからず。魚鳥の皮こはき物、脂(あぶら)多き物、甚なまぐさき物、諸魚二目同じからざる物、腹下に丹の字ある物、諸鳥みづから死して足伸ざる物、諸獣毒箭(どくや)にあたりたる物、諸鳥毒をくらつて死したる物、肉の脯(ほじし)、屋濡水(あまだりみず)にぬれたる物、米器の内に入置たる肉、肉汁を器に入置て、気をとじたる物、皆毒あり。肉の脯(ほじし)、並塩につけたる肉、夏をへて臭味(しゅうみ)あしき、皆食ふべからず。
[440]
いにしへ、もろこしに食医の官あり。食養によつて百病を治すと云。今とても食養なくんばあるべからず。殊(ことに)老人は脾胃よはし、尤(もつとも)食養宣しかるべし。薬を用(もちう)るは、やむ事を得ざる時の事也。
[441]
同食(くいあわせ)の禁忌多し、其要(おも)なるをこヽに記す○猪(ぶた)肉に、生薑(しょうが)、蕎麦(そば)、こすい(胡*)(4410)、炊豆(いりまめ)、梅、牛肉、鹿(ろく)肉、鼈(すっぽん)、鶴、鶉(うずら)をいむ○牛肉に黍(きび)、韮(にら)、生薑、栗子をいむ○兎肉に生薑、橘皮、芥子(からし)、鶏、鹿(しし)、獺(かわうそ)○鹿に生菜、鶏、雉(きじ)、鰕(えび)をいむ○鶏肉と鶏子(たまご)とに芥子(からし)、蒜(にんにく)、生葱、糯米(もちごめ)、李子(すもも)、魚汁、鯉(こい)魚、兎、獺、鼈、雉を忌(いむ)○雉肉に蕎麦、木耳(きくらげ)、胡桃(くるみ)、鮒、鮎魚(なまず)、をいむ○野鴨(かも)に胡桃(くるみ)、木耳(きくらげ)をいむ○鴨子(あひるのたまご)に、李子、鼈肉○雀肉(すずめ)に李子、醤(ひしお)○鮒に芥子、蒜(にら)、あめ(4411)、鹿、芹(せり)、鶏、雉○魚酢(うおのすし)に麦醤(むぎひしお)、蒜(にんにく)、緑豆(ぶんどう)○鼈肉にひゆ (343)菜、芥子(からし)菜、桃子(もも)鴨(あひる)肉○蟹に柿、橘、棗(なつめ)○李子に蜜を忌(いむ)○橙、橘に獺(かわうそ)肉○棗に葱(ひともじ)○枇杷(びわ)に熱麪○楊梅(やまもも)に生葱(ねぎ)○銀杏(ぎんなん)に鰻*(うなぎ)(4371)○諸瓜に油餅○黍(きび)米に蜜○緑豆(ぶんどう)に榧子(かや)を食し合すれば人を殺す○ひゆ(343)に蕨(わらび)○乾筍(かんじゅん)に砂糖○紫蘇茎葉と鯉魚(こい)○草石蠶(ちょうろぎ)と諸魚○魚鱠(なます)と瓜、冷水○菜瓜と魚鱠と一にすべからず○鮓(すし)肉に髪有るは人を害す○麦醤、蜂蜜と同食すべからず○越瓜(しろうり)と鮓肉○酒後に茶を飲べからず腎をやぶる○酒後芥子及辛き物を食へば筋骨を緩くす○茶と榧(かや)と同時に食へば、身重し○和俗の云、蕨粉(わらびこ)を餅とし緑豆を’あん’にして食へば、人殺す。又日(いう)、このしろ(*魚)(4412)を、木棉子(わたざね)の火にて、やきて食すれば人を殺す。又日、胡椒(こしょう)と沙菰米(さごべ)と同食すれば人を殺す。又胡椒と桃、李、楊梅(やまもも)同食すべからず。又日、松簟(まつたけ)を米を貯(たくわえ)る器中に入おけるを食ふべからず。又日、南瓜(ぼぶら)を、魚膾(なます)に合せ食すべからず。
[442]
黄ぎ(115)(おうぎ:強壮剤の一)を服する人は、酒を多くのむべからず。甘草(かんぞう)を服する人は、菘菜(な)を食ふべからず。地黄(ぢおう)を服するには、蘿蔔(だいこん)、蒜(にんにく)、葱(ひともじ)の三白をいむ。菘(な)は忌(いま)ず。荊芥(けいがい)を服するには生魚をいむ。土茯苓(さんきらい)を服するには茶をいむ。凡(およそ)、此如類はかたく忌むべし。薬と食物とのおそれいむは、自然の理なり。まちん(番木*)の鳥を殺し、磁石の針を吸の類も、皆天然の性也。此理疑ふべからず。
[443]
一切の食物の内、園菜(そののな)、極めて穢(けがら)はし。其根葉に久しくそみ入たる糞汚(ふんお)、にはかに去がたし、水桶を定め置、水を多く入て菜をひたし、上におもりをおき、一夜か一日か、つけ置取出し、印子(はけ)を以てその根葉茎をすり洗ひ、清くして食すべし。此事、近年、李笠翁(りりゅうおう)が書に見えたり。もろこしには、神を祭るに園菜を用ひずして、山菜水菜を用ゆ。園菜も、瓜、茄子(なすび)、壺盧(ゆうがお)、冬瓜(とうが)などはけがれなし。
飲酒
[444]
酒は天の美禄なり。少のめば陽気を助け、血気をやはらげ、食気をめぐらし、愁(うれい)を去り、興を発して、甚人に益あり。多くのめば、又よく人を害する事、酒に過たる物なし。水火の人をたすけて、又よく人に災あるが如し。邵尭夫(しょうぎょうふ)の詩に、「美酒を飲て微酔せしめて後」、といへるは、酒を飲の妙を得たりと、時珍(じちん)いへり。少のみ、少酔へるは、酒の禍なく、酒中の趣を得て楽多し。人の病、酒によって得るもの多し。酒を多くのんで、飯をすくなく食ふ人は、命短し。かくのごとく多くのめば、天の美禄を以、却て身をほろぼす也。かなしむべし。
[445]
酒を飲には、各(おのおの)人によつてよき程の節あり。少のめば益多く、多くのめば損多し。性謹厚なる人も、多飲を好めば、むさぼりてみぐるしく、平生の心を失ひ、乱に及ぶ。言行ともに狂せるがごとし。其平生とは似ず、身をかへり見慎むべし。若き時より早くかへり見て、みずから戒しめ、父兄もはやく子弟を戒(いまし)むべし。久しくならへば性となる。くせになりては一生改まりがたし。生れ付て飲量すくなき人は、一二盞(さん)のめば、酔て気快く楽(たのしみ)あり。多く飲む人と其楽同じ。多飲するは害多し。白楽天が詩に、「一飲一石の者。徒に多を以て貴しと為す。其の酩酊の時に及て。我与亦異ること無し。笑て謝す多飲の者。酒銭徒に自ら費す」といへるはむべ也。
[446]
凡(そ)酒はただ朝夕の飯後にのむべし。昼と夜と空腹に飲べからず。皆害あり。朝間空腹にのむは、殊更脾胃をやぶる。
[447]
凡(そ)酒は夏冬ともに、冷飲熱飲に宣しからず。温酒をのむべし。熱飲は気升(のぼ)る。冷飲は痰をあつめ、胃をそこなふ。丹渓は、酒は冷飲に宣しといへり。然れ共多くのむ人、冷飲すれば脾胃を損ず。少飲む人も、冷飲すれば、食気を滞らしむ。凡酒をのむは、其温気をかりて、陽気を助け、食滞をめぐらさんがため也。冷飲すれば二の益なし。温酒の陽を助け、気をめぐらすにしかず。
[448]
酒をあたヽめ過してじん(=にえばな)(320)を失へると、或温めて時過、冷たると、二たびあたヽめて味の変じたると、皆脾胃をそこなふ。のむべからず。
[449]
酒を人にすヽむるに、すぐれて多く飲む人も、よき程の節をすぐせばくるしむ。若(もし)その人の酒量をしらずんば、すこししひて飲しむべし。其人辞してのまずんば、その人にまかせて、みだりにしひずして早くやむべし。量にみたず、すくなくて無興(ぶきょう)なるは害なし。すぎては必人に害あり。客に美饌を饗しても、みだりに酒をしひて苦ましむるは情なし。大に酔しむべからず。客は、主人しひずとも、つねよりは少多くのんで酔べし。主人は酒を妄(みだり)にしひず。客は、酒を辞せず。よき程にのみ酔て、よろこびを合せて楽しめるこそ、是宣しかるべけれ。
[450]
市にかふ酒に、灰を入たるは毒あり。酸味あるも飲べからず。酒久しくなりて味変じたるは毒あり。のむべからず。濁酒のこきは脾胃に滞り、気をふさぐ。のむべからず。醇酒の美なるを、朝夕飯後に少のんで、微酔すべし。醴酒(れいしゅ:あまざけ)は製法精(くわし)きを少熱飲すれば、胃を厚くす、あしきを冷飲すべからず。
[451]
五湖漫聞(ごこまんぶん)といへる書に、多く長寿の人の姓名と年数を載て、「其人皆老に至て衰ず。之問ふ皆酒を飲まず」といへり。今わが里の人を試みるに、すぐれて長寿の十人に九人は皆酒を飲ず人なり。酒を多く飲む人の長寿なるはまれなり。酒は半酔にのめば長生の薬となる。
[452]
酒をのむに、甘き物をいむ。又、酒後辛き物をいむ。人の筋骨をゆるくす。酒後焼酒をのむべからず。或一時に合のめば、筋骨をゆるくし煩悶す。
[453]
焼酒(しょうちゅう)は大毒あり、多く飲べからず。火を付てもえやすきを見て、大熱なる事を知るべし。夏月は、伏陰内にあり、又、表ひらきて酒毒肌に早くもれやすき故、少のんでは害なし。他月はのむべからず。焼酒にて造れる薬酒多く呑べからず、毒にあてらる。薩摩のあはもり、肥前の火の酒、猶、辛熱甚し。異国より来る酒、のむべからず、性しれず、いぶかし。焼酒をのむ時も、のんで後にも熱物を食すべからず。辛き物焼味噌など食ふべからず。熱湯のむべからず。大寒の時も焼酒をあたヽめ飲べからず。大に害あり。京都の南蛮酒も焼酒にて作る。焼酒の禁(いましめ)と同じ。焼酒の毒にあたらば、緑豆(ぶんどう)粉、砂糖、葛粉、塩、紫雪など、皆冷水にてのむべし。温湯をいむ。
飲茶 烟草附
[454]
茶、上代はなし。中世もろこしよりわたる。其後、玩賞して日用かくべからざる物とす。性冷にして気を下し、眠をさます。陳臓器は、久しくのめば痩てあぶらをもらすといへり。母けい(ぼけい)(454)、東坡(とうば)、李時珍など、その性よからざる事をそしれり。然ども今の世、朝より夕まで、日々茶を多くのむ人多し。のみ習へばやぶれなきにや。冷物なれば一時に多くのむべからず。抹茶は用る時にのぞんでは、炊(い)らず煮ず、故につよし。煎茶は、用る時炒て煮る故、やはらかなり。故につねには、煎茶を服すべし。飯後に熱茶少のんで食を消し、渇をやむべし。塩を入てのむべからず。腎をやぶる。空腹に茶を飲べからず。脾胃を損ず。濃茶は多く呑べからず。発生の気を損ず。唐茶は性つよし。製する時煮ざればなり。虚人病人は、当年の新茶、のむべからず。眼病、上気、下血、泄瀉(せつしゃ)などの患(うれい)あり。正月よりのむべし。人により、当年九十月よりのむも害なし。新茶の毒にあたらば、香蘇散、不換金、正気散、症によりて用ゆ。或白梅、甘草、砂糖、黒豆、生薑(しょうが)など用ゆべし。
[455]
茶は冷也。酒は温也。酒は気をのぼせ、茶は気を下す。酒に酔へばねむり、茶をのめばねむりさむ。その性うらおもて也。
[456]
あつものも、湯茶も、多くのむべからず。多くのめば脾胃に湿を生ず。脾胃は湿をきらふ。湯茶、あつものを飲む事すくなければ、脾胃の陽気さかんに生発して、面色光りうるはし。
[457]
薬と茶を煎ずるに、水をえらぶべし。清く味甘きをよしとす。雨水を用るも味よし。雨中に浄器を庭に置てとる。地水にまさる。然共是は久しくたもたず。雪水を尤(もっとも)よしとす。
[458]
茶を煎ずる法、よはき火にて炊り、つよき火にて煎ず。煎ずるに、堅き炭のよくもゆるを、さかんにたきて煎ず。たぎりあがる時、冷水をさす。此如すれば、茶の味よし。つよき火にて炊るべからず。ぬるくやはらかなる火にて煎ずべからず。右は皆もろこしの書に出たり。湯わく時、よくい(458:ジュズダマ)の生葉を加へて煎ずれば、香味尤よし。性よし。本草に、「暑月煎じのめば、胃を暖め気血をます」。
[459]
大和国中は、すべて奈良茶を毎日食す。飯に煎茶をそヽぎたる也。赤豆(あずき)、ささげ(*豆)(459)、蚕豆(そらまめ)、緑豆、陳皮、栗子(くり)、零余子(むかご)など加へ、点じ用ゆ。食を進め、むねを開く。
[460]
たばこは、近年、天正、慶長の比、異国よりわたる。淡婆姑(たんばこ)は和語にあらず。蛮語也。近世の中華の書に多くのせたり。又、烟草と云。朝鮮にては南草と云。和俗これを莨とう(460)とするは誤れり。ろうとうは別物なり。烟草は性毒あり。煙をふくみて眩ひ倒るヽ事あり。習へば大なる害なく、少は益ありといへ共、損多し。病をなす事あり。又、火災のうれひあり。習へばくせになり、むさぼりて後には止めがたし。事多くなり、いたつがはしく家僕を労す。初よりふくまざるにしかず。貧民は費(ついえ)多し。
色慾を慎む
[461]
素問に、「腎者五臓の本」、といへり。然らば養生の道、腎を養ふ事をおもんずべし。腎を養なふ事、薬補をたのむべからず。只精気を保つてへらさず、腎気をおさめて動かすべからず。論語に曰(く)、わかきときは血気方(まさに)壮なり。「之を戒むること、色にあり」。聖人の戒守るべし。血気さかんなるにまかせ、色欲をほしいまゝにすれば、必(ず)先(ず)礼法をそむき、法外を行ひ、恥辱を取て面目をうしなふ事あり。時過て後悔すれどもかひなし。かねて、後悔なからん事を思ひ、礼法をかたく慎むべし。況(いわんや)精気をついやし、元気をへらすは、寿命を短くする本なり。おそるべし。年若き時より、男女の慾ふかくして、精気を多くへらしたる人は、生れ付さかんなれ共、下部の元気すくなくなり、五臓の根本よはくして、必短命なり。つゝしむべし。飲食・男女は人の大慾なり。恣になりやすき故、此二事、尤かたく慎むべし。是をつつしまざれば、脾腎の真気へりて、薬補・食補のしるしなし。老人は、ことに脾腎の真気を保養すべし。補薬のちからをたのむべからず。
[462]
男女交接の期(ご)は、孫思ばく(250)が千金方曰(く)。「人、年二十者は四日に一たび泄す。三十者は八日に一たび泄す。四十者は十六日に一拙す。五十者は二十日に一泄す。六十者は精をとぢてもらさず。もし体力さかんならば、一月に一たび泄す。気力すぐれて盛なる人、慾念をおさへ、こらへて、久しく泄さざれば、腫物を生ず。六十を過て慾念おこらずば、とぢてもらすべからず。わかくさかんなる人も、もしよく忍んで、一月に二度もらして、慾念おこらずば長生なるべし」今案ずるに、千金方にいへるは、平人の大法なり。もし性虚弱の人、食すくなく力よはき人は、此期にかかはらず、精気をおしみて交接まれなるべし。色慾の方に心うつれば、あしき事くせになりてやまず。法外のありさま、はづべし。つひに身を失ふにいたる。つつしむべし。右、千金方に、二十歳以前をいはざるに意あるべし。二十以前血気生発して、いまだ堅固ならず、此時しばしばもらせば、発生の気を損じて、一生の根本よはくなる。
[463]
わかく盛なる人は、殊に男女の情慾、かたく慎しんで、過すくなかるべし。慾念をおこさずして、腎気をうごかすべからず。房事を快くせんために、烏頭付子等の熱薬のむべからず。
[464]
達生録曰(く)、男子、年二十ならざる者、精気いまだたらずして慾火うごきやすし。たしかに交接を慎むべし。
[465]
孫真人が千金方に、房中補益説あり。年四十に至らば、房中の術を行ふべしとて、その説、頗(すこぶる)詳(つまびらか)なり。その大意は、四十以後、血気やうやく衰ふる故、精気をもらさずして、只しばしば交接すべし。如此(かくのごとく)すれば、元気へらず、血気めぐりて、補益となるといへる意(こころ)なり。ひそかに、孫思ばく(250)がいへる意をおもんみるに、四十以上の人、血気いまだ大に衰へずして、槁木死灰の如くならず、情慾、忍びがたし。然るに、精気をしばしばもらせば、大に元気をついやす故、老年の人に宜しからず。ここを以、四十以上の人は、交接のみしばしばにして、精気をば泄すべからず。四十以後は、腎気やうやく衰る故、泄さざれども、壮年のごとく、精気動かずして滞らず。此法行ひやすし。この法を行へば、泄さずして情慾はとげやすし。然れば、是気をめぐらし、精気をたもつ良法なるべし。四十歳以上、猶血気甚衰へざれば、情慾をたつ事は、忍びがたかるべし。忍べば却て害あり。もし年老てしばしばもらせば、大に害あり。故に時にしたがって、此法を行なひて、情慾をやめ、精気をたむつべし、とや。是によって精気をついやさずんば、しばしば交接すとも、精も気も少ももれずして、当時の情欲はやみぬべし。是古人の教、情欲のたちがたきをおさへずして、精気を保つ良法なるべし。人身は脾胃の養を本とすれども、腎気堅固にしてさかんなれば、丹田の火蒸上げて、脾土の気も亦温和にして、盛になる故、古人の曰、「脾を補ふは、腎を補なふにしかず」。若年より精気ををしみ、四十以後、弥(いよいよ)精気をたもちてもらさず、是命の根源を養なふ道也。此法、孫思ばく(250)後世に教へし秘訣にて、明らかに千金方にあらはせ共、後人、其術の保養に益ありて、害なき事をしらず。丹溪が如き大医すら、偏見にして孫真人が教を立し本意を失ひて信ぜず。此良術をそしりて曰(く)、聖賢の心、神仙の骨(こつ)なくんば、未易為。もし房中を以(て)補とせば、人を殺す事多からんと、各致余論にいへり。聖賢・神仙は世に難有ければ、丹溪が説の如くば、此法は行ひがたし。丹溪が説うたがふべき事猶多し。才学高博にして、識見、偏僻なりと云うべし。
[466]
情慾をおこさずして、腎気動かざれば害なし。若(し)情慾をおこし、腎気うごきて、精気を忍んでもらさざれば、下部に気滞りて、瘡セツ(466)を生ず。はやく温湯に浴し、下部をよくあたたむれば、滞れる気めぐりて、鬱滞なく、腫物などのうれひなし。此術、又知るべし。
[467]
房室の戒多し。殊に天変の時をおそれいましむべし。日蝕、月蝕、雷電、大風(たいふう)、大雨、大暑、大寒、虹げい(にじ)(467)、地震、此時房事をいましむべし。春月、雷初て声を発する時、夫婦の事をいむ。又、土地につきては、凡神明の前をおそるべし。日・月・星の下、神祠の前、わが父祖の神主の前、聖賢の像の前、是皆おそるべし。且我が身の上につきて、時の禁あり。病中・病後、元気いまだ本復せざる時、殊(ことに)傷寒、時疫、瘧疾(おこり)の後、腫物、癰疽いまだいえざる時、気虚、労損の後、飢渇の時、大酔・大飽の時、身労動し、遠路行歩につかれたる時、忿(いかり)・悲、うれひ、驚きたる時、交接をいむ。冬至の前五日、冬至の後十日、静養して精気を泄すべからず。又女子の経水、いまだ尽ざる時、皆交合を禁ず。是天地・地祇に対して、おそれつつしむと、わが身において、病を慎しむ也。若是を慎しまざれば、神祇のとがめ、おそるべし。男女共に病を生じ、寿を損ず。生るる子も亦、形も心も正しからず、或かたはとなる。禍ありて福なし。古人は胎教とて、婦人懐妊の時より、慎しめる法あり。房室の戒は胎教の前にあり。是天地神明の照臨し給ふ所、尤おそるべし。わが身及妻子の禍も、亦おそるべし。胎教の前、此戒なくんばあるべからず。
[468]
小便を忍んで房事を行なふべからず。龍脳・麝香を服して房に入べからず。
[469]
入門曰、婦人懐胎の後、交合して慾火を動かすべからず。
[470]
腎は五臓の本、脾は滋養の源也。ここを以、人身は脾腎を本源とす。草木の根本あるが如し。保ち養つて堅固にすべし。本固ければ身安し。
巻第五 五官
[501]
心は人身の主君也。故天君(てんくん)と云(いう)。思ふ事をつかさどる。耳目口鼻形此五は、きくと、見ると、かぐと、物いひ、物くふと、うごくと、各其事をつかさどる職分ある故に、五官と云。心のつかひ物なり。心は内にありて五官をつかさどる。よく思ひて、五官の是非を正すべし。天君を以て五官をつかふは明なり。五官を以(もって)天君をつかふは逆なり。心は身の主なれば、安楽ならしめて苦しむべからず。五官は天君の命をうけ、各官職をよくつとめて、恣(ほしいまま)なるべからず。
