「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」には論理的不整合がある。
「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」とは、人に疑いをかけられやすい行動は、たとえ潔白でも避けるべきだという教えで、「瓜畑(かでん)で靴(履)を履き直したり、李(すもも)の木の下で冠(かんむり)を直したりしない」という状況から、潔白な人ほど誤解されないように慎重に行動すべきという戒めです。中国の古い詩に由来する故事成語で、「瓜田李下(かでんりか)」とも略されます。
李下(りか)に冠(かんむり)を正(ただ)さず: スモモの木の下では、曲がった冠を直すために手を上げたりしない。スモモの実を盗もうとしていると疑われるから。
瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず: 瓜畑の中では、脱げた靴を履き直すためにかがみこんだりしない。瓜を盗んでいると疑われるから。
『文選(もんぜん)』収録の『君子行(くんしこう)』という漢詩の一節。
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人間は弱いものである。
自分は普通程度の倫理観を持っていると思っていても、
金銭財産の誘惑、性的誘惑、権力の誘惑、社会的優越の誘惑、さらには食欲の誘惑などに、
いとも簡単に屈してしまうものだ。
志の高い人は、自分が弱いことを自覚して、
そのような場所に自分の身を置かないことを心がけるのがよい。
自覚はあっても、そのような場面に身を置けば、人間は誘惑に屈するのである。
したがって、予防的に、誘惑が発生する可能性がある場所への接近を回避するのがよい。
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誘惑が発生する場面に行ってしまったら引き返すことは難しい。
誘惑が発生する場面そのものを回避する知恵が必要である。
「瓜田に履を納れず」は正しい。遠回りをしたほうがよい。
「李下に冠を正さず」というが、不足である。
そもそも、李下は歩かないほうがよい。遠回りをしたほうがよい。
「李下を歩かず、瓜田に履を納れず」と表現したほうがよい。
「李下に冠を正さず」は、「瓜田にいりてかがまず」に対応する。
「瓜田に履を納れず」は、「李下を歩かず」に対応する。
詩だから、韻を踏む必要があって、論理的不整合が発生したものと思う。
