先週の同じ日に、二人の親切な同僚から頼まれもしない写真が送られてきました。一枚は21年前にファーマン大学で撮ったもので、尊敬する友人であり、励まし役であり、アドバイザーでもあったチャールズ・ブリューワー(残念ながら最近亡くなりました)と一緒です。他の二枚は、モレーン・バレー・コミュニティ・カレッジで行った講演のものです。
21 年の歳月が経った今でも、私が着ているのが、同じスコットランドの緑のチェック柄のネクタイと真鍮ボタンの青いブレザー (正確には同じブレザーではありません。最初のブレザーは着古しましたが、代わりのブレザーは全く同じものです) であることに気づいて、少し恥ずかしくなりました。
なんて退屈でしょう? 出張していない時は毎朝7時に起き、Today Showの最初の10分を見ながら(たいていは前日と同じセーターで)服を着替え、一年中毎日同じ3ブロックを自転車で通勤し(天候に関係なく)、祈り、メール、そしてキャンパスの食堂で朝食を摂りながら読む政治ニュースのダウンロードで一日が始まり、正午まで働き、キャンパスのジムで運動し…(もういい加減にしろ)…というこの教授の生活は、なんて退屈なのでしょう。分かっています。本当に退屈です。
しかし、数学者であり哲学者でもあるアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが1911年に書いた『数学入門』の知恵を考えてみましょう。
文明は、私たちが考えなくても実行できる重要な操作の数を増やすことで進歩します。… 優れた記法は、脳から不必要な作業をすべて取り除き、より高度な問題に集中できるようにして、事実上、人類の精神力を高めます。
マーク・ザッカーバーグはホワイトヘッドの知恵(そしてチャールズ・デュヒッグの『習慣の力』の知恵)に従って、毎日どのシャツを着るかで時間を無駄にしないことにしている。以前、同じテーマで書いたエッセイの結論でこう書いた。「『マインドフルネス』が称賛される昨今、マインドレスネスという言葉も使ってみよう。マインドレスで習慣的な生活は、私たちの心を解放し、どのパンツを履くか、どんな朝食を注文するかといったことよりも、もっと重要なことに集中させてくれる。」少なくとも私はそう信じたい。
