多重知能(MI)理論と単一知能観(IQなど)

ハワード・ガードナーの多重知能(MI)理論が、従来の単一知能観(IQなど)にどのように異議を唱えるのか、その主張と、それに対する批判について、提供されたテキスト「多重知能 新たな地平線」の内容を基に詳しく解説します。


1. 従来の知能観(IQ)への批判

ガードナーは、MI理論を展開する前提として、従来の知能観、特にIQテストに代表される考え方に根本的な問題があると指摘します。

  • 「画一的な学校」のための不公平な尺度:
    従来のIQやSAT(大学進学適性試験)は、特定の一種類の知性、ガードナーが言うところの「法学教授の心」を測るためのものです。彼は「画一的な学校は、特定の種類の人を、つまり暫定的にIQマインドまたはSATマインドと呼べるような人を選び出し、その人たちに向けて作られています」と述べ、このような学校やテストは、異なる知性の持ち主にとっては「決して公平ではない」と断じています。
  • 測定できるものへの偏重(三つのバイアス):
    ガードナーは、私たちの社会が知能に対して持つ偏見を「ウェスティスト(西洋中心主義)」「テスティスト(テスト至上主義)」「ベスティスト(最良主義)」の三つだと指摘します。
    • ウェスティスト: ソクラテス以来の西洋文化、特に論理的思考や合理性を絶対視する偏見。
    • テスティスト: 「容易にテストできる能力」だけを重視し、「テストできなければ、注意を払う価値はない」と見なす偏見。
    • ベスティスト: 特定の能力(例:論理数学的思考)だけが万能であると信じる危険な偏見。

これらのバイアスにより、IQテストは人間の持つ多様な能力のごく一部しか測定しておらず、それをもって個人の優劣をランク付けすることは、非人道的であり、人間の可能性を狭めるものだと批判しています。

2. 多重知能(MI)理論の核心的な主張

従来の知能観への批判に基づき、ガードナーはより人間的で、現実に即した知能の捉え方としてMI理論を提唱します。

  • 知能は単一ではなく「複数」存在する:
    MI理論の最も中心的な主張は、知能は一つ(一般知能因子、g因子)ではなく、互いに独立した複数の能力の集合体であるという点です。当初7つ、後に博物的知能を加えて8つ、さらに実存的知能を「8と1/2番目」の候補として提唱しました。
  • 知能の再定義:
    ガードナーは知能を「テストの点数」ではなく、「特定の文化的な状況や共同体において重要性を持つ問題を解決したり、製品を作り出したりする能力」と定義し直しました。これは、生物学的・心理学的な基盤を持つ「計算能力」であり、チェスプレイヤー、バイオリニスト、アスリート、あるいは航海士といった、従来のIQテストでは測定できない人々の卓越した能力も「知能」として捉えることを可能にします。
  • 知能の独立性:
    各知能は、脳の異なる領域に対応し、発達の軌跡も異なるため、互いに独立していると考えられています。例えば、数学の能力が高いからといって、必ずしも言語や音楽の能力が高いとは限りません。これは、IQテストの各項目のスコア間に高い相関が見られる(つまり、一つの能力が高い人は他の能力も高い傾向がある)とする従来のg因子理論と鋭く対立します。ガードナーは、この相関は「テスト自体が論理数学的・言語的な項目に偏っているために生じる」ものであり、より公平な評価を行えば相関は低下するだろうと反論しています。
  • MI理論がもたらす3つの結論:
    1. 普遍性: 私たち全員が、認知的な意味で人間であるために、すべての知能を持っている。
    2. 個別性: 経験が異なるため、たとえ一卵性双生児であっても、全く同じ知的プロファイルを持つ人はいない。
    3. 活用: 強い知能を持つことが、必ずしも知的に行動することを意味するわけではない。その能力をどう使うかは本人次第である。

3. MI理論への批判とガードナーの応答

MI理論は広く受け入れられた一方で、多くの批判も受けています。ガードナー自身もテキストの中で、これらの批判や疑問に言及しています。

  • 「それは知能ではなく『才能』や『スキル』ではないか?」という批判:
    これは最も一般的な批判です。批判者は、ガードナーが「知能」と呼ぶものは、従来「才能」や「スキル」と呼ばれてきたものと何が違うのか、定義が曖昧だと指摘します。
    • ガードナーの応答: 彼は、単なる思いつきで知能をリストアップしたわけではないと強調します。ある能力が「知能」として認められるためには、以下の8つの厳密な基準の「すべて、または健全な大多数を満たす」必要があるとしています。
      1. 脳損傷による選択的な障害の可能性
      2. 神童やサヴァン、その他の例外的な個人の存在
      3. 特定可能で中核となる一連の操作(情報処理メカニズム)
      4. 特徴的な発達史と、その分野の専門家になるための段階
      5. 進化の歴史と進化上の妥当性
      6. 実験心理学的な裏付け
      7. 心理測定(テスト)による裏付け
      8. 記号システム(楽譜、数学記号、言語など)への符号化の可能性
  • 「道徳的知能や霊的知能はないのか?」という問い:
    多くの人々が、これらの重要な人間的側面も知能に加えるべきだと主張しました。
    • ガードナーの応答: 彼はこれらの候補を慎重に検討した上で、除外しています。
      • 道徳的知能: 知能は価値中立な「能力(計算能力)」であり、その使い方が善か悪かという「規範的」な側面を含むべきではない、というのが理由です。彼は「詩人のゲーテと宣伝家のゲッベルスは、どちらもドイツ語においてかなりの知能を持っていた」と例を挙げ、能力とその倫理的な使用を区別しています。
      • 霊的知能: 「高次の存在とつながる感覚」といった主観的な体験は知能の指標にはならず、また特定の宗教と結びつきやすいため、基準を満たさないと結論付けています。ただし、普遍的な「存在に関する大きな問い」を扱う実存的知能は有望な候補としつつも、脳科学的な裏付けが不十分であるため、正式な認定には至っていません。
  • 経験的証拠の欠如という批判:
    学術的な心理学の世界では、MI理論は経験的(統計的)な証拠に乏しいという批判が根強くあります。各知能が本当に独立していることを示す、信頼性と妥当性のある測定方法が確立されていない点が指摘されます。
    • ガードナーの応答: 彼は、従来の紙と鉛筆のテスト(テスティスト)に固執するのではなく、より文脈に即した、現実世界での問題解決能力を測る「知能に公平な評価」が必要だと主張します。彼の理論の科学的基盤は、心理測定学よりも、むしろ脳科学発達心理学にあると強調しています。彼は「蓄積されつつある科学的知識は、MI理論の主張を、より少なくではなく、より可能性の高いものにしています」と述べ、近年の脳科学の発展が自身の理論を後押ししていると考えています。

まとめ

ハワード・ガードナーの多重知能(MI)理論は、「人間とは何か、賢いとはどういうことか」という問いに対して、IQという単一の物差しで人を測る従来の考え方を根本から覆し、人間の能力の多様性と豊かさを称揚する新しい視点を提示しました。

その主張は、特に教育界に大きな影響を与え、一人ひとりの子どもの持つ異なる強み(プロファイル)を見出し、それを伸ばすという個別化学習の理念的支柱となりました。

一方で、その理論は科学的な厳密さの観点から「知能の定義が広すぎる」「経験的証拠が不十分」といった批判を受け続けています。しかしガードナーは、これらの批判に応えながら理論を更新し続けており、MI理論は完成されたドグマではなく、人間の知性をめぐる議論を活性化させるための、まさに「新たな地平線」を切り開いたものだと言えるでしょう。

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