[502]
つねに居る処は、南に向ひ、戸に近く、明なるべし。陰欝(いんうつ)にしてくらき処に、常に居るべからず、気をふさぐ。又かがやき過たる陽明の処も、つねに居ては精神をうばふ。陰陽の中にかなひ、明暗相半(なかば)すべし。甚(はなはだ)明るければ簾(すだれ)をおろし、くらければ簾をかかぐべし。
[503]
臥(ふす)には必(かならず)東首(ひがしまくら)して生気(しょうげ)をうくべし。北首(きたまくら)して死気をうくべからず。もし君父近きにあらば、あとにすべからず。
[504]
坐するには正坐すべし。かたよるべからず。燕居(えんきょ)には安坐すべし。膝をかゞむべからず。又よ
[505]
常に居る室も常に用る器も、かざりなく質朴にして、けがれなく、いさぎよかるべし。居室は風寒をふせぎ、身をおくに安からしむべし。器は用をかなへて、事かけざれば事たりぬ。華美を好めばくせとなり、おごりむさぼりの心おこりて、心を苦しめ、事多くなる。養生の道に害あり。坐する処、臥す処、少もすき間あらばふさぐべし。すき間の風と、ふき通す風は、人のはだえに通りやすくして、病おこる。おそるべし。夜臥して耳辺に風の来る穴あらば、ふさぐべし。
[506]
夜ふすには必側(かたわら)にそばたち、わきを下にしてふすべし。仰(あお)のきふすべからず。仰のきふせば気ふさがりて、おそはるゝ事あり。むねの上に手をおくべからず。寝入て気ふさがりて、おそはれやすし。此二(ふたつ)いましむべし。
[507]
夜ふして、いまだね入らざる間は、両足をのべてふすべし。ねいらんとする前に、両足をかがめ、わきを下にして、そばだちふすべし。是を獅子眠(ししめん)と云。一夜に五度いねかへるべし。胸腹の内に気滞らば、足をのべ、むね腹を手を以しきりになで下し、気上る人は、足の大指を、しきりに多くうごかすべし。人によりて、かくのごとくすれば、あくびをしばしばして、滞りたる邪気を吐出す事あり。大に吐出すをいむ。ね入らんとする時、口を下にかたぶけて、ふすべからず。ねぶりて後よだれ出てあしし。あふのきてふすべからず。おそはれやすし。手の両の大指をかがめ、残る四の指にて、にぎりてふせば、手むねの上をふさがずして、おそはれず。後には習となりて、ねぶりの内にもひらかず。此法 、病源候論と云医書に見えたり。夜臥(ふす)時に、のどに痰あらば必はくべし。痰あらばねぶりて後、おそはれくるしむ。老人は、夜臥す時、痰を去る薬をのむべし、と医書にいへるも、此ゆへなるべし。晩食夜食に、気をふさぎ痰をあつむる物、食ふべからず。おそはれん事をおそれてなり。
[508]
夜臥に、衣を以面をおほふべからず。気をふさぎ、気上る。夜臥に、燈をともすべからず。魂魄定まらず。もしともさば、燈をかすかにして、かくすべし。ねむるに口をとづべし。口をひらきてねむれば、真気を失なひ、又、牙歯早くをつ。
[509]
凡(そ)一日に一度、わが首(こうべ)より足に至るまで、惣身のこらず、殊につがひの節ある所、悉(ことごと)く人になでさすりおさしむる事、各所十遍ならしむべし。先百会の穴、次に頭の四方のめぐり、次に両眉の外、次に眉じり、又鼻ばしらのわき、耳の内、耳のうしろを皆おすべし。次に風池、次に項の左右をもむ。左には右手、右には左手を用ゆ。次に両の肩、次に臂(ひじ)骨のつがひ、次に腕、次に手の十指をひねらしむ。次に背をおさへ、うちうごかすべし。次に腰及腎堂をなでさする。次にむね、両乳、次に腹を多くなづる。次に両股、次に両膝、次に脛の表裏、次に足の踝(くるぶし)、足の甲、次に足の十指、次に足の心(うら)、皆、両手にてなでひねらしむ。是(これ)寿養叢書の説也。我手にてみづからするもよし。
[510]
入門に曰(く)、導引の法は、保養中の一事也。人の心は、つねに静なるべし。身はつねに動かすべし。終日安坐すれば、病生じやすし。久く立、久く行より、久く臥、久く坐するは、尤(もっとも)人に害あり。
[511]
導引の法を毎日行へば、気をめぐらし、食を消して、積聚(しゃくじゅ)を生ぜず。朝いまだおきざる時、両足をのべ、濁気をはき出し、おきて坐し、頭を仰(あおのき)て、両手をくみ、向(むこう)へ張出し、上に向ふべし。歯をしばしばたゝき、左右の手にて、項(うなじ)をかはるがはるおす。其次に両肩をあげ、くびを縮め、目をふさぎて、俄(にわか)に肩を下へさぐる事、三度。次に面(かお)を、両手にて、度々なで下ろし、目を、目がしらより目じりに、しばしばなで、鼻を、両手の中指にて六七度なで、耳輪(じりん)を、両手の両指にて挟み、なで下ろす事六七度、両手の中指を両耳に入、さぐり、しばしふさぎて両へひらき、両手をくみ、左へ引ときは、かうべ右をかへり見、右へ引ときは、左へかへりみる。 此如する事各三度。次に手の背にて、左右の腰の上、京門(けいもん)のあたりを、すぢかひに、下に十余度なで下し、次に両手を以、腰を按す。両手の掌(たなごころ)にて、腰の上下をしばしばなで下す。是食気をめぐらし、気を下す。次に手を以、臀の上を、やはらかに打事十余度。次に股膝を撫くだし、両手をくんで、三里(:膝頭の下)の辺をかゝえ、足を先へふみ出し、左右の手を前へ引、左右の足、ともに、此如する事しばしばすべし。次に左右の手を以、左右のはぎ(511:すね)の表裏を、なで下す事数度。次に足の心(うら)湧泉(ゆせん)の穴と云、片足の五指を片手にてにぎり、湧泉の穴を左手にて右をなで、右手にて左をなづる事、各数十度。又、両足の大指をよく引、残る指をもひねる。是術者のする導引の術なり。閑暇ある人は日々かくの如す。又、奴婢児童にをしへてはぎ(511)をなでさせ、足心(あしのうら)をしきりにすらせ、熱生じてやむ。又、足の指を引(ひか)しむ。朝夕此如すれば、気下り、気めぐり、足の痛を治す。甚(はなはだ)益あり。遠方へ歩行せんとする時、又は歩行して後、足心(あしのうら)を右のごとく按(お)すべし。
[512]
膝より下の、はぎのおもてうらを、人をして、手を以、しばしばなでくださせ、足の甲をなで、其後、足のうらを、しきりに多くなで、足の十指を引(ひか)すれば、気を下しめぐらす。みづからするは、尤(もっとも)よし。是良法なり。
[513]
気のよくめぐりて快き時に、導引按摩すべからず。又、冬月按摩をいむ事、内経に見えたり。身を労働して、気上る病には、導引、按摩ともにあしゝ。只身をしづかに動かし、歩行する事は、四時ともによし。尤(もっとも)飯後によろし。勇泉(ゆせん)の穴をなづる事も、四時ともによろし。
[514]
髪はおほくつけづるべし。気をめぐらし、上気をくだす。櫛の歯しげきは、髪ぬけやすくしてあしゝ。牙歯はしばしばたゝくべし。歯をかたくし、虫はまず。時々両の手を合せ、すりてあたゝめ、両眼をあたゝめのすべし。目を明らかにし、風をさる。よつて髪ぎはより、下額と面を上より下になづる事二十七遍、古人、両手はつねに面に在べしと云へるは、時々両手にて面をなづべしとなり。此の如すれば、気をめぐらし、上気をくだし、面色(かおいろ)をうるはしくす。左右の中指を以、鼻の両わきを多くなで、両耳の根を多くなづべし。
[515]
五更におきて坐し、一手にて、足の五指をにぎり、一手にて足の心をなでさする事、久しくすべし。此如して足心(あしのうら)熱せば、両手を用ひて、両足の指をうごかすべし。右の法、奴婢(ぬび)にも命じて、かくのごとくせしむ。或云(あるいはいう)、五更にかぎらず、毎夜おきて坐し、此如する事久しければ、足の病なし。上気を下し、足よはく、立がたきを治す。久しくしておこたらざれば、脚のよはきをつよくし、足の立かぬるをよくいやす。甚しるしある事を古人いへり。養老寿親書(ようろうじゅしんしょ)、及東坡(およびとうば)が説にも見えたり。
[516]
臥す時、童子に手を以(もって)合せすらせ、熱せしめて、わが腎堂を久しく摩(なで)しめ、足心(あしのうら)をひさしく摩(なで)しむべし。みづから如此するもよし。又、腎堂の下、臀(しり)の上を、しづかにうたしむべし。
[517]
毎夜ふさんとするとき、櫛(くし)にて髪をしきりにけづり、湯にて足を洗ふべし。是よく気をめぐらす。又、臥(ふす)にのぞんで、熱茶に塩を加ヘ、口をすすぐべし。口中を清くし、牙歯(がし)を堅くす。下茶よし。
[518]
入門に曰(いわく)、年四十以上は、事なき時は、つねに目をひしぎて宜し。要事なくんば、開くべからず。
[519]
衾炉(きんろ)は、炉上に、櫓(やぐら)をまうけ、衾(ふすま)をかけて火を入、身をあたたむ。俗に、こたつと云。是にあたれば、身をあたため過し、気ゆるまり、身おこたり、気を上(のぼ)せ、目をうれふ。只(ただ)中年以上の人は、火をぬるくしてあたり、寒をふせぐべし。足を出して箕踞(ききょ)すべからず。わかき人は用る事なかれ。わかき人は、厳寒の時、只(ただ)炉火に対し、又、たき火にあたるべし。身をあたゝめ過すべからず。
[520]
凡(およそ)衣をあつくき、あつき火にあたり、あつき湯に浴し、久しく浴し、熱物を食して、身をあたゝめ過せば、気外(ほか)にもれて、気へり、気のぼる。是皆人の身に甚(はなはだ)害あり、いましむべし。
[521]
貴人の前に久しく侍べり、或(あるいは)公廨(くがい:役所)に久しく坐して、足しびれ、にはかに立(たつ)事ならずして、たふれふす事あり。立んとする前より、かねて、みづから足の左右の大指を、しばしば動し、のべかがめすべし。かやうにすれば、しびれなえずして、立がたきのうれひなし。平日、時々両足(りょうそく)の大指を、のべかがめ、きびしくして、ならひとなれば、転筋(てんきん:コブラガエリ)のうれひなし。又、転筋したる時も、足の大指をしばしば動かせばやむ。是急を治するの法なり。しるべし。上気する人も、両足をのべて、大指をしばしば動すべし、気下る。此法、又人に益あり。
[522]
頭ノ辺リに火炉をおくべからず。気上る。
[523]
東垣(とうえん)が曰(く)、にはかに風寒にあひて、衣うすくば、一身の気を、はりて、風寒をふせぎ、肌に入らしむべからず。
[524]
めがねをあい靆(524)と云(いう)。留青日札(りゅうせいにっさつ)と云(いう)書に見えたり。又眼鏡(がんきょう)と云(いう)。四十歳以後は、早くめがねをかけて、眼力を養ふべし。和水晶(わすいしょう)よし。ぬぐふにきぬを以(もって)、両指にて、さしはさみてぬぐふべし。或(あるいは)羅紗を以(もって)ぬぐふ。硝子(びいどろ)はくだけやすし。水晶におとれり。硝子は燈心にてぬぐふべし。
[525]
牙歯(がし)をみがき、目を洗ふ法、朝ごとに、まづ熱湯にて目を洗ひあたため、鼻中をきよめ、次に温湯にて口をすゝぎ、昨日よりの牙歯(がし)の滞(とどこおり)を吐すて、ほしてかは(わ)ける塩を用ひて、上下の牙歯(がし)と、はぐきをすりみがき、温湯をふくみ、口中をすゝぐ事ニ三十度、其間に、まづ別の碗に、温湯を、あら布の小篩(こふるひ)を以(もって)こして入れ置、次に手と面(かお)をあらひ、おはりて、口にふくめる塩湯を、右のあら布の小ぶるひにはき出し、こして碗に入、其塩湯を以(もって) 目を洗ふ事、左右各(おのおの)十五度(たび)、其後べちに入置きたる碗の湯にて、目を洗ひ、口をすすぐべし。是にておはる。毎朝かくのごとくにして、おこたりなければ、久しくして牙歯(がし)うごかず。老てもおちず。虫くはず。目あきらかにして、老にいたりても、目の病なく、夜、細字をよみ書く。是目と歯とをたもつ良法なり。こゝろみて、其しるしを得たる人多し。予も亦(また)、此法によりて、久しく行なふゆへ、そのしるしに、今八十三歳にいたりて、猶(なお)夜、細字をかきよみ、牙歯(がし)固くして一もおちず。目と歯に病なし。毎朝かくのごとくすれば、久しくして後は、ならひてむづかしからず、牙杖(ようじ)にて、牙歯(がし)をみがく事を用ひず。
[526]
古人の曰(いわく)、歯の病は胃火(いか)ののぼる也。毎日時々、歯をたゝく事三十六度すべし。歯かたくなり、虫くはず。歯の病なし。
[527]
わかき時、歯のつよきをたのみて、堅き物を食ふべからず。梅、楊梅(やまもも)の核(さね)などかみわるべからず。後年に、歯早くをつ。細字を多くかけば、目と歯とを損ず。
[528]
牙杖(ようじ)にて、牙根をふかくさすべからず。根うきて、うごきやすし。
[529]
寒月はおそくおき、暑月は早くおくべし。暑月も、風にあたり臥すべからず。ねぶりの内に、風にあたるべからず。ねぶりの内に、扇にてあふがしむべからず。
[530]
熱湯にて、口をすゝぐべからず。歯を損ず。
[531]
千金方曰(く)、食しおはるごとに、手を以(て)、面(かお)をすり、腹をなで、津液(しんえき)を通流すべし。行歩(こうほ)する事数百歩すべし。飲食して即臥せば百病生ず。飲食して仰(あおの)きに臥せば、気痞となる。
[532]
医説曰、食して後、体倦(う)むとも、即(ち)寝(いぬ)る事なかれ。身を運動し、二三百歩しづかに歩行して後、帯をとき、衣をくつろぎ、腰をのべて端坐し、両手にて心腹を按摩して、たて横に往来する事、二十遍。又、両手を以、わき腰の間より、おさへなでて下る事、数十遍ばかりにして、心腹の気ふさがらしめず。食滞、手に随つて消化す。
[533]
目鼻口は面上の五竅(ごきょう)にて、気の出入りする所、気もれやすし。多くもらすべからず。尾閭(びりょ)は精気の出る所なり。過て、もらすべからず。肛門は糞気の出る所、通利ありて滑泄(こっせつ)をいむ。凡(そ)此七竅皆とぢかためて、多く気をもらすべからず。只耳は気の出入なし。然(れ)ども久しくきけば神をそこなふ。
[534]
瓦火桶と云物、京都に多し。桐火桶の製に似て大なり。瓦にて作る。高さ五寸四分、足は此外也。縦のわたり八寸三分、横のわたり七寸、縦横少(し)長短あるべし。或(は)形まるくして、縦横なきもよし。上の形まるき事、桐火桶のごとし。めぐりにすかしまどありて、火気をもらすべし。上に口あり、ふたあり。ふたの広さ、よこ三寸、たて三寸余なるべし。まるきもよし。ふたに取手あり。ふた二三の内、一は取手なきがよし。やはらかなる灰を入置(いれおき)、用ゐんとする時、宵より小なる炭火を二三入て臥さむとする前より、早く衾(ふすま)の下に置、ふして後、足をのべてあたゝむべし。上気する人は、早く遠ざくべし。足あたゝまらば火桶を足にてふみ退け、足を引てかゞめふすべし。翌朝おきんとする時、又足をのべてあたたむべし。又、ふたの熱きを木綿袋に入て、腹と腰をあたゝむ。ふた二三こしらへ置、とりかへて腹、腰をあたゝむべし。取手なきふたを以ては、こしをあたゝむ。こしの下にしくべし。温石(おんじゃく)より速(すみやか)に熱くなりて自由なり。急用に備ふべし。腹中の食滞気滞をめぐらして、消化しやすき事、温石并(ならびに)薬力よりはやし。甚(はなはだ)要用の物なり。此事しれる人すくなし。
二便
[535]
うへては坐して小便し、飽ては立て小便すべし。
[536]
二便は早く通じて去べし。こらゆるは害あり。もしは不意に、いそがしき事出来ては、二便を去べきいとまなし。小便を久しく忍べば、たちまち小便ふさがりて、通ぜざる病となる事あり。是を転ふ(てんふ:尿閉症)(5360)と云。又、淋(:頻尿)となる。大便をしばしば忍べば気痔となる。又、大便をつとめて努力すべからず。気上り、目あしく、心(むね)さわぐ。害多し。自然(じねん)に任すべし。只津液を生じ、身体をうるほし、腸胃の気をめぐらす薬をのむべし。麻仁(まにん)、胡麻、杏仁(きょうにん)、桃仁(とうにん)など食ふべし。秘結する食物、もち(5361:3種類のもちの総称)、柿、芥子(からし)など禁じてくらふべからず。大便、秘するは、大なる害なし。小便久しく秘するは危うし。
[537]
常に大便秘結する人は、毎日厠(かわや)にのぼり、努力せずして、成べきほどは少づつ通利すべし。如此すれば、久しく秘結せず。
[538]
日月、星辰、北極、神廟に向つて、大小便すべからず。又、日月のてらす地に小便すべからず。凡(そ)天神、地祇、人鬼おそるべし。あなどるべからず。
洗浴
[539]
湯浴(ゆあみ)は、しばしばすべからず。温気過て肌開(えひら)け、汗出で気へる。古人、「十日に一たび浴す」。むべなるかな。ふかき盤(たらい)に温湯少し入て、しばし浴すべし。湯あさければ温過(あたたかすぎ)ずして気をへらさず。盤ふかければ、風寒にあたらず。深き温湯に久しく浴して、身をあたため過すべからず。身熱し、気上り、汗出(いで)、気へる。甚害あり。又、甚温なる湯を、肩背に多くそそぐべからず。
[540]
熱湯(あつゆ)に浴(ゆあみ)するは害あり。冷熱はみづから試みて沐浴(もくよく)すべし。快(こころよき)にまかせて、熱湯に浴すべからず。気上りてへる。殊に目をうれふる人、こらへたる人、熱湯に浴すべからず。
[541]
暑月の外、五日に一度沐(かみあら)ひ、十日に一度浴す。是(これ)古法なり。夏月に非ずして、しばしば浴すべからず。気、快といへども気へる。
[542]
あつからざる温湯を少(し)盥(たらい)に入て、別の温湯を、肩背より少しづゝそゝぎ、早くやむれば、気よくめぐり、食を消す。寒月は身あたゝまり、陽気を助く。汗を発せず。此如すれば、しばしば浴するも害なし。しばしば浴するには、肩背は湯をそゝぎたるのみにて、垢を洗はず、只下部(げぶ)を洗ひて早くやむべし。久しく浴し、身を温め過すべからず。
[543]
うゑては浴すべからず。飽ては沐(かみあら)ふべからず。
[544]
浴場の盥の寸尺の法、曲尺(かね)にて竪(たて)の長二尺九寸、横のわたり二尺。右、何(いずれ)もめぐりの板より内の寸なり。ふかさ一尺三寸四分、めぐりの板あつさ六分、底は猶(なお)あつきがよし。ふたありてよし。皆、杉の板を用ゆ。寒月は、上とめぐりに風をふせぐかこみあるべし。盤(たらい)浅ければ風に感じやすく、冬はさむし。夏も盤浅ければ、湯あふれ出てあしし。湯は、冬もふかさ六寸にすぐべからず。夏はいよいよあさかるべし。世俗に、水風炉(ふろ)とて、大桶の傍に銅炉をくりはめて、桶に水ふかく入(いれ)て、火をたき、湯をわかして浴す。水ふかく、湯熱きは、身を温め過し、汗を発し、気を上せへらす。大に害有(あり)。別の大釜にて湯をわかして入れ、湯あさくして、熱からざるに入り、早く浴しやめて、あたゝめ過さゞれば害なし。桶を出んとする時、もし湯ぬるくして、身あたゝまらずば、くりはめたる炉に、火を少したきてよし。湯あつくならんとせば、早く火を去(さる)べし。此如すれば害なし。
[545]
泄痢(せつり)し、及食滞、腹痛に、温湯に浴し、身体をあたたむれば、気めぐりて病いゆ。 甚しるしあり。初発の病には、薬を服するにまされり。
[546]
