日本近代の核心に触れる問い。
**「科学技術は受け入れたが、宗教(キリスト教)は拒否した近代化」**が、精神的・倫理的な未成熟を残したのではないか、という見方は、実は多くの思想家・歴史家・精神科医が、形を変えて共有してきました。以下、代表的な説明枠組みをいくつか並置します。どれも単独で正解ではなく、重なり合うものです。
1. 「超越的倫理の欠如」説(内村鑑三・丸山眞男系)
要点
- 西欧近代では
自然科学・資本主義・国家権力の上に
「神の前での個人」という超越的倫理があった。 - 日本は
国家・天皇・社会秩序が
最終審級になってしまった。
帰結
- 国家が誤っても、
それを超えて「NO」と言う倫理的基準が弱い。 - 戦前の国家神道、戦時動員、戦後の無反省性。
丸山眞男はこれを
「責任の無限後退」
と呼びました。
2. 「内面化の失敗」説(南原繁・大塚久雄系)
要点
- キリスト教は、
- 罪
- 良心
- 告白
- 内省
を通して、倫理を内面化させた。
- 日本の近代化は、
- 規範は外在的(法・世間)
- 内面は曖昧なまま
進んだ。
帰結
- 規則があれば従う
- 規則がなければ無責任
- 恥はあるが、罪の意識が弱い
精神医療的に言えば、
超自我の形成が制度依存になった社会。
3. 「宗教の代替物としての国家」説(加藤周一・ベネディクト)
要点
- キリスト教を拒否した空白を、
- 天皇
- 国家
- 国体
が埋めた。
- これは「宗教なき世俗国家」ではなく、
世俗を装った宗教国家。
帰結
- 批判不能な中心が生まれる
- 合理性と非合理性が同居
- 科学技術が神話的国家に奉仕する
原爆開発や精神医療の戦時動員も、
この延長線上にある。
4. 「二重構造」説(和辻哲郎の裏読み)
要点
- 日本倫理は「間柄(あいだがら)」を重視。
- 個人と超越者の直接的関係が弱い。
- 結果として、
- 表の合理性(制度・技術)
- 裏の情念(空気・忖度)
が分離。
帰結
- 科学技術は表で進む
- 倫理判断は裏で決まる
- 公的倫理が育たない
これは現在の
制度順守+情緒的支配の原型。
5. 「時間意識の断絶」説(ヤスパース・阿部謹也)
要点
- キリスト教は、
- 創造
- 救済史
- 終末
という直線的時間を与えた。
- 日本は、
- 循環
- 常若
- なかったことにする
という時間感覚を保ったまま近代化。
帰結
- 過去の責任が清算されない
- 断絶と連続が曖昧
- 反省が形式化する
精神医療で言えば、
トラウマが物語化されない社会。
6. 反論もある(重要)
① 仏教・神道は倫理を与えなかったのか?
→ 与えていたが、
- 科学技術と結びつく形式に翻訳されなかった。
② キリスト教があれば成熟したのか?
→ 西欧もまた、
- 植民地主義
- 優生思想
- 精神医療の暴力
を生んでいる。
問題は宗教の有無ではなく、
科学技術を制御する倫理言語を、
どこに置いたか
7. 精神医療との接点
日本の精神医療は、
- 科学技術(診断・薬)を受け入れ
- 倫理は「場の空気」「慣行」に委ねた
結果、
- 強制と配慮が未分化
- 権威と父性が曖昧
- 反省が個人に押し付けられる
8. 一文でまとめると
日本の近代化は、
科学技術を導入しながら、
それを制御する超越的倫理を制度化しなかった。
その空白は、
国家・制度・空気によって埋められた。
明治時代に、キリスト教やイスラム教に相当するものの日本版を作ろうとしたのだが、諦めたようだ。流産して、それきりだ。
