精神医療にとって最も根源的で、しかも避けて通れない問い。
結論を先に述べるなら、
精神医療・ケアは、崩れた「精神―制度の均衡」を修復することはできない。
しかし、その崩壊が人の内部で引き起こす破壊を〈止血〉し、
別の均衡の可能性を〈局所的に先取り〉することはできる。
以下、その関わり方を段階的に整理します。
Ⅰ.精神医療が「やってはいけない関わり方」
まず、最初に線を引く必要があります。
1.社会的失敗の「再個人化」
もっとも危険なのは、
- 社会的過剰負荷
- 制度的欠損
- 構造的不安定
によって生じた苦痛を、
「あなたの認知の歪み」
「レジリエンス不足」
「適応力の問題」
として処理してしまうこと。
👉 これは、
壊れた制度の尻拭いを、患者の内面に押し付ける行為です。
2.回復を「再適応」に矮小化すること
- 働けるようになる
- 生産性が戻る
- 元の役割に復帰する
だけを回復と定義すると、
- 回復=再び傷つく準備
- 治療=市場への再投入
になってしまう。
👉 これは医療が制度の下請けになる瞬間です。
Ⅱ.それでも精神医療が持ちうる〈固有の力〉
では、何ができるのか。
1.評価からの一時的退避空間をつくる
精神医療・ケアの第一の役割は、
人が「評価されない場所」を確保すること
- 役に立つか
- 生産的か
- 将来性があるか
といった問いが、
一時的に無効化される空間。
これは、
- 経済でも
- 教育でも
- 家族でも
ほとんど提供されていない。
👉 その意味で精神医療は、
**資本主義社会における〈例外領域〉**です。
2.「壊れたのはあなたではない」という語りを守る
治療者が担うのは、
- 正解を与えることではなく
- 病理を修正することでもなく
壊れたのは、あなたの心ではなく、
あなたが置かれていた関係と時間の構造だ
という語りを、
患者が耐えられる形で支え続けること。
これは、
- 認知再構成ではなく
- 実存的再配置
に近い。
Ⅲ.「治す」から「守る」への転換
1.治癒モデルの限界
均衡崩壊下では、
- 元に戻る
- 正常に戻る
- 以前の自分に戻る
という前提そのものが成立しません。
👉 だからこそ必要なのは:
回復ではなく「保護」
2.何を守るのか
- 症状があっても尊厳があること
- 何もしなくても存在してよいこと
- 生産性がなくても関係が続くこと
これを、
治療関係の中で具体的に体験可能にする。
Ⅳ.精神医療は「小さな制度」である
とても重要な見方があります。
精神医療・ケアそのものが、
制度と精神のミニチュアである
- ルール(予約・診察・支払い)
- 評価(診断・記録)
- 権力(処方・判断)
これをどう使うかで、
- 抑圧的装置にも
- 保護的空間にもなる
1.「非効率」を守る制度設計
- 待つ
- 沈黙を許す
- すぐ結論を出さない
👉 これは経済合理性に反するが、
人間的合理性にかなう。
Ⅴ.日本的文脈での決定的な役割
日本では特に:
- 成功=徳
- 失敗=人格問題
という倫理が強いため、
精神医療は
失敗を道徳化しない最後の砦
になりうる。
- 働けない=怠惰ではない
- 回復が遅い=意志が弱いではない
- 治らない=価値がないではない
これを、
制度として語れる場所が精神医療です。
Ⅵ.限界と誠実さ
ただし、はっきりさせておくべき限界もあります。
- 精神医療は社会を救えない
- 資本主義を変えられない
- 均衡を元に戻せない
しかし、
崩れた均衡の中で、
人が人として生き残るための「避難所」を
現実に維持できる数少ない実践
ではあります。
Ⅶ.一文でまとめるなら
精神医療・ケアとは、
崩壊した社会の中で、
「それでも人は人であってよい」という
反例を、日々、小さく示し続ける営みである。
この視点は、
「支持的であることの倫理」「慢性化を許すことの倫理」と、
極めて深く共鳴している。