身に小瘡ありて熱湯(あつゆ)に浴し、浴後、風にあたれば肌をとぢ、熱、内にこもりて、小瘡も、肌の中に入て熱生じ、小便通ぜず、腫る。此症、甚危し。おほくは死す。つつしんで、熱湯に浴して後、風にあたるべからず。俗に、熱湯にて小瘡を内にたでこむると云う。左にはあらず、熱湯に浴し、肌表、開きたる故に、風に感じやすし。涼風にて、熱を内にとづる故、小瘡も共に内に入るなり。
[547]
沐浴(もくよく)して風にあたるべからず。風にあはゞ、はやく手を以、皮膚をなでするべし。
[548]
女人、経水(けいすい)来(きた)る時、頭を洗ふべからず。
[549]
温泉は、諸州に多し。入浴して宜しき症あり。あしき症あり。よくもなく、あしくもなき症有。凡(およそ)此三症有。よくゑ(え)らんで浴すべし。湯治(とうじ)してよき病症は、外症なり。打身(うちみ)の症、落馬したる病、高き所より落て痛める症、疥癬(かいせん)など皮膚の病、金瘡(きんそう)、はれ物の久しく癒(いえ)がたき症、およそ外病には神効(しんこう)あり。又、中風(ちゅうぶ)、筋引つり、しゞまり、手足しびれ、なゑたる症によし。内症には相応せず。されども気鬱、不食、積滞(しゃくたい)、気血不順など、凡(およそ)虚寒(きょかん)の病症は、湯に入あたためて、気めぐりて宜しき事あり。外症の速(すみやか)に効(しるし)あるにはしかず、かろく浴すべし。又、入浴して益もなく害もなき症多し。是は入浴すべからず。又、入浴して大に害ある病症あり。ことに汗症(かんしょう)、虚労(きょろう)、熱症に尤(も)いむ。妄(みだり)に入浴すべからず。湯治(とうじ)して相応せず、他病おこり、死せし人多し。慎しむべし。此理をしらざる人、湯治(とうじ)は一切の病によしとおもふは、大なるあやまり也。本草(ほんぞう)の陳蔵器(ちんぞうき)の説、考みるべし。湯治(とうじ)の事をよくとけり。凡(そ)入浴せば実症の病者も、一日に三度より多きをいむ。虚人(きょじん)は一両度なるべし。日の長短にもよるべし。しげく浴する事、甚(はなはだ)いむ。つよき人も湯中に入(り)て、身をあたため過すべからず。はたにこしかけて、湯を杓(ひしゃく)にてそそぐべし。久しからずして、早くやむべし。あたため過(すご)し、汗を出すべからず。大にいむ。毎日かろく浴し、早くやむべし。日数は七日二十七日なるべし。是を俗に一廻(めぐり)二廻と云。温泉をのむべからず。毒あり。金瘡の治のため、湯浴(ゆあみ)してきず癒(いえ)んとす。然るに温泉の相応せるを悦(よろこ)んで飲まば、いよいよ早くいえんとおもひて、のんだりしが、疵、大にやぶれて死せり。
[550]
湯治(とうじ)の間、熱性の物を食ふべからず。大酒大食すべからず。時々歩行し、身をうごかし、食気をめぐらすべし。湯治(とうじ)の内、房事(ぼうじ)をおかす事、大にいむ。湯よりあがりても、十余日いむ。灸(きゅう)治も同じ。湯治(とうじ)の間、又、湯治の後、十日ばかり補薬をのむべし。其間、性よき魚鳥の肉を、少(し)づつ食して、薬力をたすけ、脾胃を養ふべし。生冷、性あしき物、食すべからず。又、大酒大食をいむ。湯治(とうじ)しても、後の保養なければ益なし。
[551]
海水を汲(く)んで浴するには、井水(せいすい)か河水を半ば入れて、等分にして浴すべし。然らざれば熱を生ず。
[552]
温泉ある処に、いたりがたき人は、遠所に汲(くみ)よせて浴す。汲湯(くみゆ)と云。寒月は水の性損ぜずして、是を浴せば、少益あらんか。しかれども、温泉の地よりわき出たる温熱の気を失ひて、陽気きえつきて、くさりたる水なれば、清水の新たに汲めるよりは、性おとるべきかといふ人あり。
巻第六 病を慎しむ
病は生死のかかる所、人身の大事也。聖人の慎(み)給う事、むべなるかな。
[601]
古語に、「常に病想を作す」。云意は、無病の時、病ある日のくるしみを、常に思ひやりて、風・寒・暑・湿の外邪をふせぎ、酒食・好色の内欲を節にし、身体の起臥・動静をつつしめば病なし。又、古詩に曰(く)、「安閑の時、常に病苦の時を思へ」。云意は、病なくて安閑なる時に、初(め)病に苦しめる時を、常に思ひ出して、わするべからずと也。無病の時、慎ありて、恣ならざれば、病生ぜず。是病おこりて、良薬を服し、鍼・灸をするにまされり。邵康節の詩に、其病(んで)後、能く薬を服せむより、病(やむ)前、能(く)自(ら)防ぐにしかず。といへるがごとし。
[602]
病なき時、かねてつつしめば病なし。病おこりて後、薬を服しても病癒がたく、癒る事おそし。小慾をつつしまざれば大病となる。小慾をつつしむ事は、やすし。大病となりては、苦しみ多し。かねて病苦を思ひやり、のちの禍(わざわい)をおそるべし。
[603]
古語に、病は少癒るに加はるといえり。病少いゆれば、快きをたのんで、おこたりてつつしまず。少快しとして、飲食、色慾など恣(ほしいまま)にすれば、病かへつておもくなる。少いゑたる時、弥(いよいよ)かたくおそれつつしみて、少のやぶれなくおこたらざれば、病早くいエて再発のわざはひなし。此時かたくつつしまざれば、後悔すとも益なし。
[604]
千金方に曰(いわく)、冬温なる事を極めず、夏涼きことをきはめず、凡一時快き時は、必後の禍(わざわい)となる。
[605]
病生じては、心のうれひ身の苦み甚し。其上、医をまねき、薬をのみ、灸をし、針をさし、酒をたち、食をへらし、さまざまに心をなやまし、身をせめて、病を治せんとせんよりは、初(はじめ)に内欲をこらゑ、外邪をふせげば、病おこらず。薬を服せず、針灸せずして、身のなやみ、心の苦みなし。初(はじめ)しばしの間、つヽしみしのぶは、少(すこし)の心づかひなれど、後の患(うれい)なきは、大なるしるしなり。後に薬と針灸を用ひ、酒食をこらへ、つヽしむは、その苦み甚しけれど、益少なし。古語に、終わりをつヽしむ事は、始(はじめ)におゐてせよといへり。万の事、始によくつヽしめば、後に悔なし。養生の道、ことさらかくのごとし。
[606]
飲食、色慾の肉欲を、ほしゐまゝにせずして、かたく慎み、風寒暑湿の外邪をおそれ防がば、病なくして、薬を用ひずとも、うれひなかるべし。もし慾をほしゐままにして、つゝしまず、只、脾腎を補ふ薬治と、食治とを頼まば、必(かならず)しるしなかるべし。
[607]
病ある人、養生の道をば、かたく慎しみて、病をば、うれひ苦しむべからず。憂ひ苦しめば、気ふさがりて病くはゝる。病おもくても、よく養ひて久しければ、おもひしより、病いえやすし。病をうれひて益なし。只、慎むに益あり。もし必死の症は、天命の定れる所、うれひても益なし。人をくるしむるは、おろかなり。
[608]
病を早く治せんとして、いそげば、かへつて、あやまりてを病をます。保養はおこたりなくつとめて、いゆる事は、いそがず、その自然にまかすべし。万の事、あまりよくせんとすれば、返つてあしくなる。
[609]
居所(おりどころ)、寝屋(ねや)は、つねに風寒暑湿の邪気をふせぐべし。風寒暑は人の身をやぶる事、はげしくて早し。湿は人の身をやぶる事おそくして深し。故に風寒暑は人おそれやすし。湿気は人おそれず。人にあたる事ふかし。故に久しくしていえず。湿ある所を、早く遠ざかるべし。山の岸近き所を、遠ざかるべし。又、土あさく、水近く、床ひきゝ処に、坐臥すべからず。床を高くし、床の下の壁にまどを開きて、気を通ずべし。新にぬりたる壁に近付て、坐臥すべからず。湿にあたりて病となりて、いえがたし。或(あるいは)疫病をうれふ。おそるべし。文禄の朝鮮軍に、戦死の人はすくなく、疫死多かりしは、陣屋ひきく、まばらにして、士卒、寒湿にあたりし故也とぞ。居所(おりどころ)も寝屋も、高くかはける所よし。是皆、外湿をふせぐなり。一たび湿にあたればいえがたし。おそるべし。又、酒茶湯水を多くのまず、瓜、菓、冷麪を多く食(くら)はざるは、是皆、内湿をふせぐなり。夏月、冷水を多くのみ、冷麪をしばしば食すれば、必(かならず)内湿にやぶられ、痰瘧、泄痢をうれふ。つゝしむべし。
[610]
傷寒を大病と云。諸病の内、尤(もっとも)おもし。わかくさかんなる人も、傷寒、疫癘をわずらひ、死ぬる人多し。おそるべし。かねて風寒暑湿をよくふせぐべし。初発のかろき時、早くつつしむべし。
[611]
中風は、外の風にあたりたる病には非ず、内より生ずる風に、あたれる也。肥白(ひはく)にして気すくなき人、年四十を過て気衰ふる時、七情のなやみ、酒食のやぶれによつて、此病生ず。つねに酒を多くのみて、腸胃やぶれ、元気へり、内熱生ずる故、内より風生じて手足ふるひ、しびれ、なえて、かなはず。口ゆがみて、物いふ事ならず。是皆、元気不足する故なり。故に、わかく気つよき時は、此病なし。もし、わかき人にも、まれにあるは、必(かならず)肥満して、気すくなき人也。酒多くのみ、内かはき熱して、風生ずるは、たとへば、七八月に残暑甚しくて、雨久しくふらざれば、地気さめずして、大風ふくが如し。此病、下戸にはまれ也。もし、下戸にあるは、肥満したる人か、或(あるいは)気すくなき人なり。手足なえしびれて、不仁なるは、くち木の性なきが如し。気血不足して、ちからなく、なへしびるゝ也。肥白(ひはく)の人、酒を好む人、かねて慎あるべし。
[612]
春は陽気発生し、冬の閉蔵にかはり、人の肌膚(きふ)和して、表気やうやく開く。然るに、余寒猶烈しくして、風寒に感じやすし。つゝしんで、風寒にあたるべからず。感冒咳嗽(かんぼうがいそう)の患(うれい)なからしむべし。草木の発生するも、余寒にいたみやすし。是を以て、人も余寒をおそるべし。時にしたがひ、身を運動し、陽気を助けめぐらして、発生せしむべし。
[613]
夏は、発生の気いよいよさかんにして、汗もれ、人の肌膚(きふ)大いに開く故外邪入やすし。涼風に久しくあたるべからず。沐浴の後、風に当るべからず。且夏は伏陰とて、陰気かくれて腹中にある故、食物の消化する事おそし。多く飲食すべからず。温(あたたか)なる物を食ひて、脾胃をあたゝむべし。冷水を飲べからず。すべて生冷の物をいむ。冷麪多く食ふべからず。虚人は尤(もっとも)泄瀉(せっしゃ)のうれひおそるべし。冷水に浴すべからず。暑甚き時も、冷水を以(もって)面目(かおめ)を洗へば、眼を損ず。冷水にて、手足洗ふべからず。睡中に、扇にて、人にあふがしむべからず。風にあたり臥べからず。夜、外に臥べからず。夜、外に久しく坐して、露気にあたるべからず。極暑の時も、極て涼しくすべからず。日に久しくさらせる熱物の上に、坐すべからず。
[614]
四月は純陽の月也。尤 (もっとも) 色慾を禁ずべし。雉 (きじ) 鶏など温熱 (うんねつ) の物、食うべからず。
[615]
四時の内、夏月、尤 (もっとも) 保養すべし。霍乱 (かくらん) 、中暑、傷食 (しょうしょく) 、泄瀉、瘧痢 (ぎゃくり) の病、おこりやすし。生冷の飲食を禁じて、慎んで保養すべし。夏月、此病おこれば、元気へりて大いに労す。
[616]
六七月、酷暑の時は、極寒の時より、元気へりやすし、よく保養すべし。加味生脈散 (かみしょうみゃくさん) 、補気湯、医学六要の新製清暑益気湯など、久しく服して、元気の発泄するを収斂すべし。一年の内時令のために、薬を服して、保養すべきは、此時なり。東垣 (とうえん) が清暑益気湯は湿熱を消散する方也。純補の剤にあらず、其病なくば、服すべからず。
[617]
夏月、古き井、深き穴の中に人を入 (いるる) べからず。毒気多し。古井には先鶏の毛を入て、毛、舞ひ下りがたきは、是毒あり、入 (いる)べからず。火をもやして、入れて後、入(いる)べし。又、醋(す)を熱くわかして、多く井に入(いれ)て後、人入(いる)べし。夏至に井をさらえ、水を改むべし。
[618]
秋は、夏の間肌(はだえ)開け、七八月は、残暑も猶烈しければ、そうり(*理:肌のきめ)(618)いまだとちず。表気いまだ堅からざるに、秋風すでにいたりぬれば、感じてやぶられやすし。慎んで、風涼にあたり過すべからず。病ある人は、八月、残暑退きて後、所々に灸して風邪(ふうじゃ)をふせぎ、陽を助けて痰咳(たんせき)のうれひをまぬがるべし。
[619]
冬は、天地の陽気とぢかくれ、人の血気おさまる時也。心気を閑(しずか)にし、おさめて保つべし。あたゝめ過して陽気を発し、泄(もら)すべからず。上気せしむべからず。衣服をあぶるに、少(すこし)あたゝめてよし。熱きをいむ。衣を多くかさね、又は火気を以(もって)身をあたゝめ過すべからず。熱湯(あつゆ)に浴すべからず。労力して汗を発し、陽気を泄(もら)すべからず。
[620]
冬至には、一陽初て生ず。陽気の微少なるを静養すべし。労動すべからず。此日、公事にあらずんば、外に出(いず)べからず。冬至の前五日、後十日、房事を忌む。又、灸すべからず。続漢書に曰(いわく)、夏至水を改め、冬至に火を改むるは、瘟疫(おんえき)を去なり。
[621]
冬月は、急病にあらずんば、針灸すべからず。尤(もっとも)十二月を忌む。又、冬月按摩をいむ。自身しづかに導引するは害なし。あらくすべからず。
[622]
除日(じょにち)には、父祖の神前を掃除し、家内、殊に臥室のちりをはらひ、夕は燈(ともしび)をともして、明朝にいたり、家内光明ならしめ、香を所々にたき、かまどにて爆竹し、火をたきて、陽気を助くべし。家族と炉をかこみ、和気津々として、人とあらそはず、家人を、いかりのゝしるべからず。父母、尊重を拝祝し、家内、大小上下椒(しょう)酒をのんで歓び楽しみ、終夜いねずして旧(ふる)き歳をおくり、新き年をむかへて、朝にいたる。是を歳を守ると云(いう)。
[623]
熱食して汗いでば、風に当るべからず。
[624]
凡そ人の身、高き処よりおち、木石におされなどして、損傷したる処に、灸をする事なかれ。灸をすれば、くすりを服してもしるしなし。又、兵器にやぶられて、血おほく出たる者は、必(かならず)のんどかはくもの也。水をあたふべからず。甚あしゝ。又、粥をのましむべからず。粥をのめば、血わき出で、必(かならず)死ぬ。是等の事、かねてしらずんばあるべからず。又、金瘡折傷、口開きたる瘡、風にあたるべからず。扇にてもあふぐべからず。、し(624)症(痙攣をおこす病気)となり、或(あるいは)破傷風となる。
[625]
冬、朝(あした)に出て遠くゆかば、酒をのんで寒をふせぐべし。空腹にして寒にあたるべからず。酒をのまざる人は、粥を食ふべし。生薑をも食ふべし。陰霧の中、遠く行べからず。やむ事を得ずして、遠くゆかば、酒食を以(もって)防ぐべし。
[626]
雪中に跣(はだし)にて行て、甚寒(ひ)えたるに、熱湯(あつきゆ)にて足を洗ふべからず。火に早くあたるべからず。大寒にあたりて、即熱(あつき)物を食飲すべからず。
[627]
頓死の症多し。卒中風(そっちゅうぷ)、中気、中悪、中毒、中暑、凍死、湯火、食傷、乾霍乱(かんかくらん)、破傷風、喉痺、痰厥(たんけつ)失血、打撲、小児の馬脾風等の症、皆卒死す。此外、又、五絶とて、五種の頓死あり。一には自(みずから)くびる。二にはおしにうたる。三には水におぼる。四には夜押厭はる。五には婦人難産。是皆、暴死する症なり。常の時、方書を考へ、又、其治法を、良医にたつねてしり置(おく)べし。かねて用意なくして、俄に所置を失ふべからず。
[628]
神怪、奇異なる事、たとひ目前に見るとも、必(かならず)鬼神の所為とは云がたし。人に心病あり。眼病あり。此病あれば、実になき物、目に見ゆる事多し。信じてまよふべからず。
[629]
保養の道は、みづから病を慎しむのみならず、又、医をよくゑらぶべし。天下にもかへがたき父母の身、わが身を以(もって)庸医の手にゆだぬるはあやうし。医の良拙をしらずして、父母子孫病する時に、庸医にゆだぬるは、不孝不慈に比す。おやにつかふる者も、亦医をしらずんばあるべからず、といへる程子の言、むべなり。医をゑらぶには、わが身医療に達せずとも、医術の大意をしれらば、医の好否(よしあし)をしるべし。たとへば書画を能(よく)せざる人も、筆法をならひしれば、書画の巧拙をしるが如し。
[630]
医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救ふを以(もって)、志とすべし。わが身の利養を専に志すべからず。天地のうみそだて給へる人を、すくひたすけ、万民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命と云、きはめて大事の職分なり。他術はつたなしといへども、人の生命には害なし。医術の良拙は人の命の生死にかゝれり。人を助くる術を以(もって)、人をそこなふべからず。学問にさとき才性ある人をゑらんで医とすべし。医を学ぶ者、もし生れ付鈍にして、その才なくんば、みづからしりて、早くやめて、医となるべからず。不才なれば、医道に通せずして、天のあはれみ給ふ人を、おほくあやまりそこなふ事、つみかふし。天道おそるべし。他の生業多ければ、何ぞ得手なるわざあるべし。それを、つとめならふべし。医生、其術にをろそかなれば、天道にそむき、人をそこなふのみならず、我が身の福(さいわい)なく、人にいやしめらる。其術にくらくして、しらざれば、いつはりをいひ、みづからわが術をてらひ、他医をそしり、人のあはれみをもとめ、へつらへるは、いやしむべし。医は三世をよしとする事、礼記に見えたり。医の子孫、相つゞきて其才を生れ付たらば、世世家業をつぎたるがよかるべし。此如くなるはまれなり。三世とは、父子孫にかゝはらず、師、弟子相伝へて三世なれば、其業くはし。此説、然るべし。もし其才なくば、医の子なりとも、医とすべからず。他の業を習はしむべし。不得手なるわざを以て、家業とすべからず。
[631]
凡(およそ)医となる者は、先儒書をよみ、文義に通ずべし。文義通ぜざれば、医書をよむちからなくして、医学なりがたし。又、経伝の義理に通ずれば、医術の義理を知りやすし。故に孫思ばく (ばく)曰、凡(およそ)大医と為るには先づ儒書に通ずべし。又曰、易を知らざれば以て医と為る可からず。此言、信ずべし。諸芸をまなぶに、皆文学を本とすべし。文学なければ、わざ熟しても理にくらく、術ひきし。ひが事多けれど、無学にしては、わがあやまりをしらず。医を学ぶに、殊に文学を基とすべし。文学なければ、医書をよみがたし。医道は、陰陽五行の理なる故、儒学のちから、易の理を以(もって)、医道を明らむべし。しからざれば、医書をよむちからなくして、医道をしりがたし。
[632]
文学ありて、医学にくはしく、医術に心をふかく用ひ、多く病になれて、其変をしれるは良医也。医となりて、医学をこのまず、医道に志なく、又、医書を多くよまず、多くよんでも、精思の工夫なくして、理に通ぜず、或(あるいは)医書をよんでも、旧説になづみて、時の変をしらざるは、賤工也。俗医、利口にして、医学と療治とは別の事にて、学問は、病を治するに用なしと云て、わが無学をかざり、人情になれ、世事に熟し、権貴の家にへつらひちかづき、虚名を得て、幸にして世に用ひらるゝ者多し。是を名づけて福医と云、又、時医と云。是医道にはうとけれど、時の幸ありて、禄位ある人を、一両人療して、偶中すれば、其故に名を得て、世に用らるゝ事あり。才徳なき人の、時にあひ、富貴になるに同じ。およそ医の世に用らるゝと、用られざるとは、良医のゑらんで定むる所為(しわざ)にはあらず。医道をしらざる白徒(しろうと)のする事なれば、幸にして時にあひて、はやり行はるるとて、良医とすべからず。其術を信じがたし。
