精神障害の診断と治療を巡る主要な哲学的および実践的な論争は、異常性をどのように定義し、その原因をどのように捉えるかという、根本的に異なる複数のモデル(医学的、心理学的、社会文化的)の対立から生じています。
以下に、主要な哲学的および実践的な論争点を詳述します。
1. 診断の性質と定義を巡る哲学的論争
精神障害は「病気」か、それとも「社会的な産物」か
異常性の医学モデルは、精神障害を脳内化学物質の不均衡や遺伝的素因といった生物学的な根源を持つものと仮定し、「診断」と「治療」が必要な精神疾患として捉えます。このモデルは、悪魔の使者として迫害された人々への人道的な治療の幕開けとなり、向精神薬などの開発をもたらしました。
しかし、この医学モデルに対しては、哲学的かつ実践的な批判があります。
- 「精神疾患の神話」論争: アメリカの精神科医トーマス・サザスは、精神疾患は社会的に定義された相対的な概念であり、自分と異なる人々を疎外するために使われていると主張しました。彼は、精神疾患のレッテル貼りは、問題を抱える人々が自身の内なる力に頼る代わりに、医師や薬に受動的に依存するようになることを促進すると批判しました。
- 責任の所在: 医学モデルは、異常な行動をとる人は「精神的に病んでいる」ために自分の行動に責任がないという考え方を広めますが、これに反対する人々もいます。
- 社会文脈の決定的な役割: 社会文化モデルは、異常性は社会における適切な行動の基準や定義に直接関係しており、医学的または心理的なものではなく、社会的なものだと示唆しています。例えば、声を聴く現象は、古代ギリシャでは神の予言と解釈されたのに対し、現代の西洋文化では統合失調症の症状と見なされています。
診断の客観性を巡る論争
診断の客観性についても、実践的な論争が存在します。デビッド・L・ローゼンハンによる1973年の研究では、健常な疑似患者が精神病院に入院を認められ、一度診断が下されると、メモを取るような正常な行動さえも「書く行動をとる」といった形で、状況(精神病院)が彼らの行動の解釈を左右することが示されました。これは、臨床的な診断の実践におけるバイアスの存在を浮き彫りにしました。
2. 異常行動の原因と人間の主体性を巡る論争
異常行動の原因を巡っては、モデル間で根本的な見解の相違があります。
| モデル | 主な原因の仮定 | 論争/批判点 |
|---|---|---|
| 精神分析モデル | 幼少期のトラウマや、エス、超自我、自我の間の無意識の葛藤。 | 検証可能性の欠如:反証不可能であり、単純な説明で足りる場合に複雑な説明をすると批判されています。 |
| 行動モデル | 環境を通じた学習(報酬と罰)や不適切な強化履歴。 | 自由意志の無視:人間の行動を単に環境刺激に対する一連の反応と捉える見方に抵抗があり、人間には状況を選択し、反応を選択する能力(自由意志)があるという主張があります。また、遺伝的要因を無視している点も批判されます。 |
| 認知モデル | 世界の考え方や認識の歪み、非合理的な思考(例:過度の一般化、全か無かの思考)。 | 根源原因の軽視:認知プロセスに焦点を置きすぎ、根本原因への配慮が不十分であり、機械論的すぎると見なされることがあります。 |
| 人間主義モデル | 成長し自己実現を達成しようとする努力が、条件付きの肯定的な配慮などによって阻害されること。 | 楽観主義の限界:意識的な経験に焦点を絞りすぎ、無意識の動機付けや生物学的要因を認識していません。また、人類史における戦争や暴力の事実が、このモデルの楽観的な人間観と矛盾します。 |
3. 治療実践の根本的な対立
異常性に関する異なるモデルは、診断と治療の方法として、根本的に異なるアプローチを提示しており、これが実践的な論争を引き起こします。
- 生物学 対 学習: 例えば、生物学モデルは、うつ病の原因を生化学的な不均衡によるものと見なし、治療法として不均衡を修正するための薬物(抗うつ薬など)を提唱します。一方、行動モデルは、うつ病は学習されるものだと主張し、治療法として環境における報酬と罰を変えることで古い習慣を捨て、新しい健康的な習慣を身につけることを目指します。
- モデルの統合の困難性: これらのモデルはしばしば互いに矛盾するため、単純に組み合わせることができません。単一のモデルですべての障害を説明できる可能性は低く、特定の異常行動には複数の原因が絡み合っていると考えられています。
これらの論争に対処する試みの一つとして、素因-ストレスモデルがあります。これは、生物学的な弱点(素因)を持つ個人が、特定の環境条件(ストレス)に遭遇した際に疾患を発症するという考えに基づき、複数の要因の相互作用を認めています。
