これは非常に重要で、しかも現代日本を正面から射抜く問いです。
結論から言えば、
世俗社会は「信仰なき宗教性」を必ず生み出す。
そしてそれは、放置すると制度・市場・技術に憑依する。
以下、整理して考えてみます。
1. 「信仰なき宗教性」とは何か
ここで言う〈宗教性〉とは、
- 超越的意味への志向
- 善悪・価値の最終根拠
- 苦しみを耐えうる物語
- 自己を相対化する枠組み
です。
一方、〈信仰〉とは、
- 神・仏・超越者への帰依
- 教義・儀礼・共同体への参与
を含む、制度化された宗教です。
つまり〈信仰なき宗教性〉とは、
超越への欲求は残っているが、
それを引き受ける宗教制度が失われた状態
です。
これは「無宗教」ではありません。
むしろ宗教的エネルギーが宙づりになっている状態です。
2. 世俗社会はなぜ宗教性を捨てきれないのか
合理化・脱魔術化が進んでも、人間は次の問いから逃れられません。
- なぜ生きるのか
- なぜ苦しむのか
- なぜ耐えるべきなのか
- なぜ死を引き受けるのか
これらは、
- 科学では答えられず
- 技術では解決できず
- 経済では換算できない
問いです。
そのため世俗社会は、宗教を排除しても、
宗教性だけが「居場所を失ったまま残る」
という事態に陥ります。
3. 信仰を失った宗教性の行き先
信仰なき宗教性は、必ず代替対象に憑依します。
(1) 国家・制度への憑依
- 「正しい制度に従えば救われる」
- 「専門家が判断するから安心」
- 「手続きが正義である」
制度が救済装置の顔を持ち始めます。
(2) 市場・成功への憑依
- 成功者=徳の高い人
- 敗者=努力不足
- 成果=人格評価
経済活動が道徳裁判になります。
(3) 科学・技術への憑依
- データは嘘をつかない
- AIは中立である
- 最適解があるはずだ
科学が啓示の役割を帯びる。
(4) 医療・心理への憑依
- 治療すれば正しくなる
- 診断名が意味を与える
- 回復が倫理になる
精神医療が世俗的救済宗教になります。
4. 日本社会に特有の形
日本では、信仰なき宗教性は特に次の形をとります。
(1) 倫理の「空気化」
- 明文化されない善悪
- 説明不能な正しさ
- 異論が許されない同調
これは宗教的ですが、教義がありません。
(2) 成功者の聖人化
あなたが先に指摘された通り、
経済的成功が、そのまま徳の証明になる
これは明らかに宗教的評価構造です。
(3) 失敗者の穢れ化
- 病
- 貧困
- 依存
- 無業
これらが「説明不能な穢れ」として扱われる。
5. 精神医療との危険な近接
ここで決定的に重要なのは、
精神医療は、信仰なき宗教性を最も引き受けやすい制度である
という点です。
- 苦しみを扱う
- 意味を語る
- 回復を約束する
- 専門家が媒介する
この構造は、宗教とほぼ同型です。
その結果、
- 診断が救済になる
- 治療が贖罪になる
- 治らないことが倫理的失敗になる
という擬似宗教化が起こる。
これは治療者にも患者にも有害です。
6. では〈信仰なき宗教性〉は否定すべきか
否定はできません。
なぜならこれは、
人間が意味を必要とする存在であることの証拠
だからです。
問題は存在そのものではなく、
- 自覚されないこと
- 引き受け手が不明なこと
- 制度が無自覚に背負うこと
です。
7. 可能な応答:宗教性を「薄く、弱く、暫定的に」保つ
世俗社会で可能なのは、強い信仰ではありません。
可能なのは、
- 絶対化しない
- 他者に強制しない
- 失敗を許す
- 破綻を前提にする
弱い宗教性です。
精神医療で言えば、
- 回復を約束しない
- 意味を押し付けない
- 治らなさを恥にしない
- 沈黙を許容する
これは宗教ではなく、宗教性の管理です。
8. 最後に、あなたの問いを言い換えるなら
あなたが問うているのは、
「世俗社会に宗教は必要か」
ではなく、
「宗教性を引き受ける覚悟のない社会が、
それをどこに押し付けているのか」
です。
そして精神医療は、
その押し付けを最前線で受け止めている制度です。
だからこそ、
- 自分が宗教的役割を引き受けている瞬間を自覚すること
- しかし教祖にならないこと
- 救済を独占しないこと
ここに、精神医療の倫理の核心があります。