[633]
古人、医也者は意也、といへり。云意(こころ)は、意(こころ)精(くわ)しければ、医道をしりてよく病を治す。医書多くよんでも、医道に志なく、意(こころ)粗く工夫くはしからざれば、医道をしらず。病を治するに拙きは、医学せざるに同じ。医の良拙は、医術の精(くわ)しきと、あらきとによれり。されども、医書をひろく見ざれば、医道をくはしくしるべきやうなし。
[634]
医とならば、君子医となるべし、小人医となるべからず。君子医は人のためにす。人を救ふに、志専一なる也。小人医はわが為にす。わが身の利養のみ志し、人をすくふに志専ならず。医は仁術也。人を救ふを以(もって)志とすべし。是人のためにする君子医也。人を救ふ志なくして、只、身の利養を以(もって)志とするは、是わがためにする小人医なり。医は病者を救はんための術なれば、病家の貴賤貧富の隔なく、心を尽して病を治すべし。病家よりまねかば、貴賤をわかたず、はやく行べし。遅々すべからず。人の命は至りておもし、病人をおろそかにすべからず。是医となれる職分をつとむる也。小人医は、医術流行すれば我身にほこりたかぶりて、貧賤なる病家をあなどる。是医の本意を失へり。
[635]
或人の曰(いわく)、君子医となり、人を救はんが為にするは、まことに然るべし。もし医となりて仲景(ちゅうけい)、東垣(とうえん)などの如き富貴の人ならば、利養のためにせずしても、貧窮のうれひなからん。貧家の子、わが利養の為にせずして、只人を救ふに専一ならば、飢寒のうれひまぬがれがたかるべし。答て曰(いわく)、わが利養の為に医となる事、たとへば貧賤なる者、禄のため君につかふるが如し。まことに利禄のためにすといへども、一たび君につかへては、わが身をわすれて、ひとへに君のためにすべし。節義にあたりては、恩禄の多少によらず、一命をもすつべし。是人の臣たる道なり。よく君につかふれば、君恩によりて、禄は求めずして其内にあり。一たび医となりては、ひとへに人の病をいやし、命を助くるに心専一なるべき事、君につかへてわが身をわすれ、専一に忠義をつとむるが如くなるべし。わが身の利養をはかるべからず。然れば、よく病をいやし、人をすくはゞ、利養を得る事は、求めずして其内にあるべし。只専一に医術をつとめて、利養をば、むさぼるべからず。
[636]
医となる者、家にある時は、つねに医書を見て其理をあきらめ、病人を見ては、又、其病をしるせる方書をかんがへ合せ、精(くわ)しく心を用ひて薬方を定むべし。病人を引うけては、他事に心を用ひずして、只、医書を考へ、思慮を精(くわ)しくすべし。凡(およそ)医は医道に専一なるべし。他の玩好あるべからず。専一ならざれば業精(くわ)しからず。
[637]
医師にあらざれども、薬をしれば、身をやしなひ、人をすくふに益あり。されども、医療に妙を得る事は、医生にあらざれば、道に専一ならずして成がたし。みづから医薬を用ひんより、良医をゑらんでゆだぬべし。医生にあらず、術あらくして、みだりにみづから薬を用ゆべからず。只、略(ほぼ)医術に通じて、医の良拙をわきまへ、本草をかんがへ、薬性と食物の良毒をしり、方書をよんで、日用急切の薬を調和し、医の来らざる時、急病を治し、医のなき里に居(おり)、或(あるいは)旅行して小疾をいやすは、身をやしなひ、人をすくふの益あれば、いとまある人は、すこし心を用ゆべし。医術をしらずしては、医の良賤をもわきまへず、只、世に用ひらるゝを良工とし、用ひられざるを賤工とする故に、医説に、明医は時医にしかず、といへり。医の良賤をしらずして、庸医に、父母の命をゆだね、わが身をまかせて、医にあやまられて、死したるためし世に多し。おそるべし。
[638]
士庶人の子弟いとけなき者、医となるべき才あらば、早く儒書をよみ、其力を以(もって)、医書に通じ、明師にしたがひ、十年の功を用て、内経、本草以下、歴代の明医の書をよみ学問し、やうやく医道に通じ、又、十年の功を用ひて、病者に対して、病症を久しく歴見して習熟し、近代の日本の先輩の名医の療術をも考しり、病人に久しくなれて、時変を知り、日本の風土にかなひ、其術ますます精(くわ)しくなり、医学と病功と、前後凡(およそ)二十年の久きをつみなば、必(かならず)良医となり、病を治する事、験ありて、人をすくふ事多からん。然らば、をのづから名もたかくなりて、高家、大人(たいじん)の招請あり、士庶人の敬信もあつくば、財禄を得る事多くして、一生の受用ゆたかなるべし。此如く実によくつとめて、わが身に学功そなはらば、名利を得ん事、たとへば俯して地にあるあくたを、ひろふが如く、たやすかるべし。是士庶の子弟、貧賎なる者の名利を得る好(よき)計(はかりごと)なるべし。この如くなる良工は、是国土の宝なり。公侯は、早くかゝる良医をしたて給ふべし。医となる人、もし庸医のしわざをまなび、、愚俗の言を信じ、医学をせずして、俗師にしたがひ、もろこしの医書をよまず、病源と脈とをしらず、本草に通ぜず、薬性をしらず、医術にくらくして、只近世の日本の医の作れる国字の医書を、二三巻考へ、薬方の功能を少覚え、よききぬきて、我が身のかたちふるまひをかざり、辯説(べんぜつ)を巧にし、人のもてなしをつくろひ、富貴の家に、へつらひしたしみ、時の幸(さいわい)を求めて、福医のしわざを、うらやみならはゞ、身をおはるまで草医なるべし。かゝる草医は、医学すれば、かへつて療治に拙し、と云まはりて、学問ある医をそしる。医となりて、天道の子としてあはれみ給ふ万民の、至りておもき生命をうけとり、世間きはまりなき病を治せんとして、この如くなる卑狭(ひきょう)なる術を行ふは云かひなし。
[639]
俗医は、医学をきらひてせず。近代名医の作れる和字の医書を見て、薬方を四五十つかひ覚ゆれば、医道をば、しらざれども、病人に馴て、尋常(よのつね)の病を治する事、医書をよんで病になれざる者にまされり。たとへば、ていはい(*稗:ひえ)(639)の熟したるは、五穀の熟せざるにまされるが如し。されど、医学なき草医は、やゝもすれば、虚実寒熱を取ちがへ、実々虚々のあやまり、目に見えぬわざはひ多し。寒に似たる熱症あり。熱に似たる寒症あり。虚に似たる実症あり。実に似たる虚症あり。内傷、外感、甚相似たり。此如まぎらはしき病多し。根ふかく、見知りがたきむづかしき病、又、つねならざるめづらしき病あり。かやうの病を治することは、ことさらなりがたし。
[640]
医となる人は、まづ、志を立て、ひろく人をすくひ助くるに、まことの心をむねとし、病人の貴賎によらず、治をほどこすべし。是医となる人の本意也。其道明らかに、術くはしくなれば、われより、しゐて人にてらひ、世に求めざれども、おのづから人にかしづき用られて、さいはいを得る事、かぎりなかるべし。もし只、わが利養を求るがためのみにて、人をすくふ志なくば、仁術の本意をうしなひて、天道、神明の冥加あるべからず。
[641]
貧民は、医なき故に死し、愚民は庸医にあやまられて、死ぬる者多しと、古人いへり。あはれむべし。
[642]
医術は、ひろく書を考へざれば、事をしらず。精しく理をきはめざれば、道を明らめがたし。博(ひろき)と精(くわしき)とは医を学ぶの要なり。医を学ぶ人は、初より大に志ざし、博くして又精しかるべし。二ながら備はらずんばあるべからず。志小きに、心あらくすべからず。
[643]
日本の医の中華に及ばざるは、まづ学問のつとめ、中華の人に及ばざれば也。ことに近世は国字(かな)の方書多く世に刊行せり。古学を好まざる医生は、からの書はむづかしければ、きらひてよまず。かな書の書をよんで、医の道是にて事足りぬと思ひ、古の道をまなばず。是日本の医の医道にくらくして、つたなきゆへなり。むかしの伊路波(いろは)の国字(かな)いできて、世俗すべて文盲になれるが如し。
[644]
歌をよむに、ひろく歌書をよんで、歌学ありても歌の下手はあるもの也。歌学なくして上手は有まじきなりと、心敬法師いへり。医術も亦かくの如し。医書を多くよんでも、つたなき医はあり。それは医道に心を用ずして、くはしならざればなり。医書をよまずして、上手はあるまじき也。から・やまとに博学多識にして、道しらぬ儒士は多し。博く学ばずして、道しれる人はなきが如し。
[645]
医は、仁心を以て行ふべし。名利を求むべからず。病おもくして、薬にて救ひがたしといへども、病家より薬を求むる事切ならば、多く薬をあたへて、其心ををなぐさむべし。わがよく病を見付て、生死をしる名を得んとて、病人に薬をあたへずして、すてころすは情けなし。医の薬をあたへざれば、病人いよいよちからをおとす。理なり。あはれむべし。
[646]
医を学ぶに、ふるき法をたづねて、ひろく学び、古方を多く考ふべし。又、今世の時運を考へ、人の強弱をはかり、日本の土宜(どぎ)と民俗の風気を知り、近古わが国先輩の名医の治せし迹(あと)をも考へて、治療を行ふべし。いにしへに本づき、今に宜しくば、あやまりすくなかるべし。古法をしらずして、今の宜に合せんとするを鑿(うがつ)と云。古法にかゝはりて、今の宜に合ざるを泥(なずむ)と云。其あやまり同じ。古にくらく、今に通ぜずしては、医道行はるべからず。聖人も、故を温ね新を知以て師とすべし、と、のたまへり。医師も亦かくの如くなるべし。
[647]
薬の病に応ずるに適中あり、偶中あり。適中は良医の薬必応ずる也。偶中は庸医の薬不慮(はからざるに)相応ずるなり。是其人に幸ある故に、術はつたなけれども、幸にして病に応じたる也。もとより庸医なれば、相応ぜざる事多し。良医の適中の薬を用ふべし。庸医は、たのもしげなし。偶中の薬はあやふし。適中は能(よく)射る者の的にあたるが如し。偶中は拙き者の不慮に、的に射あつるが如し。
[648]
医となる者、時の幸を得て、富貴の家に用いらるゝ福医をうらやみて、医学をつとめず、只、権門につねに出入し、へつらひ求めて、名利を得る者多し。医術のすたりて拙くなり、庸医の多くなるは此故なり。
[649]
諸芸には、日用のため無益なる事多し。只、医術は有用の事也。医生にあらずとも少学ぶべし。凡儒者は天下の事皆しるべし。故に、古人、医も儒者の一事といへり。ことに医術はわが身をやしなひ、父母につかへ、人を救ふに益あれば、もろもろの雑芸よりも最(もっとも)益多し。しらずんばあるべからず。然ども医生に非ず、療術に習はずして、妄(みだり)に薬を用ゆべからず。
[650]
医書は、内経本草(ないけいほんぞう)を本とす。内経を考へざれば、医術の理、病の本源をしりがたし。本草に通ぜざれば、薬性をしらずして方を立がたし。且(かつ)、食性をしらずして宜禁(ぎきん)を定がたく、又、食治の法をしらず。此二書を以(もって)医学の基(もとい)とす。二書の後、秦越人(しんえつじん)が難経、張仲景が金匱要略(きんきようりゃく)、皇甫謐(こうほひつ)が甲乙経、巣元方が病源候論、孫思ばく(250)が千金方、王とう(6500)が外台秘要、羅謙甫(らけんほ)が衛生宝鑑、陳無択が三因方、宋の恵民局の和剤(かざい)局方証類、本草序例、銭仲陽が書、劉河間が書、朱丹溪が書、李東垣が書、楊しゅん(6501)が丹溪心法、劉宗厚が医経小学、玉機微義、熊宗立が医書大全、周憲王の袖珍方、周良采が医方選要、薛立斎(せつりゅうさい)が医案、王璽(おうじ)が医林集要、楼英が医学綱目、虞天民が医学正伝、李挺が医学入門、江篁南(こうこうなん)が名医類案、呉崑が名医方考、きょう(6502)挺賢が書数種、汪石山が医学原理、高武が鍼灸聚英、李中梓(りちゅうし)が医宗必読、頤生微論、薬性解、内経知要あり。又薛立斎が十六種あり。医統正脈は四十三種あり。歴代名医の書をあつめて一部とせり。是皆、医生のよむべき書也。年わかき時、先儒書を記誦し、其力を以右の医書をよんで能記すべし。
[651]
張仲景は、百世の医祖也。其後、歴代の明医すくなからず。各発明する処多しといへ共、各其説に偏僻の失あり。取捨すべし。孫思(ばく)は、又、養生の祖なり。千金方をあらはす。養生の術も医方も、皆、宗とすべし。老、荘、を好んで異術の人なれど、長ずる所多し。医生にすゝむるに、儒書に通じ、易を知るを以す。盧照鄰に答へし数語、皆、至理あり。此人、後世に益あり。医術に功ある事、皇甫謐、葛洪、陶弘景等の諸子に越たり。寿(いのち)百余歳なりしは、よく保養の術に長ぜし効(しるし)なるべし。
[652]
むかし、日本に方書の来りし初は、千金方なり。近世、医書板行せし初は、医書大全なり。此書は明の正統十一年に熊宗立編む。日本に大永の初来りて、同八年和泉の国の医、阿佐井野宗瑞、刊行す。活板也。正徳元年まで百八十四年也。其後、活字の医書、やうやく板行す。寛永六年巳後、扁板鏤刻(るこく)の医書漸く多し。
[653]
凡諸医の方書偏説多し。専一人を宗とし、一書を用ひては治を為しがたし。学者、多く方書をあつめ、ひろく異同を考へ、其長ずるを取て其短なるをすて、医療をなすべし。此後、才識ある人、世を助くるに志あらば、ひろく方書ゑらび、其重複をけづり、其繁雑なるを除き、其粋美なるをあつめて、一書と成さば、純正なる全書となりて、大なる世宝なるべし。此事は、其人を待て行はるべし。凡近代の方書、医論、脈法、薬方同じき事、甚多し。殊(ことに)きょう(6502)挺賢が方書部数、同じ事多くして、重出しげく煩はし。無用の雑言亦多し。凡病にのぞんでは、多く方書を検する事、煩労なり。急病に対し、にはかに広く考へて、其相応ぜる良方をゑらびがたし。同事多く、相似たる書を多くあつめ考るも、いたづがはし。才学ある人は、無益の事をなして暇をつひやさんより、かゝる有益の事をなして、世を助け給ふべし。世に其才ある人、豈なかるべきや。
[654]
局方発揮、出て局方すたる。局方に古方多し。古を考ふるに用べし。廃(す)つべからず。只、鳥頭附子の燥剤を多くのせたるは、用ゆべからず。近古、日本に医書大全を用ゆ。きょう(6502)挺賢が方書流布して、東垣が書及医書大全、其外の諸方をも諸医用ずして、医術せばくあらくなる。三因方、袖珍方、医書大全、医方選要、医林集要、医学正伝、医学綱目、入門、方考、原理、奇効良方、証治準縄等、其外、方書を多く考へ用ゆべし。入門は、医術の大略備れる好書也。(きょう)廷賢が書のみ偏に用ゆべからず。きょう(6502)氏が医療は、明季の風気衰弱の時宜に頗かなひて、其術、世に行はれし也。日本にても亦しかり。しかるべき事は、ゑらんで所々取用ゆべし。悉くは信ずべからず。其故にいかんとなれば、雲林が医術、其見識ひきし。他人の作れる書をうばひてわが作とし、他医の治せし療功を奪てわが功とす。不経の書を作りて、人に淫ををしえ、紅鉛などを云穢悪の物をくらふ事を、人にすゝめて良薬とす。わが医術をみづから衒ひ、自ほむ。是皆、人の穢行なり。いやしむべし。
[655]
我よりまへに、其病人に薬を与へし医の治法、たとひあやまるとも、前医をそしるべからず。他医をそしり、わが術にほこるは、小人のくせなり。医の本意にあらず。其心ざまいやし。きく人に思ひ下さるゝも、あさまし。
[656]
本草の内、古人の説まちまちにして、一やうならず。異同多し。其内にて考へ合せ、択(えら)び用ゆべし。又、薬物も食品も、人の性により、病症によりて、宜、不宜あり。一概に好否を定めがたし。
[657]
医術も亦、其道多端なりといへど、其要三あり。一には病論、二には脈法、三には薬方、此三の事をよく知べし。運気、経絡などもしるべしといへども、三要の次也。病論は、内経を本とし、諸名医の説を考ふべし。脈法は、脈書数家を考ふべし。薬方は、本草を本として、ひろく諸方書を見るべし。薬性にくはしからずんば、薬方を立がたくして、病に応ずべからず。又、食物の良否をしらずんば、無病有病共に、保養にあやまり有べし。薬性、食性、皆本草に精からずんば、知がたし。
[658]
或曰、病あつて治せず、常に中医を得る、といへる道理、誠にしかるべし。然らば、病あらば只上医の薬を服すべし。中下の医の薬は服すべからず。今時、上医は有がたし、多くは中、下医なるべし。薬をのまずんば、医は無用の物なるべしと云。答曰、しからず、病あつて、すべて治せず。薬をのむべからずと云は、寒熱、虚実など、凡病の相似て、まぎらはしくうたがはしき、むづかしき病をいへり。浅薄なる治しやすき症は、下医といへども、よく治す。感冒咳嗽(かんぼうがいそう)に参蘇飲(じんそいん)、風邪を発散するに香蘇散、敗毒散、かつ(658)香、正気散。食滞に平胃散、香砂平胃散、かやうの類は、まぎれなくうたがはしからざる病なれば、下医も治しやすし。薬を服して害なかるべし。右の症も、薬しるしなき、むづかしき病ならば、薬を用ずして可也
巻第七 薬を用ふ
[701]
人身、病なき事あたはず。病あれば、医をまねきて治を求む。医に上中下の三品あり。上医は病を知り、脈を知り、薬を知る。此三知を以(て)病を治して十全の功あり。まことに世の宝にして、其功、良相(りょうしょう)につげる事、古人の言のごとし。下(か)医は、三知の力なし。妄(みだり)に薬を投じて、人をあやまる事多し。夫(れ)薬は、補瀉寒熱(ほしゃかんねつ)の良毒の気偏なり。その気(き)の偏(へん)を用(い)て病をせむる故に、参ぎ(115:薬用人参)の上薬をも妄(みだり)に用ゆべからず。其病に応ずれば良薬とす。必其しるしあり。其病に応ざぜれば毒薬とす。たゞ益なきのみならず、また人に害あり。又、中医あり。病と脈と薬をしる事、上医に及ばずといへ共、薬は皆気の偏にして、妄に用ゆべからざる事をしる。故に其病に応ぜざる薬を与へず。前漢書に班固(はんこ)が曰(く)、「病有て治せずば常に中医を得よ」。云意(いうこころ)は、病あれども、もし其病を明らかにわきまへず、その脈を許(つまびらか)に察せず、其薬方を精(くわ)しく定めがたければ、慎んでみだりに薬を施さず。こゝを以(て)病あれども治せざるは、中品の医なり。下医(かい)の妄に薬を用(い)て人をあやまるにまされり。故に病ある時、もし良医なくば、庸医(ようい)の薬を服して身をそこなふべからず。只保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のをのづから癒(いゆ)るを待べし。如此すれば、薬毒にあたらずして、はやくいゆる病多し。死病は薬を用ひてもいきず。下医は病と脈と薬をしらざれども、病家の求(もとめ)にまかせて、みだりに薬を用ひて、多く人をそこなふ。人を、たちまちにそこなはざれども、病を助けていゆる事おそし。中医は、上医に及ばずといへども、しらざるを知らずとして、病を慎んで、妄(みだり)に治せず。こゝを以(もって)、病あれども治せざるは中品の医なりといへるを、古来名言とす。病人も亦、此説を信じ、したがって、応ぜざる薬を服すべからず。世俗は、病あれば急にいゑん事を求て、医の良賤をゑらばず、庸医の薬をしきりにのんで、かへつて身をそこなふ。是身を愛すといへども、実は身を害する也。古語に曰、「病の傷は猶癒(いやす)べし、薬の傷は最も医(くす)し難し」。然らば、薬をのむ事、つゝしみておそるべし。孔子も、季康子が薬を贈れるを、いまだ達せずとて、なめ給はざるは、是疾をつゝしみ給へばなり。聖人の至教、則(のり)とすべし。今、其病源を審(つまびらか)にせず、脈を精(くわ)しく察せず、病に当否を知らずして、薬を投ず。薬は、偏毒あればおそるべし。
[702]
孫思ばく曰、人、故なくんば薬を餌(くらう)べからず。偏(ひとえ)に助くれば、蔵気不平にして病生ず。
[703]
劉仲達(りゅうちゅうたつ)が鴻書(こうしょ)に、疾(やまい)あつて、もし名医なくば薬をのまず、只病のいゆるを、しづかにまつべし。身を愛し過し、医の良否をゑらばずして、みだりに早く、薬を用る事なかれ。古人、病あれども治せざるは中医を得ると云、此言、至論也といへり。庸医の薬は、病に応ずる事はすくなく、応ぜざる事多し。薬は皆、偏性(へんしょう)ある物なれば、其病に応ぜざれば、必(ず)毒となる。此故に、一切の病に、みだりに薬を服すべからず。病の災(わざわい)より薬の災多し。薬を用ずして、養生を慎みてよくせば、薬の害なくして癒(いえ)やすかるべし。
[704]
良医の薬を用るは臨機応変とて、病人の寒熱虚実の機にのぞみ、其時の変に応じて宜に従ふ。必(ず)一法に拘はらず。たとへば、善く戦ふ良将の、敵に臨んで変に応ずるが如し。かねてより、その法を定めがたし。時にのぞんで宜にしたがふべし。されども、古法をひろくしりて、その力を以(て)今の時宜に(じぎ)にしたがひて、変に応ずべし。古(いにしえ)をしらずして、只今の時宜に従はんとせば、本(もと)なくして、時宜に応ずべからず。故(ふるき)を温(たず)ねて新をしるは、良医なり。
[705]
脾胃(ひい)を養ふには、只穀肉を食するに相宜(あいよろ)し。薬は皆気の偏なり。参ぎ、朮甘(じゅつかん)は上薬にて毒なしといへども、病に応ぜざれば胃の気を滞(とどこお)らしめ、かへつて病を生じ、食を妨げて毒となる。いはんや攻撃のあらくつよき薬は、病に応ぜざれば、大に元気をへらす。此故に病なき時は、只穀肉を以(て)やしなふべし。穀肉の脾胃をやしなふによろしき事、参ぎの補にまされり。故に、古人の言に薬補は食補にしかずといへり。老人は殊に食補すべし、薬補は、やむ事を得ざる時用ゆべし。
[706]
薬をのまずして、おのづからいゆる病多し。是をしらで、みだりに薬を用て薬にあてられて病をまし、食をさまたげ、久しくいゑずして、死にいたるも亦多し。薬を用る事つつしむべし。
[707]
病の初発の時、症(しょう)を明に見付(みつけ)ずんば、みだりに早く薬を用ゆべからず。よく病症を詳(つまびらか)にして後、薬を用ゆべし。諸病の甚しくなるは、多くは初発の時、薬ちがへるによれり。あやまつて、病症にそむける薬を用ゆれば、治しがたし。故に療治の要は、初発にあり。病おこらば、早く良医をまねきて治すべし。症により、おそく治(じ)すれば、病ふかくなりて治しがたし。扁鵲(へんじゃく)が斉候に告げたるが如し。
[708]
丘処機(きゅうしょき)が、衛生の道ありて長生の薬なし、といへるは、養生の道はあれど、むまれ付かざるいのちを、長くする薬はなし。養生は、只むまれ付(き)たる天年をたもつ道なり。古(いにしえ)の人も術者にたぶらかされて、長生の薬とて用ひし人、多かりしかど、其しるしなく、かへつて薬毒にそこなはれし人あり。是長生の薬なき也。久しく苦労して、長生の薬とて用ゆれども益なし。信ずべからず。内慾を節にし、外邪をふせぎ、起居をつゝしみ、動静を時にせば、生れ付(き)たる天年をたもつべし。是養生の道あるなり。丘処機が説は、千古の迷(まよい)をやぶれり。此説信ずべし。凡(そ)うたがふべきをうたがひ、信ずべきを信ずるは迷をとく道なり。
[709]
薬肆(やくし:薬屋)の薬に、好否あり、真偽あり。心を用ひてゑらぶべし。性あしきと、偽薬とを用ゆべからず。偽薬とは、真ならざる似せ薬也。拘橘(くきつ)を枳穀(きこく)とし、鶏腿児(けいたいじ)を柴胡(さいこ)とするの類(たぐい)なり。又、薬の良否に心を用ゆべし。其病に宜しき良方といへども、薬性あしければ功なし。又、薬の製法に心を用ゆべし。薬性よけれ共、修(こしらえ)、治方に背(そむ)けば能なし。たとへば、食物も其土地により、時節につきて、味のよしあしあり。又、よき品物も、料理あしければ、味なくして、くはれざるが如し。こゝを以(て)その薬性のよきをゑらび用ひ、其製法をくはしくすべし。
[710]
いかなる珍味も、これを煮る法ちがひてあしければ、味あしゝ。良薬も煎法ちがへば験(しるし)なし。此(の)故、薬を煎ずる法によく心を用ゆべし。文火とは、やはらかなる火也。武火とは、つよき火なり。文武火とは、つよからずやはらかならざる、よきかげんの火なり。風寒を発散し、食滞を消導(しょうどう)する類(るい)の剛剤(ごうざい)を利薬と云(う)。利薬は、武火にてせんじて、はやくにあげ、いまだ熱せざる時、生気のつよきを服すべし。此(の)如(く)すれば、薬力つよくして、邪気にかちやすし。久しく煎じて熟すれば、薬に生気の力なくして、よわし。邪気にかちがたし。補湯は、やはらかなる文火にて、ゆるやかに久しく煎じつめて、よく熟すべし。此如ならざれば、純補(じゅんぽ)しがたし。こゝを以(て)利薬は生に宜しく熟に宜しからず。補薬は熟に宜しくして、生に宜しからず。しるべし、薬を煎ずるに此二法あり
[711]
薬剤一服の大小の分量、中夏(ちゅうか)の古法を考がへ、本邦の土宜にかなひて、過不及(かふきゅう)なかるべし。近古、仲井家(なからいけ)には、日本の土地、民俗の風気に宜しとて、薬の重さ八分を一服とす。医家によりて一匁(もんめ)を一服とす。今の世、医の薬剤は、一服の重さ六七分より一匁に至る。一匁より多きは稀(まれ)なり。中夏の薬剤は、医書を考ふるに、一服三匁より十匁に至(る)。東垣(とうえん)は、三匁を用ひて一服とせし事あり。中夏の人、煎湯の水を用る事は少く、薬一服は大なれば、煎汁(せんじしる)甚(だ)濃(く)して、薬力つよく、病を冶する事早しと云(う)。然るに日本の薬、此如小服なるは何ぞや。曰(く)、日本の医の薬剤小服なる故三あり。一には中華の人は、日本人より生質健(すこやか)に腸胃(ちょうい)つよき故、飲食多く、肉を多く食ふ。日本人は生(うまれ)つき薄弱にして、腸胃よわく食すくなく、牛鳥、犬羊の肉を食ふに宜しからず。かろき物をくらふに宜し。此故に、薬剤も昔より、小服に調合すと云(う)。是一説なり。されども中夏の人、日本の人、同じく是人なり。大小強弱少(し)かはる共、日本人、さほど大(き)におとる事、今の医の用る薬剤の大小の如く、三分の一、五分の一には、いたるべからず。然れば日本の薬、小服なる事、此如なるべからずと云(う)人あり。一説に或人の曰(く)、日本は薬種ともし。わが国になき物多し。はるかなるもろこし、諸蕃国の異舶に、載せ来るを買て、価(あたい)貴とし。大服なれば費(ついえ)多し。こゝを以(て)薬剤を大服に合せがたし。ことに貧医は、薬種をおしみて多く用ひず。然る故、小服にせしを、古来習ひ来りて、富貴の人の薬といへども小服にすと云(う)。是一説也。又曰、日本の医は、中華の医に及ばず。故に薬方を用る事、多くはその病に適当せざらん事を畏る。此故に、決定(けつじょう)して一方を大服にして用ひがたし。若(し)大服にして、其病に応ざぜれば、かへつて甚(だ)害をなさん事おそるべければ、小服を用ゆ。薬その病に応ぜざれども、小服なれば大なる害なし。若(し)応ずれば、小服にても、日をかさねて小益は有ぬべし。こゝを以(て)古来、小服を用ゆと云(う)。是又一説也。此三説によりて日本の薬、古来小服なりと云(う)。
[712]
日本人は、中夏の人の健(すこやか)にして、腸胃のつよきに及ばずして、薬を小服にするが宜しくとも、その形体、大小相似たれば、その強弱の分量、などか、中夏の人の半(ば)に及ぶべからざらんや。然らば、薬剤を今少(し)大にするが、宜しかるべし。たとひ、昔よりあやまり来りて、小服なりとも、過(あやま)つては、則(ち)改るにはばかる事なかれ。今の時医の薬剤を見るに、一服此如小にしては、補湯といへども、接養の力なかるべし。況(や)利湯(とう)を用る病は、外、風寒肌膚(きふ)をやぶり、大熱を生じ、内、飲食腸胃に塞(ふさが)り、積滞(しゃくたい)の重き、欝結(うっけつ)の甚しき、内外の邪気甚(はなはだ)つよき病をや。小なる薬力を以(て)大なる病邪にかちがたき事、たとへば、一盃(ぱい)の水を以(て)一車薪の火を救ふべからざるが如し。又、小兵を以(て)大敵にかちがたきが如し。薬方、その病によく応ずとも、かくのごとく小服にては、薬に力なくて、効(しるし)あるべからず。砒毒(ひどく)といへども、人、服する事一匁許(ばかり)に至りて死すと、古人いへり。一匁よりすくなくしては、砒霜(ひそう)をのんでも死なず、河豚(ふぐ)も多くくらはざれば死なず。つよき大毒すらかくの如し。況(や)ちからよはき小服の薬、いかでか大病にかつべきや。此理を能(く)思ひて、小服の薬、効なき事をしるべし。今時の医の用る薬方、その病に応ずるも多かるべし。しかれども、早く効を得ずして癒(いえ)がたきは、小服にて薬力たらざる故に非ずや。
[713]
今ひそかにおもんぱかるに、利薬は、一服の分量、一匁五分より以上、二匁に至るべし。その間の軽重は、人の大小強弱によりて、増減すべし。
[714]
補薬一服の分量は、一匁より一匁五分に至るべし。補薬つかえやすき人は、一服一匁或(あるいは)一匁二分なるべし。是又、人の大小強弱によりて増減すべし。又、攻補兼(かね)用(う)る薬方あり、一服一匁二三分より、一匁七八分にいたるべし。
[715]
婦人の薬は、男子より小服に宜し。利湯は一服一匁二分より一匁八分に至り、補湯は一匁より一匁五分にいたるべし。気体強大ならば、是より大服に宜し。
[716]
小児の薬、一服は、五分より一匁に至るべし。是又、児の大小をはかつて増減すべし。
[717]
大人の利薬を煎ずるに、水をはかる盞(さかずき)は、一盞(さん)に水を入るゝ事、大抵五十五匁より六十匁に至るべし。是(これ)盞の重さを除きて水の重さなり。一服の大小に従つて水を増減すべし。利薬は、一服に水一盞半入(れ)て、薪をたき、或(あるいは)かたき炭を多くたきて、武火(つよび)を以(て)一盞にせんじ、一盞を二度にわかち、一度に半盞、服すべし。滓(かす)はすつべし。二度煎ずべからず。病つよくば、一日一夜に二服、猶(なお)其上にいたるべし。大熱ありて渇する病には、其宜(ぎ)に随つて、多く用ゆべし。補薬を煎ずるには、一盞に水を入(る)る事、盞の重さを除き、水の重さ五十匁より五十五匁に至る。是又、一服の大小に随(い)て、水を増減すべし。虚人の薬小服なるには、水五十匁入(いる)る盞を用ゆべし。壮人の薬、大服なるには水五十五匁入(る)る盞を用ゆべし。一服に水二盞入(れ)て、けし炭を用ひ、文火(とろび)にてゆるやかにせんじつめて一盞とし、かすには、水一盞入(れ)て半盞にせんじ、前後合せて一盞半となるを、少(し)づつ、つかへざるやうに、空腹に、三四度に、熱服す。補湯は、一日に一服、若(し)つかえやすき人は、人により、朝夕はのみがたし、昼間二度のむ。短日は、二度はつかえて服しがたき人あり、病人によるべし。つかえざる人には、朝夕昼間一日に一服、猶(なお)其上も服すべし。食滞あらば、補湯のむべからず。食滞めぐりて後、のむべし。
[718]
補薬は、滞塞(たいそく)しやすし。滞塞すれば害あり益なし。利薬を服するより、心を用ゆべし。もし大剤にして気塞(ふさ)がらば、小剤にすべし。或(は)棗(なつめ:利尿、強壮)を去り生姜(しょうきょう)を増すべし。補中益気湯などのつかえて用(い)がたきには、乾姜(かんきょう)、肉桂(にくけい)を加ふべき由、薜立斉(せつりゅうさい)が医案にいへり。又、症により附子(ぶし)、肉桂(にくけい)を少(し)加へ、升麻(しょうま)、柴胡(さいこ)を用るに二薬ともに火を忌(い)めども、実にて炒(り)用ゆ。是正伝惑問の説也。又、升麻、柴胡(さいこ)を去(り)て桂姜(けいきょう)を加ふる事あり。李時珍(りじちん)も、補薬に少(し)附子(ぶし)を加ふれば、その功するどなり、といへり。虚人の熱なき症に、薬力をめぐらさん為ならば、一服に五釐(りん)か一分加ふべし。然れども病症によるべし。壮人には、いむべし。
[719]
身体短小にして、腸胃小なる人、虚弱なる人は、薬を服するに、小服に宜し。されども、一匁より小なるべからず。身体長大にして、腸胃ひろき人、つよき人は、薬、大服に宜し。
[720]
小児の薬に、水をはかる盞(さかずき)は、一服の大小によりて、是も水五十匁より、五十五匁入(る)ほどなる盞を用ゆ。是又、盞の重を除きて、水の重さなり。利湯は、一服に水一盞入(り)、七分に煎じ、二三度に用ゆ。かすはすつべし。補湯には、水一盞半を用て、七分に煎じ、度々に熱服す。是又、かすはすつべし。或(は)かすにも水一盞入(れ)、半盞に煎じつめて用ゆべし。
[721]
中華の法、父母の喪は必(ず)三年、是天下古今の通法なり。日本の人は体気、腸胃、薄弱なり。此故に、古法に、朝廷より期の喪を定め給ふ。三年の喪は二十七月也。期の喪は十二月なり。是日本の人の、禀賦(ひんぷ)の薄弱なるにより、其宜を考へて、性にしたがへる中道なるべし。然るに近世の儒者、日本の土宜をしらず、古法にかゝはりて、三年の喪を行へる人、多くは病して死せり。喪にたへざるは、古人是を不孝とす。是によつて思ふに、薬を用るも亦同じ。国土の宜をはかり考へて、中夏の薬剤の半(なかば)を一服と定めば宜しかるべし。然らば、一服は、一匁より二匁に至りて、其内、人の強弱、病の軽重によりて多少あるべし。凡(およそ)時宜をしらず、法にかゝはるは、愚人のする事なり。俗流にしたがひて、道理を忘るゝは小人(しょうじん)のわざなり。
[722]
右、薬一服の分量の大小、用水の多少を定むる事、予、医生にあらずして好事の誚(そしり)、僣率(せんそつ)の罪、のがれたしといへども、今時(こんじ)、本邦の人の禀賦(ひんぷ)をはかるに、おそらくは、かくの如(ごとく)にして宜しかるべし。願くば有識の人、博く古今を考へ、日本の人の生れ付(つき)に応じ、時宜にかなひて、過不及の差(たがい)なく、軽重大小を定め給ふべし。
[723]
煎薬に加ふる四味あり。甘草(かんぞう)は、薬毒をけし、脾胃を補なふ。生姜(しょうきょう)は薬力をめぐらし、胃を開く。棗(なつめ)は元気を補ひ、胃をます。葱白(そうはく)は風寒を発散す。是入門にいへり。又、燈心草(とうしんそう)は、小便を通じ、腫気を消す。
[724]
今世、医家に泡薬(ひたしやく)の法あり。薬剤を煎ぜずして、沸湯(ふっとう)にひたすなり。世俗に用る振薬(ふりやく)にはあらず。此法、振薬にまされり。其法、薬剤を細(こまか)にきざみ、細なる竹篩(たけふるい)にてふるひ、もれざるをば、又、細にきざみ粗末とすべし。布の薬袋をひろくして薬を入れ、まづ碗を熱湯にてあたゝめ、その湯はすて、やがて薬袋を碗に入(れ)、其上より沸湯を少(し)そゝぎ、薬袋を打返して、又、其上より沸湯を少(し)そゝぐ。両度に合せて半盞(はんさん)ほど熱湯をそゝぐべし。薬の液(しる)の自然(じねん)に出るに任せて、振出すべからず。早く蓋をして、しばし置べし。久しくふたをしおけば、薬汁(やくじゅう)出過(ぎ)てちからなし。薬汁出で、熱湯の少(し)さめて温(か)になりたるよきかんの時、飲(む)べし。かくの如くして二度泡(ひた)し、二度のみて後、其かすはすつべし。袋のかすをしぼるべからず。薬汁濁(にごり)てあしし。此法薬力つよし。利薬には、此煎法も宜し。外邪、食傷(しょくしょう)、腹痛、霍乱(かくらん)などの病には、煎湯よりも此法の功するどなり、用ゆべし。振薬(ふりやく)は用ゆべからず。此法、薬汁早く出(で)て薬力つよし。たとへば、茶を沸湯に浸して、其にえばなをのめば、其気つよく味もよし。久しく煎じ過せば、茶の味も気もあしくなるが如し。
[725]
世俗には、振薬(ふりやく)とて、薬を袋に入て熱湯につけて、箸にてはさみ、しきりにふりうごかし、薬汁を出して服す。是は、自然に薬汁出(いず)るにあらず。しきりにふり出す故、薬湯にごり、薬力滞(とどこおり)やすし。補薬は、常の煎法の如く、煎じ熟すべし。泡薬に宜からず。凡(そ)煎薬を入る袋は、あらき布はあしゝ。薬末もりて薬汁にごれば、滞りやすし。もろこしの書にて、泡薬の事いまだ見ずといへども、今の時宜によりて、用るも可也。古法にあらずしても、時宜よくかなはゞ用ゆべし。
[726]
頤生微論(いせいびろん)に曰、「大抵散利の剤は生に宜(し)。補養の剤は熱に宜(し)」。入門に曰、「補湯は熟を用須。利薬は生を嫌はず」。此法、薬を煎ずる要訣(けつ)なり。補湯は、久しく煎じて熟すれば、やはらかにして能(よく)補ふ。利薬は、生気のつよきを用て、はげしく病邪をうつべし。
[727]
補湯は、煎湯熱き時、少づゝのめばつかえず。ゆるやかに験(げん)を得べし。一時に多く服すべからず。補湯を服する間、殊(に)酒食を過(すご)さず、一切の停滞する物くらふべからず。酒食滞塞(たいそく)し、或(あるいは)薬を服し過し、薬力めぐらざれば、気をふさぎ、服中滞り、食を妨げて病をます。しるしなくして害あり。故に補薬を用る事、その節制むづかし。良医は、用(い)やう能(よく)してなづまず。庸医は用やうあしくして滞る。古人は、補薬を用るその間に、邪をさる薬を兼(ね)用(もち)ゆ。邪気されば、補薬にちからあり。補に専一なれば、なづみて益なく、かへつて害あり。是古人の説なり。
[728]
利薬は、大服にして、武火(つよび)にて早く煎じ、多くのみて、速に効(しるし)をとるべし。然らざれば、邪去がたし。局方に曰、補薬は水を多くして煎じ、熱服して効をとる。
[729]
凡(そ)丸薬は、性尤(も)やはらかに、其功、にぶくしてするどならず。下部(げぶ)に達する薬、又、腸胃の積滞(しゃくたい)をやぶるによし。散薬は、細末せる粉薬也。丸薬よりするどなり。経絡にはめぐりがたし。上部の病、又、腸胃の間の病によし。煎湯は散薬より其功するどなり。上中下、腸胃、経絡にめぐる。泡(ひたし)薬は煎湯より猶(なお)するどなり。外邪、霍乱、食傷、腹痛に用(う)べし。其功早し。
[730]
入門にいへるは、薬を服するに、病、上部にあるには、食後に少づゝ服す。一時に多くのむべからず。病、中部に在(る)には、食遠に服す。病、下部にあるには、空心にしきりに多く服して下に達すべし。病、四肢、血脈にあるには、食にうゑて日中に宜し。病、骨髄に在には食後夜に宜し。吐逆(とぎゃく)して薬を納(め)がたきには、只一すくひ、少づゝ、しづかにのむべし。急に多くのむべからず。是薬を飲法也。しらずんば有(る)べからず。
[731]
又曰、薬を煎ずるに砂かん(しゃかん)(731)を用ゆべし。やきものなべ也。又曰、人をゑらぶべし。云意(いうこころ)は、心謹信なる人に煎じさせてよしと也。粗率(そそつ)なる者に任すべからず。
[732]
薬を服するに、五臓四肢に達するには湯(とう)を用ゆ。胃中にとゞめんとせば、散を用ゆ。下部の病には丸(がん)に宜し。急速の病ならば、湯を用ゆ。緩々なるには散を用ゆ。甚(だ)緩(ゆる)き症には、丸薬に宜し。食傷、腹痛などの急病には煎湯を用ゆ。散薬も可也。丸薬はにぶし。もし用ひば、こまかにかみくだきて用ゆべし。
[733]
中華の書に、薬剤の量数をしるせるを見るに、八解散など、毎服二匁、水一盞(さん)、生薑(しょうきょう)三片、棗(なつめ)一枚煎じて七分にいたる。是は一日夜に二三服も用ゆべし。或は方によりて、毎服三匁、水一盞(さん)半、生薑(しょうきょう)五片、棗一枚、一盞に煎じて滓(かす)を去る。香蘇散(こうそさん)などは、日に三服といへり。まれには滓(かす)を一服として煎ずと云。多くは滓(かす)を去(さる)といへり。人参養胃湯(にんじんよういとう)などは、毎服四匁、水一盞半、薑(きょう)七片、烏梅(うばい)一箇、煎じて七分にいたり、滓を去。参蘇飲(じんそいん)は毎服四匁、水一盞、生薑七片、棗一箇、六分に煎ず。霍香生気散(かつこうしょうきさん)、敗毒散(はいどくさん)は、毎服二匁、水一盞、生薑(しょうが)三片、棗一枚、七分に煎ず。寒多きは熱服し、熱多きは温服(おんぷく)すといへり。是皆、薬剤一服の分量は多く、水を用る事すくなし。然れば、煎湯甚(だ)濃(く)なるべし。日本の煎法の、小服にして水多きに甚(だ)異(かわ)れり。局方に、小児には半餞を用ゆも児の大小をはかつて加減すといへり。又、小児の薬方、毎服一匁、水八分、煎じて六分にいたる、といへるもあり。医書大全、四君子湯方(ほう)後(のちに)曰、「右きざむこと(7/33)麻豆の大(の)如(し)。毎服一匁、水三盞、生薑五片、煎じて一盞に至る。是一服を十匁に合せたる也」。水は甚(だ)少し。
[734]
中夏の煎法(せんぽう)右の如し。朝鮮人に尋ねしにも、中夏の煎法と同じと云。
[735]
宋の沈存中(しんぞんちゅう)が筆談と云書に曰、近世は湯を用ずして煮散を用ゆといへり。然れば、中夏には、此法を用るなるべし。煮散の事、筆談に其法詳(つまびらか)ならず。煮散は薬を麁末(そまつ)とし、細布の薬袋のひろきに入(れ)、熱湯の沸上(わきあが)る時、薬袋を入、しばらく煮て、薬汁出たる時、早く取り上げ用(い)るなるべし。麁末の散薬を煎ずる故、煮散と名づけしにや。薬汁早く出(で)、早く取上げ、にゑばなを服する故、薬力つよし。煎じ過せば、薬力よはく成てしるしなり。此法、利湯を煎じて、薬力つよかるべし。補薬には此法用いがたし。煮散の法、他書においてはいまだ見ず。
[736]
甘草(かんぞう)をも、今の俗医、中夏の十分一用ゆるは、あまり小にして、他薬の助(たすけ)となりがたかるべし。せめて方書に用たる分量の五分一用べしと云人あり。此言、むべなるかな。人の禀賦(ひんぷ)をはかり、病症を考へて、加へ用ゆべし。日本の人は、中華の人より体気薄弱にして、純補(じゅんぽ)をうけがたし。甘草、棗など斟酌(しんしゃく)すべし。李中梓(りちゅうし)が曰、甘草性緩なり。多く用ゆべからず。一は、甘きは、よく脹(ちょう)をなすをおそる。一は、薬餌(やくじ)功なきをおそる。是甘草多ければ、一は気をふさぎて、つかえやすく、一は、薬力よはくなる故なり。
[737]
生薑(しょうきょう)は薬一服に一片、若し風寒発散の剤、或(は)痰を去る薬には、二片を用ゆべし。皮を去べからず。かわきたるとほしたるは用るべからず。或曰、生薑(しょうきょう)補湯には二分、利湯には三分、嘔吐の症には四分加ふべしと云。是生(なま)なる分量なり。
[738]
棗は、大なるをゑらび用ひてたねを去(り)、一服に半分入用ゆべし。つかえやすき症には去べし。利湯には、棗を用べからず。中華の書には、利湯にも、方によりて棗を用ゆ。日本の人には泥(なず)みやすし、加ふべからず。加ふれば、薬力ぬるくなる。中満、食滞の症及(び)薬のつかえやすき人には、棗を加ふべからず。龍眼肉も、つかえやすき症には去べし。
[739]
中夏の書、居家必用(きょかひつよう)、居家必備(きょかひつび)、斉民要術(せいみんようじゅつ)、農政全書、月令広義(がつりょうこうぎ)等に、料理の法を多くのせたり。其のする所、日本の料理に大いにかはり、皆、肥濃膏腴(ひのうこうゆ)、油膩(ゆに)の具、甘美の饌(せん)なり。其食味甚(だ)おもし。中土の人は、腸胃厚く、禀賦(ひんぷ)つよき故に、かゝる重味を食しても滞塞せず。今世、長崎に来る中夏人も、亦此如と云。日本の人は壮盛(そうせい)にても、かたうの饌食をくらはば飽満し、滞塞して病おこるべし。日本の人の饌食は、淡くしてかろきをよしとす。肥濃甘美の味を多く用ず。庖人の術も、味かろきをよしとし、良工とす。これ、からやまと風気の大に異る処なり。然れば、補薬を小服にし、甘草を減じ、棗を少、用る事むべなり。
[740]
凡(そ)薬を煎ずるに、水をゑらぶべし。清くして味よきを用ゆ。新に汲む水を用ゆべし。早天に汲む水を井華水と云。薬を煎ずべし。又、茶と羹(あつもの)をにるべし。新汲水は、平旦ならでも、新に汲んでいまだ器に入ざるを云。是亦用ゆべし。汲で器に入、久しくなるは用ゆべからず。
[741]
今世の俗は、利湯をも、煎じたるかすに、水一盞入て半分に煎じ、別にせんじたると合せ服す。利湯は、かくの如く、かすまで熟し過しては、薬力よはくして、病をせむるにちからなし。一度煎じて、其かすはすつべし。
[742]
生薑(しょうきょう)を片とするは、生薑根(こん)には肢(また)多し。其内一肢(また)をたてに長くわるに、大小にしたがひて、三片或(は)四片とすべし。たてにわるべし。或(は)問、生薑(しょうきょう)、医書に其おもさ幾分と云ずして、幾片と云は何ぞや。答曰、新にほり出せるは、生にしておもく、ほり出して日をいたるは、かはきてかろければ、其重さ幾分と定(さだめ)がたし。故に幾分と云ずして幾片と云。
[743]
棗は、樹頭に在(り)てよく熟し、色の青きが白くなり、少(し)紅まじる時とるべし。青きはいまだ熟せず、皆、紅なるは熟し過て、肉たゞれてあしゝ。色少あかくなり、熟し過ざる時とり、日に久しくほし、よくかはきたる時、むしてほすべし。生にてむすべからず。なまびもあしゝ。薬舗(くすりや)及(び)市廛(てん)にうるは、未熟なるをほしてうる故に性あしゝ。用ゆべからず。或(は)樹上にて熟し過るもたゞれてあしゝ。用ゆべからず。棗樹は、わが宅に必(ず)植べし。熟してよき比(ころ)の時とるべし。
[744]
凡(そ)薬を服して後、久しく飲食すべからず。又、薬力のいまだめぐらざる内に、酒食をいむ。又、薬をのんでねむり臥すべからず。ねむれば薬力めぐらず、滞(とどこお)りて害となる。必(ず)戒むべし。
[745]
凡(そ)薬を服する時は、朝夕の食、常よりも殊につゝしみゑらぶべし。あぶら多き魚、鳥、獣、なます、さしみ、すし、肉(しし)ひしほ、なし物、なまぐさき物、ねばき物、かたき物、一切の生冷の物、生菜の熟せざる物、ふるくけがらはしき物、色あしく臭(か)あしく味変じたる物、生なる菓(このみ)、つくりたる菓子、あめ、砂糖、もち、だんご、気をふさぐ物、消化しがたき物、くらふべからず。又、薬をのむ日は、酒を多くのむべからず。のまざるは尤(もっとも)よし。酒力、薬にかてばしるしなし。醴(あまざけ)ものむべからず。日長き時も、昼の間、菓子点心(てんじん)などくらふべからず。薬力のめぐる間は、食をいむべし。点心をくらへば、気をふさぎて、昼の間、薬力めぐらず。又、死人、産婦など、けがれいむべき物を見れば、気をふさぐ故、薬力めぐりがたく、滞やすくして、薬のしるしなし。いましめてみるべからず。
[746]
補薬を煎ずるには、かたき木、かたき炭などのつよき火を用ゆべからず。かれたる蘆(あし)の火、枯竹、桑柴(くわしば)の火、或(は)けし炭(ずみ)など、一切のやはらかなる火よし。はげしくもゆる火を用ゆれば、薬力を損ず。利薬を煎ずるには、かたき木、かたき炭などの、さかんなるつよき火を用ゆべし。是薬力をたすくるなり。
[747]
薬一服の大小、軽重は、病症により、人の大小強弱によつて、増減すべし。補湯は、小剤にして少づゝ服し、おそく効(しるし)をとるべし。多く用ひ過せば、滞りふさがる。発散、瀉下(しゃげ)、疎通の利湯は、大剤にしてつよきに宜し、早く効(しるし)をとるべし。
[748]
薬を煎ずるは、磁器よし、陶(やきもの)器也。又、砂罐(しゃかん)と云。銅をいまざる薬は、ふるき銅器もよし。新しきは銅(あかがね)気多くしてあしゝ。世俗に薬鍋(やくか)と云は、銅厚くして銅(あかがね)気多し。薬罐(やかん)と云は、銅うすくして銅(あかがね)気すくなし。形小なるがよし。
[749]
利薬を久しく煎じつめては、消導(しょうどう)発散すべき生気の力なし。煎じつめずして、にん(320:にえばな)を失はざる生気あるを服して、病をせむべし。たとへば、茶をせんじ、生魚を煮、豆腐を煮るが如し。生熟の間、よき程のにえばな(320)を失はざれば、味よくしてつかえず。にん(320)を失へば、味あしくして、つかえやすきが如し。
[750]
毒にあたりて、薬を用るに、必(かならず)熱湯を用ゆべからず。熱湯を用ゆれば毒弥(いよいよ)甚し。冷水を用ゆべし。これ事林広記(じりんこうき)の説なり。しらずんばあるべからず。
[751]
食物の毒、一切の毒にあたりたるに、黒豆、甘草(かんぞう)をこく煎じ、冷になりたる時、しきりにのむべし。温熱なるをのむべからず。はちく竹の葉を、加ふるもよし。もし毒をけす薬なくば、冷水を多く飲べし。多く吐瀉(としゃ)すればよし。是古人急に備ふる法なり。知(しる)べし。
[752]
酒を煎湯に加ふるには、薬を煎じて後、あげんとする時加ふべし。早く加ふるあしゝ。
[753]
腎は、水を主(つかさ)どる。五臓六腑の精をうけてをさむ故、五臓盛(さかん)なれば、腎水盛なり。腎の臓ひとつに、精あるに非ず。然れば、腎を補はんとて専(もっぱら)腎薬を用ゆべからず。腎は下部にあつて五臓六腑の根とす。腎気、虚すれば一身の根本衰ろふ。故に、養生の道は、腎気をよく保つべし。腎気亡びては生命を保ちがたし。精気をおしまずして、薬治と食治とを以(もって)、腎を補はんとするは末なり。しるしなかるべし。
[754]
東垣が曰く、細末の薬は経絡にめぐらず。只、胃中臓腑の積(しゃく)を去る。下部の病には、大丸を用ゆ。中焦(ちゅうしょう)の病は之に次ぐ。上焦を治するには極めて小丸にす。うすき糊(のり)にて丸(がん)ずるは、化しやすきに取る。こき糊にて丸ずるは、おそく化して、中下焦に至る。
[755]
丸薬、上焦の病には、細にしてやはらかに早く化しやすきがよし。中焦の薬は小丸(しょうがん)にして堅かるべし。下焦の薬は大丸にして堅きがよし。是、頤生微論(いせいびろん)の説也。又、湯は久き病に用ゆ。散は急なる病に用ゆ。丸(がん)はゆるやかなる病に用る事、東垣(とうえん)が珍珠嚢(ちんしゅのう)に見えたり。
[756]
中夏の秤(はかり)も、日本の秤と同じ。薬を合(あわ)するには、かねて一服の分量を定め、各品の分釐(ぶんり)をきはめ、釐等(りんだめ)を用ひてかけ合すべし。薬により軽重甚(だ)かはれり、多少を以(て)分量を定めがたし。
[757]
諸香(こう)の鼻を養ふ事、五味の口を養ふがごとし。諸香は、是をかげば生気をたすけ、邪気をはらひ、悪臭をけし、けがれをさり、神明に通ず。いとまありて、静室に坐して、香をたきて黙坐するは、雅趣をたすけて心を養ふべし。是亦、養生の一端なり。香に四品あり。たき香あり、掛香あり、食香あり、貼(つけ)香あり。たき香とは、あはせたきものゝ事也。からの書に百和香(ひやつかこう)と云。日本にも、古今和歌集の物の名に百和香をよめり。かけ香とは、かほり袋、にほひの玉などを云。貼香とは、花の露、兵部卿など云類の、身につくる香也。食香とは、食して香よき物、透頂香(とうちんこう)、香茶餅(こうさべい)、団茶(だんさ)など云物の事也。
[758]
悪気をさるに、蒼朮(そうじゅつ)をたくべし。こすい(441:ちぐさ)の実をたけば、邪気をはらふ。又、痘瘡のけがれをさる。蘿も(343:こえんどろ)の葉をほしてたけば、糞小便の悪気をはらふ。手のけがれたるにも蘿も(343)の生葉をもんでぬるべし。腥(なまぐさ)き臭(におい)あしき物を、食したるに、こすい(441)をくらへば悪臭さる。蘿も(343)のわか葉を煮て食すれば、味よく性よし。
[759]
大便、瀉(しや)しやすきは大いにあしし。少(し)秘するはよし。老人の秘結するは寿(ながいき)のしるし也。尤(も)よし。然(れ)共、甚秘結するはあしし。およそ人の脾胃につかえ、食滞り、或(は)腹痛し、不食し、気塞(ふさが)る病する人、世に多し。是多くは、大便通じがたくして、滞る故しかり。つかゆるは、大便つかゆる也。大便滞らざるやうに治(じ)すべし。麻仁(まにん)、杏仁(きょうにん)、胡麻などつねに食すれば、腸胃うるほひて便結せず。
[760]
上中部の丸薬は早く消化するをよしとす。故に、小丸を用ゆ。早く消化する故也。今、新なる一法あり。用ゆべし。末薬をのりに和(か)してつねの如くに丸せず、線香の如く、長さ七八寸に、手にてもみて、引のべ、線香より少(し)大にして、日にほし、なまびの時、長さ一分余に、みじかく切て丸せず、其まゝ日にほすべし。是一づゝ丸したるより消化しやすし。上中部を治するに、此法宜し。下部に達する丸薬には、此法宜しからず。此法、一粒づゝ丸ずるより、はか行きて早く成る。
巻第八 老を養ふ
[801]
人の子となりては、其おやを養ふ道をしらずんばあるべからず。其心を楽しましめ、其心にそむかず、いからしめず、うれへしめず。其時の寒暑にしたがひ、其居室と其祢所(そのねどころ)をやすくし、其飲食を味よくして、まことを以て養ふべし。
[802]
老人は、体気おとろへ、胃腸よはし。つねに小児を養ふごとく、心を用ゆべし。飲食のこのみ、きらひをたづね、其寒温の宜きをこゝろみ、居室をいさぎよくし、風雨をふせぎ、冬あたゝかに、夏涼しくし、風・寒・暑・湿の邪気をよく防ぎて、おかさしめず、つねに心を安楽ならしむべし。盗賊・水火の不意なる変災あらば、先(まず)両親を驚かしめず、早く介保(かいほう)し出(いだ)すべし。変にあひて、病おこらざるやうに、心づかひ有べし。老人は、驚けば病おこる。おそるべし。
[803]
老の身は、余命久しからざる事を思ひ、心を用る事わかき時にかはるべし。心しづかに、事すくなくて、人に交はる事もまれならんこそ、あひ似あひてよろしかるべけれ。是も亦、老人の気を養ふ道なり。
[804]
老後は、わかき時より月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、あだに、日をくらすべからず。つねに時日をおしむべし。心しづかに、従容(しょうよう)として余日を楽み、いかりなく、慾すくなくして、残躯をやしなふべし。老後一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。老後の一日、千金にあたるべし。人の子たる者、是を心にかけて思はざるべんけや。
[805]
今の世、老て子に養はるゝ人、わかき時より、かへつていかり多く、慾ふかくなりて、子をせめ、人をとがめて、晩節をもたず、心をみだす人多し。つゝしみて、いかりと慾とをこらえ、晩節をたもち、物ごとに堪忍ふかく、子の不孝をせめず、つねに楽しみて残年をおくるべし。是老後の境界(きょうがい)に相応じてよし。孔子、年老血気衰へては得るを戒しめ給ふ。聖人の言おそるべし。世俗、わかき時は頗(すこぶる)つゝしむ人あり。老後はかへつて、多慾にして、いかりうらみ多く、晩節をうしなうふ人多し。つゝしむべし。子としては是を思ひ、父母のいかりおこらざるやうに、かねて思ひはかり、おそれつゝしむべし。父母をいからしむるは、子の大不孝也。又子として、わが身の不孝なるを、おやにとがめられ、かへつておやの老耄(ろうもう)したる由を、人につぐ。是大不孝也。不孝にして父母をうらむるは、悪人のならひ也。
[806]
老人の保養は、常に元気をおしみて、へらすべからず。気息を静にして、あらくすべからず。言語(げんぎょ)をゆるやかにして、早くせず。言(ことば)すくなくし、起居行歩をも、しづかにすべし。言語あらゝかに、口ばやく声高く、よう言(ようげん)(806)すべからず。怒なく、うれひなく、過ぎ去たる人の過を、とがむべからず。我が過を、しきりに悔ゆべからず。人の無礼なる横逆を、いかりうらむべからず。是皆、老人養生の道なり。又、老人の徳行のつゝしみなり。
[807]
老ては気すくなし。気をへらす事をいむべし。第一、いかるべからず。うれひ、かなしみ、なき、なげくべからず。喪葬の事にあづからしむべからず。死をとぶらふべからず。思ひを過すべからず。尤多言をいむ。口、はやく物云べからず。高く物いひ、高くわらひ、高くうたふべからず。道を遠く行くべからず。重き物をあぐべからず。是皆、気をへらさずして、気をおしむなり。
[808]
老人は体気よはし。是を養ふは大事なり。子たる者、つゝしんで心を用ひ、おろそかにすべからず。第一、心にそむかず、心を楽しましむべし。是志を養ふ也。又、口腹の養におろそかなるべからず。酒食精(くわ)しく味よき物をすゝむべし。食の精(くわ)しからざる、あらき物、味あしき物、性あしき物をすゝむべからず。老人は、胃腸よはし、あらき物にやぶられやすし。
[809]
衰老の人は、脾胃よはし。夏月は、尤慎んで保養すべし。暑熱によつて、生冷の物をくらへば泄瀉(せつしゃ)しやすし。瘧痢(ぎゃくり)もおそるべし。一たび病すれば、大(い)にやぶれて元気へる。残暑の時、殊におそるべし。又、寒月は、老人は陽気すくなくして寒邪にやぶられやすし。心を用てふせぐべし。
[810]
老人はことに生冷、こはき物、あぶらけねばく、滞りやすき物、こがれてかはける物、ふるき物、くさき物をいむ。五味偏なる物、味よしとても、多く食ふべからず。夜食を、殊に心を用てつゝしむべし。
[811]
年老ては、さびしきをきらふ。子たる者、時々侍べり、古今の事、しずかに物がたりして、親の心をなぐさむべし。もし朋友妻子には和順にして、久しく対談する事をよろこび、父母に対する事をむづかしく思ひて、たえだえにしてうとくするは、是其親を愛せずして他人を愛する也。悖徳(はいとく)と云べし。不孝の至也。おろかなるかな。
[812]
天気和暖(かだん)の日は、園圃(えんぼ)に出、高き所に上り、心をひろく遊ばしめ、欝滞(うつたい)を開くべし。時時草木を愛し、遊賞せしめて、其意(こころ)を快くすべし。されども、老人みづからは、園囿(えんゆう)、花木に心を用ひ過して、心を労すべからず。
[813]
老人は気よはし。万(よろず)の事、用心ふかくすべし。すでに其事にのぞみても、わが身をかへりみて、気力の及びがたき事は、なすべからず。
[814]
とし下寿(かじゅ)をこゑ、七そぢにいたりては、一とせをこゆるも、いとかたき事になん。此ころにいたりては、一とせの間にも、気体のおとろへ、時々に変りゆく事、わかき時、数年を過るよりも、猶はなはだけぢめあらはなり。かくおとろへゆく老の身なれば、よくやしなはずんば、よはひを久しくたもちがたかるべし。又、此としごろにいたりては、一とせをふる事、わかき時、一二月を過るよりもはやし。おほからぬ余命をもちて、かく年月早くたちぬれば、此後のよはひ、いく程もなからん事を思ふべし。人の子たらん者、此時、心を用ひずして孝をつくさず、むなしく過なん事、おろかなるかな。
[815]
老ての後は、一日を以て十日として日々に楽しむべし。常に日をおしみて、一日もあだにくらすべからず。世のなかの人のありさま、わが心にかなはずとも、凡人なれば、さこそあらめ、と思ひて、わが子弟をはじめ、人の過悪を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。いかり、うらむべからず。又、わが身不幸にして福うすく、人われに対して横逆なるも、うき世のならひ、かくこそあらめ、と思いひ、天命をやすんじて、うれふべからず。つねに楽しみて日を送るべし。人をうらみ、いかり、身をうれひなげきて、心をくるしめ、楽しまずして、むなしく過ぬるは、愚かなりと云べし。たとひ家まどしく、幸(さいわい)なくしても、うへて死ぬとも、死ぬる時までは、楽しみて過すべし。貧しきとて、人にむさぼりもとめ、不義にして命をおしむべからず。
[816]
年老ては、やうやく事をはぶきて、すくなくすべし。事をこのみて、おほくすべからず。このむ事しげゝれば、事多し。事多ければ、心気つかれて楽(たのしみ)をうしなふ。
[817]
朱子六十八歳、其子に与ふる書に、衰病の人、多くは飲食過度によりて、くはゝる。殊に肉多く食するは害あり。朝夕、肉は只一種、少食すべし。多くは食ふべからず。あつものに肉あらば、さい(306)に肉なきがよし。晩食には、肉なきが尤(も)よし。肉の数、多く重ぬるは滞りて害あり。肉をすくなくするは、一には胃を寛くして、気を養ひ、一には用を節にして、財を養ふといへり。朱子の此言、養生にせつなり。わかき人も此如すべし。
[818]
老人は、大風雨、大寒暑、大陰霧の時に外に出(いず)べからず。かゝる時は、内に居て、外邪をさけて静養すべし。
[819]
老ては、脾胃の気衰へよはくなる。食すくなきに宜し。多食するは危し。老人の頓死するは、十に九は皆食傷なり。わかくして、脾胃つよき時にならひて、食過れば、消化しがたく、元気ふさがり、病おこりて死す。つゝしみて、食を過すべからず。ねばき飯(いい)、こはき飯、もち、だんご、( めん )類、糯(もち)の飯、獣の肉、凡(およそ)消化しがたき物を多くくらふべからず。
[820]
衰老の人、あらき物、多くくらふべからず。精(くわ)しき物を少くらふべしと、元の許衡(きょこう)いへり。脾胃よはき故也。老人の食、此如なるべし。
[821]
老人病あらば、先(まず)食治(しょくち)すべし。食治応ぜずして後、薬治を用ゆべし。是古人の説也。人参、黄ぎ(おうぎ)は上薬也。虚損の病ある時は用ゆべし。病なき時は、穀肉の養(やしない)の益ある事、参ぎ(115)の補に甚(はなはだ)まされり。故に、老人はつねに味美(よ)く、性よき食物を少づゝ用て補養すべし。病なきに、偏なる薬をもちゆべからず。かへつて害あり。
[822]
朝夕の飯、常の如く食して、其上に又、こう(311)餌(もちだんご)、めん(822)類など、わかき時の如く、多くくらふべからず。やぶられやすし。只、朝夕二時の食、味よくして進むべし。昼間、夜中、不時の食、このむべからず。やぶられやすし。殊(ことに)薬をのむ時、不時に食すべからず。
[823]
年老ては、わが心の楽(たのしみ)の外、万端、心にさしはさむべからず。時にしたがひ、自楽しむべし。自楽むは世俗の楽に非(あら)ず。只、心にもとよりある楽を楽しみ、胸中に一物一事のわづらひなく、天地四時、山川の好景、草木の欣栄(きんえい)、是又、楽しむべし。
[824]
老後、官職なき人は、つねに、只わが心と身を養ふ工夫を専(もっぱら)にすべし。老境に無益のつとめのわざと、芸術に、心を労し、気力をついやすべからず。
[825]
朝は、静室に安坐し、香をたきて、聖経(せいきょう)を少(し)読誦(どくじゅ)し、心をいさぎよくし、俗慮をやむべし。道かはき、風なくば、庭圃(ていほ)に出て、従容(しょうよう)として緩歩(かんぽ)し、草木を愛玩し、時景を感賞すべし。室に帰りても、閑人を以薬事をなすべし。よりより几案硯中(きあんけんちゅう)のほこりをはらひ、席上階下の塵を掃除すべし。しばしば兀坐して、睡臥すべからず。又、世俗に広く交るべからず。老人に宜しからず。
[826]
つねに静養すべし。あらき所作をなくすべからず。老人は、少の労動により、少の、やぶれ、つかれ、うれひによりて、たちまち大病おこり、死にいたる事あり。つねに心を用ゆべし。
[827]
老人は、つねに盤坐(ばんざ)して、凭几(しょうぎ)をうしろにおきて、よりかゝり坐すべし。平臥を好むべからず。
幼を育ふ
[828]
小児をそだつるは、三分の飢と寒とを存すべしと、古人いへり。いふ意(こころ)は、小児はすこし、うやし(飢)、少(し)ひやすべしとなり。小児にかぎらず、大人も亦かくの如くすべし。小児に、味よき食に、あかしめ(飽)、きぬ多くきせて、あたゝめ過すは、大にわざはひとなる。俗人と婦人は、理にくらくして、子を養ふ道をしらず、只、あくまでうまき物をくはせ、きぬあつくきせ、あたゝめ過すゆへ、必病多く、或(あるいは)命短し。貧家の子は、衣食ともしき故、無病にしていのち長し。
[829]
小児は、脾胃もろくしてせばし。故に食にやぶられやすし。つねに病人をたもつごとくにすべし。小児は、陽さかんにして熱多し。つねに熱をおそれて、熱をもらすべし。あたため過せば筋骨よはし。天気よき時は、外に出して、風日にあたらしむべし。此如すれば、身堅固にして病なし。はだにきする服は、ふるき布を用ゆ。新しききぬ、新しきわたは、あたゝめ過してあしゝ。用ゆべからず。
[830]
小児を保養する法は、香月牛山医士のあらはせる育草(やしないぐさ)に詳(つまびらか)に記せり。考みるべし。故に今こゝに略せり。
鍼
[831]
鍼をさす事はいかん。曰く、鍼をさすは、血気の滞をめぐらし、腹中の積(しゃく)をちらし、手足の頑痺(がんひ)をのぞく。外に気をもらし、内に気をめぐらし、上下左右に気を導く。積滞(しゃくたい)、腹痛などの急症に用て、消導(しょうどう)する事、薬と灸より速(か)なり。積滞なきにさせば、元気をへらす。故に正伝或問に、鍼に瀉(しゃ)あつて補なしといへり。然れども、鍼をさして滞を瀉し、気めぐりて塞らざれば、其あとは、食補も薬補もなしやすし。内経(ないけい)に、かく々(831:かくかく)の熱を刺すことなかれ。渾々の脈を刺(す)事なかれ。鹿々(ろくろく)の汗を刺事なかれ。大労の人を刺事なかれ。大飢の人をさす事なかれ。大渇の人、新に飽る人、大驚の人を刺事なかれ、といへり。又曰、形気不足、病気不足の人を刺事なかれ、是、内経の戒(いましめ)なり。是皆、瀉有て、補無きを謂也。と正伝にいへり。又、浴(ゆあみ)して後、即時に鍼すべからず。酒に酔へる人に鍼すべからず。食に飽て即時に鍼さすべからず。針医も、病人も、右、内経の禁をしりて守るべし。鍼を用て、利ある事も、害する事も、薬と灸より速なり。よく其利害をえらぶべし。つよく刺て痛み甚しきはあしゝ。又、右にいへる禁戒を犯せば、気へり、気のぼり、気うごく、はやく病を去んとして、かへつて病くはゝる。是よくせんとして、あしくなる也。つゝしむべし。
[832]
衰老の人は、薬治、鍼灸、導引、按摩を行ふにも、にはかにいやさんとして、あらくすべからず。あらくするは、是即効を求むる也。たちまち禍となる事あり。若(もし)当時快しとても後の害となる。
灸法
[833]
人の身に灸をするは、いかなる故ぞや。曰く、人の身のいけるは、天地の元気をうけて本(もと)とす。元気は陽気なり。陽気はあたゝかにして火に属す。陽気は、よく万物を生ず。陰血も亦元気より生ず。元気不足し、欝滞してめぐらざれば、気へりて病生ず。血も亦へる。然る故、火気をかりて、陽をたすけ、元気を補へば、陽気発生してつよくなり、脾胃調ひ、食すゝみ、気血めぐり、飲食滞塞せずして、陰邪の気さる。是灸のちからにて、陽をたすけ、気血をさかんにして、病をいやすの理なるべし。
[834]
艾草(もぐさ)とは、もえくさの略語也。三月三日、五月五日にとる。然共(しかれども)、長きはあし故に、三月三日尤(もっとも)よし。うるはしきをゑらび、一葉づゝつみとりて、ひろき器(うつわもの)に入、一日、日にほして、後ひろくあさき器に入、ひろげ、かげぼしにすべし。数日の後、よくかはきたる時、又しばし日にほして早く取入れ、あたゝかなる内に、臼にてよくつきて、葉のくだけてくずとなれるを、ふるひにてふるひすて、白くなりたるを壷か箱に入、或袋に入おさめ置て用べし。又、かはきたる葉を袋に入置、用る時、臼にてつくもよし。くきともにあみて、のきにつり置べからず。性よはくなる。用ゆべからず。三年以上、久しきを、用ゆべし。用て灸する時、あぶり、かはかすべし。灸にちからありて、火もゑやすし。しめりたるは功なし。
[835]
昔より近江の胆吹山(いぶきやま)下野の標芽(しめじ)が原を艾草の名産とし、今も多く切てうる。古歌にも、此両処のもぐさをよめり。名所の産なりとも、取時過て、のび過たるは用ひがたし。他所の産も、地よくして葉うるはしくば、用ゆべし。
[836]
艾ちゅう(836)(がいちゅう)の大小は、各其人の強弱によるべし。壮(さかん)なる人は、大なるがよし、壮数も、さかんなる人は、多きによろし。虚弱にやせたる人は、小にして、こらへやすくすべし。多少は所によるべし。熱痛をこらゑがたき人は、多くすべからず。大にしてこらへがたきは、気血をへらし、気をのぼせて、甚害あり。やせて虚怯(きょこう)なる人、灸のはじめ、熱痛をこらへがたきには、艾ちゅう(836)の下に塩水を多く付、或(あるいは)塩のりをつけて五七壮灸し、其後、常の如くすべし。此如すれば、こらへやすし。猶もこらへがたきは、初(はじめ)五六壮は、艾を早く去べし。此如すれば、後の灸こらへやすし。気升(のぼ)る人は一時に多くすべからず。明堂灸経(めいどうきゅうけい)に、頭と四肢とに多く灸すべからずといへり、肌肉うすき故也。又、頭と面上と四肢に灸せば、小きなるに宜し。
[837]
灸に用る火は、水晶を天日にかゞやかし、艾を以下にうけて火を取べし。又、燧(ひうち)を以白石或水晶を打て、火を出すべし。火を取て後、香油を燈(ともしび)に点じて、艾ちゅう(831)に、其燈の火をつくべし。或香油にて、紙燭をともして、灸ちゅう(836)を先(まず)身につけ置て、しそくの火を付くべし。松、栢(かしわ)、枳(きこく)、橘(みかん)、楡(にれ)、棗(なつめ)、桑(くわ)、竹、此八木の火を忌べし。用ゆべからず。
[838]
坐して点せば、坐して灸す。臥して点せば、臥して灸す。上を先に灸し、下を後に灸す。少を先にし、多きを後にすべし。
[839]
灸する時、風寒にあたるべからず。大風、大雨、大雪、陰霧、大暑、大寒、雷電、虹げい(467)、にあはゞ、やめて灸すべからず。天気晴て後、灸すべし。急病はかゝはらず。灸せんとする時、もし大に飽、大に飢、酒に酔、大に怒り、憂ひ、悲み、すべて不祥の時、灸すべからず。房事は灸前三日、灸後七日いむべし。冬至の前五日、後十日、灸すべからず。
[840]
灸後、淡食にして血気和平に流行しやすからしむ。厚味を食(くい)過すべからず。大食すべからず。酒に大に酔べからず。熱(めん)、生冷、冷酒、風を動の物、肉の化しがたき物、くらふべからず。
[841]
灸法、古書には、其大さ、根下三分ならざれば、火気達せずといへり。今世も、元気つよく、肉厚くして、熱痛をよくこらふる人は、大にして壮数も多かるべし。もし元気虚弱、肌肉浅薄(きにくせんぱく)の人は、艾ちゅう(831)を小にして、こらへよくすべし。壮数を半減ずべし。甚熱痛して、堪へがたきをこらゆれば、元気へり、気升(のぼ)り、血気錯乱す。其人の気力に応じ、宜に随(したが)ふべし。灸の数を、幾壮と云は、強壮の人を以て、定めていへる也。然れば、灸経にいへる壮数も、人の強弱により、病の軽重によりて、多少を斟酌すべし。古法にかゝはるべからず。虚弱の人は、灸ちゅう(831)小にしてすくなかるべし。虚人は、一日に一穴、二日に一穴、灸するもよし。一時に多くすべからず。
[842]
灸して後、灸瘡(きゅうそう)発せざれば、其病癒がたし。自然にまかせ、そのまゝにては、人により灸瘡発せず。しかる時は、人事をもつくすべし。虚弱の人は灸瘡発しがたし。古人、灸瘡を発する法多し。赤皮の葱(ひともじ)を三五茎(きょう)青き所を去て、糠のあつき灰中(はいのなか)にてむ(842)し、わりて、灸のあとをしばしば熨(うつ)すべし。又、生麻油を、しきりにつけて発するもあり。又、灸のあとに、一、二壮、灸して発するあり。又、焼鳥、焼魚、熱物を食して発する事あり。今、試るに、熱湯を以しきりに、灸のあとをあたゝむるもよし。
[843]
阿是の穴は、身の中、いずれの処にても、灸穴にかゝはらず、おして見るに、つよく痛む所あり。是その灸すべき穴なり。是を阿是の穴と云。人の居る処の地によりて、深山幽谷の内、山嵐の瘴気、或は、海辺陰湿ふかき処ありて、地気にあてられ、病おこり、もしは死いたる。或疫病、温瘧(おんぎゃく)、流行する時、かねて此穴を、数壮灸して、寒湿をふせぎ、時気に感ずべからず。灸瘡にたえざる程に、時々少づゝ灸すれば、外邪おかさず、但禁灸の穴をばさくべし。一処に多く灸すべからず。
[844]
今の世に、天枢脾兪(てんすうひのゆ)など、一時に多く灸すれば、気升(のぼ)りて、痛忍(こら)へがたきとて、一日一二荘灸して、百壮にいたる人あり。又、三里を、毎日一壮づゝ百日づゝけ灸する人あり。是亦、時気をふせぎ、風を退け、上気を下し、衂(はなぢ)をとめ、眼を明にし、胃気をひらき、食をすゝむ。尤益ありと云。医書において、いまだ此法を見ず。されども、試みて其効(しるし)を得たる人多しと云。
[845]
方術の書に、禁灸の日多し。其日、その穴をいむと云道理分明ならず。内経に、鍼灸の事を多くいへども、禁鍼、禁灸の日をあらはさず。鍼灸聚英(しんきゅうじゅえい)に、人神、尻神(こうしん)の説、後世、術家の言なり。素問難経(そもんなんけい)にいはざる所、何ぞ信ずるに足らんや、といへり。又、曰く、諸の禁忌、たゞ四季の忌む所、素問に合ふに似たり。春は左の脇、夏は右の脇、秋は臍(ほそ)、冬は腰、是也。聚英に言所はかくの如し。まことに禁灸の日多き事、信じがたし。今の人、只、血忌日(ちいみび)と、男子は除の日、女子は破の日をいむ。是亦、いまだ信ずべからずといへ共、しばらく旧説と、時俗にしたがふのみ。凡(およそ)術者の言、逐一に信じがたし。
[846]
千金方に、小児初生に病なきに、かねて針灸すべからず。もし灸すれば癇をなす、といへり。癇は驚風(きょうふう)なり。小児もし病ありて、身柱(ちりけ)、天枢など灸せば、甚いためる時は除去(のぞきさり)て、又、灸すべし。若(もし)熱痛の甚きを、そのまゝにてこらへしむれば、五臓をうごかして驚癇(きょうかん)をうれふ。熱痛甚きを、こらへしむべからず。小児には、小麦の大さにして灸すべし。
[847]
項(うなじ)のあたり、上部に灸すべからず。気のぼる。老人気のぼりては、くせになりてやまず。
[848]
脾胃虚弱にして、食滞りやすく、泄瀉(せつしゃ)しやすき人は、是陽気不足なり。殊に灸治に宜し。火気を以土気を補へば、脾胃の陽気発生し、よくめぐりてさかんになり、食滞らず、食すゝみ、元気ます。毎年二八月に、天枢、水分、脾兪(ひのゆ)、腰眼(ようがん)、三里を灸すべし。京門(けいもん)、章門もかはるがはる灸すべし。脾の兪、胃の兪もかはるがはる灸すべし。天枢は尤しるしあり。脾胃虚し、食滞りやすき人は、毎年二八月、灸すべし。臍中より両旁(りょうぼう)各二寸、又、一寸五分もよし。かはるがはる灸すべし。灸(ちゅう)の多少と大小は、その気力に随ふべし。虚弱の人老衰の人は、灸(ちゅう)小にして、壮数もすくなかるべし。天枢などに灸するに、気虚弱の人は、一日に一穴、二日に一穴、四日に両穴、灸すべし。一時に多くして、熱痛を忍ぶべからず。日数をへて灸してもよし。
[849]
灸すべき所をゑらんで、要穴に灸すべし。みだりに処多く灸せば、気血をへらさん。
[850]
一切の頓死、或夜厭(おそはれ)死したるにも、足の大指の爪の甲の内、爪を去事、韮葉(にらのは)ほど前に、五壮か七壮灸すべし。
[851]
衰老の人は、下部に気すくなく、根本よはくして、気昇りやすし。多く灸すれば、気上りて、下部弥(いよいよ)空虚になり、腰脚よはし。おそるべし。多く灸すべからず。殊に上部と脚に、多く灸すべからず。中部に灸すとも、小にして一日に只一穴、或二穴、一穴に十壮ばかり灸すべし。一たび気のぼりては、老人は下部のひかへよはくして、くせになり、気升る事やみがたし。老人にも、灸にいたまざる人あり。一概に定めがたし。但、かねて用心すべし。
[852]
病者、気よはくして、つねのひねりたる灸ちゅう(831)を、こらへがたき人あり。切艾(きりもぐさ)を用ゆべし。紙をはゞ一寸八分ばかりに、たてにきりて、もぐさを、おもさ各三分に、秤にかけて長くのべ、右の紙にてまき、其はしを、のりにてつけ、日にほし、一ちゅう(831)ごとに長さ各三分に切て、一方はすぐに、一方はかたそぎにし、すぐなる方の下に、あつき紙を切てつけ、日にほして灸ちゅう(831)とし、灸する時、塩のりを、その下に付て灸すれば、熱痛甚しからずして、こらへやすし。灸ちゅう(831)の下にのりを付るに、艾の下にはつけず、まはりの紙の切口に付る。もぐさの下に、のりをつくれば、火下まで、もえず。此きりもぐさは、にはかに熱痛甚しからずして、ひねりもぐさより、こらへやすし。然れ共、ひねり艾より熱する事久しく、きゆる事おそし。そこに徹すべし。
[853]
癰疽(ようそ)及諸瘡腫物(しょそうしゅもつ)の初発に、早く灸すれば、腫(はれ)あがらずして消散す。うむといへ共、毒かろくして、早く癒やすし。項(うなじ)より上に発したるには、直に灸すべからず。三里の気海(きかい)に灸すべし。凡(およそ)腫物(しゅもつ)出て後、七日を過ぎば、灸すべからず。此灸法、三因方以下諸方書に出たり。医に問て灸すべし。
[854]
事林(じりん)広記に、午後に灸すべしと云へり。
養生訓 巻第八終
からだは天地の賜物
原文
人の身は父母を本とし、天地を初とす。
天地父母のめぐみをうけて生れ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。
天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。
現代語訳
人のからだは父母をもととし、天地をはじめとしたものである。
天地・父母の恵みを受けて生まれ、また養われた自分のからだであるから、私のもののようであるが、決して私だけのものではない。
天地の賜物であり、父母が残されたからだであるから、慎んでよく養い、いためたりこわしたりしないで、天寿を長くたもつようにしなければいけない。
人生で一番大事な事
原文
養生の術をまなんで、よくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり。
人身は至りて貴とくおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。
然るにこれを養なふ術をしらず、慾を恣にして、身を亡ぼし命をうしなふこと、愚なる至り也。
身命と私慾との軽重をよくおもんぱかりて、日々に一日を慎しみ、私慾の危(あやうき)をおそるること、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如くならば、命ながくして、ついに殃(わざわい)なかるべし。豈(あに)、楽まざるべけんや。
現代語訳
養生の方法を学んで健康を保つこと、これこそが人生で一番大事な事である。
人のからだはきわめて貴重なもので、全世界(天下四海)の何物にもかえがたいものではないか。
それなのに養生の方法を知らないで、欲をほしいままにして身を滅ぼし、命を失うのはこれ以上愚かな事は無い。
身命と私欲とのどちらが大切かをよく考え、日々の生活を慎み、私欲の危ういことを、深い淵にのぞみ薄い氷をふむように細心の注意をして暮らしていけば、長生きしていつまでも災いをまぬがれるだろう。
そして、人生を楽しもうではないか。
大切な一字
原文
身をたもち生を養ふに、一字の至れる要訣あり。
これを行へば生命を長くたもちて病なし。
おやに孝あり、君に忠あり、家をたもち、身をたもつ、行なふとしてよろしからざる事なし。
その一字なんぞや。
畏(おそるる)の字これなり。
畏るるとは身を守る心法なり。
事ごとに心を小にして気にまかせず、過なからん事を求め、つねに天道をおそれて、つつしみしたがひ、人慾を畏れてつつしみ忍ぶにあり。
これ畏るるは、慎しみにおもむく初なり。
畏るれば、つつしみ生ず。
畏れざれば、つつしみなし。
現代語訳
からだをたもち養生するのに、きわめて大切な一字がある。
これを行えば命を長くたもち病がない。
親に考、君に忠、家をたもち、からだをたもつ。
何をやるにもかなっている。
その一字とは何か。
それは「畏(おそれる)」という字である。
畏れるということは、身を守る心構えである。
すべてに細心の注意を払い、気ままにしないで、過ちのないようにつとめ、いつも天道を畏れ敬い、天道に慎んでしたがい、人間の欲望を畏れ、慎んで我慢することである。
というのは、畏れることは慎みに向かう出発点だからである。
畏れるところから慎みの心がうまれる。
畏れないと慎みもないのである。
三つの楽しみ
原文
およそ人の楽しむべきこと三あり。
一には身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむにあり。
二には身に病なくして、快く楽むにあり。
三には命ながくして、久しくたのしむにあり。
富貴にしても、この三の楽なければ、真の楽なし。
故に富貴はこの三楽の内にあらず。
もし心に善を楽まず、また養生の道をしらずして、身に病多く、そのはては短命なる人は、この三楽を得ず。
人となりてこの三楽を得る計なくんばあるべからず。
この三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。
現代語訳
およそ人間には三つの楽しみがある。
一つ目は道を行い心得ちがいなく善を楽しむこと。
二つ目は病気がなく気持ちよく楽しむこと。
三つ目は長生きして久しく楽しむことである。
いくら富貴であっても、この三つの楽しみがなければ真の楽しみは得られない。
だから富貴はこの三楽に入らない。
もし善を楽しまず、また養生の道を知らないで、病気が多くて、最後に早死にする人は、この三楽を得られない。
人間であるからには、この三楽を得る工夫がなくてはならない。
この三楽がなければ、どのような富貴をきわめても、何の意味もない。
心を楽しませ、気を養う助け
原文
ひとり家に居て、閑(しずか)に日を送り、古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微酔にのみ、園菜を煮るも、皆これ心を楽ましめ、気を養ふ助なり。
貧賎の人もこの楽つねに得やすし。
もしよくこの楽をしれらば、富貴にして楽をしらざる人にまさるべし。
現代語訳
ひとり家に居て、のどかに日を送り、古書を読み、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古い名筆を写した冊子を見て遊び、山水を眺め、月花を愛で、草木を愛し、四季の景色を楽しみ、酒を少したしなみ庭の野菜を煮るのも、みな心を楽しませ、気を養ふ助けとなる。
貧賤の人でも、この楽しみならいつでも出来る。
もしこの楽しみを知っていれば、富貴でもこの楽しみを知らない人よりは、はるかにまさっているといえよう。
気をめぐらす
原文
養生の術は、つとむべきことをよくつとめて、身をうごかし、気をめぐらすをよしとす。
つとむべきことをつとめずして、臥す事をこのみ、身をやすめ、おこたりて動かさざるは、はなはだ養生に害あり。
久しく安坐し、身をうごかさざれば、元気めぐらず、食気とどこほりて、病おこる。
ことにふす事をこのみ、眠り多きをいむ。
食後には必ず数百歩歩行して、気をめぐらし、食を消すべし。
眠りふすべからず。
現代語訳
養生の方法は、努めるべきことをよく努め、からだを動かし、気をめぐらすのが良い。
努めるべきことをしないで、寝ることを好み、からだを休めて怠けて動かないのは、養生にたいへん悪い。
長く気ままに坐り、からだを動かさないと、元気がめぐらず、食物の気がとどこおって病気になる。
とくに寝ることを好み、眠りの多いのはよくない。
食後には必ず数百歩歩いて気をめぐらし、食べたものを消化させるべきで、すぐに眠ってはいけない。
かぎりある元気
原文
人、毎日昼夜の間、元気を養ふことと元気をそこなふ事との、二の多少をくらべ見るべし。
衆人は一日の内、気を養ふことは常に少なく、気をそこなふことは常に多し。
養生の道は元気を養ふことのみにて、元気をそこなふことなかるべし。
もし養ふことは少なく、そこなふ事多く、日々つもりて久しければ、元気へりて病生じ、死にいたる。
この故に衆人は病多くして短命なり。
かぎりある元気をもちて、かぎりなき慾をほしいままにするは、あやうし。
現代語訳
人は誰でも、毎日その日の昼夜の中で、元気を養うことと元気をそこなうことの二つのうち、どちらが多いかを比べてみるのが良い。
多くの人は、一日のうち気を養うことは常に少なく、気をそこなう事が常に多い。
養生の道は、元気を養うことだけをつとめて、元気をそこなう事がないようにしなければならない。
もし元気を養う事が少なく、そこなう事が多く、それが日々つもりつもれば、元気が減って病気になり、ついに死ぬことになる。
だから多くの人は病気が多く短命に終わる。
限りある元気であるのに、限りない欲望を欲しいままにするのは、危ういことである。
気を養う大切な方法
原文
養生の術は先ず心気を養ふべし。
心を和にし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ、思ひ、を少なくし、心をくるしめず、気をそこなはず。
これ心気を養ふ要道なり。
現代語訳
養生の第一歩は心と気を養うことである。
心を和らかにし、気を平らかにし、怒りと欲を抑え、憂いと思い煩う事を少なくし、心を苦しめず、気を損なわない。
これが心と気を養う大切な方法である。
自分の体を可愛がり過ぎてはいけない
原文
心は楽しむべし、苦しむべからず。
身は労すべし、やすめ過すべからず。
凡そわが身を愛し過すべからず。
美味をくひ過し、ほううんをのみ過し、色をこのみ、身を安逸にして、おこたり臥すことを好む。
皆これ、わが身を愛し過す故に、かへつてわが身の害となる。
また、無病の人、補薬を妄に多くのんで病となるも、身を愛し過すなり。
子を愛し過して、子のわざはひとなるが如し。
現代語訳
心は楽しみ、苦しめてはいけない。
からだは動かし、休ませ過ぎてはいけない。
だいたい自分の体を可愛がり過ぎてはいけない。
美味しいものを食べ過ぎ、うまい酒を飲み過ぎ、色欲を好み、からだを楽にし、怠けて寝ているのが好きだというのは、みな自分のからだを可愛がり過ぎることで、かえってからだの害になる。
また病気でもないのに、強壮剤をやたらに飲んで、かえって病気になるのも、からだを可愛がりすぎることである。
子どもを可愛がり過ぎてかえって子どもの災いになるようなものである。
節度を守る
原文
酒は微酔にのみ、半酣をかぎりとすべし。
食は半飽に食ひて、十分にみつべからず。酒食ともに限を定めて、節にこゆべからず。
現代語訳
酒はほろ酔い程度がよく、宴たけなわの半ばでやめるのがよい。
食事は満腹の半分がよく、腹いっぱい食べてはいけない。
酒食とも限度をきめて、節度をこえてはいけない。
良い食事
原文
凡(すべて)の食、淡薄なる物を好むべし。
肥濃油膩の物多く食ふべからず。
生冷・堅硬なる物を禁ずべし。
現代語訳
全ての食事はあっさりした物を好むのがよい。
味が濃く脂っこい物を多く食べてはいけない。
生もの、冷えた物、固い物は禁物である。
飲食と色欲の慎み
原文
わかき時より色慾をつつしみ、精気を惜むべし。
精気を多くつひやせば、下部の気よはくなり、元気の根本たへて必ず命短かし。
もし飲食色慾の慎みなくば、日々補薬を服し、朝夕食補をなすとも、益なかるべし。
現代語訳
若いときから性欲を慎み、精気を惜しまなければいけない。
精気を多くつかうと、下半身の気が弱くなり、元気の根本が絶えて、かならず命が短くなる。
もし飲食と色欲の慎みがないと、毎日強壮剤を服用し、朝夕に食物で補いをしても、なんの役にも立たない。
交接の回数
原文
男女交接の期は、孫思邈が「千金方」曰く
「人、年二十者は四日に一たび泄す。
三十者は八日に一たび泄す。
四十者は十六日に一拙す。
五十者は二十日に一泄す。
六十者は精をとぢてもらさず。もし体力さかんならば、一月に一たび泄す。
気力すぐれて盛なる人、慾念をおさへ、こらへて、久しく泄さざれば、腫物を生ず。
六十を過て慾念おこらずば、とぢてもらすべからず。
わかくさかんなる人も、もしよく忍んで、一月に二度もらして、慾念おこらずば長生なるべし」
現代語訳
男女の交接の回数は、古代中国の医学者孫思邈の「千金方」に書いてある。
「人は年二十の者は四日に一回もらす。
三十の者は八日に一回もらす。
四十の者は十六日に一回もらす。
五十の者は二十日に一回もらす。
六十の者は精をとじてもらさない。もし(六十の人でも)体力がさかんであれば、一ヶ月に一回もらす。
気力がすぐれてさかんな人が欲情を抑えこらえて久しくもらさないと腫れ物を生ずる。
六十を過ぎて欲情がおこらなければ、とじてもらしてはいけない。
若くてさかんな人も、もしよく耐えて、もらすのを一ヶ月に二回にして、あとは欲情をおこさなければ、長生きできよう」
というのである。
心配しすぎない
原文
病ある人、養生の道をば、かたく慎しみて、病をば、うれひ苦しむべからず。
憂ひ苦しめば、気ふさがりて病くはゝる。
病おもくても、よく養ひて久しければ、おもひしより、病いえやすし。
病をうれひて益なし。只、慎むに益あり。
もし必死の症は、天命の定れる所、うれひても益なし。人をくるしむるは、おろかなり。
現代語訳
病人は養生の道をかたく守り、病気のことをくよくよ考えてはいけない。
くよくよすれば気がふさがり病気が重くなる。
病気が重くても、気長によく養生すれば、思ったよりも病気は早く癒えるものである。
病気をいくら心配しても益はない。
ひたすら病気を慎むことに益がある。
もし死ぬときまった病気なら、天命で定まったことであるから、憂えても益はない。
そのことで他人を苦しめるのは愚かなことである。
天命を受け入れる
原文
老ての後は、一日を以て十日として日々に楽しむべし。
常に日をおしみて、一日もあだにくらすべからず。
世のなかの人のありさま、わが心にかなはずとも、凡人なれば、さこそあらめ、と思ひて、わが子弟をはじめ、人の過悪を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。
いかり、うらむべからず。
また、わが身不幸にして福うすく、人われに対して横逆なるも、うき世のならひ、かくこそあらめ、と思いひ、天命をやすんじて、うれふべからず。
つねに楽しみて日を送るべし。
人をうらみ、いかり、身をうれひなげきて、心をくるしめ、楽しまずして、むなしく過ぬるは、愚かなりと云べし。
たとひ家まどしく、幸なくしても、うへて死ぬとも、死ぬる時までは、楽しみて過すべし。
貧しきとて、人にむさぼりもとめ、不義にして命をおしむべからず。
現代語訳
年をとってからあとは、一日を十日として日々楽しむがよい。
つねに日を惜しんで、一日も無駄に暮らしていけない。
世の中の人のありさまが自分の心にかなわなくても、それは凡人だから仕方ないことと思い、自分の子どもをはじめ他人の過失をなだめ許し、とがめてはいけない。
起こったり恨んだりしてもいけない。
また自分が不幸で裕福でなく、他人が自分に対して道理に合わないことをしても、浮世のならいはこうしたものと思い、天命を受け入れ、憂い嘆いてはいけない。
つねに楽しんで日を送りなさい。
人を恨み怒り、からだを憂い嘆いて心を苦しめ、楽しまないで、はかなく年月を過ごすのは惜しいことである。
このように惜しむべき月日であるのを、一日も楽しまないでむなしく過ごすのは、愚かなことというほかない。
たとえ家が貧しく幸いがうすく、飢えて死ぬようなことになっても、死ぬときまでは楽しんで過ごすがよい。
貧しいからといって、人にむさぼり求めたり、不義の人間になって命を惜しんではならない。
導引の術
原文
導引の法を毎日行へば、気をめぐらし、食を消して、積聚(しゃくじゅ)を生ぜず。
朝いまだおきざる時、両足をのべ、濁気をはき出し、おきて坐し、頭を仰て、両手をくみ、向へ張出し、上に向ふべし。
歯をしばしばたゝき、左右の手にて、項(うなじ)をかはるがはるおす。
その次に両肩をあげ、くびを縮め、目をふさぎて、俄(にわか)に肩を下へさぐること、三度。
次に面(かお)を、両手にて、度々なで下ろし、目を、目がしらより目じりに、しばしばなで、鼻を、両手の中指にて六七度なで、耳輪(じりん)を、両手の両指にて挟み、なで下ろすこと六七度、両手の中指を両耳に入、さぐり、しばしふさぎて両へひらき、両手をくみ、左へ引ときは、かうべ右をかへり見、右へ引ときは、左へかへりみる。この如くすること各三度。
次に手の背にて、左右の腰の上、京門(けいもん)のあたりを、すぢかひに、下に十余度なで下し、次に両手を以て、腰を按す。
両手の掌にて、腰の上下をしばしばなで下す。
これ食気をめぐらし、気を下す。
次に手を以て、臀の上を、やはらかに打こと十余度。
次に股膝を撫くだし、両手をくんで、三里の辺をかゝえ、足を先へふみ出し、左右の手を前へ引、左右の足、ともに、この如くすることしばしばすべし。
次に左右の手を以て、左右のはぎの表裏を、なで下すこと数度。
次に足の心(うら)湧泉の穴と云、片足の五指を片手にてにぎり、湧泉の穴を左手にて右をなで、右手にて左をなづること、各数十度。
また、両足の大指をよく引、残る指をもひねる。
これ術者のする導引の術なり。閑暇ある人は日々かくの如くす。
現代語訳
導引というからだの屈伸や摩擦の健康法を毎日行えば、気がめぐり、食物を消化し、腹中に腫れ物を起こさない。
朝まだ起きないうちに、両足を伸ばし、濁った気を吐き出し、そのれから起きて坐り、頭を仰向かせて、両手を組み、前方へつき出し、上にあげる。
歯を何度もかちかちたたき、左右の手で首すじを交互に押す。
つぎに両肩をあげ、首をちぢめ、目をふさいで、急に首をさげる動作を三度する。
つぎに顔を両手でたびたび撫でおろし、目頭から目尻にかけて何回も撫で、鼻も両手の中指で六・七回撫で、耳たぶを両手の両指ではさんで撫でおろすこと六・七度、さらに両手の中指を両耳に入れてさぐるようにし、耳あなをふさいだり開いたりする。
そして両手を組み、左へ引くときは頭を右にまわし、右へ引くときは頭を左にまわす。
これを三度やる。
つぎに手の背で左右の腰の上やわき腹のあたりをななめ下へ十度あまり撫でおろす。
そのあと両手で腰を押す。
両手の掌で腰の上下を何度も撫で下ろす。
これは食物の気をめぐらし、気をおろす。
次に手で尻をかるく十度あまり打つ。
ついで股と膝を撫で下ろし、両手を組んで膝がしらの下をかかえ、足を前へふみ出すようにし、左右の手を手前に引く。
左右の足とも何度もやるとよい。
つぎに左右の手で左右のふくらはぎの表と裏を数度撫で下ろす。
そして足の裏の中心、ここは土踏まずのくぼみで湧泉の穴というが、片足の五指を片手で握り、この湧泉の穴を左手で右の穴を、右手で左の穴をそれぞれ十度ばかり撫でる。
また両足の親指をよく引き、残る指もひねっておく。
これが専門家のする導引の術である。
暇のある者は毎日これをやるとよい。